ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「量」だけでは

2009-08-05 07:40:56 | Weblog
「質と量」8月3日
 専門編集委員山田孝男氏が、連載しているコラムの中で、民主党の行政改革について次のように書かれています。『官僚集団を的確に仕切れる議員が100人もいるだろうか。人事はあくまで人物だ。官僚主導を打ち破ろうと焦るあまり、人事は量、と勘違いしたかと心配になる』。政治における「質と量」の問題の指摘ですが、「質と量」が問題になるのは、政治の世界に限りません。
 少子化についての議論になると必ず出てくるのが、「子供が少なくなると、年金など社会保障制度を支える人がいなくなる」という主張です。でも、今の若者を見ていれば分かるとおり、親のすねをかじり、定職に就かず(就けない人もいるだろうが)、社会への帰属意識も貢献する気概も能力もない若者がいくら増えても、生活保護などの負担が増え、社会の足を引っ張る方が大きくなってしまいます。つまり、少子化と同じくらいに劣子化が問題なのです。
 そして、学校教育の世界にも、「質と量」の問題があります。少人数学級、習熟度別指導、少人数指導など、改革のた
めには教員の数を増やす必要があるものが少なくありません。少子化で子供が減るのだから、その分教員は余り、増員は必要ないという意見もありますが、団塊世代の大量退職、教員への風当たりの強さから勧奨退職者が増加していることなどを考えると、教員の確保が困難な時代になってくることが考えられます。現に、東京など大都市圏では、人事担当者が苦慮しています。
 しかし、ここでも、教員の「量」にばかり目を向けていると、「質」がおろそかになります。そして、教員の「質」の劣化は、学校教育を大きく蝕みます。例えば、1人の指導力不足教員がいるだけで、その学校は教育力を削がれてしまいます。その教員への指導、TT体制を組むなどの補助体制の構築、不満を訴える児童・生徒や保護者への対応、教委への連絡報告、指導力不足教員を支援する「団体」への対応などに校長を始め多くの教員が、時間と労力を費やすことになり、その結果、学校全体の教育力が低下するのです。そして、学校の教育力の低下は、児童・生徒の学力遅滞や問題行動の多発という形で噴き出し、対応でさらに教育力が低下するという悪循環に陥ってしまうのです。
 もちろん、「質」の問題に対応するために、教職大学院や免許更新制が創設されてはいます。しかし、たびたび指摘してきたとおり、教職の核心部である「授業力」の向上につながる内容とはなっていないように思われます。教員の質の向上について、より一層の論議が必要です。 
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