すき焼き(16): 台所(4) お札
「お礼」は「おふだ」であって、感謝の念の「お礼」ではない。
竈は今思えば火の用心に悪いのは確かである。
台所の柱に愛宕神社の火除けのお札が貼られていた。
どこの家でも今でもそうである。
禁煙・オール電化故に
殆ど火が出る余地がない今の我が家でも
愛宕さんの御札が貼られている。
もっとも、今の我が家のそれはきれいなものであるが…。
幼いころの我が家の御札は
結構煤とかで汚れていたように思う。
何しろ愛宕山は京都で一番高い山の一つで
登るにも比叡山と違って
ケーブルカーなどはなく徒歩であった。
この手のお札は、別に愛宕さんへ行かなくても
その出先とかがあって通常は売っているものであるが、
愛宕神社のこの火除けのお札は
その愛宕さんへ行かないと入手できない。
と言う訳で、どこの家でも
そのお札を貰いに愛宕山へ行くのは数年に一回であり、
そうかと言って
かまどを利用するのは毎日であったので、
煤で汚れているのは当然であった。
これもどこか値打ちものの様な気がした。
之にて、台所篇はとりあえず終了。
次回以降いよいよ「すき焼き」の話へ。
「お礼」は「おふだ」であって、感謝の念の「お礼」ではない。
竈は今思えば火の用心に悪いのは確かである。
台所の柱に愛宕神社の火除けのお札が貼られていた。
どこの家でも今でもそうである。
禁煙・オール電化故に
殆ど火が出る余地がない今の我が家でも
愛宕さんの御札が貼られている。
もっとも、今の我が家のそれはきれいなものであるが…。
幼いころの我が家の御札は
結構煤とかで汚れていたように思う。
何しろ愛宕山は京都で一番高い山の一つで
登るにも比叡山と違って
ケーブルカーなどはなく徒歩であった。
この手のお札は、別に愛宕さんへ行かなくても
その出先とかがあって通常は売っているものであるが、
愛宕神社のこの火除けのお札は
その愛宕さんへ行かないと入手できない。
と言う訳で、どこの家でも
そのお札を貰いに愛宕山へ行くのは数年に一回であり、
そうかと言って
かまどを利用するのは毎日であったので、
煤で汚れているのは当然であった。
これもどこか値打ちものの様な気がした。
之にて、台所篇はとりあえず終了。
次回以降いよいよ「すき焼き」の話へ。