yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

白眉

2018-07-31 05:49:37 | 文学
白眉とは文字通り、白い眉毛のことですが、数あるものの中で最もすぐれているものや人をいいます。由来を以下に述べます。

中国の三国時代、蜀の馬良や馬謖らの兄弟は、5人とも「常」の字がついていたので馬氏の五常といわれ、5人揃って才名がありましたが、その中でも四男の馬良が最も優れていて、彼の眉の中に白毛が混じっていたということです。それで『馬氏には5人の「常」がいるが白い眉の「常」が最も良い』ことから白眉という言葉がうまれました。この故事から、「馬氏の五常」といえば兄弟相並んで才名が高いものに例えられます。
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交番 自身番

2018-07-28 06:58:13 | 歴史
交番と自身番の話をまとめました。
明治時代の始め、日本にまだ交番がなかった時代。巡査たちは町の角々に交代でたたずんで「立ち番」をしていました。雨や風、夏の夕立や雷に悩まされました。やがて交代で番をするための建物が各地に造られるようになりました。それが交番であり、現代では、交番と駐在所をあわせて12000か所を上回るそうです。この交番制度は、ブラジルやインドネシアでも手本とされ、海外でも「KOBAN」の語が通用するとのことです。

さて、江戸時代の江戸の町には、現代の交番に似た自身番がありました。自身番は町人が
運営し、町奉行所の与力、同心、岡っ引きと連携して町の治安維持に役立っていたようです。
町内事務所、町内会所、消防団詰所、交番などの機能がありました。ここに詰めた番人は番太郎と呼ばれました。自身番には町の名前があり、例えば、三河町、真砂町、霜月町、田町などがあり、幕末(1850年)には994の番所がありました。

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夫婦別氏

2018-07-25 07:17:11 | 文化
近頃、夫婦別姓が話題になっています。2015年の最高裁判決では、「夫婦同姓は社会に定着しており、家族の姓を一つに定めることには合理性がある」としています。現在の日本ではそれが「普通」なのかも知れません。ただし、「夫婦同姓が古来変わらない日本の伝統」というのは当たっていないようです。
奈良時代、夫婦は同じ戸籍でも姓は別々でした。
明治時代の戸籍制度でも、1876年の太政官指令で、妻は「所生ノ氏」(実家の氏)を用いることとされました。夫婦同姓が公式に制度化されたのは、1898年の旧民法からです。つまり、日本古来の「伝統」というのは妥当ではなく、伝統といっても、せいぜい120年のことです。また、2015年10月6日付の参議院での政府答弁書には、「法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国」は我が国のほかには承知していない」と書かれているそうです。すなわち、夫婦同姓は日本古来の伝統とも言えないし、夫婦別姓は外国では当然のことのようです。

因みに、日本では姓の他に氏と言う概念もあります。氏とは、先祖を同じくする血族集団を指すようで、平氏や源氏、藤原氏などがそれです。平氏の場合「平の清盛」、源氏の場合は「源の義経」などと、姓と名前の間に「の」を付ける場合が多くあります。





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雅号「漱石」 由来

2018-07-22 06:04:39 | 文学
夏目漱石の雅号「漱石」の由来を紹介します。由来は有名ですが、「漱石」は中国の書籍「蒙求」にある次の故事によります。

秀才の誉れの高い孫楚という男が、隠遁を決意し、親友の王済に心境を語るに、俗世間を離れ自然に親しむという意の「枕石漱流」という言葉を、ひょいと間違えて「漱石枕流」といってしまった。王済はカラカラ笑って「流れに枕することはできぬ、石で口を漱ぐことはできぬ。そんなこっちゃ、隠遁なんて無理なことよ」といった。すかさず孫楚は、「流れに枕するのは耳
を洗うためであり、石に漱(くちすす)ぐのは歯を磨くためなんだ」と屁理屈をつけて反論したという。
そこから「枕流漱石」はへそ曲り、負けず嫌いという意味の諺に用いられるようになったもの。子規がはじめ号していたものを、漱石が譲りうけた。(中略)漱石は雅号をむしろ自嘲、韜晦(とうかい)、恐縮の感をもってつけていたと見られるから、漱石もつむじ曲りで負け惜しみの強かったおのれへの自省をこめて、子規からもらい受けたものであったにちがいない。

  半藤一利 「漱石先生ぞな、もし」 文春文庫









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「クリーン」を好む日本人

2018-07-19 06:14:02 | 文化
日本人は「クリ-ン」が好きです。
サッカ-の試合の後で、会場のごみを拾い、清潔にして帰る日本人の姿は、世界から称賛されています。
さかのぼって、江戸時代の江戸の街路も清潔であったらしく、スペイン総督やイギリスの外交官がそれを本国に報告しています。将軍や外交使節が通る町々には「街路を掃け」 「水を打て」とお触れが出たということです。
また、神社、仏閣など神域が清潔なことも、日本の誇りです。

日本人は清潔と共に清廉も好きです。権力者に汚職が少ない事も、世界の国々と比べて驚くほどではないでしょうか。

清潔、清廉の他に、手紙などには、清栄、清祥、清福の語が使われていますし、日本は清い国と言っていいのかも知れません。
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幾山河

2018-07-16 05:56:33 | 文学
幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく      牧水

若山牧水が詠んだ有名な短歌です。この歌について、歌人の大塚雅春氏は『秀歌鑑賞』の中で次のように述べています。

前衛風の歌を詠む現代の人達の中には、この歌を大衆短歌だと言って軽視する向きがかなりある。平坦に過ぎて思考の深さがないと言った歌人もいる。しかし、この見方が新しい短歌観だとは思えない。いい短歌に古いも新しいもない。万葉の昔から今日まで、短歌は一読してわかり、一読して心を打ち、一読して思わず口ずさみたくなる歌調をもったものが、人々に愛好されてきたのは事実であり、三十一文字の本当のよさは、やはりそこにあるのではないか。ともかく、牧水愛好者の原点は、この「幾山河」にあることはまちがいがない。戦前までは、日本人で「君が代」の歌を知らない人はなかったが、その次に知られていたのが、この歌だと言う。

因みに正岡子規も、歌は誰が見ても情景がすぐに浮かんでくるような写生短歌がいいと主張しています。

              『秀歌鑑賞』大塚雅春著   短歌新聞社 
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彰往考来

2018-07-13 05:46:04 | 文学
彰往考来(しょうおうこうらい)は、「春秋左氏傳」の序にある言葉です。往(むかし)ヲ彰(あら)ハシテ来ヲ考フと読みます。古を明らかにして未来を考えるという意味で、彰往察来、温故知新と似ています。徳川光圀(水戸黄門)が大日本史編纂を着手するにあたり、この言葉を含む彰考館を設立しました。大日本史は249年を費やして明治39年に完成した壮大な出版事業でした。助さん、格さんは、彰考館を起点にして日本中を旅して歴史資料を集めたという事です。

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感想戦

2018-07-10 06:04:02 | 将棋
将棋や囲碁では、勝負がついた後で、対局者が感想戦をする習慣があります。
「感想戦は負けた側のためにある」と佐藤天彦名人と羽生善治竜王が対決した第76期名人戦で、立会人を務めた森雉二氏が語ったそうです。
 こうした感想戦では、普通、勝者は敗者が口を開くのを待ち、敗者のペ-スでやりとりが続きます。負けた側の納得がゆくまで、そこに立ち現れるべきであった理路を二人で追究します。将棋界の慣例ではありますが、感想戦は敗者に対するおもいやりの精神により成り立っていると思います。
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整理 考

2018-07-07 06:55:25 | 文化
「整理」・「捨てる」は、近頃、大いに関心のあるテーマです。

捨てる時には、思い切って、狂ったように決断しないと成果があがりにくいようにも感じます。
この道の達人、近藤麻理恵氏によれば、「ときめきを感じない物は思い切って捨てる」「捨てる品には感謝を添えて」とあります。真に愛着のある物を捨てがたいのは当然です。私も大切にした物を止む無く捨てる場合には「ありがとう」と、感謝の言葉を言うことにしています。

一方、作家の五木寛之氏によれば、追憶のよすがとなる物は、ガラクタでも捨てることはないと言われます。私には心強いアドバイスに思われました。
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高所嫌い

2018-07-04 06:20:43 | 文化
世の中に高所が嫌いな人は多いようです。

タレントのタモリや、コロンボ警部(アメリカ・映画)もそうです。高所が嫌いなのは、ヒトの防衛本能からくるもので当たり前とのこと。

私も高所は嫌いで、飛行機やタワ-はできるだけ避けたいと思います。ただし、かつて登山が趣味の一つだった時があり、北アルプス・南アルプスの3000メ-トル峰を10座以上制覇したのを秘かに誇りにしています。
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