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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

誕生日と父の日:全体

2007年06月20日 | 今日の話題
誕生日(2007年6月20日)
 六月は何かと忙しい。父の日・ブログ開設記念・そして誕生日。今日は「さいら」の誕生日。この歳になると「嬉しい」という気分は勿論全くない。妖怪占いではないが、若い頃に祝ってくれるナイスガールと縁が無かったことが今更悔やまれる。今となっては、「後、余命幾ばくか?」「よく此処まで生きたものだ。」と詠嘆と感慨に耽るのが落ちである。
 近くの家電の店から、これは最近毎年であるが、誕生日プレゼントを頂いた。液晶テレビ・何時壊れてもおかしくない冷蔵庫を買い換えたいのだが、その店は家電量販店に比べて、矢張り高すぎる。だから、価格以外のこまめなサービスが必要なのだろう。
 持参した社員が妻に言うには、「男性用のプレゼントは良いものがないです。」「来年から奥様の誕生日に」「しようと思っていますが・・・。」・「そうして下さい。」「そうして下さい。」「その方が・・・。」と喜ぶ妻。「さいら」もその方が効果的だと思う。財布は結婚以来、私の手元にはない。
 生命保険会社の営業部員がプレゼントの花を持参した。保険料は全て支払い済みなのにご丁寧な話である。これも勿論有り難く頂戴した。それで終わりかと思ったが、「生前保険金受取り」の説明を始めた。どちらがその序でか分からない。「さいら」は保険音痴で全く分からない。説明に入った途端、「生命保険は妻の分野です。」と頂き物は貰って、選手交代。誕生日を営業の方策に取り入れている。なんとなく強かさを感じる。
 証券会社からは、グリーティングカードが届いた。カードだけであった。余りにも、取引額がないのでこれはこれで充分納得・納得。

誕生日に寄せて:金のワラジ(2007年6月23日)
 誕生日に纏わる話である。「さいら」の誕生日の記事に 阿智胡地亭 辛好さんからコメントを頂いた。それで生まれ年を記事にしようと思う。
 年号が平成になってから、足し算引き算がし易いので、自然と西暦で生まれ年を言うようになった。1943年(昭和18年)生まれで、干支は「癸未」である。読み方は「みずのとひつじ」らしい。「ウイキペディア 干支」に簡単に「干支」を計算する方法が記載されている。便利なものだ。
 未年の中でも昭和18年生まれの「癸未」は格段に良い運勢だそうだ。その「癸未」に生まれた男性を「金のワラジを履いて探せ」と言うと母親や親戚の同年配の女性は小学生の「さいら」によく聞かせたものだ。叔父上が一回り上の同じ干支で、教育者としては大成した方であった。だから期待もあったのだろう。
 それを度々聞かされた「さいら」は「それじゃ 同級生はみんなそうか?」「クラス、学年、市・・・。」「なんぼでもいるではないか?」「みんなそうなんか?」と思うと信じられなかったし、母親を信じなくなった一因が此処にある。
 案の定、年頃になっても、「金のワラジを履いて探してくれた人」は現れることもなかった。金のワラジでなくて例え裸足であっても探してくれる奇特な人はなかった。そして、自分が間違いに気付いた母親は自ら「ワラジ」を履いて、「さいら」のために奔走した。
 そして、この歳になっても、平々凡々。妻には迷惑ばかり掛けるし、金はないし、
地位もなかった。

父の日(2007年6月29日)
 順序は逆になるが、そして、もう遅い話題であるが、六月の大きな行事に「父の日」がある。2週間程前に娘から「父の日」と「誕生日」を兼ねて、チーズと房状の干しぶどうを送ってきた。何でも、チーズと干しぶどうは相性がよいらしい。冷酒にもあうとか。
 誕生日とは関係ないが、血液型のB型は「乳製品」を食することで、生きながらえてきた「後発部隊」である。その当たりの事情も娘は知っているらしい。娘は「さいら」に似て一言効能書きを言う性格だ。
 娘が妻に電話で言うには、「何時も含水炭素ばかりでなく、蛋白質も食べさせてね。」妻は些かご立腹。そして妻が言うには「娘は何処とも父親想いね。」「お父さんは、私の父でないから、父の日のプレゼントは遠慮する。」


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