私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

翠玉白菜の思い出

2014-07-03 20:05:44 | なんということはない日常
特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」


「先日の夜、白菜を見てきたのですが、50分待ちでした。でも思ったより立体的でなくて小さかったです。テレビで見た時のほうが・・・・」毎週火曜日の夜に中国語のレッスンを受けているのだが、一昨日のレッスンの際に先生はそんな風にいい、白菜を見るのが大変だったと教えてくれた。
私は十数年前、母と一緒に台湾で新年を迎えた時に、台北市内から路線バスに乗って故宮博物館に行った際に翠玉白菜を見たことがある。
セブンイレブンでバス路線指南というような小冊子を購入。指南書に従いバス停を探し、市内から小一時間バスに揺られ、博物館に行ったのだが、バスの旅は文化の差を感じさせる衝撃的なものだった。運転手のおじさんは、ペットボトルの水を飲み、ラジオから流れる歌にあわせて鼻歌を歌い、交差点で行き違うバスの運転手と窓越しに大声で会話し、話しに夢中でなかなか降りない大学生をせかし・・・とにかく日本のバスとはまったく違う乗り物である台湾の路線バスに衝撃を受けた母。私たち 以外に博物館で下車した人たちはいなかった。観光客の人はやはりガイドさんと一緒に観光バスで乗り込むというのが定番なのだろう。
もっと素敵なバスの旅を想像していたらしい母は、博物館についた頃にはすっかりぐったりしてしまっていた。
(大晦日の博物館は非常にガラガラだった。団体客とも一緒にならず、天気が悪い中二人で撮った写真には、ただただ寒そうな博物館の全景が写っている。)

一応めぼしい展示物の説明もしたように記憶しているのだが、バスの衝撃が大きかったのだろう。白菜に対しては対した感想も持たなかったようだ。ただそれは私も一緒で、ライティングされた中に浮かび上がる白菜を「思いのほか小さいな・・・」と思ったことしか覚えていない。
実際、それがどんな風にして紫禁城からこの博物館にやってきたのかということや、白菜という音の持つ意味、一緒にいるイナゴやキリギリスの意味、 そしてなによりこの石の色合いがあってこその白菜だということを知らなければ、鑑賞する意味はないのだ。そんなことも知らずにただ見ただけなの で、「思いのほか小さいな・・・」という思い出しか残っていないのだ。
今回の展示では、待ち時間が長いことが話題になっているようだが、母と一緒に見た時には長時間待ったという記憶はない。今となっては思い出は遠くに行ってしまい、白菜を確実に見たと言い切る自信もないくらいだ。
博物館の後、衛兵交代を見るためにタクシーで忠烈祠に行ったことは良く覚えている。
「皆同じような背格好ね~顔も格好いいし、歩く姿も素敵ね~」母は衛兵交代に興味津々だった。行進が終わった後に同僚が制服の乱れを直したりする姿さえも、「若者らしくて気持ちがいいわね~」とべた褒めだった。街中では見かける若者とはやや違う燐とした彼らの姿に「やっぱり選ばれたエリートなのね・・・」と妙に納得している風だった。
その後、テレビでなどで台湾の様子を見るたびに、寒い中見た衛兵交代式のこと思い出しているようだった。私にとって翠玉白菜は、そんな母の言葉と台湾の路線バスと忠烈祠の衛兵交代とセットの思い出だ。
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上の話を踏まえて「私は何年も前に母と一緒にそれを台湾で見たことがあります。」という短文を先生に話そうとした。本来ならこの程度の短文はもうさら さらと口をついて出なければならないのだが、残念なことにまったくさらさらとは出てこず、単語をぶつぶつと並べるだけという情けない有様だ。先生いわく中国語の習得は「英語の1.5倍から2倍時間がかかります」とのこと。
英語もマスターしていないのだから、永遠に何も話せずに終わるかもしれない・・・・

国宝档案2007-11-19 国宝奇案之深?里的玉白菜