徳川家の菩提寺で、2代秀忠、5代将軍兄弟の綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代
家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として2代秀忠夫人崇源院、6代家宣夫人天英院、11代
家斉夫人広大院、13代家定夫人天親院、14代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/22/2ec1c79cbe6e086c536821f72e243753.jpg)
正面右側に2代秀忠公の宝塔があり戦災で焼失。現在は内室崇源院と共に合祀されています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/79/d5e99521d87e91b42703b0afed941cc0.jpg)
家宣は家光の三男綱重の子として寛文2年(1662)に生まれる。将軍職を継ぎ、「正徳の治」をなしと
げたが、将軍職わずか3年にして病に倒れ、正徳2年(1712)、51歳の生涯を閉じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a1/79584fda076e805d4af25acb7c8f906f.jpg)
西向観音は子育てと安産に霊験あらたかです。 制作は鎌倉期。西向観音像にちなんで昭和50年ごろから増えはじめました(徳川家霊廟へ行く道 すがらにあります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a3/42958b603fa62779c54604995c43c51f.jpg)
このお地蔵様は水子地蔵だと思うが、「子育て招福地蔵」と呼んでいるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/5c/082e5715f2f5f96fc0127a0edae5c958.jpg)
家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として2代秀忠夫人崇源院、6代家宣夫人天英院、11代
家斉夫人広大院、13代家定夫人天親院、14代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人であります。
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正面右側に2代秀忠公の宝塔があり戦災で焼失。現在は内室崇源院と共に合祀されています
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家宣は家光の三男綱重の子として寛文2年(1662)に生まれる。将軍職を継ぎ、「正徳の治」をなしと
げたが、将軍職わずか3年にして病に倒れ、正徳2年(1712)、51歳の生涯を閉じた。
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西向観音は子育てと安産に霊験あらたかです。 制作は鎌倉期。西向観音像にちなんで昭和50年ごろから増えはじめました(徳川家霊廟へ行く道 すがらにあります)
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このお地蔵様は水子地蔵だと思うが、「子育て招福地蔵」と呼んでいるらしい。
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