ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

2年9ヶ月ぶりの「淡路島」へ・・・③「あわじ花さじき~ハイウェイオアシス」

2023-01-06 15:42:37 | お出かけ・兵庫県 淡路島

スッキリと晴れ上がった冬らしい青空~日射しが届くいいお天気です~

 

思いがけず、素晴らしい眺めと石垣の「洲本城跡」を後にして・・・

何処に行こうか???帰りの高速道路が混む前に帰るためには、そんなに距離が離れていないところ

と、いうことで花もありそうな「あわじ花さじき」へ・・・

途中渋滞に巻き込まれて、着いたのが午後3時半!洲本から1時間ほどかかり

やっと着いた「あわじ花さじき」

閑散~と!  チェーンがかかっている!!!

A-1駐車場も!

「兵庫県立公園」ですから、、、 3日まではお休み!

仕方がないので~ 上から  

花の開花もこのような状態

ここで、玉ねぎを買う予定でしたが、買い物は「淡路ハイウェイオアシス」に寄ることにして・・・

 

「オアシス館」

午後4時過ぎ!

夕陽があたって・・・

ステキな光景が見られました

 

帰りも・・・中国自動車道が渋滞に入り、帰宅する所要時間もいつもより30分ほどオーバー

1月3日の夕刻からは帰省ラッシュが始まっているのもうっかりと!

これからは、しっかり下調べをして行くように肝に銘じたドライブでした~


2年9ヶ月ぶりの「淡路島」へ・・・②「洲本城跡」

2023-01-05 16:03:30 | お出かけ・兵庫県 淡路島

昨日より2℃ほど低く最高気温は9℃!雲も広がり風がひんやり~と・・・

陽射しがほしい昼下がりです、、、

 

洲本城。東の丸を探検。年代異なる石積と曲輪。 - 戦国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行

それでは、昨日のつづきを・・・洲本城跡・本丸へ上がります!

「南隅櫓跡」を右へ・・・

 

洲本城(上の城)は、大永6年(1526)に淡路水軍を率いた安宅(あたぎ)氏によって築かれたと伝わります。その後、天正13年(1585)に入城した脇坂安治によって、今に残る総石垣の城に改修されました。脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609)、事実上の廃城となりますが、その威容は、今なお保ち続けられています。

壮大な総石垣、大石段、全国で数例しかない登り石垣などがあります。その他、天守台には1928年に鉄筋コンクリートで建設された日本最古となる模擬天守閣があります。

洲本市街のみならず大阪湾を一望できる、まさに南海の要塞と呼ぶに相応しい堅城です。

洲本城(下の城)は、当初の築城は桃山時代ですが、現在見られる石垣や堀が造られたのは、蜂須賀氏が淡路支配の拠点を由良から洲本に移した寛永年間(1630年代)以降と思われます。(洲本市HPより)

「東の丸」から本丸を

右側は

石垣修復工事中!

上がって!振り返り

更に上がって・・・

「武者走台」

兵庫県淡路島の南東、三熊山頂上にある洲本城。

洲本城の見どころと歴史

大永6年(1526)、三好氏の重臣である安宅治興が大阪湾を望む標高124mの三熊山に築城したのが始まりとされる。天正9年(1581)に秀吉の淡路侵攻があり、仙石秀久が城主となる。その後、賤ヶ岳の七本槍の一人、脇坂安治が入り洲本城の大改修を行った。この時、朝鮮出兵による経験から登り石垣も構築され、現在見られる総石垣造りの遺構の姿となった。城の規模は東西約800m、本丸、東の丸、南の丸、西の丸の主要な曲輪が置かれ、天守も築かれていた。

慶長14年(1609)、脇坂安治が移封となって後は、姫路城主の池田輝政が領し、三男の忠雄が洲本城に入るがこれを廃し岩屋城と由良城を修築。大坂の役により阿波藩、徳島城主の蜂須賀家の所領となり、家老の稲田氏が由良城に入り洲本城に再び本拠を移転。洲本城は、山頂の城を「上の城」、麓の城を「下の城」という。寛永19年(1642)には山城「上の城」は不便となり、麓に館が築かれ、以後「下の城」が政務の中心となり、稲田氏

洲本城登り石垣が城代となり明治を迎えた。現裁判所のある場所は「下の城」(城館)があった場所でその前には、石垣と堀が残り、「上の城」とともに市の史跡に指定されている。

洲本城には、西と東に二本の登り石垣がある(写真は東登り石垣。近年木々が伐採され東の丸から石垣まで降りることができる)

天守台跡には鉄筋コンクリート造の天守が建つが、戦前に再建されたものだ。復興天守では第一号が大阪城、現存している模擬天守では昭和3年(1928)に建てられた洲本城が第1号となる。平成23年3月(2011)、老朽化のため、補修工事がされたがこれを機に内部は立入禁止となり、現在に至る。

参考文献:『日本城郭大系12』(新人物往来社)、『探訪ブックス城5近畿の城』(小学館)

(「御城めぐり文献FAN」よりお借りしました)

国の史跡に指定された全国的にも貴重な石垣

東西800×南北600メートルに及ぶ広大な城の敷地には、保存状態の良い石垣がたくさん残っており、国の史跡に指定されています。

  • 写真:粒あんこ本丸天守台の石垣

こちらは天守台の石垣。大きなお城ではありませんので、石垣も大きくはありませんが、緻密に整えられ、上方へ真っ直ぐ伸びた石垣は見事です。この城石垣の積み方は、穴太積(あのうづみ)と言われ、安土桃山時代の技法で積まれているそうです。

 

「芝右衛門大明神」

右から上がります~

「天守台」へ 

「紀淡海峡」

「洲本市街地」を一望!

天守閣へ・・・

上がることはできません。

天守閣から下の木の祠に!

           

過ぎ去った年月を感じます

本丸大石段のこの先には行かずに・・・

東の丸・武者溜へ・・・

「八王子神社」はここから手を合わせて

以前は(30代~40代の頃)よく宿泊した洲本温泉!城跡があるのは知っていましたが、訪れることもなく

想像以上に広くて・・・そんなに高くはないけど歴史を感じる石垣に見とれて、

大阪湾に紀淡海峡を眺める絶景に感嘆古を感じる「洲本城跡」でした~


2年9ヶ月ぶりの「淡路島」へ・・・①

2023-01-04 10:43:33 | お出かけ・兵庫県 淡路島

雲があるものの陽射しが届いていいお天気~ですが、風が冷たい~

 

初詣日和だった昨日。

いいお天気~風もなくて・・・

の練習から帰って来たごんすけさんが突然!「淡路島へ行こう~」と

11時過ぎからドライブがてら行って来ました~

高速道路もスイ~スイ~と・・・

12時過ぎに、明石海峡大橋を渡って・・・

淡路SA到着!(車内から

昼食時間時で混雑していますが、駐車 まずは!昼食を

その後・・・定番の撮影タイム

明石海峡大橋と神戸・垂水方面を・・・

こちらは大阪湾

淡路島は一昨年の4月以来です、、、

急遽出発したので行き当たりばったりのドライブ 

どこへ行こうか

ごんすけさんの提案で、まずは!「洲本城跡」へ・・・

 

駐車場まで車で上がれます~

駐車場奥に

抜群の眺めです~

須本温泉街が!

結構~広そう~

頑張って上がります!

私の足ではとても4分で上がるのは無理~ でしたが・・・

とても見晴らしの良い、素晴らしい眺めを見てきました! 

欲張ってたくさん撮ってきました! 長くなりますのでつづきます~


淡路島へ小さな旅⑥「伊弉諾神宮~あわじ花さじき」

2021-04-28 11:08:02 | お出かけ・兵庫県 淡路島

こんにちは~

 

    きょうは 冷たい雨でもなくて・・・ちょうどいいお湿りです~

 

長々と続いている「淡路島旅日記」ですが、最終章!です

 

「高田屋顕彰館・歴史文化資料館」で、新しい知識と感動で頭の中と心は満タン!ですが、

次のところへ・・・

この日もいいお天気~

次のところも、はじめて訪れる「伊弉諾神宮」

伊弉諾神宮とは

伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられてゐます。ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られました。これを創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。明治以前は、神陵の前方に本殿がありましたが、明治初年の国費により造営で、神陵の墳丘を整地して本殿を真上に移築し、現在の景観に整へました。

平安時代の延喜式の制では、名神大社。三代実録には神格一品。明治の制度では官幣大社に列格し、古くから淡路國の一宮と崇められ、地元では日本第一番の宮であることから「いっくさん」とも呼ばれます。また日之少宮、津名明神、多賀明神、淡路島神、一宮皇大神とも別称されてゐます。
昭和二十九年に、昭和天皇が「神宮号」を宣下されましたので、伊弉諾神宮と改称し、兵庫県下唯一の「神宮」に昇格しました

(HPよりお借りしました)

 

前日の往きの道で、祭礼がある様な?どこの神社かな?気になっていましたが「伊弉諾神宮」でした、、、

駐車場から

こちらは、車のお祓い所入口

「大鳥居」

例祭が行われているようです。

 

 

「放生の神池」

カメの口から噴水

太鼓橋を渡って

「表神門」

「本殿」

全体写真は、神事が行われていますので撮りませんでした、、、

「六角鳳輦型神輿」

本殿屋根・檜皮葺工事竣成

いい時に来ました、、、

「夫婦クス」

天然記念物です

夫婦円満・家内安全をお願いして

「岩楠神社」

「住吉神社・鹿島神社」

「左右神社」

一通り参拝して戻ります~

「祓殿」

当初調べているときは例祭の前夜祭だったので、気にかけてなかったのですが、

一泊したので、例祭の時に参拝できていいタイミングでした~

では・・・つぎへ・・・

「あわじ花さじき」

こちらはタイミングが悪くて・・・

菜の花もムラサキハナナも終わっています

ポピーはこれからです~

大阪湾が見えて素晴らしいロケーション!

「未来へつなぐ樹齢千年のオリーブ」

霞んで見えている「明石海峡大橋」

ビオラの花壇

残念でしたが、見晴らしのいい花さじき好きです

途中、昼食!「赤い屋根」で玉ねぎや「たこせんべいの里」でたこせんべいを購入して

「道の駅 あわじ」へ

「明石海峡大橋」の下で

いいお天気で、向かいの神戸市舞子がハッキリと見えて、素敵な眺めです~

ここで淡路島をあとにします~

今回の淡路島訪問はとても有意義なものになり、満ち足りて大満足~

そして、ブログ作成のやる気を起こさせてくれました!

長々とお付き合いありがとうございました


淡路島へ小さな旅⑤「高田屋顕彰館・歴史文化資料館(菜の花ホール)」

2021-04-27 12:46:12 | お出かけ・兵庫県 淡路島

こんにちは~

 

    きょうも雲の少ない青空が広がったいいお天気です~

 

新型コロナウイルスによる国内での死者数が、一万人を超えました、、、

そして、月曜日の感染者数としては、大阪府7週連続、京都府が6週連続、兵庫県が5週連続で増加。

5月11日までの緊急事態宣言も延長されそうです

 

それでは・・・昨日のつづきを・・・

「高田屋顕彰館・歴史文化資料館」開館は午前10時から!

9時半には周辺を散策していましたが、

奥が資料館

ブラブラ~していると、ごんすけさんが「入り口が開いてるから行こう!」

ダメもとで入って行くと、「特別にどうぞ~」と

初めに、2000年12月にNHKドラマスペシャルで放映された「菜の花の沖」を観賞。

波乱に満ちた人生を知りました、、、

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)は1769年(明和6年1月1日)淡路島 都志本村(つしほんむら)(現・洲本市五色町都志)に6人兄弟の長男として生まれ、幼名は菊弥。

28歳で冬至国内最大級の千五百石積の舟「辰悦丸」を建造。

まだ寂しかった箱館(函館)を廻船問屋として商売の拠点としました。

幕府の要請を受けて、択捉と国後間の航路を発見し新たな漁場を開くなど、北方の開拓者として活躍しました。

左手の階段を上がって2階へ

DVDを観たホールが下に見えてます

円形に展示されて

ロシア皇帝艦ディアナ号のゴロヴニン艦長が日本側警備隊に拿捕されるという事件があり

救出に来たリコルド率いるディアナ号が日本側の攻撃に遭い一旦帰国。

その翌年再び来航し、艦長の消息を聞き出すために、偶然通りかかった嘉兵衛の舟が捕らえられカムチャッカへ連行抑留されます。

そこで、リコルドと同じ部屋で寝起きし、ロシア語を教えてもらうのです。

そして、仲介役としてゴロヴニン釈放に至る和解を成し遂げました。(簡略しすぎてますが・・・

妻おふさは巡礼に出ていたのですね、、、

たくさん展示されています

錨です。

1階へ下りて行きます。

晩年の嘉兵衛は、故郷淡路島へ戻り、港や道路の修復など郷土の為に力を尽くし、文政十年(1827)自宅で静かにその生涯を閉じました。

色んな船が展示されてます。

中庭

淡路島は瓦の生産地

新しいことを知り、また!知識が増えました~

そして、ブログに載せることで、記憶に残り脳を働かすためにもいいです

 

芝生広場では鯉のぼりを揚げる準備中!広い広場に揚がった鯉のぼりを見たかったのですが、つぎの予定が!!!

後、1回つづきます~