高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

1999年、私の中国山東省(6)煙台にて(2)

2007年06月18日 | 外国旅行:三題
1999年、私の中国山東省(13)煙台にて(4)
衣料品の市場
 衣料品等と食品の自由市場はどちらも個人経営小売業と言う範疇に入ることそしてどちらも非常に賑わっていることでは同じですが、全く様相が異なりますし、その生い立ちも異なるように思われます。まず位置関係です。衣料品等の方はメインストリートと言える大きな道路に面しています。一方、食品の方は大きい道路から少し細い路地を入って奥まった所にあります。更に衣料品等のそれは、立派な建物の中にあります。
 このような状況は、衣料品等の自由市場は、自然発生的ではなく、政策的に誘導されてその場所に出来たように思えます。その店舗は明確に区画されていて、ブースのようです。そして、それぞれは特定の品物を専門に売っている様で“専門店街”、が並んでいるイメージです。衣服(色々な種類の専門店)、革製品、バッグ等を売っています。見るからに華やかで、お客でここも賑わっています。
 このような食品と衣料品等の自由市場では、暇な店舗では、従業員が新聞や雑誌を読んでいます。食堂の看板娘が座っている風景と少し光景が異なります。新しい情報は厳しい競争の中を生き延びるために、彼らにとって、必要なことのように見えます。

百貨店
 これは聞いた話ですが、中国でも日本流のスーパーがありますが、日本でのそれと異なります。そこは高級品を扱っているとのことで、スーパーで買い物出来るのは、それはそれなりの収入がある人と言うことです。となると百貨店はどうなるのでしょうか?興味が湧いてきます。
 百貨店ですが、活気がある自由市場の賑わいに比べて、客筋が全く異なるためか、お客がほとんどいないことは気になりました。どちらかと言うと、展示場と言うか見本市の雰囲気です。実際、普通のサラリーマン家庭では百貨店での買い物は年に何回かある大バーゲンくらいで、それ以外は行っても、ウィンドウショッピングと言うことだそうです。しかし、日本のように電化製品、パソコン、ゲームソフト、宝石類、高級雑貨品、等々売っている品物は豊富です。その値札も確かに日本と同じくらいの高さで、品物の豊富なこととその価格は、本当に日本の百貨店にいるのと全く同じでした。屋上に遊園地があれば、それこそ、瓜二つですが、確かめていません。最近の中国の百貨店事情を教えて頂くと嬉しいです。

代金の支払い
 百貨店や大きな土産物店での代金支払方法(大げさに言うならば、代金の決済方法)が日本と異なっています。ある品物を買うと決めるとまずそこの販売店員にその旨伝えます。しかし、その場で品物と代金の交換と言う訳にはいきません。その代わりに伝票を書いてくれます。その伝票を持って、レジのブースに行きます。そのブースは金銭を扱うために、一つの部屋と言う感じで、すぐにその場所はわかります。そこで、会計担当に伝票を渡し、代金を支払うと、領収済みの大きいスタンプを押してくれます。その領収済みの伝票を持って先ほどのコーナーへ行って漸く販売店員から品物を受領と言うことになります。日本流で大げさに言うと、貨幣経済の交換制度が未発達で、前時代的なこのプロセスは、社会主義経済の名残なのでしょうか?何でこのようなスタイルになったのかよく分かりません。実はこの方式がグローバルスタンダードであって、日本が単にローカルスタンダードなのか?契約主義なのか、客を信用しないのか、売り子を信用しないのか、ちゃんとしたレジスターが数多くないためなのか?はたまた、人が余っているための分業なのか?等々色々と考えて、夜も寝られません。

住宅事情
 ある住宅に行きました。中国の住宅事情は、いわゆる会社勤めは、その会社が用意する社宅、官舎方式が中心でしたが、今は異なりつつあります。会社が住宅を建てることは建てるのですが、それを、従業員に売る方式に変わりつつあるようです。そのような住宅建設が、車窓からも良く見えます。それはかなり外観にも金を入れている様で、それぞれ特色を持っています。“従業員に”と言っても“売るため”のものですから当然です。このような所謂“持ち家”制度は会社にとっては、たとえ儲けはなくても、社宅だと将来も続くいろいろな負担から縁を切ることが出来ます。従業員にとっては、念願の“マイホーム”と言う充足感が生まれます。現代的な会計制度の導入と言えば、言い過ぎでしょうか?

1999年、私の中国山東省(14)煙台にて(5)
街灯
 帰りに驚いたのですが、マンションの廊下、階段、タクシーを拾える大きい道路に出るまでの間、街灯が全くないのです。街灯がある生活に慣れている我々にとっては、真っ暗のの中を通行するのはいささか困難を伴い、中国への旅行案内に「懐中電灯は必需品」とあったのを思い出しました。今中国では電力事情も好転して、省の中で使用する電気は省の中で発電することとなっている(ここでも、独立した“省”があります。)中国で、特に山東省は電力が非常に豊富なのだそうで、明るい街づくりの一環としてまさに夜間照明が政策として推進されており、その整備風景はあちこちで目に付きました。このような事情ですから、遅かれ早かれ、夜には懐中電灯が不必要となるのでしょう。

ある住宅
 さて、彼の住宅ですが、それが彼の持ち家かどうかは分かりません。日本でいえば、4,5階建てのマンションのイメージでした。部屋数は少なくはありませんが、そんなに多くもありません。なんと言っても一人っ子政策ですから。
その家には、かなり大きい浄水器(生水を飲めない中国ではこれはある意味では必需品です。)、シャワー室(風呂がないのは風呂は職場で入るのが通常だからです。ですから、風呂があるのが本当の金持ちと言うことになります。)25インチほどのカラーテレビ、CDコンポ(これらは洋風に近い中国の居間には良くあっています。)、冷蔵庫、「冷凍庫」、(「冷凍庫」については何処かで触れることがあるかも知れません。パソコン(これは確かヒューレットパッカード)、望遠ズーム付の写真機等等の調度品、電化製品を拝見して、本当に驚きました。少なくとも私の家の調度品よりも高級な品物が揃っています。
 只、ない物と言えば、自家用車くらいでした。現在のところ、自家用車は税制度等の関係もあって非常に高く、事業を起こして成功した場合に初めて、買おうと思えば買うことができる、言わば、社長クラスの持ち物ということになります。この生活が中国の都会生活者でどのレベルになるのかわかりませんが、相当上位に位置するとしても、彼は公務員なのです。

消費生活
 煙台での街の散策、知人宅訪問などで、中国の今1999年当時)の消費生活を垣間見ることが出来ました。煙台市は中国の地方都市ですが、所謂沿海都市で、当時沿海都市では中国経済発展の先進都市と言えるところです。
 その時に感じたことです。「豊かな消費生活と経済の発展はまさしく車の両輪である。」ことを、そして既に「消費は美徳である。」ことが、衣料品等、住宅、調度品等々、全ての分野に定着しつつあるのを実感すると共に、百貨店の賑わいと自家用車の普及が今後の中国の消費動向を占う指標になりそうです。

次回から章が変わります。今回の一番の目的であった会社や地方政府の訪問で感じたことなどになります。


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