きょうは「成人の日」気温は上がらず冬本番の寒さでした
街中を歩き、晴れ着姿を眺め、この寒い中でも首を伸ばして歩く若い新成人の方たちに元気をもらいました!
若いって素晴らしい~~~
それでは・・・昨日のつづきを・・・
大手門通り、突き当りから左側を見て
時代劇の雰囲気~ この通りに惹きつけられて
「表参道」です
「十軒町」の表示
お寺があります~
渋い!
「大通寺」
消えて読めないので調べてみました
真宗大谷派(東本願寺)の別院。正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といいますが、一般に「長浜御坊」の名で呼ばれています。本願寺12世の教如上人が、湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりで、そのころは、長浜御堂と呼ばれていました。安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築しました。伏見桃山城の遺構と伝わる本堂や大広間、長浜城の追手門を移築した脇門(薬医門)など、建造物の多くが、国あるいは市の重要文化財です。県指定の文化財としては、南北朝時代の銘を刻んだ梵鐘があります。客室(含山軒、蘭亭)内部の障壁は、狩野山楽・山雪、円山応挙によって描かれており、その庭園は国の名勝に指定されています(観光サイトより)
歴史を感じます、、、
広い境内
「本堂」
長浜城の追手門を移築した脇門(薬医門)など、建造物の多くが、国あるいは市の重要文化財です。県指定の文化財としては、南北朝時代の銘を刻んだ梵鐘です。
本堂でお参りして・・・
拝観はせずに次のところへ…
大手門通りへ戻って
「豊国神社」
令和 5 年は、秀吉公による長浜開町から、450 年という記念すべき年でした。
十日戎の準備も完成しています!
「天満宮」
「出世稲荷神社」
「秀吉公」の銅像
「社殿」
安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民がその遺徳を偲んで建立。事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成を祭神としています。
大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、徳川幕府は神社を取り壊すよう命じました。町民は、一時、祭神を町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、商売の神様である恵比須神を前立に、奥殿に秀吉像をひそかに祀り、長い江戸時代を過ごしました。
明治31年(1898)の秀吉300回忌に社殿を造営して現在の社容を整えました。1月の十日戎、武者行列が繰り広げられる10月の「豊公まつり」の際には、商売繁盛や出世を願う人で賑わいます。(観光サイトより)
江戸時代はひそかに祀って長い江戸時代を過ごした。と・・・
明治31年!秀吉300回忌に社殿を造営!長い間耐えてこられたのです、、、
昼食時間は過ぎてます
飲食店探しに、駅のほうへ戻ります。
駅前に
散々歩き回って、結局!駅近い「えきまちテラス」で昼食
歩き疲れて・・・写真は撮り忘れ
往復乗車時間、4時間!歩数は1万3千歩!
長浜訪問は3回目でしたが、廻りきれてない観光地もあり、春休みの「青春18切符」で出かけよう~