無心

日記

林芙美子と東京放浪

2011-01-16 14:32:10 | 日記
「放浪記」刊行80年。昭和5年.当時大ベストセラーとなりました


小説家。明治36年12月31日下関生まれ。本名フミコ。行商人宮田麻太郎を父に

林キクの私生児として届けられた。明治43年母は離婚し翌年沢井喜三郎と結婚

一家は九州を行商して歩き、芙美子は転校を重ねた。大正4年広島県尾道に

落ち着き、22年尾道市立高等女学校卒業。卒業後、愛人岡野軍一を頼って

上京、職を転々としていわゆる放浪記時代が始まった


芙美子は、女工やカフェの女給など転々とし自活の道を探った当時の,カフェのシール


大正時代発売の肌を若々しくしてくれるクリーム、金がなくて塗れなかった


1943年.新生児を貰い養子にした泰は事故死した


自筆の屏風もあり、詩が力強い毛筆で書かれている。詩の最後に署名があって.「芙美」と書かれている


「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…」と書き出す出世作『放浪記』
「酔いどれ女」という詩には、故郷尾道の裕福なお嬢さんに対する負けん気があからさまに詠われています。
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