yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

民度

2020-06-30 06:01:28 | 文学
人民、国民を比較、評価する場合に使う言葉は色々あります。人口、GDP、所得、幸福度などは分かり易いのですが、品格、マナ-、公徳心、民度となると次第に分かりにくくなります。特に民度は定義があいまいな言葉です。
「広辞苑」によれば、民度は「人民の生活や文化の程度」とあります。英語では、
 Level of social manners です。

アジアの諸国と日本を比べて、「日本の民度が高い」というような使われ方
が過去には多かったようです。「自国以外の人達を能力の劣る下位に置くことにより、自らが高みにあることを表現する時に使われてきた」と、国文学者のロバ-ト・キャンベル氏は言います。一方、民度という語で、自他の違いを強調
すると、対話を閉ざしたり壁を作る恐れがあるようです。



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一隅を照らす 伝教大師

2020-06-27 05:58:52 | 文学
818年 伝教大師 最澄は、弟子に向けた天台宗門後継者の修行規定「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の冒頭に、「径寸十枚非国寶 照千一隅 此即国寶」(写真 下)と書きました。

「径寸十枚」とは金銀財宝などのことで、「一隅」とは今自分がいる場所や置かれた立場を指します。
お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
アフガニスタンに尽くした医師の中村哲氏も、「一隅を照らす」を人生の支えにしている語だということです。惜しくも銃弾に斃れてしまい、御逝去が悔やまれます。


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春夜喜雨 杜甫

2020-06-24 05:52:18 | 文学
盛唐の詩人、杜甫の五言律詩を紹介します。

 春夜喜雨

好雨知時節
当春乃発生
随風潜入夜
潤物細無声
野径雲倶黒
江船火独明
暁看紅湿処
花重錦官城

 春夜 雨ヲ喜ブ

好雨 時節ヲ知リ
春ニ当ツテ乃(すなわ)チ発生ス
風ニ随ツテ潜(ひそ)カニ夜ニ入リ
物ヲ潤シテ細ヤカニシテ声無シ
野径 雲ハ倶(とも)ニ黒ク
江船 火ハ独リ明ラカナリ
暁ニ紅(くれない)ノ湿(うるお)エル処ヲ看レバ
花ハ錦官城ニ重カラン
 
「訳」

よい雨は降るべき時節を知っており、春になると降りだして、万物が萌えはじめる。雨は風につれてひそかに夜まで降り続き、こまやかに音もたてずに万物を潤している。野の小道も雲と同じように真っ黒であり、川に浮かぶ船のいさり火だけが明るく見える。夜明けに、赤くしめりをおびたところを見るならば、それは錦官城に花がしっとりぬれて咲くいている姿なのだった。

「鑑賞」

35歳の杜甫は官を求めて都長安を出て放浪しましたが、48歳で四川省の成都に到り、浣花渓(かんかけい)のほとりに草堂を築いてしばしの安らぎを得ました。この詩は浣花草堂での春の雨をうたって、もの静かなうちにも喜びのあふれた作となっています。前半は春雨に育まれる自然を、後半は夜と翌朝の景をうたい、いさり火の一点の赤から紅の花びらへと拡散していく。詩句の中に「喜」の語は一つもないが錦官城(=成都)の町いっぱいに咲く花に目を細める姿が偲ばれます。

 石川忠久 「漢詩紀行」日本放送出版協会






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ピュシス、ロゴス、パトス

2020-06-21 06:47:46 | 文学
最近、「ピュシス」という馴染みの少なかった語に出会いました。これは、ギリシャ語で、一言でいうと意味は「自然」のこと。
 コロナ・ウイルスは、ピュシスの一部であり、ロゴス(論理)をもって、撲滅を図ることはできない。コロナ・ウイルスと人間は動的な平衡を保ちつつ永く付き合うしかないだろうと、識者は言います。
ギリシャ初期の哲学者が、ミュトス(伝説・伝承)的世界観を脱却して、もののありのままの真実を記述し、ものの変化を支配する根本原理を研究した時、
これをピュシスと呼びました。ラテン語のnaturaと同義で、自然、宇宙、本姓、本質を意味します。
 ピュシスからの派生語にphysical(物質の、肉体の)、physics(物理学)があります。
また、ピュシスの対義語であるロゴスは、論理、言語、理性、思想、理論などを意味します。派生語にはlogic(論理)があります。
また、パトスは、アリストテレスの「倫理」にある語であり、欲情、怒り、恐怖、喜び、憎しみ、哀しみなどの感情、情念を意味します。派生語には、passion(熱情)があります。






              
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枕、枕詞

2020-06-18 06:03:14 | 文学
落語には、本編に入る前にまくら(枕)という話があります。落語を聞きやすくするために重要な前置になっています。文章にも「まくら」があります。序文、序言、緒言、前書などです。小説においても、前置や発端という意味でプロロ-グがあります。また、日本語には枕詞という美しく雅な修飾語があり、短歌に頻用されます。次にその例を示します。

「飛ぶ鳥の」は→明日香と使用されます。
   天武天皇の御代に朱い雉が献上された吉兆を慶ばれて、年号が朱鳥に
   改元され、大宮を「飛鳥浄御原(あすかきよみはら)の宮」と名付けられました。
「細波の(さざなみの)」→志賀
「青丹よし(あをによし)」→奈良
「神風の(かみかぜの)」→伊勢
「水篶刈(みすずかる)」→信濃
     信濃は篠竹(しのたけ)の産地であったことによります。
「武士の(もののふの)」→ 八十、矢
 文武官の氏の数が多いことによります。
「唐衣(からごろも)」→着る
「ぬばたまの」→夜



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ヤン・ヨ-ステン と 三浦按針

2020-06-15 05:44:38 | 歴史
ヤン・ヨ-ステンと三浦按針(みうらあんじん)は、1600年、オランダの船、リ-フデ号で豊後に漂着しました。ヤン・ヨ-ステン(1556?~1623)はオランダ人ですが、徳川家康の信頼を受けて、東南アジアとの貿易、御朱印貿易で活躍して旗本に取りたてられ、八重洲河岸に屋敷を与えられました。これが、現在の八重洲の地名の由来になりました。日本名は耶楊子(やようす)と言います。
一方、三浦按針(1564~1620)は本名、ウイリアム・アダムスというイギリス人ですが、徳川家康の外交顧問として活躍し、やはり旗本に取り立てられました。日本に航海術や造船術を伝えました。「三浦按針」という名前の由来は、領地が三浦郡逸見村(現在の横須賀市)にあったこと、按針とは水先案内人を意味することにあります。今年は按針没後400年となります。

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夕焼け小焼け

2020-06-12 06:13:31 | 文学
唱歌「夕焼け小焼け」は、1919年(大正8年)に発表された中村雨紅の詞に、草川信が1923年(大正12年)に曲をつけた童謡です。今日まで約100年の間歌い継がれてきました。中村雨紅(なかむら うこう、1897~1972)は八王子市、恩方出身の詩人で、草川信(くさかわ しん、1893~1948)は長野市出身の作曲家です。

夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘がなる
おててつないでみなかえろ
からすといっしょにかえりましょ

子供がかえったあとからは
まるい大きなお月さま
小鳥が夢を見るころは
空にはきらきら金の星

東京第三日暮里小学校の教師をしていた雨紅は大正8年(1919)の夏休み、恩方の生家に帰省する時、八王子駅から実家まで続く陣馬街道16キロの道を歩きました。そのとき暮れ六つを知らせる寺の鐘の音を聞き、西の小仏や陣馬の夕焼けの山々に帰る烏の群を目にしました。雨紅はこれに哀感を感じ、また、幼いころへの郷愁も加わってこの詞になったのでしょう。

鐘の寺の本家争い:
雨紅が聞いた鐘はどの寺の鐘だったのでしょうか。八王子の3寺院が本家を主張しています。下恩方の観栖寺、八王子の室生寺、上恩方の興慶寺です。
また、作曲者の草川信は、郷里の善光寺を意識したそうです。
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東郷平八郎の書

2020-06-09 05:59:49 | 歴史
日露戦争・日本海海戦の将、東郷平八郎の書が、テレビの「何でも鑑定団」に出品されました。不肖には、簡潔明瞭、上品な名品に見えました。(写真下)

 思ふ事世につらぬくも玉の緒のまことを尽くすこころなりけり
     
              平八郎


とあります。
軍人らしく、思うことを貫いて生きる気持ちを率直に表しています。
下に描かれた絵は、「如意宝珠」というもので、一切の願いが思うままに叶うというめでたい図柄だそうです。下の横線は花押とのことです。



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珍姓 稀姓

2020-06-06 06:35:12 | 文学
日本人の姓は多種多様であり、中には驚かされる稀姓・珍姓があります。

   小鳥遊(たかなし)  和歌山県 (鷹がいないと小鳥が遊べる事から)
  四月一日(わたぬき) 富山県  (この頃、冬物の綿入れを脱いで、夏物の袷に衣替えする)
  八月一日(ほずみ)  群馬県 (八月一日に稲穂を積む)
  十二月一日(しわすだ)    埼玉県に、この地名があります。
  薬袋(みない)    山梨県 (薬袋は見てはならない)
  栗花落(つゆり)   大阪府 (梅雨入りの頃に栗の花が落ちる)
  月見里(やまなし)  山梨県 (月を見るのには、山が無いほうがいい)
  毒島(ぶすじま)   群馬県 (トリカブトを栽培、管理する職)








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方丈記

2020-06-03 06:21:29 | 文学
鴨長明が鎌倉時代に書いた「方丈記」は、「枕草子」「徒然草」とならぶ名作です。鴨長明が生きた時代は戦乱や貧困のために世は無常であったと思われますが、現代も災害が多く、明日は何が起こるか予測し難い時代になりました。下記は、「方丈記」の有名な書き出しです。

ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年焼けて今年作れり、或は大家亡びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰が爲にか心を惱まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖と、無常を争ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕(ゆうべ)を待つ事なし。

「方丈記 日本古典文學体系」岩波書店

              



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