カレーなる隣人

カレー(華麗)なる隣人。それは日々街の至るところで出会ってしまう、すくうカレースプーンの先に映る人間像

於:セブンイレブン

2008年07月29日 | 隣人(カレー)
あっという間に最終日。

今年dancyuとセブイレブンがコラボで出したコンビ二カレーが、
「新欧風ビーフカレー」、粗デミソースを使ったカレーらしく電車の車内広告でもやっていました。(写真参照)

期間限定でたしか7月28日までだったと記憶していて、「あー買わないとー」と思っていたら、あっという間に最終日。

今日を逃したらアカンと、28日の夜に自宅近くのセブンイレブンに行ったら、運良くまだありました。

それを買って一晩寝かせて?翌朝頂いときました。
デミソースというので少しコッテリを想像していたら、意外な程サラサラでスパイスも爽快感あり!
朝から食べられるカレーでした。


今日も暑いが、そんな爽快感に包まれながら乗車した出張先の京都行きの新幹線では残念ながら、ダウンな気分に。
名古屋あたりから乗って来たオバチャン2人組がうるさいこと、うるさいこと。
会話をするのは別にいいんだけど、もうちょっと静かにできんのかね?
なんだか若者が、虚勢を張るために大声出しているような、そんな必要以上に周囲に自分達をアピールしているような。そんな必要全くないと思いますけど。

隣で新聞を読んでいたおじさんお客様疲れ様でした。




新欧風ビーフカレー650円

於:叶庵

2008年07月27日 | 隣人(カレー)
「笑顔が一番」

うちのばあちゃんは今年94歳になった。
今まで異様な元気があって「自らをお転婆」と称し、庭木の枝も脚立に上が

って自分で伐っていたくらいだったんだけど、今年初めからは少しずつ衰え

が見えるようになってきた。

この夏の暑さが心配で、親父の兄弟、つまり叔父達を呼び寄せて、なんとか

元気なうちにいろいろと話をしてやろうということで、今日は末っ子の叔父

が実家にやってきた。
とにもかくにも、年取ったもんには「そば」ということで、館山にある叶庵

というそば屋さんにやってきた。

ばあちゃんは、やっぱり人が集ると嬉しいのか、今日は終始ご機嫌だった。

ばあちゃんの記憶というと、

観音様に連れられていったこと
浜の踏切まで電車を見に連れられたこと
山のほうに散歩に行ったこと
食パンにバター、砂糖、ハチミツ(母は禁止)をつけてくれてとにかく甘い

ものをくれたこと
親に怒られたり、兄にいじめられたときにかけこんだこと(逆に弟をいじめ

たときは怒られた)

なんかがほわほわと浮んでくる。


2,3年前から、「どなたですか?」
と言われることが出てきたけど、とにかくばあちゃんはまだ笑っている。
世間的にはいわゆる呆けてきたということになるんだろうけど、ばあちゃん

はまだ笑っている。
笑っているということは、それはばあちゃんの中では間違いなく幸せだと思

うので、僕はとてもいいと思う。




★板そば+カレーつけ汁(400円)

於:ゴーゴーインドカレーハウス

2008年07月27日 | 隣人(カレー)
おっとー、ゴーゴーカレーのパクリかぁ~?
と思える、ゴーゴーカレーならぬ「ゴーゴーインドカレーハウス」が出現!
早速入ってみた。

中には、インド系ともまた少し違うブラジル系の兄ちゃんがいて、「いらっしゃい」だって。その中に、彼らとどういう接点があるのか考えてしまう真面目そうな主婦が一人いた。単なる近所のパートタイマーだろうか?

カレーを食べ終わった私は、ここ日の出町から次なる目的地「桜木町」への道をその主婦に尋ねた。
「桜木町までは歩いて何分くらいですか?」

「20分くらいかしら?」
「私の足で」
と付け加えてくれた。

女性の足で20分の距離でも、こんな35度にもなろうという酷暑の中はさすがにきつい。
でも「私の足で」という一言に、なんだかいけそうな気持ちにさせられてしまって、徒歩で向かうことを決めた私だった。


挙句の果ては、方向を間違えて、40分くらい歩き回ったのだったが。

なんだかひっかっかった「私の足で」だった。


日の出町
★日替わりカレー(ゴーヤとジャガイモ)750円

於:那古祭礼

2008年07月27日 | 隣人(カレー)
遂にこの日がやってきた!
7月20日 那古観音祭礼
那古祭礼その2
(那古は自分が祭やっているので写真撮ってないのです。他力本願)

(なぜリベンジのイノシシカレーなのかは。地元のM先輩が喜ぶので松山からまたイノシシカレーを仕入れてきました。ブログへの投稿も一週間遅れになりました。。。すみません)

那古観音は坂東33番札所と言って、関東のお寺参り33箇所のひとつになっていて、そしてその最終巡礼寺となっている由緒正しきお寺である。
私が生まれ育った実家の目と鼻の先にあり、そしてその那古観音を奉る年に一回のお祭がこの日であり、私は世界一の祭だと信じている。
見事な木彫がはめ込まれた山車や屋台が計6台、夏の強い日差しのもと曳き回される光景は、海の地域に相応な荒々しく、抑揚のある旋律がはっきりした房州囃子とあいまって、私は「祭」と言ったら、この空気以上に盛り上がるものはないのである。

私がこの地元の祭に目覚めたのは、実を言うとまだほんの3、4年前。年番という祭の実行を担当し、山車、屋台の先頭を引っ張る地区は毎年各地区の持ち回りなのだが、地元の地区が前回その役に回ってきたときに、「人手不足」ということで召集がかかり、久しぶりに参加したのが始まりだ。
もともと子供の頃から祭りは大好きだったけど、いつしか高校、大学くらいから遠ざかり、仕事が始まったら地元に帰ることも少なく、なかなか参加できずにいたのが、やっぱり参加してみて「いいなー」と思ったのである。
朝から酒を飲み、アスファルトの路上の真ん中で寝転んで、大声をあげて盛り上がる。こういうことが年に一度くらいあってもいいんじゃないかと思った。
ちょうど年齢も30を越えたころで、故郷や自然などへの情が芽生えてくる時期とも重なったと思う。

集会所に飾られた歴代の昔の集合写真を見たり、実際に屋台の彫刻を触ってみると、自分の子供の頃の記憶が蘇る。昔は深夜、日が変わるまでやっていた祭だから子供だった私は必死に眠気を堪えながら、「鎌倉」という厳かな締めの太鼓を、柱に彫られた龍の彫刻の髭の部分を握りながら屋台にしがみついていた記憶だ。
そんな自分もオヤジと呼ばれる年代になり、でも一方で昔眠気を堪えながら必死につかまっていた屋台の柱の龍の彫り物の髭はそのままの姿を保っている。
そんな時間の移ろいに哀愁も感じていたら、人間の人生の時間っていったものも考えるじゃないですか、ねえ。

他人から見たら、とてもどうでもいいことかもしれないけど、昔から好きだったこの祭で、笛を思いっきり吹いてみたい、馬鹿デカイ大太鼓を叩けたらかっこいいだろうなー。そんな思いが自然に湧いてきて、こんな未練を持ったまま死にたくない、と思ったのが素直な気持ちです。


ちょうど一年前、この那古の祭のときに、うちの地区に笛吹きとして手伝いに来てくれているSさんに、「笛を教えてください」と言ったのが全ての始まりだ。Sさんは、「ああ、いいよ」と言って携帯電話の番号を教えてもらった。それから一ヵ月後、練習を始めたのはお盆明けの8月18日だった。
最初は、「ぴっとこ」という基本となる、踊りも踊れるゆっくりとした旋律の歌から始まり、現在は主要な曲目6曲をSさんから教わった。週末に仕事の後でお疲れの時もあったと思うのですが、家にお邪魔させて頂いて教えてくださった師匠Sさんには感謝の言葉も無い。

そして、S師匠には、笛の吹き方だけでなく、他にも大事なことを教わった。
ちょうど一年経ったこともあって、少し自分の頭の中で整理してみたら、だいたい次の3つのことにまとまった。

1.礼儀マナーをしっかりしろ
祭や笛吹きの世界は、今でこそ少しオープンになって緩くなってきましたが、昔はとても地区意識や序列、師弟関係のしっかりとした閉鎖された世界だったと思う。私自身も、また同級生の話を聞いても、昔自分達が子供だった頃は他地区の祭になんか参加できないし、他地区の太鼓を遊びでちょっと叩いただけでも大人に大叱りを受けたものだ。だから今でも他地区の祭に参加させてもらうときは、町内会長にも挨拶して、地元の笛吹きさんに挨拶して、知らない笛吹きに会ったら「皆先輩」と思って挨拶して、また笛吹きの交代するタイミングでは必ずお互い会釈をすること。これを何度も言われた。

2.天狗になるな
これは1と関係しているが、たとえ自分が笛がうまくなったとしても決して調子に乗らず、周囲への配慮や挨拶、自分の振る舞いを気にすることである。Sさんの今までの教え子の中にはセンスがあってメキメキ笛が上達して、周囲からももてはやされた弟子もいたが、そんな中

には残念ながら天狗になってしまった人もいたそうだ。笛をやって改めて思うが、笛だけではつまらないし、太鼓だけでもつまらない。やっぱり笛と小太鼓、大太鼓、鉦、みんなの掛け声が会って初めてお囃子は活気づく。そしてそれだけでなく、屋台を引っ張る人や舵棒係、ブレーキ係、それ以外にも会計係、そんないろんな人が祭を形作っている。祭は地域みんなの参加と協力なくしては存立しないのである。

今年の祭では、「白狐の踊り」を披露したのだが、これは踊る人、笛、太鼓に加え、風情を出すために屋台の提灯を真っ暗にして、スポットライトを別に当てたりというチームワークが必要だった。私は屋台の下からライトを当てながら、屋台の中で踊る狐の腰を抑えて落ちないように支えていたYの姿を暗がりに見た時とても感動した。こうした見えないところでの黒子に徹する奴が必要なのである。そう考えると、独りよがりの天狗になるなんてことはあってはならず、常に「お祭をやらせてもらっている」という意識で臨んでいかなければいけないと思う。

3.最後は好きな奴がうまくなる
これは笛だけでなく、全てのものごとに通用すると思うが、やっぱり「好き」には敵わないということである。Sさんは、自分で兄弟弟子の中では自分が一番出来が悪かったと言っている。でも、いろんな祭に出かけて、たくさん笛を聴いて、たくさん真似て、それで20年以上やってきたらしい。センスや肺活量、唇の形、指の長さ、年齢、いろんな要素があるが、決定的なものは何もなく、あえて言うなら「好き」

ってことが一番大事だということだ。その気持ちさえあれば、必ずモノになる。(プロとかの超一流は別かもしれませんが)私も、当初は自分の唇の形が合ってないとか、音楽センスはあまりないなとか、パソコン打つときの指が自分では硬いと思っているとか、いろいろマイナス要素が浮んできたが、とにかく継続することを基本に練習してきた。


これらの3つはいずれも当たり前のようなことだけど、当たり前が難しいのが世の中の真理である。

さて、
こうしたS師匠の指導のおかげと地区の皆さんの寛容さのおかげで、今年7月20日那古の祭礼で、私はどうにか笛を吹くことができました。ありがとうございます。たくさん間違えたし、リズムも音色もこれから、これからではありますが、「継続」をテーマに一層の努力を続けていきたいと思います。

ちょっと固い話しになりましたが、一応節目ですから、一年を振り返ってみました。
次は時間があるときに、この一年間に笛で出会ったり?文句を言われたり等々、よくもわるくも隣人となった方々の紹介なんかもしていきたいと思います。



★イノシシカレー630円

於:ガネー舎

2008年07月25日 | 隣人(カレー)
え?俺のせい?

「ガラン!」扉を開けて、ガネー舎に足を踏み入れた途端、正面のカウンターに座った女性と、彼女とは知り合いのような店員が一斉に私に目を向けた。

「なんだ、なんだ?」

私は一瞬怯んだような、でも歓迎されているような一抹の嬉しさも味わったのも束の間、次の瞬間、
「はぁ~違うわ」という声が聞こえてくるくらい手の平を返したような反応で彼女達の視線が外れた。

「なんか俺が悪いことしたか?」

そんな声を出したいくらいなんだか悲しい。。。

数分後、再び「ガラン」と扉が開き、今度こそは彼女達のお待ちかねの友人が入ってきたのだった。


チキンスープカレー 980円

於:松屋

2008年07月16日 | 隣人(カレー)
隣人の若者が、足を組んで、汚ねー靴底がこっち向いてるっぺ。
それほどムカつきもしないし、もちろん注意する気もないけど、昔電車で足を組んだら、隣の爺さんに叱られたのを思い出した。

麻婆カレーには自分で引き回す山椒がついてきたが、あまりピリリとはしていない。
私もそんな山椒と同じだ。まだまだピリリとした山椒のようなオヤジにはなれそうもない。

麻婆カレー 490円

於:実家

2008年07月14日 | 隣人(カレー)
青天の霹靂カレー

カレーでこんな新鮮な喜びを味わったのは久しぶりだ。

夕食の席に着くと、思いもよらずカレーがテーブルに並んでいた。

このカレー、自宅の2世帯住宅の兄貴宅で作ったカレーだったのだ。

「今日はカレーにする」なんて話は聞いてなかったし、
匂いも伝わってきてなかったので、
まさしく、私にとっては青天の霹靂とも言えるのだった。

とりわけ、今日はこの暑さ。

「夏はカレー」を心から感じながら、おいしく頂きました。


★家カレー 0円?

於:花さんしょう

2008年07月12日 | 隣人(カレー)
超地元、実家から徒歩2分の居酒屋の裏メニュー「カレー」がうまい!!

解凍のためだろうか?

「何皿かしら?」

と予め聞かれるところはご愛嬌。

その席上、地元の仲間と話題になったのが、牛丼の食べ方。

紅しょうがマニア、七味マニアがここにもいた。

「七味は辛くないから、逆に七味は舌触りをよくするためのもの」と言って、七味の絨毯を牛肉の上に敷くらしい。

そして隣人、自分の兄貴だったが、

「とりあえず紅しょうがは、自分の丼の隣に置いてガンガンとる」

という連中がこんな近くにもいたのだ。


その中でも私が一番納得できなかったもの、

それが牛丼にかけるとき卵に醤油を入れること。

それって牛丼の味濃くねー?


もはや彼らの丼の中は己だけのミラクルワールドと化しており、
何人たりとも立ち入ることができないようだ。


★裏メニューカレー ?円