ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ついていけない

2017-10-07 07:37:29 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「伝える力」9月29日
 気仙沼ニッティング社長御手洗瑞子氏が、『表現すること・売ることが身近な時代』という表題でコラムを書かれていました。その中で御手洗氏は、『写真や文章をSNSに投稿すれば、簡単に友人や不特定多数の人に見てもらうことができる』と書き、『SNSを使う世代を中心に、これからどんどん「表現する力」や「伝える力」「商いの感覚」などが鍛えられていくのだろう』と予想なさっています。
 そうなのかもしれません。そう考える一方で、SNSで鍛えられる「表現力」「伝える力」とはどのようなものなのだろうか、それらは学校教育が目指す「表現力」「伝える力」と同じものなのだろうか、ということが気になりました。
 私も校内研修会などに呼ばれ、「表現力」を伸ばす指導の在り方について、講師を務めたことがありました。そうしたとき、まず、伝えたいと思う豊かな内容をもたせることが最も大切であること、多様な表現方法に触れさせ自分にあった、目的に適した方法を選択する機会を与えること、表現物を評価し評価される機会を設けること、などの話をしてきました。
 SNSでは、誰からも強制されることなく写真や文章を掲載するのですから、本人の中に「伝えたいこと」があるのだと思われます。SNS上の写真や文章はだれかの目に触れ、反応が返ってくるのですから、相互評価機能も備わっていると考えることが可能です。写真を加工することもできますし、写真と文章の組み合わせもできるわけですから、表現方法もある程度多様です。
 つまり、私が研修会で話してきた条件をクリアしていると言えます。でも、違和感が残るのです。それは、SNSにアップすること自体が目的となり、食事に行く店が味よりも見栄えで選ばれたり、写真を撮った後食べずに捨てられるモノがあったりするという事実が報じられるからです。寒い中、夜間プールに行き、お化粧が崩れるから泳がずに写真だけを撮る、という行為に共感できないのです。
 そこにあるのは、人間が本来もつ、身体の内側から吹き上げてくる「伝えたい」という思いではなく、「今日はまだ1枚もアップしていない」という焦燥感、「○○さんの写真よりもよい評価を得たい」という競争心、といった「不純」な動機であり、それは教育の場には相応しくないという感覚なのです。
 時代遅れなのでしょうか。

 

コメント
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