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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

水シリーズ:全体

2006年04月18日 | 今日の話題
水は大島(2005年9月8日)
 「巡航船」に代わって「串本大橋」。便利さは上々。2時間も有れば串本の町から島内観光には十分。月に一回程帰省。妻の目的は「水」。週間天気予報を確認して「レッツ ゴー」。「天気晴朗なれど、濃霧発生」。海では海難事故多発。熊野灘」と言われる所以なり。 電気・電話は使用可。携帯もFOMAが可。プロパンは有るが、薪は必需品。今年の4月から、「お義兄さん(勿論私のこと)」のためにケーブルインターネット。接続環境は都会と遜色無し。私は退屈と言うことも無し。パソコンが旧式で超遅いので、一応「スロー・ライフ」を満喫。
 水は「雨水」と「谷川の水」。山の中の二軒。公設簡易水道は未完備。計画も無し。雨水は「防火用水」件「雑用水」。道具とかを洗うのに使用。貯水槽を設置。梅雨の今と台風シーズンは稼ぎ時。写真。
 谷川の水は生活水。台所・洗濯等に。谷川からパイプで延々。ポンプでこれも貯水槽に貯蔵。時々貯水槽の水位が低くなるとポンプが作動。依って、使い勝手は水道と変わりなし。しかし、梅雨・台風時は谷川も濁ることも有り、なかなか全て「オーライ」とは行かず。その水源までの道中は「ハビ(マムシのことです。)」のシーズンとか。大の蛇嫌いの私としては写真は別の機会に。
 帰りの車は、後の席とトランクは目的の水が入ったポリタン等でぎっしり。大橋の恩恵を最も享受しているのは妻だと何時も実感。「軽トラ」に早変わりの燃費の良い「プリウス」も帰りはそうも行かず。最近は水の積み方も上手になって運搬中にひっくり返ることも無し。しかし、そこまで「水」に拘る妻の心境は未だ分かりかねます。

?水は大島?緊急事態発生(2005年9月9日)
 朝から水の出が悪い、水が濁っていると言って大騒動。連日の雨で水源地の谷川の取水付近が詰まっている様。綺麗にして、途中のパイプも点検。もう一つ旨く行かないとか。妻の弟を仕事中にもかかわらず、呼び出し。水は一時も欠かすことが出来ません。彼は、全てを点検。貯水タンクも併せて大掃除。その間しばしの間水を使えず。今現在は、いい音を立てて貯水槽に水をためている状態。いい音です。何とか元通りに。私は何もしませんが、一人前にホッと。何でも自分で修理出来る人が居ないと生活出来ないことを実感。くわばら。くわばら。
 パソコンの調子はグッド。快調そのもの。妻は水を持って帰らないと来た目的が無い。後30分程で水詰めを始めるそう。


 「さいら」の周辺では六つの水がある。その一つ目は「水道水」そのものである。その二つ目は「雨水」である。その三つ目は「水は大島」の水である。その四つ目は「貴志川」の水である。その五つ目は「ミネラルウオーター」の水である。その六つ目は「浄水器」の水である。六つ目の浄水器の水は「さいら」宅ではなく娘宅の水である。これらの水をどうも使い分けているらしい。大島の水は以前に話したので省略することとして順次この話を話題にしようと思う。

水道の水
 我が団地の水道は余りにも問題が多すぎて、簡略に話すことは出来ない。そもそもの話は稿を改めて話そうと思う。今日は昔の話である。
 結婚して最初の住処は県営住宅であった。出来て間もない住宅で、4階建てでその管理人をしていた。集合住宅は今も何処でも同じであろうが、地下水槽に市から一括して給水を受けそれを屋上の水槽に揚げて各戸が使う方式であった。水の需要と供給の計算を間違えたのか?夏の日曜日になると地下水槽に水が溜まらないで度々断水した。苦情を度々妻は受けた。
 それよりも困ったのは水道料金である。電気のメータは各戸についているにもかかわらず、水道メータが各戸に付いていないのである。各戸の使用水量が不明であった。水道料金にかかる費用は地下水槽に入れる水の量と屋上と地下水槽に給水するための電気料金の合計がその棟の水道料金である。これらはキッチリと出て来た。が、
その総額を各戸に割り振る必要がある。その割り振り方式が問題であった。全戸一律にするのか?一部一律、一部家族人数割り?幾らでもアイデアは出て来る。更に事態を複雑にしていたのは各棟に二つある共同蛇口である。これは、大掃除とかの時に使用するためのものであるが、住民の中にはその共同蛇口から水を取って洗車をする人もいた。それなら別に問題は大きくならないが、その洗車風景を観察している人が居た。そのことを管理人にご忠信するする方々がいた。さらに、各戸に集金をしなければならない。妻は集金の度に色々と言われたらしい。幾ら県営住宅と言っても明らかにソフト面では欠陥住宅であると当時思っていた。

貴志川の水
 隣の奥様と妻は月に1,2回貴志川の方まで水を汲みに行く。県内では日置川とか富田の水の方が有名であるがそこは、近辺では人気がある様だ。片道、精々40分程度。しかし水を汲むことが出来る設備は一カ所しかない。それも水愛好家がボランティアで造ったそうだ。チョロチョロという訳では無さそうだが、豊富にジャンジャンと出て来る訳でも無さそうだ。だから、時間帯によっては車が10台も並ぶこともあるそうだ。近辺と言っても、「和泉」ナンバーの車もあるそうだ。それに、それぞれ水を汲む量は様々である。ポリのタンクを数個持ってくる人もいる。ペットボトル数個の方もいる。妻達の様に二軒分纏めてと言うのは珍しいが・・・。
 車が多いときには、トラブルを避けるために、愛嬌を振りまきながら、妻達は待っている人と会話にこれ努めているそうだ。「到着した順番」これは重要である。余りにも一人の汲む量が多いとブツブツと文句を言う人も中にはあるそうだが、「到着した順番」は守られているそうだ。関西では本当に珍しいことであると思ってしまう。
と言う訳で、妻達は最近は出来るだけ早朝に行く様にしている。朝、6時頃に出発しての「水汲み」である。当然、「さいら」の朝食はその間お預けである。

雨水
 現在、「さいら」宅の団地では雨水をためなければならない程水に困っている訳ではないが、一応軒先の一カ所から雨水を貯めている。

 雨水は取り立てて言うほどの使い道はないのであるが、専ら撒き水として使用している。小さな庭とか、玄関の撒き水である。雨水は溜まるときは嫌と言うほど溜まるが、真夏の欲しいときには殆ど溜まらないのが欠点で、蛇口を捻ると何時でも水が出て来る「水道」の便利さと昔の人々が苦労した生活をつい思ってしまう。今年の黄砂では雨水も相当濁っているときがあり、環境を考えてしまうこともある。

ペットボトルの水
 家庭で、水をこのような形で、購入する時代が日本にやってくるは信じられなかった。昔からバーとかで水割りを注文すると、確かに瓶詰めの外国製のミネラルウオータを使っていた様に思う。水道水では金を取れないからだろうと確信していた。偶さかに外国へ旅行するときも、言われた通り、忠実に生水は飲まないで現地でミネラルウオータを購入した。特に注意を要する国では、スーツケースの中に相当量のペットボトルの水を入れていくこともあった。 中国では、手に持ったペットボトルの水をセキュリティチェックの時に、何等問題がないことを証明するために、試飲さされたこともあった。
 と言う訳で、ペットボトルの水は良い印象を持っていない。それでも最近は、自宅にもペットボトルの水が置いてある。それは決して、貴志川方面で汲んできた水ではない。勿論大島の水でもない。それらはペットボトルに入っていても購入するペットボトルの水とは管理が違う。水そのものをのむ時や、どうもお茶を入れる時に使っている様だ。
 しかし「さいら」は何時も思う。水は水道の蛇口に口を近づけて飲む「鉄管麦酒が一番」

浄水器の水
 水の最初の項で話した様に浄水器の水は「さいら」宅ではない。娘宅である。神戸の水道水は淀川から取水していると聞いた妻が、そして未だ小さい子供がいることから、強引に妻が設置したものである。その効果は実際のところ良く分からない。浄水器からの水とそうでない水の味は「さいら」には似た様なものである。
 その浄水器であるが、初期投資は兎も角、ランニングコストがバカにならない。一年ほど使用すると、カートリッジを交換しなければならない。その費用が大凡2万円とか・・・。勿論、その費用は娘宅持ちである。浄水器があるからと言って、ペットボトルの水を買わないという訳でも無さそうである。
 ところで、その水道の水源であるが、娘宅は淀川ではなくて近くの水源地から取水していることを孫の話でつい最近知った。尤もなことである。淀川の水を山を越えて
団地まで配水するのは大変である。神戸市と言っても広い。

貴重な水
 今から十数年ほど前の話である。或る調査で一ヶ月ほど漁船に乗船したことがある。一応、調査員と言うことで、船長等に比較しても飛びっきり上等の食事であった。ボーイらしき人も付いた。しかし水は別であった。水の使用に関しては全員平等であった。商船とかタンカーなどの船員の待遇がよい船舶は別であろうが、当時でも漁船では真水は貴重品であった。
 乗船して最初に教えられるのが、洗濯の仕方である。確か真水を使うのは最後の濯ぎだけであった様に思う。その最後の濯ぎの水も厳しく制限された。勿論塩水でも泡立つ石鹸を支給された様に思う。風呂は原則「塩水風呂」と言えば聞こえはよいが、
海水そのものである。温泉の様で最初は喜んでいたが、その内に真水の風呂に入りたくなる。天候の都合で臨時的に入港した時には、大慌てで、風呂屋へ直行した。
 昔、外洋航路の船舶に「造水機」を備えること、或いはその能力の是非が問われたことがあった。確かに一ヶ月分の水を蓄えるのも大変であるし、その管理も大変である。その分荷物を積む量が減る。技術的には、そんなに難しいものではない。蒸留水を造るのと同じである。その時に問題になったのはその蒸留水と同じ様なものを一ヶ月も飲んで、健康に異常が出ないかであった。余りにも純水過ぎると問題があったのであろう。今はそんな問題もクリヤーされたと聞いているが。

井戸水
 水はその味は兎も角として、正常な水は人が生きていく上で大切なもので有ることは間違い有りません。良い水が豊富にあるところには、人が栄え、産業が栄えるのが当然と言えます。形成された集落が長く存続するためには、どうしても水が必要であったと思います。
 例えば、京都市内は地下水の宝庫です。京都の台所「錦」が今もあのように繁盛しているのは、地下水のお陰で有ろうと思います。小さい頃、婆さんの家には井戸水がありました。当時の記憶では、釣瓶式でなくて、手動ポンプで汲み上げる方式でした。神戸の灘の酒は六甲山からの水が無ければ、あのように美味しいお酒を造ることは出来なくて、有名にならなかったであろう。同じことは京都の伏見でも言えるのではないかと思います。伏見のある神社だったと思うのですが、美味しい井戸水がありました。和歌山では、山の頂にある高野山もその例外有りません。猫の額ほどのところに大きな門前町が形成されています。これは高野山が山の上にありながら、盆地の様になっていて、そこには豊富な地下水があるからでしょう。その高野山を修業の場に選んだ水利技術者でもあったという「弘法大師」の面目躍如と言えます。

 しかし、今、地下水は必ずしも安全な・美味しい水とは言い難い状況も生まれているのは残念なことです。

 取りあえず「水シリーズ」はこれで終了です。暫くの間、カテゴリ「水」を臨時的に作成していますのでお読み下さると嬉しいです。

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