2009年2月08日に「東大合格生のノートはかならず美しい」という内容で、投稿しました。その中において私は、「今、ノートをとらない大学生が激増しています。」と書きました。今になって、明らかになったのは、「大学の講義に出た人のノートを買い取り、その写しを1部数百円で売る商売がある」ということです。
まず、講義に出ている学生は、高い授業料を払って聞いているわけですから、もちろん、身につく知識や覚えられる量も、買ってくれる側よりかは、断然学力に差が生じます。なぜながば、板書されているものは、ただの語句であある。必要でかつ重要なことは8割の教授が口頭で言うからだ。後の2割の教授は、出席重視であある。これは私の大学がそうであった。特に、テキストを使う教授は、板書することなく、口頭説明で淡々と講義を進める。だからこそ、知識の付き方に偏りが生じる。
大学という高等教育機関をWikipediaで引くと、次のように出てくる。
「高等教育とは、中等教育(高校)より上位に位置し、学修の成果として学位やそれに準ずる学術称号が授与される課程、具体的には、大学(短期大学および大学院を含む)や高等専門学校(専攻科を含む)などで行われている教育のことである。」
いわば、大学は研究施設の1つであるといってよいだろう。私が、大学に入りたかったわけは、情報学や情報工学を専門としている大学に入って、ネットワークの構築したいという理由からであった。高校卒業して、独学で出来る範囲かもしれない。ただ、どうだろう。通信業界を出ている、教授について研究すれば、いとも簡単に構築できる。それに比べ、独学ではどれだけ日を費やせば、できるかという見当さえもつかない。だからこそ、一度研究している教授について指導をしてもらいながら、作れば、研究となり、また知識として身につく。これが大学の実態ではないだろうか。
大学生の学力低下は、今後増していくだろう。また、大学卒業生が社会に出るとなると、企業の資質問題にも繋がっていく。
今、まさに平成の生まれの、「ゆとり教育」を経験した大学生や、専門学校生が社会に出ようとしている2010年新卒採用。「自己投資のできる人」を、今まさに採用している。これだけは覚えて就職活動や、講義をして欲しい。
以下の記事は、下記リンク先からの引用になります。
Business Media 誠:珍商売「講義ノート屋」凋落に見る、大学全入時代の病
まず、講義に出ている学生は、高い授業料を払って聞いているわけですから、もちろん、身につく知識や覚えられる量も、買ってくれる側よりかは、断然学力に差が生じます。なぜながば、板書されているものは、ただの語句であある。必要でかつ重要なことは8割の教授が口頭で言うからだ。後の2割の教授は、出席重視であある。これは私の大学がそうであった。特に、テキストを使う教授は、板書することなく、口頭説明で淡々と講義を進める。だからこそ、知識の付き方に偏りが生じる。
大学という高等教育機関をWikipediaで引くと、次のように出てくる。
「高等教育とは、中等教育(高校)より上位に位置し、学修の成果として学位やそれに準ずる学術称号が授与される課程、具体的には、大学(短期大学および大学院を含む)や高等専門学校(専攻科を含む)などで行われている教育のことである。」
いわば、大学は研究施設の1つであるといってよいだろう。私が、大学に入りたかったわけは、情報学や情報工学を専門としている大学に入って、ネットワークの構築したいという理由からであった。高校卒業して、独学で出来る範囲かもしれない。ただ、どうだろう。通信業界を出ている、教授について研究すれば、いとも簡単に構築できる。それに比べ、独学ではどれだけ日を費やせば、できるかという見当さえもつかない。だからこそ、一度研究している教授について指導をしてもらいながら、作れば、研究となり、また知識として身につく。これが大学の実態ではないだろうか。
大学生の学力低下は、今後増していくだろう。また、大学卒業生が社会に出るとなると、企業の資質問題にも繋がっていく。
今、まさに平成の生まれの、「ゆとり教育」を経験した大学生や、専門学校生が社会に出ようとしている2010年新卒採用。「自己投資のできる人」を、今まさに採用している。これだけは覚えて就職活動や、講義をして欲しい。
以下の記事は、下記リンク先からの引用になります。
Business Media 誠:珍商売「講義ノート屋」凋落に見る、大学全入時代の病