過ごしやすいいいお天気がつづいて~ 動きやすい~
それでは・・・「櫻山八幡宮」への参拝が後になってしまいましたが・・・
「大石段」
石段一枚が高いので結構きつかった~
「大手水石」
大手水石(おおてみずいし) |
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(幅200×奥行340×高80センチ) 明治十一年完成。 「寒澄清徹」の銘があり、一個の大石を刻んで造られている。 |
「拝殿」(流造・総檜)
仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。
その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。
大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。
元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)。
飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。
神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。
戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増する。(HPよりお借りお借りしました)
拝殿に向かって「右」
「左」へ行きます~
明治初期まで、境内に庖瘡神(ほうそうしん)として祀られ、疱瘡(天然痘)にかかると、疱瘡神に桟俵に盛った赤飯をお供えし、赤い御幣を立てて病気平癒を祈願した。特に抵抗力の弱い子供には、赤い人形を抱かせて回復を祈った。(さるぼぼ人形のはじまり)らしい・・・
帰りは、ゆるい坂の階段から下りていきます
境内の池・色づき始めて
屋台会館、出口
菊花展の準備も捗っているようです。が
遠くから眺めて、境内を出ます
古い町並みを散策~
酒造店が並んでます
「藤井美術民芸館」
入ると、お土産も販売!
ここで昼食に「田舎料理定食」!の予定でしたが、お座敷で、、、
正座で長く座るのは苦手なので、諦めて・・・
人力車が!風情があります
「料亭 洲さき」
「旧高山町役場」
「市政記念館」臨時休館中!
このあと、昼食タイム!鶏ちゃんランチ(七輪の上で、朴葉と味噌で鶏肉・お野菜を焼いて食べました)が写真は撮り忘れました
「高山プリン亭」
長蛇の列! 食べてみたかった~
人力車の花嫁さんと花婿さん!
正面から撮るのは失礼かな?と後ろ姿を (とってもキレイな花嫁さんでした~
)
レトロな
「筏橋」から
「赤い中橋」へ・・・
「中橋」を渡って・・・
みたらしだんご、美味しそう~ですが、もうお腹いっぱい~で入りません~
「学割」学生にやさしい~
修学旅行生で大賑わい でも・・・シニア割引はありません~
高山おさんぽ!最終目的の「高山陣屋」前!到着!
「高山陣屋」学生さんと一緒に廻ってきました~
つづきます