ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

「飛騨高山・白川郷」へ一泊旅行」⑧高山おさんぽ「高山陣屋」

2021-10-29 16:24:18 | 旅行

日中は秋らしく過ごしやすい日がつづいております

買い物に出かける途中のイチョウや桜の葉なども徐々に色づいてきて、いよいよ!紅葉シーズンが始まります~

 

それでは、今回で最終章にしたいと思っておりますが、削除した画像も含んでですが、「高山陣屋」で100枚も!!!

画像もカットして纏められるように!

 

それでは・・・「高山陣屋跡」おつき合いください

元禄5年[1692]、飛騨を支配していた金森氏が江戸幕府の命令で出羽国[現在の山形県と秋田県の一部]の上山に国替となりました。
同年、江戸幕府は飛騨を直轄領として役所を設置し、幕府から派遣された代官[12代からは郡代]が飛騨支配のための執務を行いました。
幕末には全国に60数ヶ所あったといわれている代官・郡代所の中で、当時の主要建物が残っているのは、この高山陣屋のみです。(HPより)

入ります

受付の横に

いよいよ陣屋内へ・・・

「玄関の間」壁は青海波模様

タイムスリップしたようです~

「御役所」

「御用場」

「帳綴場」とつづいてます。

ここから地役人が出勤!

地役人出勤口

小さな台所が!

先ほどから歩いていたところにもあった至る所にありました。

書役が書類を作成した部屋。

外から見てみました。

「中ノ口」から入ると 

「女中部屋」

(奥は工事中)

緋毛氈の上を歩きます。

「嵐山の間」

郡代が生活した場所です。

「居間」

「庭園」

この様になってます

「雪隠」

四十九畳の大広間。

三室に分かれている広間。

色づいてきています

「寺僧駕籠」があります。

 

次は「御蔵」へ・・・

「年貢米」1俵には玄米4斗と込米1升(付加税)が入っています。 

樽作りの工程

 

最後の御蔵を出ると、柿~

玄関前!

「仮牢」

⑧章まで続いた今回の旅行記事!長らくおつき合い有難うございました

このあと・・・本町通りを散策して帰途に・・・

 

「東海北陸自動車道」へ

入る途中で、朝のニュースで知った「高山地方に初雪」

向こうの山に初冠雪!

見ることができました~


「飛騨高山・白川郷」へ一泊旅行⑦高山おさんぽ「櫻山八幡宮」~古い町並み♪

2021-10-28 15:53:46 | 旅行

過ごしやすいいいお天気がつづいて~ 動きやすい~

 

それでは・・・「櫻山八幡宮」への参拝が後になってしまいましたが・・・

「大石段」

石段一枚が高いので結構きつかった~

「大手水石」

大手水石(おおてみずいし)
(幅200×奥行340×高80センチ)
明治十一年完成。 「寒澄清徹」の銘があり、一個の大石を刻んで造られている。

「拝殿」(流造・総檜)

仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。

その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。

大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。

元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)。

飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。

神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。

戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増する。(HPよりお借りお借りしました)

拝殿に向かって「右」

「左」へ行きます~

明治初期まで、境内に庖瘡神(ほうそうしん)として祀られ、疱瘡(天然痘)にかかると、疱瘡神に桟俵に盛った赤飯をお供えし、赤い御幣を立てて病気平癒を祈願した。特に抵抗力の弱い子供には、赤い人形を抱かせて回復を祈った。(さるぼぼ人形のはじまり)らしい・・・

 

帰りは、ゆるい坂の階段から下りていきます

境内の池・色づき始めて

 

屋台会館、出口

菊花展の準備も捗っているようです。が

遠くから眺めて、境内を出ます

 

古い町並みを散策~

酒造店が並んでます

 

「藤井美術民芸館」

入ると、お土産も販売!

ここで昼食に「田舎料理定食」!の予定でしたが、お座敷で、、、

正座で長く座るのは苦手なので、諦めて・・・

人力車が!風情があります

「料亭 洲さき」

「旧高山町役場」

「市政記念館」臨時休館中!

 

このあと、昼食タイム!鶏ちゃんランチ(七輪の上で、朴葉と味噌で鶏肉・お野菜を焼いて食べました)が写真は撮り忘れました

「高山プリン亭」

長蛇の列! 食べてみたかった~

人力車の花嫁さんと花婿さん!

正面から撮るのは失礼かな?と後ろ姿を (とってもキレイな花嫁さんでした~

 

レトロな

「筏橋」から

「赤い中橋」へ・・・

「中橋」を渡って・・・

みたらしだんご、美味しそう~ですが、もうお腹いっぱい~で入りません~

「学割」学生にやさしい~

修学旅行生で大賑わい でも・・・シニア割引はありません~

 

高山おさんぽ!最終目的の「高山陣屋」前!到着!

「高山陣屋」学生さんと一緒に廻ってきました~

つづきます


「飛騨高山・白川郷」へ一泊旅行⑥高山おさんぽ「高山屋台会館・桜山日光館」」♪

2021-10-27 11:37:03 | 旅行

過ごしやすい~いいお天気です~

 

高山おさんぽのつづきを・・・

到着しました~「高山屋台会館」

一般に高山祭といわれるのは、春(4月14日、15日)と秋(10月9日、10日)の年二回あるように思われがちですが、春と秋では、お祭を行う神社も地域も屋台も全く違います。春は日枝神社、秋は桜山八幡宮の例祭です。

古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。

匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間都で働いたことになります。この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。

飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の屋台(国指定重要有形文化財)です。(HPよりお借りしました)

館内へ・・・

五台が展示されています。

ガラス越しなので・・・上手く撮れていません

 

金鳳台(きんぽうたい)

上段には桜山八幡宮の御祭神応神天皇のお母様である神功(じんぐう)皇后様とその臣下である武内宿禰(たけのうちのすくね)の人形を取り付けている。
また欄間には彫刻の名手谷口与鹿(たにぐちよろく)の手による四季の花が描かれています。
 

神楽台(かぐらたい)

飛騨国主金森重頼の実弟重勝より宝永五年大太鼓の寄進を受け、欄干付の車に大太鼓を載せ、祭礼に巡行したのが起源で、現在も屋台行列の先頭に立ち、大太鼓2人、締太鼓1人、笛2人が祭囃子をはやしながら曳いている。


 

大八台(だいはちたい)

高山で最初の三輪の屋台で、御所車の直径は1.56mもある。中段は平安朝風の御殿造りで囲いがなく簾を半ば垂らし、この御殿で烏帽子、直衣の装束をきた童子達が優雅な屋台囃子の大八の曲を演じる。高山で最初の三輪。

 

豊明台(ほうめいたい)

創建年代は不詳、明治33年から3ヶ年かかって大改修を行い、飛騨の匠の大工、彫師、金具師、塗師などの技術を集中した装飾をほどこしている。 屋台芸術の粋をあつめた絢燗豪華な屋台である。

絢燗豪華な屋台

 

御輿(みこし)

日本一の大神輿と言われ、重さ2トン半、80人の肩のそろった担ぎ手が必要と言われています。精巧さにおいても日本一の御輿ですので是非ご覧ください。

真正面から撮れないので、、、

 

上に上がって・・・

絢爛豪華な屋台見学も、あっという間に終わり

会館を出ると、菊花祭の準備中のようです。

つぎは・・・「桜山日光館」へ・・・

高山屋台会館に附設している「桜山日光館」(入場券は2館共通)

「日光東照宮」行きたいと思いながら未だ訪れていないので、観てきました~

 

しかし・・・なぜ???飛騨に日光東照宮と思っていたら

左甚五郎は飛騨の生まれらしい・・・

高山祭は動く「陽明門」!と・・・

 

この日光東照宮模型は、大正時代に、当代の左甚五郎とも言われだ長谷川喜十郎をはじめ三十三人の技術者によって、十五年間の歳月をかけて製作されました。実物の十分の一で、陽明門をはじめ、本殿、拝殿、五重塔など二十八の建物と、鳥居などの附属物をすべて再現しています。

構造はもちろん、装飾や、彫刻、絵画にいたるまで、実物に忠実に再現され、その部品は総数五十万個といわれています。

この日光東照宮超精巧模型は、戦後アメリカに渡り、長い間アメリ力全土を巡回公開されるなどした後、再び日本に里帰りしました。

画像ばかりですが、廻ってきた順番に載せていきます

「三猿の彫刻」があります。

実物を見たくなりました、、、

このあと、桜山八幡宮へ参拝します。つづきます


「飛騨高山・白川郷」へ一泊旅行⑤高山おさんぽ・宮川朝市♪

2021-10-26 15:03:55 | 旅行

平年並みの気温に戻りホッとしています~ 徐々に寒さに向かってほしい~

 

では・・・長々とつづいているおりますが、二日間で500枚ほど撮ってきました

今しばらくおつき合いください

 

高山は遥か昔・・・ン十年前に、コロナ禍前までは年に2回は集合しているおばあちゃん三人組で訪れていますが、

朝市とお土産屋さんで買い物・高山ラーメンが美味しかった事しか覚えていないのです~

が、とても楽しみにしている「高山おさんぽ」です

 

宮川朝市に近い駐車場を探して・・・出発~

「鍛冶橋」へ

橋のたもとに手を合わせて、、、

橋を渡って・・・

向こう岸沿いに見えています。

左に折れて

「鍛冶屋町 秋葉神社」

 

一番目のお店で・・・

(お店の方に撮影の許可を頂いて撮りました)

手作り・さるぼぼちゃんを買って

手間がかかってそうな手作り品が並んでいます

お店が少ないような

以前は、宮川が眺められる隙間はなかった!と・・・曖昧な記憶ですが・・・

「人道橋」

新しい橋のようです。

こちらも「秋葉神社」

「高山りんご」

何種類ものリンゴが並んでますが、重いので違う種類で1個ずつ、3個だけ~買いました 

高山祭の屋台が入る大きな蔵です

マップ片手に歩いているのに・・・

道を間違えて・・・

 

「屋台会館」への近道!

 

「休館中」

 

「吉島家住宅」も休館

残念です~

 

表参道へ出ました!

後ろに「鳥居」が!

宮川沿いから来れば近かった~

のですが、「吉島家住宅」の外観だけでも見れて納得~

 

「高山祭屋台会館」へ・・・

煌びやかな、とても素晴らしい細工の屋台を見てきました~

つづきます~


「飛騨高山・白川郷」へ一泊旅行④白川郷おさんぽ~小糸焼窯元~夕食♪

2021-10-25 10:40:04 | 旅行

朝から気温も只今15℃!すこし肌寒い、、、

 

白川郷おさんぽの最終章です

「和田家住宅」をあとにして・・

おさんぽ出発!

小雨の中を・・・

お土産店に立ち寄りながら

ぶらぶら~おさんぽ

納屋も茅葺き~

石碑があります。

「庄川」青色!神秘的

茅葺きが新しい!

長閑な風景~

はり・マッサージの看板が

野良仕事の後にマッサージ!体も軽くなりそう、、、

どんな場所も絵になる素敵な白川村です

 

「本覚寺」

「おおたザクラ」

「であい橋」まで戻ってきました~

「野外博物館」

には立ち寄らずに、高山市へ・・・

 

途中立ち寄った「小糸焼窯元」(写真を撮り忘れて・・・ )

飛騨地方のことを調べていて知った「小糸焼」

その時に見た、小鉢がほしかったのですが、在庫が少なく気に入ったものが無くて。。。

ごんすけさんが気に入った、お湯割り用の 

下に写っているのは「左馬の箸置き」(帰宅してから撮りました

手触りが良くて落ち着いた色合いが気に入りました

左馬の箸置き・おまけして頂きました

有難うございます 毎日使っています~

 

このあとホテルへ・・・「日本料理 華雲」で夕食「飛騨牛づくし御膳」

「飛騨寿司」・A5等級飛騨牛握り・飛騨サーモン握り

は撮り忘れて 食べた後でお皿だけ~

「飛騨にぎやか箱」

日本酒の

小さなお猪口で、ちびちびと・・・

「本日の造り」

「A5等級飛騨牛朴葉味噌焼き」

「A5等級飛騨牛しゃぶしゃぶ」

荏胡麻だれ・ポン酢

ご飯の上に牛しぐれ煮・赤出汁

ぶどうと梨

飛騨牛美味しかった~お腹一杯!残さずに食べました~

周りの方は帰られた後です

ゆっくり食事を楽しんで就寝し・・・

翌日は「宮川朝市」へ・・・長くなります~ つづきます~