goo blog サービス終了のお知らせ 

カレーなる隣人

カレー(華麗)なる隣人。それは日々街の至るところで出会ってしまう、すくうカレースプーンの先に映る人間像

「今年の仕事は今年のうちに!」 インド悶絶編アップしました。 -1/14-

2006年12月30日 | インド悶絶編
「見よ、この混沌。牛と犬、そして人々が渾然一体となった暑苦しい空間。」

さて、今年のGWに行ったインド旅行。
結果はカレーも食えずさんざん。その理由は中身を読んでほしいんだけど。

とにかく、半年余りほったらかしにしていた写真やら日記やらを
多少まとめて、今年のうちに総括しておきました。
楽しんでいただけたら幸いです。

帰国後半年経った今は、インドを冷静に見れるし嫌いでもない。カレーも食べ続けている。しかし、その旅行の最中はひどかった~。
そんな当時の気持ちをリアルにそのまま書いているので多少の狼藉はご容赦を。

最後に、
「私はカレー好きです。インドも。たぶん」

        ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
        「インド悶絶編にGO!」

        このページ含め計14ページ
     インド悶絶編のカテゴリーにジャンプします。



時間は不平等である! -3/14-

2006年12月18日 | インド悶絶編
「時間は不平等である」


古今東西、老若男女、貴賎を問わず「時間だけは平等だ」

この言葉は間違っている。

「時間は不平等である」

実感した。


5月1日 早起きをした。
観光名所は観光客が押し寄せる前に見学しておくに限る。それはタージマハルのような世界遺産であればなおさらだ。

この偉大な愛の結晶である全面白大理石の見事なシンメトリーな建造物をひととおり概観すると、まだ陽が低いにも関わらずいい汗をかいてしまう。
「ふー、一休み」とその広大な芝生の庭園でで大の字になり世界遺産を眺めるのは、何とも言えない贅沢だ。

ウトウト・・・

さっきまでタージの陰にあった太陽が移動してその強烈な日差しが顔に差し始め目が覚める。

はて?どのくらい寝入ってしまったのだろう?

腕時計に目をやると、自分でも驚くくらいほんのわずかな時間しか経っていなかった。
ほんの10数分。

にわかに信じられないゆったりとした時間の流れ
どれだけ惰眠をむさぼっても許されるような悠久

「日本に帰ったらまさか浦島太郎のように時間が進んでいるとかそんなことはないよね」と本気で心配してしまう


「普段なら9:30の始業前にメールチェックをして今から朝礼かー」
そんなリアルな比較をしてしまう超リアリストの自分というものも同時に実感していた。

悶絶 -6/14-

2006年12月18日 | インド悶絶編
『悶絶』


・気温47℃の酷暑のせいだろうか?
・確信犯的にがぶ飲みした黄色い氷入り使い捨て式土器に入ったラッシーのせい?
・いや、とどめはきれいそう?だった日本式レストランで食べたインドの冷やし中華だろ?


その他原因は考えれば枚挙に暇がない。


とにかく私は悶絶した。
未だかつてない苦しみを味わった。
心配した隣の部屋の旅行者が翌朝声をかけてくれた。
そのくらいの悶絶だったようだ。
寝ているのさえシンドイ。とすれば後はどうすればいいのか?答えが見つからない。
しかも料金プラスオンして得たエアコンルームは、午前10時から午後3時まではすこぶる電気供給不安定。
部屋代くらいどうでもいい、けど高い航空券買ってまでインドに来て暑苦しい部屋の中で悶絶している私は一体なんなんだ。
一晩なんてもんじゃない、もっと長い数日間の時間。
回復の兆しが見えたと散歩に出れば蜂に刺される、「泣きっ面にハチ」とはまさにこのことだ。
言葉も出ない。



床では苦しさを逃れるためにいろいろ思考をめぐらせた。

夢に出てきた「暖かいご飯に納豆」を具現化させ、羽田空港到着出口前で定食屋をやろう。
店の名前は「富士食堂」
提供メニューは「日の丸定食」ただひとつ
炊きたてコシヒカリ飯に刻みねぎ入り水戸納豆、なめこのお味噌汁に紀州梅干がついている
御代は1500円也
使い切れなかった外国通貨使用可。(専用の機械に通すと円換算で表示/釣銭は無し)
うん、絶対イケル!


さすがはインド、仏教や0の概念を生み出した国で、浄土と俗世が混濁したガンジス川の空気に触れれば私にすら悟りや閃きを与えるのか?
ウンウンうなされるうちになんとなく「五次元」の仕組みがスーと理解できてきた。
あれ?ホントにチョイやばいかも。

出会い -7/14-

2006年12月18日 | インド悶絶編
ヒロとの出会いは太陽の高い昼の時間だった。

人々の生活の場であり同時に仕事の場でもある細長い迷路のように入り組んだバナラシの裏路地は直角に降り注ぐ陽光によって照らされていた。

その狭い裏路地は、生活者に加え国内から続々とやってくる巡礼者に牛や犬、そして自転車やバイクも通るものだから往来はひっきりなしのごったがえし。
そんな流れを遮るかのように、一頭の牛がヨタヨタと歩いている。
ひどくやせ細った体は骨に皮がはりついている、そんな表現が正しいかもしれない。
栄養不足のためか、角はブヨブヨの管のように垂れ下がり用をなしていない。
左後脚の怪我口は大きく皮がはがれ肉がそげおち骨が見えている。ハエがたかっているところを見るときっと化膿しているのだろう。

哀れというほかない姿である。

体調の優れない体をおして食べ物を買いに出かけに宿を出た私は、そんな姿を晒した一頭の牛と出会ったのである。

なぜかちょうど苦しい思いをしている自分と変に重ね合わせてしまい、「お前も大変だな」と声をかけてやりたくなった。
しかし私も他人?他牛の心配をしている余裕はない。「いくらインドでは牛は神様の乗り物として崇められているとはいえ、路地の往来を妨げ、店商売をしている家の前で立ち止まってしまうものなら営業妨害もいいところで、夜にでもなったら頭でもかち割られてやられてしまうのではないか、この牛」と心配するのがやっとでその場を足早に去った。

際(きわ) -8/14-

2006年12月18日 | インド悶絶編
翌日私はバナナを買いに出かけた。
すると昨日と同じ路地で人だかりができている。見れば昨日の牛が道端で倒れている。どうやら夜のうちにやられずに済んだようだが、だとしても寿命が危ない。どうみても臨終を迎えていると私は感じた。

これも昨日からの何か縁、せめて息を引き取る際だけでも見届けてやろうとその場で立ち止まり見守ることにした。
完全に脱力した体を道に投げ出し、例の怪我をしている左後脚を中心に全身に蝿がたかっている。
お腹がかろうじて動き息をしていることを示す以外は死んでいるのと変わらない。

半時もそこにいただろうか?
通りすがるインドの人々の反応も様々だ。無視していく人もいるが多くの人は皆覗き込んでいく。
その人々は手を合わす人もいれば、単なる興味本位な人もいる。どちらかといえば後者のほうが多いような気がした。
いずれにしても、「もうすぐ終わり」と思っているに違いない。
私と同じく。
あたかもそれが当然の、自然の成り行きだと。


それゆえ彼らの行動が最初理解できなかった。
ふと現れた2人の若者が牛の口を開け水をやり始めた。
周囲の誰かに小銭を渡し、スイカを買ってきたら
それを牛の口に詰め込み始めた。
私は失礼にもこれは儀式だと最初思った。
たとえ先が分かっている牛でも、
最後の施しをしてやることが
この国の慣わしだと。

しかし最初こそ
口を開くことも
できなかった牛が、
いまゴクゴクと
必死に水を飲んでいる。
「お前も実は生きたいんだな」
「ごめんなんてもんじゃない、
俺は勝手に決めつけていた。お前はもう」
目を見開きながらのどを動かす
牛の必死な姿を見て、
決してきれいとは言えない
牛の体を扶け口に運んでやる若者の姿を見て、

感動した。「生命」を感じた。

繋がり -9/14-

2006年12月18日 | インド悶絶編
また翌日私は日本への土産を買いに出かけなければならなかった。
大通りへ抜ける手前の道で僕は三度出会った。
骨と皮だけの体は変わらない。脚もビッコを引いている。しかし間違いなく立って、そして自分の足で歩いている。
昨日の姿からは想像もできない光景だった。あの牛が歩いていた。

宿に帰り主人とその彼女に興奮して話すと、
「ならその牛の名前はヒロになるね。だってヒロが寄付した100ルピーで生き返ったのだから」


インドの過酷な自然と得体の知れない渾然一体感、そして自身の体調の苦しい体験が相まった偶然の結果だろう。
しかし偶然は必然である。
今高い飛行機代を払ってわざわざインドで苦しんだことは必然であったと思える。
私はそこから「おぼろげながらインドという国」そして「生命の力強さ」を知ることができた。