yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

大道廃れて仁義あり 老子 道徳経

2023-05-29 06:11:34 | 文学
老子が著したといわれる約5000字からなる道徳経にある文を紹介します。

 大道廃れて仁義有り
 知恵出でて、大偽有り
 六親和せずして、孝慈有り
 国家昏乱して、忠臣有り
 
 「訳」
 無為自然の大いなる道が廃れたので、仁義という概念が生まれた。
 悪知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
 親兄弟や夫婦の仲が悪くなると孝行者の存在が目立つようになる。
 国家が乱れてくると忠臣の存在が目立つようになる。

「解説」
 老子の思想は「人の手を加えないで、何もせずにあるがままにまかせること」を理想とする「無為自然」の考え方でした。これは仁義を重んじる儒教の考え方とは異なります。「大道廃れて仁義有」では、「無為自然の生き方が廃れてしまったからこそ人為的な道徳が説かれるようになってしまった」として、仁義を否定する見解が述べられています。
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江南の春 杜牧                                                  

2023-05-26 06:21:09 | 文学
  晩唐の詩人、杜牧の「江南の春」、漢詩の中で特に好きな詩です。


江南春    

千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中

千里鶯啼イテ緑紅ニ映ズ
水村山郭酒旗ノ風
南朝四百八十(しん)寺
多少ノ楼台煙雨ノ中(うち)

「訳」
広々とつらなる平野のあちこち、うぐいすの声が聞こえ、
木々の緑が花の紅と映じ合っている。水べの村や山ぞいの村では、酒屋のめじるしの旗がなびいている。
一方、都の金陵には、南朝以来の寺院がたくさんたち並び、その楼台が春雨の中に煙っている。

 「鑑賞」
杜牧は青春の時代に江南にあって、行政府の幕僚として過ごしました。
四百八十寺」の十は平仄の規定から「シン」と読むことになっています。
この詩は詩吟としてもよく吟じられています。詩柄が雄大です。

石川忠久 「NHK漢詩紀行」 日本放送出版協会

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静夜思 考

2023-05-23 06:21:13 | 文学
「静夜思」は、盛唐の詩人、李白の名詩ですが、種々の原典があり、中国で知られている詩はタイトルも文言も異なると聞き、驚きました。

    「静夜思」は李白31歳(731年)安陸(湖北省安陸県)での作です。

       静夜思
      
      牀前看月光
      疑是地上霜
     擧頭望山月
      低頭思故郷

       「読み方」

      牀前月光ヲ看ル
      疑ゴウラクハ是レ地上ノ霜カト
      頭(こうべ)ヲ擧(あ)ゲテ山月ヲ望ミ
      頭ヲ低(た)レテ故郷ヲ思フ

       「訳」

    秋の静かな夜ふけ、寝台の前に月の光がさし込んでいる。あまりにも白いので
    地上に降った霜かと疑ったほどであった。光をたどって頭をあげてみると、
    山の端に明月がかかっている。その明月を眺めるうち、故郷のことがふと思いおこされ、知らず知らず首をうなだれて、しみじみ望郷の念にひたったことである。
    楽府題であり、石川忠久先生は『李太白集』から採ったとされています。
    日本の一般の教科書は、明(みん)時代に成立した『唐詩選』から採られたもので江戸時代に爆発的に流行し、今日に至っています。『唐詩選』は偽書という説もあり、近頃、評価が低下しています。
     
    ところで、中国では、静夜思とは別の詩が定着しているそうです・
       
        
       夜思

    床前明月光
      疑是地上霜
     擧頭望明月
      低頭思故郷
  
    李白の「静夜思」とはタイトルと文言が異なりますが、中国ではこの詩が良とされているそうです。これは清(しん)時代、孫洙(そんしゅ)が編纂した『唐詩三百首』から採られています。

     なお、慣れと思い込みがあるかも知れませんが、不肖は「静夜思」のほうが格上だと思います。谷崎潤一郎氏も中国文学の井波律子氏も「静夜思」を激賞しています。谷崎潤一郎氏は、この詩には「永遠の美しさがある」と言い、井波律子氏は「極めつきの名詩」と言いました。


     三村公二 「學士會報、漢詩 跋文」No.960,2023-Ⅲ
     石川忠久「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」日本吟剣詩舞振興会
     井波律子 「中国名詩集」 岩波書店


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捨てない生き方

2023-05-20 06:23:42 | 文化
 近頃、一般的には、「断、捨、離」を善とする風潮がありますが、作家の
五木寛之氏は、「捨てない生きかた」という著書の中で、物を「捨てない人生」の意義を説いておられ、共感するところが多々ありました。五木氏は次のように書いています。

ぼくはひねくれた人間です。流行に逆らうことにひそかな生き甲斐を感じてきたようなところがあります。表面的には時流に追従しているふりをして、心のなかではそれを演じている自分を面白がっている、そんなねじれた子供でした。
いまもその性格のねじれは、改まるどころか年とともに強まってきたらしい。
「不要不急」という表現に、おや、と思うのです。
必要を満たすだけで、人は生きていけるのでしょうか。
そもそもこの地球において、私たち人間こそが「不要不急」な存在なのではないか。
しかし、不要不急な人間にも生きる意味があるとすれば、不要不急なモノたちにも断捨離されない理由があるはずです。
・・・・・中略・・・・・

「捨てない生き方」も悪くない。
手に入れるのに苦労したとしても、たやすく手に入ったとしても、いまそこにあるモノには、手に入れた時の感情と風景、そして数年、数十年とともに時を過ごしてきた(記憶)が宿っています。
捨てるな、とはけっして言いません。しかし、モノをどうしても捨てられない生き方ということには、素敵な道理がちゃんとあるということを知っておいていただきたいのです。

また氏は、テレビで記者のインタビュ-に応えて次のような話をされました。

この中に袋が入っているんですが、黒いこう米粒みたいなものが入っています。これ、私が非常に親しくしていたある学者の方が、インドの「祇園精舎」の発掘を何年もおやりになっていてね。その発掘現場で、なんかズボンの裾に入り込んできて帰国して洋服をハンガ-に吊るそうと思ったらバラバラこぼれてきたっていう。それを分けてくださったんですけれども。2500年くらい前の米だっていうんですよ。一粒食べれば10年寿命が延びる、なんていうご利益があるかもしれないけれど。いずれにしても「祇園精舎」ってものがあった頃にその時代の人達が調理をして、あるいはストックしていたものが、地中に埋まって今こう出てきたっていうね。ロマンがあってね、面白いんですよ。その頃の人のことを思い出したり、自分がその時の人間だったらどうだったんだろうなって考えたりね、いろんなことがあってね。

不肖も、もし祇園精舎の米を入手できたら大事にするだろうと思いました。

五木寛之「捨てない生き方」マガジンハウス
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同田貫

2023-05-17 06:23:18 | 歴史
  同田貫(どうたぬき)といっても狸の一種ではなくて、日本刀の名品のことで、時代劇や漫画などで大変人気のある刀の名前です。
 一般に日本刀の産地は五箇伝といわれる、大和(奈良)、山城(京都)、備州(岡山)、相模(相州・神奈川)、美濃(岐阜)が有名で、美術品としても価値があり、海外でも高く評価されています。同田貫は、九州の肥後(熊本)北部を支配していた菊池氏のお抱え刀工として山城国より招いた来派の分派が作った刀です。胴田貫とも書きます。田んぼに横たえた死体を試し切りすれば、胴を抜けて下の田んぼまで切り裂くことができるという由来があり、この字が当てられました。同田貫は質実な刀で、美術品としての価値は高くないのですが、剛直な刀であり、時代劇への登場は下記のようにまことに多く、剛刀、同田貫無くして時代劇は成立しない程です。悪を懲らす正義の刃として登場します。

荒野の素浪人:三船敏郎演じる「峠九十郎」の差料が同田貫です。
子連れ狼:北大路欣也演じる「拝一刀」の愛刀が胴田貫です。
お鑓拝借:竹中直人演じる「赤目小藤次」の愛刀も同田貫
破れ傘刀舟悪人狩り:萬屋錦之助演じる主人公「叶刀舟」の愛刀も
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無用の用

2023-05-13 06:23:34 | 文学
マス・メディアに無用の用に関する記事がありました。

「三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。其の無に當って、 車の用有り」

   「三十本の輻(や)が、車輪の中心(轂 こしき)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。」おなじように、土の器も、家の戸口や窓も、空いていることに意味がある。何ごとも物あっての利益(りやく)だが、その有用性の意味はこの何もないところにあると。人の心も同じ。

   小川環樹 訳註 「老子 上篇十一章」より

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山号 寺号

2023-05-11 06:13:55 | 文化
昔、寺院はよく山頂にあったので、寺院の別称に山名を使います。
       それが山号です。浅草の観音様は金龍山浅草寺、上野の寛永寺は東叡
         山寛永寺、成田山新勝寺、延暦寺は比叡山延暦寺、高野山金剛峯寺、巨福山建長寺、乙羽山清水寺、龍宝山大徳寺、高尾山神護寺、栂尾山高山寺、黄檗山万福寺、宝珠山立石寺(山形)、萬松山泉岳寺、松岡山東慶寺 (鎌倉)、身延山久遠寺、少林山達磨寺(高崎)、乾徳山恵林寺(甲州)拙宅の近隣には、海上山千葉寺、名刹の坂尾山栄福寺があります。
   
         また、落語の「大喜利のお題」にも滑稽な山号寺号(さんごう じごう)
があります。

おかみさん 拭きそうじ
            看護婦さん 赤十字
車屋さん  広小路
           自動車屋さん ガレ-ジ
           時計屋さん 今何時
           肉屋さん ソ-セ-ジ
           お医者さん イボ痔
           清子さん 水前寺
           南無三 し損じ

    

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剛毅木訥 仁に近し  

2023-05-08 06:17:40 | 文学
儒教では仁を大切にしています。仁者、仁術、仁義、仁愛、仁慈、仁徳、仁政、仁代、仁世、仁王、仁恩、仁君、仁將、仁傑、仁道、仁侠という語もありますが、仁は他人をいつくしむ、思いやるという意味であり、中国と日本では、とても尊重されています。「論語」の中に、仁を述べた語句があります。

「剛毅木訥 仁に近し」は「論語・巻第七・子路第十三」二七にある言葉です。
例えば、奈良のある宮大工は次のように言うそうです。「頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。」器用な人は苦もなく先に進んでゆけるので、往々にして「本当のものをつかまないうちに作業を終えてしまう。反対に不器用な人は「とことんやらないと得心ができない」から、要所を疎かにせずに熟達すると。

また、次の言葉もあります。
子曰く「巧言令色 鮮矣(すくないかな)仁」は、「論語 巻第一 学而第一」 三にある言葉です。
先生はいわれた。「言葉上手と顔良しには、仁徳はほとんど無いものである。」
  
  鷲田清一 「折々のことば」朝日新聞
  金谷治 訳註 「論語」岩波文庫 
 

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薫風通ふ春五月

2023-05-05 06:26:02 | 文学
宇田博氏は、今の時期にぴったりの名句「薫風通う春五月」とよくぞ言ってくれました。
 「薫風通ふ春五月」は旅順高等学校の最初の寮歌です。作詞は「北帰行」も作った故・宇田博氏です。今の季節に合う題名です。「紅萌ゆる丘の花」や「春爛漫の花の色」などと共通する伝統の寮歌の気分が感じられます。

 薫風通ふ春五月

 父祖奮戦の地に立てば
 肉弾の跡 草萌えて
 楊柳岸に陰淡く
 渤海湾の波青し
 旅順の海に船をやり
すずろに夢の櫓を漕げば
異郷の空に日が暮れて
陰茫々の海遠く
おお故郷の宵の星
異郷の日  (以下略)

戦時下らしい歌詞です。旅順高等学校を去った自由人、宇田氏は、この後、東京に帰り、東大文学部を卒業して東京放送に勤務し、1995年に73歳で永眠しました。葬儀には「北帰行」と「薫風通ふ春五月」が、くり返し演奏されたそうです。

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徳川慶喜公の書         

2023-05-02 06:21:57 | 文化
先日、テレビ番組「開運なんでも鑑定団」に徳川慶喜公の書が出品されま
した。(写真 下)真筆、150万円と鑑定されました。幕末から明治にかけ  ては、書の世界でも大きく変わった時期。ところが十五代将軍慶喜公は江戸の書を習ってきており、古いスタイルの字ですが、実に巧みに書いている名品と、鑑定士が賞讃していました。

この書は、徳川光圀公が編纂に着手した大著、「大日本史」の序文の中の一節、「西山公語録」です。

 不有載籍虞夏之文不可得而見
不由史筆何以俾後之人有
所観感
           西山公語録     慶喜
 
 「読み方」
 
載籍有ラズンバ虞夏(ぐか)之文ヲ得テ見ルコト出来ズ
史筆ニ由(よ)ラズンバ何ヲ以(も)ツテ俾後(ひご)之人有ランヤ

観テ感ズル所


     書物が無ければ、中国古代の聖帝、舜禹(しゅんう)の事績を知ることができようか。歴史書が無ければ、後世の者が故人に感動することもないであろう。

     見て感ずる所。

徳川光圀語録(西山は徳川光圀公の号)       徳川慶喜


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