ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

競争or共生

2017-06-12 07:42:06 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「もう古い?」6月1日
 東洋大学国際学部教授横江公美氏が、『ミレニアル世代から学ぶ』という表題でコラムを書かれていました。その中で横江氏は、『自分の中に「グローバル社会=競争社会」という意識があることに気づいた』と述べられています。そして、ご自身との対比で、『ミレニアル世代と総称される若者』の意識との違いについて触れられていました。
 彼らに、『「グローバリゼーション」のイメージを聞くと、ほとんどが差別のない一つの地球』と答えるというのです。また、『社会からこぼれ落ちる人を作らないことが彼らにとっての重要な問題意識』であり、『競争から生じる不利益に目を向けている』というのです。つまり、横江氏とは異なり、グローバル社会=共生社会というイメージを描いているらしいのです。
 私は横江氏派です。グローバル社会は、国境を越えた激しい競争の社会であり、能力のある者は、目も眩むような高額の報酬を手にする一方で、能力のない者は、自己責任という名の下で貧困に耐えなければならないというイメージなのです。それは、個人の間だけではなく、企業と企業、国家と国家の間でも同じです。だからこそ、グローバル社会の到来を迎え、政府は競走に打ち勝つことができる人材の育成を目指し、企業間競争、国家間競争に打ち勝とうとしていると理解してきました。学校教育においては、その具体策が、先端技術開発で後れをとらないための理科教育振興であり、国際社会で伍していくことができる英語能力の向上だと考えてきたのです。
 さらに、一見すると無関係なようですが、学校選択制、特色ある学校づくり、教員の業績評価、全国一斉学力テストなどの政策も、学校教育への競争原理導入という趣旨は、グローバル社会=競争社会=競争の肯定という図式にあるとも考えてきました。つまり、グローバル社会と競争には親和性があるということです。
 しかし、グローバル社会が共生社会であるならば、このような私の捉え方は、根底から覆ります。そして、学校選択制や悉皆で行われてきた全国一斉学力テスト、教員の業績評価などの政策は、その意義を再度見直さなければいけないことになるのではないでしょうか。子供たちや保護者は、自分だけが「良い学校」を選んで進学するのではなく、仲間とみんなで自分の学校を「良い学校」に変えていくというように。教員は、自分の学級や学校が実績を上げることを目指すのではなく、地域全体、東京都全体、日本全体の教育の水準が向上するような発想をもって協力するというように。
 現在、多くの大人は、横江氏や私だけでなく、競争派が共生派よりも多いように思います。今の政府も企業も同じです。その常識をもう一度問い直してみたとき、教育政策の方向性も変わるような気がしています。

 

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