ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

向上心の向く方向

2017-03-23 08:18:33 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「小中学校は?」3月13日
 『授業受け身 一夜漬け得意』という見出しの記事が掲載されました。日米中韓4カ国の高校生の学習態度等についての調査結果を比較した記事です。記事によると、『「グループワークのときには積極的に参加する」との設問に「よくある」と答えた割合は米国68.1%▽韓国54.2%▽中国45.4%-に比べ、日本は25.3%』『「きちんとノートを取る」は、50~60%台の米中韓に対し、日本は79.4%』『ICTの活用に関する設問で「プレゼンテーションソフトを使う」と答えたのは米国74.5%▽韓国64.1%▽中国32.3%。日本は11.1%』という結果が出たそうです。
 さらに、こうした結果を受け、『板書を写すといった昔ながらの授業で、生徒は受け身のままだ。生徒が課題を発見し、解決する取り組みを促すよう教員の授業観の改善が必要だ』という国立青少年教育振興機構の見解が紹介されていました。
 私がこのブログで8年間主張してきたことが、今回の調査でも立証された形です。講義型の授業を続ける高校教員たちの意識改革の必要性は、もう40年以上も指摘され続けてきたのです。
 意識改革を阻む元凶は何かを明らかにし、その除去に勉めない限り、いくら文部科学省が「アクティブ・ラーニング」を掲げても効果はありません。私は十数年に及ぶ教委勤務を通して、元凶は高校教員のプライドにあると断定しています。高校教員は、小中の教員に比べて、自分たちは格上の存在だと考えています。そう考えるのも無理がない状況があります。
 元凶は教員採用です。教員採用はまずペーパーテストが行われるのが普通です。そこでは、教育法規なども問われますが、教科の内容に関するテストが行われます。いわゆる、物理や化学、歴史や地理などの親学問の知識に関するテストです。当然のことですが、高校教員の場合、この内容は高度であり、同じ歴史分野の問題でも、小学校教員と高校教員とでは、その難度は全く違います。
 私は教委勤務時代に、教員採用の問題作成委員を務めていたことがあります。小学校教員の採用試験の社会科の問題を作っていたのですが、鍵がかけられた作成室の中でちらっとみた高校教員採用問題は、私では合格できないと思われる内容でした。こうした問題をクリアし合格するのは、いわゆる偏差値の高い大学の出身者です。
 つまり、高校教員の多くは、自分自身が成績が良く、一流校を卒業してきたという自負をもっているのです。その自負をそのまま維持し続けるためには、自分と小学校の教員を区別するもの、「親学問」についての知識の豊富さに価値を置く態度をとり続けることがもっとも合目的的です。
 人はプライドなしでは生きられません。自分は優秀なんだ、というプライドを維持し続けるために、その鍵となる「親学問」の知識を磨き高めていくのです。意欲的な高校教員は、「学会」に参加し、自分の存在理由とも言うべき「親学問」について、さらに磨きをかけていきます。ですから、彼らからみればどうしても敵わない大学教官などの伍して、「自分の論文が学会誌に掲載された」というような出来事は、最大の慶事となります。実際、私も事務局として加わり、都教職員研修センターでスーパーティーチャー構想を検討したとき、高校出身の委員から出された選考基準案は、「学会誌の論文掲載数」でした。その発想に強い違和感を感じたことを今でも覚えています。
 そんな彼らにとって、板書の工夫だとか発問の工夫といった指導技術、生徒の学習状況の把握といった評価の在り方、興味関心を喚起する学習過程の研究などは、魅力がないのです。そんなことに力を注いでいる間に、同僚の教員の論文が学会誌に掲載されたりすれば、無駄なことに時間を費やしたという後悔だけが募るのです。
 こうして10年、15年と教員生活を送っていくうちに、生徒の理解、学ぶ喜び、などといったことは視野から消え、磨き高めた専門的な学問の知識の提供者としての講義に疑問を抱かなくなっていくのです。
 そして、世間もこうした高校教員の価値観を肯定していきます。教員の資質向上として、大学院卒を要件にしようという発想、宇学歴の親が一般的になり教員が尊敬されなくなったという指摘などは、まさしく良い教員=偏差値の高い大学出身教員という固定観念の賜なのですから。
 改善策は簡単です。教員採用試験において、模擬授業の占める比率を高くすることです。このことは小中学校の教員採用でも言われてきましたが、採用数の多い小中学校においては実現は難しいのです。しかし、高校教員の採用数は、最大の東京都でも、一教科十数人から数十人、教科によっては数人ということもあるのですから、一次試験で人数を絞った後、実施することは可能です。そこで「アクティブ・ラーニング」をさせればよいのです。できることならば、試験管は、教委が認定した「アクティブラーニング実践校」の教員とするのがよいでしょう。
 そうすれば、物理や化学の知識だけでは合格できなくなります。数年継続すれば、教職、授業に対する意識変革が進んでいくはずです。

 

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