遂にこの日がやってきた!
7月20日
那古観音祭礼。
那古祭礼その2
(那古は自分が祭やっているので写真撮ってないのです。他力本願)
(なぜリベンジのイノシシカレーなのかは
⇒。地元のM先輩が喜ぶので松山からまたイノシシカレーを仕入れてきました。ブログへの投稿も一週間遅れになりました。。。すみません)
那古観音は坂東33番札所と言って、関東のお寺参り33箇所のひとつになっていて、そしてその最終巡礼寺となっている由緒正しきお寺である。
私が生まれ育った実家の目と鼻の先にあり、そしてその那古観音を奉る年に一回のお祭がこの日であり、私は世界一の祭だと信じている。
見事な木彫がはめ込まれた山車や屋台が計6台、夏の強い日差しのもと曳き回される光景は、海の地域に相応な荒々しく、抑揚のある旋律がはっきりした房州囃子とあいまって、私は「祭」と言ったら、この空気以上に盛り上がるものはないのである。
私がこの地元の祭に目覚めたのは、実を言うとまだほんの3、4年前。年番という祭の実行を担当し、山車、屋台の先頭を引っ張る地区は毎年各地区の持ち回りなのだが、地元の地区が前回その役に回ってきたときに、「人手不足」ということで召集がかかり、久しぶりに参加したのが始まりだ。
もともと子供の頃から祭りは大好きだったけど、いつしか高校、大学くらいから遠ざかり、仕事が始まったら地元に帰ることも少なく、なかなか参加できずにいたのが、やっぱり参加してみて「いいなー」と思ったのである。
朝から酒を飲み、アスファルトの路上の真ん中で寝転んで、大声をあげて盛り上がる。こういうことが年に一度くらいあってもいいんじゃないかと思った。
ちょうど年齢も30を越えたころで、故郷や自然などへの情が芽生えてくる時期とも重なったと思う。
集会所に飾られた歴代の昔の集合写真を見たり、実際に屋台の彫刻を触ってみると、自分の子供の頃の記憶が蘇る。昔は深夜、日が変わるまでやっていた祭だから子供だった私は必死に眠気を堪えながら、「鎌倉」という厳かな締めの太鼓を、柱に彫られた龍の彫刻の髭の部分を握りながら屋台にしがみついていた記憶だ。
そんな自分もオヤジと呼ばれる年代になり、でも一方で昔眠気を堪えながら必死につかまっていた屋台の柱の龍の彫り物の髭はそのままの姿を保っている。
そんな時間の移ろいに哀愁も感じていたら、人間の人生の時間っていったものも考えるじゃないですか、ねえ。
他人から見たら、とてもどうでもいいことかもしれないけど、昔から好きだったこの祭で、笛を思いっきり吹いてみたい、馬鹿デカイ大太鼓を叩けたらかっこいいだろうなー。そんな思いが自然に湧いてきて、こんな未練を持ったまま死にたくない、と思ったのが素直な気持ちです。
ちょうど一年前、この那古の祭のときに、うちの地区に笛吹きとして手伝いに来てくれているSさんに、「笛を教えてください」と言ったのが全ての始まりだ。Sさんは、「ああ、いいよ」と言って携帯電話の番号を教えてもらった。それから一ヵ月後、練習を始めたのはお盆明けの8月18日だった。
最初は、「ぴっとこ」という基本となる、踊りも踊れるゆっくりとした旋律の歌から始まり、現在は主要な曲目6曲をSさんから教わった。週末に仕事の後でお疲れの時もあったと思うのですが、家にお邪魔させて頂いて教えてくださった師匠Sさんには感謝の言葉も無い。
そして、S師匠には、笛の吹き方だけでなく、他にも大事なことを教わった。
ちょうど一年経ったこともあって、少し自分の頭の中で整理してみたら、だいたい次の3つのことにまとまった。
1.礼儀マナーをしっかりしろ
祭や笛吹きの世界は、今でこそ少しオープンになって緩くなってきましたが、昔はとても地区意識や序列、師弟関係のしっかりとした閉鎖された世界だったと思う。私自身も、また同級生の話を聞いても、昔自分達が子供だった頃は他地区の祭になんか参加できないし、他地区の太鼓を遊びでちょっと叩いただけでも大人に大叱りを受けたものだ。だから今でも他地区の祭に参加させてもらうときは、町内会長にも挨拶して、地元の笛吹きさんに挨拶して、知らない笛吹きに会ったら「皆先輩」と思って挨拶して、また笛吹きの交代するタイミングでは必ずお互い会釈をすること。これを何度も言われた。
2.天狗になるな
これは1と関係しているが、たとえ自分が笛がうまくなったとしても決して調子に乗らず、周囲への配慮や挨拶、自分の振る舞いを気にすることである。Sさんの今までの教え子の中にはセンスがあってメキメキ笛が上達して、周囲からももてはやされた弟子もいたが、そんな中
には残念ながら天狗になってしまった人もいたそうだ。笛をやって改めて思うが、笛だけではつまらないし、太鼓だけでもつまらない。やっぱり笛と小太鼓、大太鼓、鉦、みんなの掛け声が会って初めてお囃子は活気づく。そしてそれだけでなく、屋台を引っ張る人や舵棒係、ブレーキ係、それ以外にも会計係、そんないろんな人が祭を形作っている。祭は地域みんなの参加と協力なくしては存立しないのである。
今年の祭では、「白狐の踊り」を披露したのだが、これは踊る人、笛、太鼓に加え、風情を出すために屋台の提灯を真っ暗にして、スポットライトを別に当てたりというチームワークが必要だった。私は屋台の下からライトを当てながら、屋台の中で踊る狐の腰を抑えて落ちないように支えていたYの姿を暗がりに見た時とても感動した。こうした見えないところでの黒子に徹する奴が必要なのである。そう考えると、独りよがりの天狗になるなんてことはあってはならず、常に「お祭をやらせてもらっている」という意識で臨んでいかなければいけないと思う。
3.最後は好きな奴がうまくなる
これは笛だけでなく、全てのものごとに通用すると思うが、やっぱり「好き」には敵わないということである。Sさんは、自分で兄弟弟子の中では自分が一番出来が悪かったと言っている。でも、いろんな祭に出かけて、たくさん笛を聴いて、たくさん真似て、それで20年以上やってきたらしい。センスや肺活量、唇の形、指の長さ、年齢、いろんな要素があるが、決定的なものは何もなく、あえて言うなら「好き」
ってことが一番大事だということだ。その気持ちさえあれば、必ずモノになる。(プロとかの超一流は別かもしれませんが)私も、当初は自分の唇の形が合ってないとか、音楽センスはあまりないなとか、パソコン打つときの指が自分では硬いと思っているとか、いろいろマイナス要素が浮んできたが、とにかく継続することを基本に練習してきた。
これらの3つはいずれも当たり前のようなことだけど、当たり前が難しいのが世の中の真理である。
さて、
こうしたS師匠の指導のおかげと地区の皆さんの寛容さのおかげで、今年7月20日那古の祭礼で、私はどうにか笛を吹くことができました。ありがとうございます。たくさん間違えたし、リズムも音色もこれから、これからではありますが、「継続」をテーマに一層の努力を続けていきたいと思います。
ちょっと固い話しになりましたが、一応節目ですから、一年を振り返ってみました。
次は時間があるときに、この一年間に笛で出会ったり?文句を言われたり等々、よくもわるくも隣人となった方々の紹介なんかもしていきたいと思います。
★イノシシカレー630円