神戸:三菱重工神戸造船所見学(2006年10月14日)
先日三菱重工神戸造船所の見学をした。目的は加圧水型原子力発電に使用される蒸気発生器製作の見学であった。当然工場内は展示室以外は写真禁止である。と言う訳で、写真は展示室である。

折角の見学であったので、肝心の蒸気発生器に少し触れておこう。蒸気発生器の容器そのものは非常に頑丈に製作されていることは分かった。僅か肉厚1ミリの「伝熱管」数千本で、熱交換を行う。放射能を持つ熱水と放射能を持たない発電する蒸気とがその管の中と外で遮蔽されて蒸気を発生させる。原子力発電所そのものは暴走することは無いだろう。だから、その「伝熱管」周りは致命的な事故にはならないであろうが、そのメインテナンスが大変であろうと思った。
その工場の中に史跡に指定されている「和田岬砲台」がある。広い構内には驚くようなものがある。勝海舟の設計だそうだ。出来て一度だけ試射したそうだが、砲台の中は濃厚な煙が充満して使い物にならなかったとか・・・。
神戸:神戸空港(2006年10月16日)
つい最近開港した「神戸空港」。一緒に行った方々が皆さん仰る。「大神戸市の空港にしては小さいな。」「田舎の飛行場や。」「何で関西に三つも要るんや?」「さいら」もその様に思う。 「国際線を入れてしまう魂胆か?」「関空よりもずっと商用で来る人には便利やし。」「そうしたら、関空は終わりや。」しかし「関空」贔屓の「さいら」はそうは思わない。「国際線を入れることは出来ない。」「その内、神戸空港は廃港になる。」
それよりも何故今になって神戸空港をと思う。関空の最初の候補地はほぼ今の神戸空港辺りではなかったのか?それと、この空港を見れば、滋賀県の人ももう一つ新幹線の駅を欲しくなるのは無理もない。
写真はYSに取って代わった小型飛行機。偶々の時間帯で、特段他意はない。

(追記:最近事故続きの小型飛行機の様だ。)
狭いながらもやたらに?熱帯植物?らしき鉢が目立つデパーチャーフロアーである。神戸:港周辺(2006年10月17日)
ポートタワー
高知に国の機関があった。JRで行くには不便であり、飛行機の旅費は当時出る訳もない。高知へ行くのは殆どが夜行便の船であった。夜、乗船すると、朝に高知に着く。帰りも同じである。船の波でノクチルカの光が印象に残っている。乗船したのは確か大阪の「天保山」が多かったが、途中神戸を経由したし、時々神戸からも乗船した。その時既にタワーは有って懐かしく思い出す。
しかし、今は飛行機に取って代わられてどうもその航路は無さそうである。
メモリアルパーク
神戸というと「阪神大地震」である。神戸新聞の庁舎も新しくなって、三宮・元町周辺の震災風景はもう無くなった。未だ早すぎると承知しながらも娘を神戸の職場へ戻すために救援物資を運ぶ県の船に便乗させて貰った。途中、船長は流木を避けながらの航海。そしてその時に娘を見送った港の風景も今は全く異なって面影もない。
当時の被害を受けて、壊れてしまった護岸が残されている唯一のところである。

ホテル
阪神大震災の年の12月に娘が結婚した。その時の会場と挙式用のチャペルである。
婿殿に娘を引き渡すためのハンド イン ハンドの行進では、途中でステップを間違えた。チャペルでは久し振りに賛美歌を歌った。和歌山から神戸へ車で行ったが、高速以外は、未だ未だ道路が復旧途中であった。親としての不安と娘の安寧な生活を祈りながらの道中であった。
ホテル

挙式用チャペル

関電見学会(技能研修会)(2006年4月27日)
今日は関電の見学会。オール電化を推進するための行事の一環で。こういうことに金を入れることが出来るのも、最近、発電所の立地に金を使う必要が無くなったためと勝手に想像。
最初の見学は、災害で電柱・電線等の損傷を復旧する工事の実地研修の見学。皆さん非常にキビキビとして頼もしい限りである。一人の現場責任者の下に、作業を手順良くこなしていく。一つの動作に必ずかけ声。これが基本である。四つの営業所が研修であるから評価される。こういう現場の人達によって電気の安定供給がされていることに感動する。
和歌山は台風常襲の地。神戸の地震の時にも「取りあえず電気を通す。」その緊急工事での工夫と手際の良さで称賛を受けたことはよく知られている。彼らに労務災害が起こらないことを祈るばかりである。

関電見学会(2006年4月27日)
その後、海南火力発電所の見学。この発電所は運転開始の検査中に、発電機の軸が不整であったために、爆発事故を起こしたことがある。
発電所の見学は何処でも、今までは、少なくとも、実際に発電タービンが音を立てながら回り、発電しているところを見せるものであるが、今回は違った。発電所構内をバスで巡回するだけであった。その理由として上げられたのは次の二点。 最初の理由は最近、テロなどの事件が相次いでいること。これは全国的な理由であろう。もう一つは、関電の理由で、数年前に原子力発電所で事故があり、作業員数名が死亡したこと。
結局のところ、逆に不安を駆り立てる見学会になってしまった。と言う訳で
写真は無しです。
先日三菱重工神戸造船所の見学をした。目的は加圧水型原子力発電に使用される蒸気発生器製作の見学であった。当然工場内は展示室以外は写真禁止である。と言う訳で、写真は展示室である。

折角の見学であったので、肝心の蒸気発生器に少し触れておこう。蒸気発生器の容器そのものは非常に頑丈に製作されていることは分かった。僅か肉厚1ミリの「伝熱管」数千本で、熱交換を行う。放射能を持つ熱水と放射能を持たない発電する蒸気とがその管の中と外で遮蔽されて蒸気を発生させる。原子力発電所そのものは暴走することは無いだろう。だから、その「伝熱管」周りは致命的な事故にはならないであろうが、そのメインテナンスが大変であろうと思った。
その工場の中に史跡に指定されている「和田岬砲台」がある。広い構内には驚くようなものがある。勝海舟の設計だそうだ。出来て一度だけ試射したそうだが、砲台の中は濃厚な煙が充満して使い物にならなかったとか・・・。
神戸:神戸空港(2006年10月16日)
つい最近開港した「神戸空港」。一緒に行った方々が皆さん仰る。「大神戸市の空港にしては小さいな。」「田舎の飛行場や。」「何で関西に三つも要るんや?」「さいら」もその様に思う。 「国際線を入れてしまう魂胆か?」「関空よりもずっと商用で来る人には便利やし。」「そうしたら、関空は終わりや。」しかし「関空」贔屓の「さいら」はそうは思わない。「国際線を入れることは出来ない。」「その内、神戸空港は廃港になる。」
それよりも何故今になって神戸空港をと思う。関空の最初の候補地はほぼ今の神戸空港辺りではなかったのか?それと、この空港を見れば、滋賀県の人ももう一つ新幹線の駅を欲しくなるのは無理もない。
写真はYSに取って代わった小型飛行機。偶々の時間帯で、特段他意はない。

(追記:最近事故続きの小型飛行機の様だ。)
狭いながらもやたらに?熱帯植物?らしき鉢が目立つデパーチャーフロアーである。神戸:港周辺(2006年10月17日)
ポートタワー
高知に国の機関があった。JRで行くには不便であり、飛行機の旅費は当時出る訳もない。高知へ行くのは殆どが夜行便の船であった。夜、乗船すると、朝に高知に着く。帰りも同じである。船の波でノクチルカの光が印象に残っている。乗船したのは確か大阪の「天保山」が多かったが、途中神戸を経由したし、時々神戸からも乗船した。その時既にタワーは有って懐かしく思い出す。
しかし、今は飛行機に取って代わられてどうもその航路は無さそうである。

メモリアルパーク
神戸というと「阪神大地震」である。神戸新聞の庁舎も新しくなって、三宮・元町周辺の震災風景はもう無くなった。未だ早すぎると承知しながらも娘を神戸の職場へ戻すために救援物資を運ぶ県の船に便乗させて貰った。途中、船長は流木を避けながらの航海。そしてその時に娘を見送った港の風景も今は全く異なって面影もない。
当時の被害を受けて、壊れてしまった護岸が残されている唯一のところである。

ホテル
阪神大震災の年の12月に娘が結婚した。その時の会場と挙式用のチャペルである。
婿殿に娘を引き渡すためのハンド イン ハンドの行進では、途中でステップを間違えた。チャペルでは久し振りに賛美歌を歌った。和歌山から神戸へ車で行ったが、高速以外は、未だ未だ道路が復旧途中であった。親としての不安と娘の安寧な生活を祈りながらの道中であった。
ホテル

挙式用チャペル

関電見学会(技能研修会)(2006年4月27日)
今日は関電の見学会。オール電化を推進するための行事の一環で。こういうことに金を入れることが出来るのも、最近、発電所の立地に金を使う必要が無くなったためと勝手に想像。
最初の見学は、災害で電柱・電線等の損傷を復旧する工事の実地研修の見学。皆さん非常にキビキビとして頼もしい限りである。一人の現場責任者の下に、作業を手順良くこなしていく。一つの動作に必ずかけ声。これが基本である。四つの営業所が研修であるから評価される。こういう現場の人達によって電気の安定供給がされていることに感動する。
和歌山は台風常襲の地。神戸の地震の時にも「取りあえず電気を通す。」その緊急工事での工夫と手際の良さで称賛を受けたことはよく知られている。彼らに労務災害が起こらないことを祈るばかりである。

関電見学会(2006年4月27日)
その後、海南火力発電所の見学。この発電所は運転開始の検査中に、発電機の軸が不整であったために、爆発事故を起こしたことがある。
発電所の見学は何処でも、今までは、少なくとも、実際に発電タービンが音を立てながら回り、発電しているところを見せるものであるが、今回は違った。発電所構内をバスで巡回するだけであった。その理由として上げられたのは次の二点。 最初の理由は最近、テロなどの事件が相次いでいること。これは全国的な理由であろう。もう一つは、関電の理由で、数年前に原子力発電所で事故があり、作業員数名が死亡したこと。
結局のところ、逆に不安を駆り立てる見学会になってしまった。と言う訳で
写真は無しです。