yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

知者は惑わず

2019-06-30 05:51:15 | 文学
「論語 子罕(しかん)篇 28」にある言葉を紹介します。

子曰、「知者不惑 仁者不憂 勇者不懼」

子曰ク、「知者ハ惑ワズ 仁者ハ憂エズ 勇者ハ懼(おそ)レズ」


孔子が言われました。「知恵のある人はあれこれ迷うことがない、仁徳のある人はくよくよと思い悩むことがない。勇気のある人は臆することがない。」

子供にもわかりやすい聖人像です。

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出郷(しゅっきょう)の作    佐野竹之助

2019-06-27 06:25:23 | 文学
幕末の志士、佐野竹之助(さの たけのすけ)の七言絶句を紹介します。

出郷の作

決然去國向天涯
生別又兼死別時
弟妹不知阿兄志
慇懃牽袖問帰期

 出郷ノ作
決然國ヲ去ツテ天涯ニ向カフ
生別又兼ヌ 死別ノ時
弟妹(ていまい)ハ知ラズ 阿兄(あけい)ノ志
慇懃袖ヲ牽(ひ)イテ 帰期ヲ問フ

「訳」

(国家百年の計を誤る姦賊井伊大老の暗殺を決行しようと、)断固心を決して水戸の国を立ち去り、遠い天の果ての江戸に向かう。(このたびの企ては成功しても万が一にも生還は期しがたい。)今日、家族の者と生きながら別れるが、これがまた死に別れを兼ね、今生の暇乞いとなるのである。幼い弟や妹は、それとも知らず、ねんごろに袖を引っ張り、「お兄さん、お帰りはいつですか」という。(この兄がいつものように帰ってくるものと思い、帰国の時期をたずねるのもいじらしく、これを思うと腸もちぎれるばかりである)


「鑑賞」

佐野竹之助は水戸藩士、徳川斉昭の家来。死を賭して大老暗殺の大事を決行せんとして、脱藩して郷里水戸を去る折、何事も知らない幼い弟妹に袖を引かれいつごろ帰るかを問われたときの断腸の思いを詠じました。竹之助は襲撃の時に受けた刀傷のため、その夜、21歳にて死没しました。享年21歳。詩は平易に詠じられていますが、転句と結句が秀逸に思われます。


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ひがみ 七訓

2019-06-24 06:18:47 | 文学
作者は不明ですが、「ひがみ七訓」というものがあります。

1.辛い事が多いのは、感謝を知らないから。
2.苦しい事が多いのは、自分に甘えがあるから。
3.悲しい事が多いのは、自分の事しか考えないから。
4.怒る事が多いのは、我がままだから。
5.心配する事が多いのは、今を懸命に生きていないから。
6.行きづまりが多いのは、自分が裸になれないから。
7.あせる事が多いのは、行動目的がないから。

趣旨には少し違和感があるものの、次のような「逆説ひがみ七訓」もあるということです。

1.辛い事が多いのは、感謝を知っているから。
2.苦しい事が多いのは、自分に厳しいから。
3.悲しい事が多いのは、相手の事しか考えないから。
4.怒る事が多いのは、相手のことばかり考えるから。
5.心配する事が多いのは、今を懸命に生きているから。
6.行きづまりが多いのは、自分が裸になれるから。
7.あせる事が多いのは、行動目的があるから。

こちらも十分に通用するように思われます。物事の原因は一面だけでは語られないのでしょう。





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名言 スティ-ブ・ジョブズ氏

2019-06-21 06:19:36 | 文化
アップル社のCEOとして知られていた故スティ-ブ・ジョブズ氏は、2015年のスタンフォ-ド大学の卒業式の式辞として、「死は生命の最高の発明者であり、古き者を消し去り、新しき者への道をひらく」と死生観を述べました。また、17歳の時に、“毎日を人生最後の日のように生きれば、間違いなく最高の人生を送れる”と聞き、それ以来33年間、私は毎朝鏡を覗き込んで、こう自問し続けた。“もし今日死ぬなら、今日やろうとしていることを本当にやるか?”「そして、その答えがNOである日が続いた時は、何かを変えなきゃいけないんだってわかったよ」ともジョブズ氏は語りました。彼の考え方は凄すぎて、ジョブズ氏以外には簡単に実行・継続できることではないかも知れません。しかし、ふとした時に自分に「万が一」があった時のことを考えることは、誰しもあるのではないでしょうか。
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奥床しい二番手

2019-06-18 06:54:17 | 文化
スポ-ツ記事は「一番でなけりゃ意味がない」というような価値観で動いているようですが、二番手もしくは敗者のほうが「人間的挫折感、いま一歩の残念感、恥ずかしさ、少しカゲのある栄光感」といった機微に富んでいて、一番よりはるかに「滋味深い」という観方があります。二番手や敗者には奥床しいとか味のある一面があるようです。

悲しみを乗り越えた人は、やさしいとか強いといった歌曲もあります。

 「人は悲しみが多いほど人にはやさしくなれる」 贈る言葉 武田鉄矢
 「涙の数だけ強くなれる」    TOMORROW       岡本真夜

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和を以って貴しと為す

2019-06-15 06:15:46 | 文学
「和を以って貴しと為す」は、お世話になった恩師の座右の銘でした。聖徳太子が制定した「十七条の憲法」にもありますが、出典は「論語」です。
「論語 学而十二」に、次のようにあります。

有子曰ク、禮ノ用ハ和ヲ貴シト為ス。先王ノ道モ斯レヲ美ト為ス。小大コレニ由ルモ行ナワザル所アリ。和ヲ知リテ和スレドモ禮ヲ以ツテコレヲ節セザレバ亦タ行ナワザルベカラズ。

 「訳」
有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。昔の聖王の道もそれでこそ立派であった。しかし、小事も大事もそれ(調和)に依りながら、うまくいかないこともある。調和を知って調和していても、礼でそこに折りめをつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ。」

  金谷 治 訳注 「論語」 岩波文庫
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公(おおやけ)

2019-06-12 06:14:39 | 文化
「公」(おおやけ)は「私」の反対語で、「おおやけ」の語源は「大きい宅」です。すなわち大きい邸宅を持つ者、皇居・朝廷や「お上」などで、それが発展して「公共」を意味します。日本人は伝統的に「お上」に従順であり、「公」が「私」に優先されてきました。そのためか、日本では外国から見ると奇跡といわれる程に汚職が少ないようです。
 一方、「公」を英語でいうとpublicですが、publicの語源に「人々」という意味があり、日本人が「公」を「お上」や「権力」と考えるのと、ニュアンスがやや異なります。
 近頃、「公」の一面である「正確な記録を残す」という点で、「公」がないがしろにされる傾向もあります。その理由として、ある歴史学者は、「近年、幼い頃から、身近な人にとっての損か得かで考える経済競争に染まっているからではないかと。それでは大局を見ることができなくなっている。ある意味、怖いこと」と警告しています。「政治や行政が小さな共同体での利益を図る、いわゆる忖度共同体に成り下がっている。ここだけが良ければいいという空気が今、漂い過ぎている」と言う識者もいます。

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羽生九段 1434勝 歴代最多勝数を達成

2019-06-09 06:24:44 | 将棋
将棋の羽生善治九段(48)は、6月6日の王位戦の対局で勝ち、公式戦の通算勝ち数を1434勝(591敗、2持将棋)として大山15世名人が1992年作った記録を27年ぶりに更新しました。
  歴代の通算勝数の上位者と比べて 勝率においても最高であることが素晴らしいと思われます。今後も一層の活躍をされることが期待されます。

  歴代通算勝数上位者の勝率
        
 羽生善治   0.708
 大山康晴   0.647
 加藤一二三  0.529
 谷川浩司   0.609
 中原誠    0.626

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ういろう(外郎)

2019-06-06 05:41:42 | 文化
外郎(ういろう)は甘さが控えめで柔らかく、量感もある上品な和菓子です。名古屋名産と思っていましたが、元祖は神奈川県小田原と最近知りました。
 外郎は本来、薬の名です。中国・元の国の「礼部員外郎」の職にあった陳氏(陳宗敬)が、室町時代の応安年間(1368~1374)に日本に渡来し、以後代々医を業として「外郎家」(在・小田原)と呼ばれ、「透頂香」などの薬を製しましたが、この「透頂香」が外郎と通称され普及しました。苦い薬と共に「ういろう」という甘い菓子が販売されました。薬商では、薬の材料として南方からサトウキビも輸入していました。株式会社ういろうの現社長は何と二十五代目で、「外郎藤右衛門」氏です。
 なお、江戸時代に市川團十郎が「外郎売」を歌舞伎十八番の一つとして演じた事から大いに有名になり、和菓子の外郎は爆発的に売れたということです。

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春夜喜雨 杜甫

2019-06-03 06:11:13 | 文学
盛唐の詩人、杜甫の五言律詩を紹介します。

 春夜喜雨

好雨知時節
当春乃発生
随風潜入夜
潤物細無声
野径雲倶黒
江船火独明
暁看紅湿処
花重錦官城

 春夜 雨ヲ喜ブ

好雨 時節ヲ知リ
春ニ当ツテ乃(すなわち)チ発生ス
風ニ随ツテ潜(ひそ)カニ夜ニ入リ
物ヲ潤シテ細ヤカニシテ声無シ
野径 雲ハ倶(とも)ニ黒ク
江船 火ハ独リ明ラカナリ
暁ニ紅(くれない)ノ湿(うるお)エル処ヲ看レバ
花ハ錦官城ニ重カラン
 
「訳」

よい雨は降るべき時節を知っており、春になると降りだして、万物が萌えはじめる。雨は風につれてひそかに夜まで降り続き、こまやかに音もたてずに万物を潤している。野の小道も雲と同じように真っ黒であり、川に浮かぶ船のいさり火だけが明るく見える。夜明けに、赤くしめりをおびたところを見るならば、それは錦官城に花がしっとりぬれて咲くいている姿なのだった。

「鑑賞」

35歳の杜甫は官を求めて都長安を出て放浪しましたが、48歳で四川省の成都に到り、浣花渓(かんかけい)のほとりに草堂を築いてしばしの安らぎを得ました。この詩は浣花草堂での春の雨をうたって、もの静かなうちにも喜びのあふれた作となっています。前半は春雨に育まれる自然を、後半は夜と翌朝の景をうたい、いさり火の一点の赤から紅の花びらへと拡散していく。詩句の中に「喜」の語は一つもないが錦官城(=成都)の町いっぱいに咲く花に目を細める姿が偲ばれます。

 石川忠久 「漢詩紀行」日本放送出版協会









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