寿命時計は、午後7時51分45秒です!

私の平均余命83.846歳(厚生労働省H28年度データ)を24時として、私の生きて来た人生は上の通りです。後残り時間は?

2015年(平成27)年1月3日~3月17日

2015年03月17日 23時10分47秒 | 日記
3月17日(火)

             
              「一瞬だけど、白鵬見れました!?・・」

今日、難波に来たついでに、春場所をやってるんだと思い、近くにある「大阪府立体育館」へ寄ってみました。

時間も3時過ぎなので、見に行く人もぞろぞろと向かって賑わっておりました。
体育館ひときわ人だかりができていると思ったら、白鵬が路上より車から降りて来たんですね。

お付きの力士3人くらいが、路上から降りる白鵬をSPのように先導して、体育館に入って行きました。

偶然の出来事に思わずシャッターを切りました。
遠くの方でわかりにくいですが、白鵬だと思います。

でも、横綱がなんで、人だかりの会場前の路上から一般客が入る入口から入るのかよくわかりません。

ここって、地下駐車場ってないの・・?

他の力士も来るかなっと思って、ちょっと待ちましたが、もう3時半も廻っているので、もう入ってますよね

白鵬は、最後の取り組みなんで、この時間帯なんでしょうね。
3時20分頃でした。

















3月3日(火)


              「あーぁ、とうとうこの日が来てしまった・・・」


                    



地デジ変換からまだまだ先の事だと思っていたら、とうとうこの日が来てしまいました・・・「デジアナ変換終了日」・・・っと言っても、普段の放送は地デジテレビ(3台)で見ているのでありますが、VHSビデオデッキ4台とビデオデッキ付テレビ1台、ブラウンカンテレビが1台とそして大量のビデオカセット(映画や番組の録画済み分1000本位?)が現在残っています。

もう、テレビ録画出来ない?・・・現在は、主に外付けハードディスク(HD)5台に地デジ録画をしているのですが、これが、また、あてにならない・・?ちゃんと予約をしているにもかかわらず、録画されてない場合があるんですよね・・・そして、そのHDは、そのテレビもしくは、チューナーだけにしか再生できないという不便さがあるんですよね。

一度録画したそのHDで、他のテレビにつなぐと見られなくて、イニシャライズされてしまうんですよね。

持ってらっしゃる方は、おわかりだと思うんですが、テレビが壊れるとそのテレビで録画した番組もパァになるという、なんともはや不便であり、一旦、録画した物は生ものといっしょで早く観た方がいいという事であります。

パソコンだったら、大概はそのまま使えるのにね・・・。
まぁ、著作権っというやっかいな物のせいであります。

そして、なんともあてにならないのは、HD本体、へたをすると、2,3年でオシャカになるかもしれない信頼の出来ないしろもの・・・

それに比べ、ビデオカセットで録画する場合は、大概の機種で互換性があり、自分で録画設定を間違わなければ、必ずと言っていいほど、ちゃんと録画されるんですね。

だから、私は、ドラマは、地デジで一旦撮るんですが、万一録画出来なかった場合を考えて、デジアナ放送の録画をビデオカセットに保険として撮ってたんであります。

ドラマの録画失敗は、泣くになけないでしょう・・まぁ、ネットで、タダで観れる場合もありますけど・・・

そんなわけで40年近く、テレビ録画としてお世話になっていたのが、これで幕を閉じる事になったわけであります。

今後は、録画をしてある分を見るだけで使って行きたいと思います。
初めて、ビデオデッキを買ったのは、松下電器のマックロードで27万円しました。

今の方は知らないでしょうが、ビデオデッキのチャンネルがガチャガチャと回すやつなんですね。

                    



それで大きくて、むっちゃ重たい!・・・2リットル、ペットボトル、1ケース分くらいあったんではないでしょうか・・?

リモコンなどはなくて、後発機種で、コード付きのリモコンが出たような気がします。
当時学生で、アルバイトをしていた身分で、毎月、1.8万円くらいの月賦で払っていたのを思い出します。

当時は、ソニーのベータ方式か、松下ビクターのVHS方式かで二つに分かれていたんですね。

私は、迷わずこのVHS方式にしました。
VHSは、カサが大きいですが録画時間が長いのと、ベータは、小さいが録画方式が複雑で、テープを巻き込み事故が多発するんでは、と思ったからであります。

8mmフィルムで言うと、シングル8かスーパー8の違いでしょうか・・・
録画時間が長いとは言え、3倍モードがなくて、標準の2時間だけでありました。

そして、なにより、カセットの代金が、1本4千円と今では考えられないくらい高いのであります。

だから、そんなに買えなくて貴重なシロモノであります。
それから、1本百円くらいにまでなって、あの1本4千円は、なんだったんだろうと思ってしまいます。

でも、40年間通算1万本位は、カセットを買ったような気がするくらい、箱ごと(10本入り以上)よく毎週買ってましたね・・・家の中は、カセットだらけで倉庫のようになってましたね。

当時録画した物では、「キャンディーズ」のさよならコンサートや「ピンクレディ」なんかもあります。

その番組のCMでマツダのデビューのRX7が映っており、市販されているDVDと違って当時の放送が生々しいですよね。

また、今世紀最初で最後の再放送っと言うフレーズで、たしか日テレの木スぺだったかな?・・「ビートルズの日本公演」の様子を録画しておりました。

その他、昔の「夜のヒットスタジオ」とかの放送とか、こまめに歌手ごとにラジオのエアチェックするかのように、よく録画をしておりました。

それが、ビデオカセットで10本以上、約20時間分くらいになりました。
現在は、それらをDVDに移行して保存しておりますが、このDVDも正副2枚にしておりますが、いつかは読めなくなるんではと、ちょっと不安でありますが、私にとっては貴重な懐かしい映像データであります。

そんな歴史のあるビデオデッキ、通算10台くらいは買ったと思います。
今ある5台も結構長く使っているのですが、故障もせず、ヘッドクリーニングもせずに綺麗に映っております。

初代の物は、よく自分でヘッドを傷つけないように慎重に拭いていたものでした。
ヘッドを拭くのは、音楽用のカセットデッキやオープンリールデッキのヘッドをよく拭いていたので、そんなに苦にならなくてやっておりましたね。

今後、今ある機械は、録画した物を再生だけにして余生を送ってもらいます。
お疲れ様でしたと心で思っております。

カセットは、順次見たら、燃えるごみで1回に着き1、2本程度廃棄出来るので、ちょっとづつ出して行きます。

たぶん、テレビやビデオデッキの第二期目の不法投棄が、あちこちであるんではないでしょうか・・?
ブラウン管テレビは有料ですが、ビデオデッキは大型ゴミで出せるんではと思います。






2月20日(金)


              「大坂の陣 ウォーキング!!」
                 ~木村重成と大坂の陣戦跡コース~

たまたま見た新聞広告に、このウォーキングが載っており、地元で近場のようなので、きまぐれに参加しました。



                    









スタート時間が、午前中、自由に参加出来、受付をしてマップを片手に勝手に廻れるという企画もの。

スタートとゴールがいっしょで、双方向から自由に選んで行けるというものです。
私は、近鉄「若江岩田」駅からスタートをして、近鉄「八尾」駅を目指して行きました。

道中、八尾駅からスタートした人たちともすれ違ったりします。
距離は町ん中6kmなので、普通に行けば1時間半くらいで行ける楽なものであります。

まぁ、要所要所、歴史ポイントをじっくり見ながら、ボランティアのガイドさんの話なんかも聞きながら歩くと、2,3時間くらいのものであります。

今回は、「木村重成戦跡コース」であります。
私みたいな歴史をあまり知らない者でも、真田幸村は知っておりますが、木村重成は初めて知ったしだいであります。

大坂夏の陣(1645年)、冬夏と家康に大坂城の堀を埋め尽くされ、丸裸状態の大坂城を守るため、秀頼の重臣だった木村重成らが、現在の東大阪、八尾で家康軍と熾烈な戦いを繰り広げ、討死をしたという事であります。

そんな戦いを想像しながら、歩くというちょっとした、ロマンであります。



午前10時ころ、近鉄「若江岩田」駅に着きました。

                    

受付が午前中いっぱいあるのに、意外と朝早くから、並んでいるのに驚きました。
受付で資料をもらい、簡単な説明を受けて、各人自由に出発であります。

やっぱり、こうゆうウォーキングは、中高年の方がほとんどで、家族連れやカップルなどはいませんでした。

ここで、歴史的背景の資料を参考に見て頭に入れて置きます。

****「大坂夏の陣」資料をまるまる引用***********

豊臣家の存亡をかけた戦いで大坂の役とも云う。
1614年(慶長19年11月)の大坂の冬の陣と翌年の大坂夏の陣の2度の合戦があった。

徳川家康は豊臣氏を滅ぼそうとはかり、京都方広寺大仏殿の鐘の銘文に関東不吉の語句があると言いがかりをつけた。

「国家安康」っという文字が、家康を引き裂くというものである。
そして、家康軍は、大坂城を攻めたが、難攻不落と言われている城なので簡単には行かず、一か月の長期にわたって両軍の対峙が続いた。

家康は和睦工作を始め、翌月いったん和睦が成立し、本丸を残し二の丸、三の丸の櫓や石垣まで破壊し堀を埋めてしまった。

1615年(慶長20年)4月29日大阪泉南樫井で合戦の火蓋が切られ、5月6日道明寺と八尾、若江での大激戦が展開され、翌7日城南で戦闘が行われ大坂方の有名武将がことごとく討死し、大坂城も火災に包まれて落城をした。

*******************************


****「若江の合戦」資料をまるまる引用***********

若江の合戦は、東高野街道を南下して道明寺方面へ進出をくわだてる関東の主力部隊およそ12万を側面から攻撃をしてこれに大打撃を与えようと、5月6日の早朝大坂城を出発し、豊臣方の長曾我部隊5000は八尾で徳川方先鋒の藤堂高虎隊5000と、豊臣方木村重成隊4700は若江で徳川方井伊直孝3500と激突した。

若江での戦いは玉串川の西方にある小堤上や田間のあぜ道上での小部隊同士の熾烈な戦いであった。

互いに勝敗を繰り返し、早朝から昼過ぎまで数時間戦われた。
豊臣方飯嶋三郎右衛門は、徳川方山口重信の従兵と槍を合わせ討ち取るが、山口重信に槍で突かれ倒れた。

木村重成は、山口重信にかかり、槍で馬上から突き落とした。
山口重信と飯嶋三郎右衛門の二人とも従者にかつがれて退去したが絶命した。

この戦いで豊臣方は、木村重成・増田盛次をはじめ900余人を失ったが、藤堂隊も重臣6名を含めて兵300余人、井伊隊も武将数人と兵100余人を失いました。

この日の午後6時頃、徳川家康・秀忠は枚岡に至り、豊臣方の薄田隼人、木村重成らの首級を実検した。

*******************************

それでは、出発します。
商店街や民家の中を歩いていると、第一ポイントの「飯嶋三郎右衛門墓」が、見つかりました。



                    



                    

そして、木村重成の陣跡です。



                    



                    



                    



ガイドさんの説明によると、かなりの男前で、首実検を予想して、頭髪に香りを炊き込めてあり、家康を感嘆させたという事らしいであります。

秀頼の為、また手柄をたてたかったのか、くたくたの兵士に無理やり続けさまに戦わせたので、討死をするはめになってしまうんですね。

その重成の位牌と妻の青柳の位牌が祀っておるお堂が、次の蓮城寺にあります。

                    



                    



                    



                    



奥さんの青柳の悲しみが想像できますね。
ねねは、秀吉の菩提を高台寺で余生を送りながら弔ったとされるに、青柳は20歳の若さで、子供を産んで後追い自殺をするのって、よっぽど重成を慕っていたのか、ちょっと胸に来るものがありますね。

重成の血を引いた一歳の乳呑児を置いては、普通逝けないでしょう。

                    



                    




ここで、ガイドさんが蓮城寺も含めて3人いらっしゃって、それぞれが、木村重成の戦いの様子を熱弁しておられました。

それぞれの、お話しぶりを聞くのを面白いです。

                    



                    



                    



この木村重成のお墓の北側に第二寝屋川をはさんで、重成に討ち取られた山口重信のお墓があります。

                    



                    



                    



この墓地に入ると、ひときわ大きい石碑が見えるんですが、後ろ向きになっているんですね。
そして、鉄製の櫓のような物が囲んであり、ちょっとお墓らしからぬ風貌でちょっと驚きますが、よく見ると傘のような石が崩れないために固定をしてあるんですね。

昔、墓石が折れて重信の祟りだと騒がれた事があったそうで、敵の木村重成に対して横向きに、重成の墓は、後ろを向くようにしたとか?っという説があるそうであります。

それにしても、この墓地、一般の方のお墓も多いのに、観光客がずかずかと入っていくのはちょっと気が引けますね。

                    



ここも一応入って見学をしたんでありますが、考古学のお好きな方でしたら、展示をしてある発掘土器などを見て楽しいかもしれませんが・・・ちょっと私は・・ねぇ

でもその時代の人たちの生活ぶりを知れば、これもロマンがあり面白いことでしょう。



                    



                    



ちょっと、このお地蔵さんのお堂は、夜に尋ねるのは勇気が要りそうであります。
肝試しにいいかもしれません?・・・

                    



                    



                    



ここのガイドさんは、拡声器をつけて、口に泡を吹きながら熱弁をしておられました。
口の中がカラカラに見えて、お茶を一口呑んだらっと言うそうになります。

最後のポイントの常光寺です。

                    



                    



                    

立派な門構えで、かなりの年代もので仁王さんが両脇を見張っておられるのは、京都ではよくあっても大阪で見るのは珍しいのでは?と思います。

お地蔵さんをお祀りしてあり、西の大関とも言われている八尾地蔵があるそうであります。
また、閻魔さんのお堂もあります。

お地蔵さんは、閻魔代大生の化身だと言いわれているからですね。
その閻魔さんのお堂を、撮りに行こうとして、お堂の中が見える小窓(京都の六道珍皇寺もそうでしたが、閻魔さんのお堂って、小窓でしか見れないんですね・・)から、カメラを向けて写しました。

閻魔さんの顔をアップにして撮るとなぜか、真っ黒になってよく写らないのであります。
何度か試してもだめで、夜モードで撮るとフラッシュが焚かれてしまいました。

暗いお堂の中が、一瞬フラッシュで明るくなり、「これは、まずいのでは・・?」っと思い、ちょっと怖くなって、撮影をやめ、今撮った分を削除してしまいました。

なんか、閻魔さんがお怒ってはるような気がして、祟りを恐れて消してしまいました。
本当は、このブログで紹介するはずなんですが、申し訳ないです。

でも、ここの閻魔さんは、目が大きくパッチリしてそんなに怖くないカンジでした。
このお堂、外になんにも書いてないので参拝者は、気づかないので素通りをしてましたね。

私は、ガイドさんの説明を聞いたのでわかったんですが、一般の人はわからない思います、これもなんか意味があるんですかね・・?

京都の六道珍皇寺の閻魔さんは、ちゃんとお堂に書いてあったんですが、もし、閻魔さんを見たいでしたなら、京都で撮ったのがありますから、こちらをご覧ください。

ちょっとわかりづらいかもしれませんが、六道珍皇寺の部分の中にあります。

    #012「京都・東山界隈の散策」




                    




                    



                    

血の板天井、どうですかね?意外と普通の天井で綺麗なような気がしますが、所々シミになって見えるのは、首を置いた所でしょうか・・?

豊臣家の無念が残る天井なんでしょうが、現在ある我々の世の中になるには、豊臣家では成しえない事のように思うので、これはこれで歴史として仕方がない事なんでしょうね。



                    

ゴールの八尾駅に着き、スタンプを押してもらいこれで終了であります。
今回16987歩・・でした。

来週は「真田幸村」コースになり、今回より3.5km増えて9.5kmになります。
しかし、雨の予報なので、中止になるかもしれません。







2月12日(木)


              「ピーちゃん、ご臨終です・・・」


セキセイインコのピーちゃんが、亡くなりました。
ショックであります。

2011年5月に家族となり、ひなから手乗りインコへと育てて来たのですが、今月9日23時15分に静かに息を引き取りました。



                    

4歳9か月の命でありましたが、7歳くらいまで生きると思っていたので、ちょっとショックであります。

今月6日頃から、いつもうるさいほどグチュグチュと鳴いていたのが、急に鳴かなくなって元気もなさそうでありました。

しかし、手を出したり、顔を近づけると、寄って来て相手になって欲しいそぶりをするんであります。

ひときわ遊んであげて、餌もよく食べるので、声が一時的に出にくいのかと思いましたが、ネットなどで見ると、どうも、深刻な病気みたいでありました。

インコは、しんどくても、その姿を見せないのは、弱さを見せると食べられるという本能からなんだそうであります。

動物病院に連れて行こうかと思いましたが、変に注射や嫌がる口を無理やり開けて薬をのますのは、ちょっとかわいそ過ぎるような気がして、そのままにする事にしました。

治るのであれば、ちょっとは苦しんでも治療をさせるんでありますが、たいていは死ぬみたいであります。

人間といっしょで、無理して延命処置をするのは、気が進みません。
犬猫と違って、あの小さな体に、無理やり治療をするには、ちょっと酷のような気がして、彼の運命と思って部屋の温度を暖かくして、見守ることにしました。

ゲージから出すと、いくぶん元気はなくても、好きなおもちゃで遊んでいました。
見た目は、普段と変わらないカンジであります。

でも、ヒーヒーと言うしんどそうな呼吸音が聞こえてくるんですね。
様子をみようとゲージに顔を近づけると、無理して元気に寄ってくるんですね。

だから、あまり寄れないのであります。
9日、おやすみっとゲージに毛布をかけて、しばらくすると、バタバタっといって、落ちてました。

手を差し伸べて、抱いてあげるとぐったりとしてました。
静かに目を閉じる様子がわかり、名前を呼んでも、動かなくなり、亡くなったんだなっとわかりました。

昨年、ハムスターが亡くなって、3か月後であります。
ペットを飼う宿命とはいえ、たて続きであります。

ハムスターの方は、もう歳で寿命が尽きたのだと、前々から覚悟はしていたんでありますが、ピーちゃんは、まだまだ元気だと思っていたら、なんの前触れをなく、体調を崩してなくなるんですよね。

まぁ、人間もそうですが・・・・安らかに眠ってもらって、また、どこかで、新しい身体をもらい、生まれ変わる事を祈っております。

翌日、人間の仏壇ですが、一応、仏さまにご報告をして、般若心経を唱えて、お葬式としました。



植木鉢に入れ、土を入れてベランダに置きました。

                    


よく、公園や、そこらの土に埋める方が多いでありますが、あれ、猫に掘り返されて食べられますよ。

昔、掌ぐらいになった金魚が死んで、土に埋めたら、翌日掘り起こされていて、金魚がいなくなっておりました。

近所に野良猫がうろうろしていたので、たぶん食べられたんだと思います。


セキセイインコのピーちゃんが亡くなり、一緒に飼っていた桜文鳥のちびちゃんも、わかるんでしょうね、いつも、ゲージをくっつけていたので、いなくなったのがわかるんだと思います。

なんか元気がないようにも思えます。

以下、ピーちゃんのわが家に来た時の写真とかわいい写真や動画を思い出として、載せてみました。



                    



                    




  YouTubeに過去にアップをしたピーちゃんの動画です。

  20111030「ぴーちゃん70秒」

   20111231「ぴーちゃんとチョロ(1分34秒)」

    20120107「インコのぴーちゃん、新入り文鳥チビちゃんに弱い2分52秒」#01

     20120107「インコのぴーちゃん、新入り文鳥チビちゃんに弱い1分59秒」#02

      20120227「鈴でマッサージ(1分1秒)」








2月9日(月)


              「梅咲きました・・・室内ですけど・・」

昨年末に買った、梅松の盆栽が、室内ですけど咲きました。
日当りのいい暖房のない寒い部屋に置いておいたんですが、外の梅の木よりもやはり先に咲きました。

外の木は、まだつぼみですが、もうちょっとで、この寒さを超えれば咲くのではないでしょうか?



                    



                    





1月30日(木)


              「今年のお年玉記念切手です」


毎年、この記念切手しか当たらないので、今年は何枚この切手が当たるかっ?と思ってしまうしか、夢のない私であります。
今年は3枚でした。

          



なんやかんや、この切手も集めていたら沢山の数になってきました。
私が生まれる前の昭和二十年代の物もあり、ちょっとは値が付いている物もあります。

っといっても、雀の涙ほどのもんであります。
昔と違って、切手やコインの収集家が少なくなったんでしょうね。

一度今までのお年玉記念切手を整理して、画像をアップしてもいいですね。
欲しい人があれば、高く買って欲しいものであります。







              「インフルエンザ」


全国的にインフルエンザが流行っており、施設に入っている高齢の母(88歳)も、施設内感染で高熱が出て、施設内は立ち入り禁止状態になっておりました。

1週間閉鎖になりましたが、この間の月曜日から閉鎖が解かれ、面会が出来るようになりました。

なんとか、母も施設の方の看病で、熱も下がり落ち着きました。
今は、施設の隣の小学校が閉鎖になっているという事だそうであります。

このインフルエンザ、ちょっとネットなどで調べてみると、菌じゃなくてウイルスという事で、どっちでもいっしょと思っていたら、全然違うらしいんであります。

ちなみに、インフルエンザ菌っという物が別にあり、ウイルスとは全く関係がないしろものだそうで、人に言う時には気を付けましょう。

簡単に言うと、菌(細菌)類は、それぞれが細胞を持って、それが分裂増殖をするに対して、ウイルスは、細胞を持たない遺伝子と増殖ツールだけの生き物?らしいんであります。

つまり、ウイルスは、人の細胞に侵入をして、人の細胞の増殖遺伝子をウィルスが遺伝子に書き換え、我々人間の細胞は、知らずにウイルスを増殖させているんですね。

我々の設計図をウィルスが勝手に取り換えたんですね。
なんなんですかね、寄生するっというか、癌細胞に変化するような物なんでしょうか?・・

ただ、寿命は短く1週間くらいで死滅するそうであります。
だから、1週間頑張れば、簡単に治る病気なんですが、新しく増殖されると、その分だけ長引く・・・・その増殖を阻止するのがタミフルなんですね。

タミフルは、ウイルスを殺すことは出来ないで、増殖するツールを阻害する薬で、今あるウいルスの寿命を待って、身体の回復を願う薬らしいんであります。

それまでに、ウイルスにより他の臓器に影響がなければ、そう怖くない病気で、子供や老人は体力勝負で1週間の戦いに勝つかどうかの問題なんですね。

そうゆう意味では、タミフルは、予防として使えるらしく、たぶん、医療関係者は、これを飲んでるんではないでしょうか?

一般の人は、予防とするには、保険適用外なので実費精算になります。
(病気にかかれば、適用されます)
いくらなんでしょうかね?・・・

ただ、諸外国では、あまり予防接種や、タミフルの乱用はしないそうであります。
なぜかというと、耐性ウイルスが出来るからだそうであります。

特にA型は変異しやすく、へたをすると重症化しやすいのだそうであります。
だから、ほんとは一週間頑張って寝てれば、薬などいらないのでありますが、いかんせんそんなのんきな事は言ってられないのが、日本人気質であります。

予防接種やタミフルなど世界の75%が、日本で消費されていると言われております。
タミフルの副作用は、日本人だけらしく、諸外国では報告されていないそうであります。

一般的に、インフルエンザウイルスは、湿度50%、温度32度以上、数時間で死滅するそうで、これ以下だと1日くらいは生きているかもしれません。

母の衣服についているウイルスも、水に数時間付けておくか、丸一日放置してれば、勝手に死にます。

所詮、自己増殖が出来なくて、細胞がない丸裸の生き物なのでほっとけば死にます。
しかしながら、一度ウイルスを取り込んじゃうと、体力勝負、自己免疫に頼るしかないのでしょうね。

殺す薬はないので、タミフルで増殖を阻止するしかないのだと思います。
・・・・・・っというような事が、あちこち、ネット情報で見た受け売りなのでありますが、間違っていたらごめんなさい・・・一応ご自身で確認をお願いいたします。








1月3日(土)


              「新年がスタートしました」



あけまして、おめでとうございます。
今年は、私の干支の羊でありますが、何かいい事があればいいなぁっと、努力が嫌いな私が、棚から牡丹餅を期待しながら生きて行くしだいであります。

そんな私も、地元の氏神様の産土(うぶすな)神社にお参りをして、おみくじを引いたら大吉でありました。

                    

                         

何かいい事が期待・・・?出来そうというよりも、この歳になると、あっちこっち身体や頭がガタがきており、うまく操縦出来ないのが難なので、健康祈願っという事が一番の願いでしょうか?

このブログも数か月更新しなかったら、亡くなったっと思って下さい。
死んでも、このブログは残るんですよね。

本人が、削除依頼しなければ・・?
そういった死んでるブログって山ほどあるような気がしますね。

どうするんでしょうね?
でも、亡くなって成仏できないで、浮遊霊となった場合の居場所としては、自分のブログがわが家となっていいのかもしれません。

そう、亡くなった人のブログって、そういった人の魂のよりどころになっていたりして・・・?・・・おぉ怖・・・!

亡くなった人のブログの閲覧は気を付けてくださいね。
その人からメールが送られて来たり・・・なんて事になったりして・・?

新年そうそう何を言ってるんでしょうね・・・私は・・・
相変らず今年も、後ろ向きな年になりそうな私であります。
(正月早々、オカルトDVDを観まくっておりますのですみません)

基本的に、このブログは非公開にしており、単なる自分の記録、日記が主で、たまに、見てほしいっと思ったら公開しております。
(お散歩記録など、結構アップ迄の作業に時間がかかるもんで、観てもらえたら・・っと思ったその時は、公開してます)

しょうもないオッサンのブログでも、毎日ちょっとだけでも、寄って下さる人もいて、大変ありがたく思っておりますが、反面、なぜこんなブログにと不思議なカンジも致しますが・・・・たぶん、このブログの題名で騙されて来られた方も多いのではとも思いますし、決して受けを狙ったわけでもないのでありますが・・・・

それと、たぶん、亡くなった人の情報のコーナーに寄られる方が多いのではと分析をしております。

大変見にくいので、申し訳ないのでありますが、エクセルでアップしたら、表の罫線が消えて、見にくくなってしまっております。

なんかやり方があるんでしょうが、無知なもので申し訳ございません。
まぁ、長くなりましたが、今年もよかったら、またお立ち寄りくださいませ。(^-^)

   おまけ(心霊写真・・?)

                    

年賀挨拶の写真を撮っていたら、心霊写真・・?が撮れた!
女性と思われる横顔が、パソコンの画面にに映りこんでおります。
ついに、私も心霊写真を撮ってしまった・・?



・・・っと思ったら、よく見ると影が映りこんでいるだけでありました。
でも、パッっと見はびっくりしました。
でも、ほとんどの投稿写真は、こんなもんなんでしょうね・・・
オソマツでした!



この記事についてブログを書く
« 「思いつき、Myショートシ... | トップ | 2015年3月 NHK朝ドラ ... »

日記」カテゴリの最新記事