
1960年前後の頃、高校生の時です。
今までと全く違う「ジャズ」がラジオから聞こえて来ました。
単なる賑やかさとか悲しさとは全く違う「気怠さ」が延々と続くるジャズ。
「さいら」にはそう聞こえたのです。
真夏の京都の蒸し暑い夜に、これが聞こえてくるのです。
丁度その頃ですが、米国では黒人の公民権運動が盛んに行われていて、時には暴動を誘発するケースも報道されていました。
彼らの社会に対するやるせない気持ち
京都の真夏の蒸し暑さ
気怠いレーズの繰り返し
これらが
一つのものとして
刷り込まれてしまいました。
これは当時、私がそう思っただけで、
ジャズは余り社会性は無いですし、
時代的にもずれていて、
フレーズは気怠さとは全く異なったものでしょう。
しかし「さいら」はラジオを聞きながら
「分かる」様に思ったのです。
フォーク、ポップス、ロックも好きで聞きますが、「ジャズ」は特別なものになったのです。
一人のミュージシャンの色んなアルバムを聞くと、「それって、ジャズ?」と思う時があります。
「ジャズの発展」と納得させたい気持ちと、
20世紀に咲いた「あだ花」と感じる気持ちとが
交錯します。
写真はミュージシャン"MILES_DAVIS"のCDです。
いつの間にか、これも本当に月並みですが、ミュージシャンはMiles Davisになりました。
Blue Noteに少ないのが残念です。
追記:「さいら」のジャズの聞き方などは、何れかの機会に「CD」で纏めて話そうと思います
今までと全く違う「ジャズ」がラジオから聞こえて来ました。
単なる賑やかさとか悲しさとは全く違う「気怠さ」が延々と続くるジャズ。
「さいら」にはそう聞こえたのです。
真夏の京都の蒸し暑い夜に、これが聞こえてくるのです。
丁度その頃ですが、米国では黒人の公民権運動が盛んに行われていて、時には暴動を誘発するケースも報道されていました。
彼らの社会に対するやるせない気持ち
京都の真夏の蒸し暑さ
気怠いレーズの繰り返し
これらが
一つのものとして
刷り込まれてしまいました。
これは当時、私がそう思っただけで、
ジャズは余り社会性は無いですし、
時代的にもずれていて、
フレーズは気怠さとは全く異なったものでしょう。
しかし「さいら」はラジオを聞きながら
「分かる」様に思ったのです。
フォーク、ポップス、ロックも好きで聞きますが、「ジャズ」は特別なものになったのです。
一人のミュージシャンの色んなアルバムを聞くと、「それって、ジャズ?」と思う時があります。
「ジャズの発展」と納得させたい気持ちと、
20世紀に咲いた「あだ花」と感じる気持ちとが
交錯します。
写真はミュージシャン"MILES_DAVIS"のCDです。
いつの間にか、これも本当に月並みですが、ミュージシャンはMiles Davisになりました。
Blue Noteに少ないのが残念です。
追記:「さいら」のジャズの聞き方などは、何れかの機会に「CD」で纏めて話そうと思います