無心

日記

秋葉原

2011-01-18 11:19:05 | 日記
かっては家電の小売店とアマチュア向けの電気部品を扱う街でしたが、大型量販店が続々と進出


電気部品の小売店は、JR総武線のガード下に集中しています


メイド喫茶の可愛いオネエサンがチラシを配っています


           中央大通りより賑やかな電気街を見る
           

店舗もビルとなったが宣伝の看板も建物の側面いっぱいに大型化した


駅と、大型店の入り口が直結しているので.より便利になりました


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ニコライ堂

2011-01-17 16:50:33 | 日記


1962年6月21日、国の重要文化財に指定された・ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の教会です。


日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライ


ニコライ堂の横にある、小さな礼拝堂


緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり、日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれる。
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林芙美子と東京放浪

2011-01-16 14:32:10 | 日記
「放浪記」刊行80年。昭和5年.当時大ベストセラーとなりました


小説家。明治36年12月31日下関生まれ。本名フミコ。行商人宮田麻太郎を父に

林キクの私生児として届けられた。明治43年母は離婚し翌年沢井喜三郎と結婚

一家は九州を行商して歩き、芙美子は転校を重ねた。大正4年広島県尾道に

落ち着き、22年尾道市立高等女学校卒業。卒業後、愛人岡野軍一を頼って

上京、職を転々としていわゆる放浪記時代が始まった


芙美子は、女工やカフェの女給など転々とし自活の道を探った当時の,カフェのシール


大正時代発売の肌を若々しくしてくれるクリーム、金がなくて塗れなかった


1943年.新生児を貰い養子にした泰は事故死した


自筆の屏風もあり、詩が力強い毛筆で書かれている。詩の最後に署名があって.「芙美」と書かれている


「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…」と書き出す出世作『放浪記』
「酔いどれ女」という詩には、故郷尾道の裕福なお嬢さんに対する負けん気があからさまに詠われています。
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御茶ノ水

2011-01-15 18:00:48 | 日記
JR御茶ノ水駅に中央線と総武線・駅を過ぎると上下に交差、神田川の左を走る.メトロ丸の内線と変化に富んだ地形です。江戸時代に開削工事が行なわれたらしいです。


線路の北側には、近代的な東京医科歯科大学・


聖橋、湯島と駿河台を結んでいる神田川の景観に美しく溶け込んでいるアーチ型の橋として有名である


平成21年2月に、125年の歴史と最先端医療の井上眼科病院が、第3回日本ファシリティマネジメント大賞を受賞しました。


御茶ノ水附近は学生.若者が多いので、小さな楽器やさんが数多く点在している



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新宿南口

2011-01-14 12:00:01 | 日記
JR新宿駅南口から代々木方面に広がる遊歩道




氷の上で遊ぶ、ペンギンたち


Suicaのペンギンをモチーフにしたイルミネーション


サザンテラスの遊歩道は、どこも人の波です


奥に見えるブリリアント・スプラウト・タワー.光の中に入った人の未来を予想する


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