yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

「あほ」と「ばか」

2023-08-30 05:52:16 | 文化
関東弁で「ばか、好きにきまってるよ」を、兵庫弁で言うと
「あほ、好きにきまってるやねん」(女優、有村架純さん)

関東弁は、喧嘩を売っているように聞こえます。これに比べて兵庫弁は軟らかく聞こえます。
「好きだよ」は、北九州弁だと「好いと-よ」となるそうですが、これはまた誠に情感が籠もっています。

関西では「うるさい」より「やかましい」と言うそうです。店で騒いでいると、大阪では臨席から「やかましいなあ」の声。が、そういう席のほうが実はやかましい。そして双方ますますにぎやかになる。京都の店では「お元気でよろしいな」の声。しかし顰蹙を買っているとはすぐには気づかない。その場限り、後に引かないのが大阪流。後でじんわり効いてくるのが京都流。ご近所なのに大差です。

あのまだるっこいような、圭角のとれた関西弁は、「論争」や「処断」に使う言葉ではなく、「話し合い」「座談」の時の言葉です。私には、関西弁は、やわらかく、洗練された言葉のようにも聞こえます。




   
 
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慶應義塾塾歌

2023-08-27 05:49:52 | 文化
この夏の甲子園での第105回全国高校野球選手権記念大会において、慶應義塾高校が107年振りに2度目の優勝を果しました。御祝い申し上げます。そして慶應高校が勝つ度にこの塾歌が5回、甲子園に流れました。
校歌には連帯感と団結を強め、気持ちを高揚させる良い歌が多いですが、特に慶応義塾の塾歌は格調が高く、旋律もすばらしいと思います。ご承知の通り慶応義塾は、福沢諭吉が1858年に築地の鉄砲洲にあった、中津藩の中屋敷内に開いた「蘭学塾」を起源としています。1868年(慶応4年)に芝の新銭座に移転し、「慶応義塾」と改称して今日に至っており、2008年には150周年を迎えました。神宮球場にもよく鳴り響いたその塾歌を以下に紹介します。
    
一、
見よ
風に鳴る わが旗を 新潮(にいじお)寄するあかつきの
嵐の中に はためきて 文化の護りたからかに
貫き樹(た)てし 誇りあり
樹てんかな この旗を
強く雄々しく樹てんかな
ああ わが義塾
慶応 慶応 慶応

二、
 往け
限りなきこの道を 究めていよよ 遠くとも
わが手に執れる 炬火(かがりび)は 叡智の光 あきらかに
ゆくて正しく照らすなり
往かんかな この道を
遠く遙けく 往かんかな
ああ わが義塾
慶応 慶応 慶応
 
    三、
   起て、日はめぐる丘の上
春秋(はるあき)ふかめ 揺ぎなき 学びの城を 承け嗣ぎて
執る筆かざす わが額(ぬか)の 徴章(しるし)の誉 世に布かん
生きんかな この丘に 
高く新たに 生きんかな
ああ わが義塾
慶応 慶応 慶応

旧い塾歌を改めて、上記の塾歌が昭和15年11月に富田正文作詞、信時清作曲  で作られました。慶應義塾の学歌ともいうべき歌であり、厳粛に扱われています。応援の際には、直立不動で歌うことと決められており、また決して飲み会で歌ってはいけない歌だそうです。今でも学生と卒業生に愛されていて、事あるごとに歌われています。
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千日手

2023-08-24 05:48:45 | 将棋
将棋には千日手という特別のル-ル(状態)があります。囲碁などの他のゲ-ムにはこれに似たル-ルがないようなので、将棋独特のル-ルのようです。

将棋の対局において、駒の配置、両対局者の持ち駒の種類や数、手番が全く同じ状態が1局中に4回現れると千日手となります。千日手となった場合はその勝負をなかったことにします。公式戦では30分の休憩後、先手と後手を入れ替えて最初から指し直しとなります。指し直し前の両対局者の各残り時間がそのまま持時間となり、持時間が少ない方の持時間が60分になるように、両対局者に同じ持時間を加えます。持時間が60分以下の棋戦では、その棋戦の実行規定に委ねられ、初めの持時間を越えて加算することはありません。再度、千日手になった場合も同様の処理をします。なお、千日手局は、タイトル戦を除いて通常の1局とは数えません。

近年、藤井七冠と強豪の対局において、よく千日手が生じています。プロの公式戦で  は約2パ-セントの確率で千日手があるそうです。後手番の人から見て千日手が成立すると先手番に変更になります。そこで、後手番の戦術の一つとして千日手に誘導する戦術もあるようです。
なお、若手の棋士は千日手局に頓着しないようです。勝負第一。嘗て大山名人は千日手を大いに嫌いました。千日手が成立するまでに要した時間と手間は無駄になるのですから、合理性、実用性を重視した大山名人の態度もよく理解できます。一方、引退された加藤一二三九段は、理知的、理論的であり、「千日手は将棋のセ-ルスポイント」だと主張されます。「対局している双方が、その局面、局面で最善手を指し、秘術を尽した結果として千日手になるのだから、とても立派な行動をしていると判定される」という見解のようです。
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詩経の心

2023-08-21 05:48:34 | 文学
  ある歌人が講義の中で詩歌を詠む心得を「論語」を引用して述べました。「論語」の「為政篇」に「子曰ク、詩三百、一言以ツテ之ヲ蔽フ、曰ク思ヒ邪無シ」とありますが、これは「詩経の三百篇をただ一言で包みこめば思いに邪(よこしま)がないこと」を意味します。即ち「純な心で詠む大切さ」を作歌の心得とするようにと教えたそうです。
紀元前に中国で書かれた「詩経」「論語」を含む四書五経は後世に伝わり、朝鮮、日本など中国周辺の国家の倫理道徳の形成に多大な影響を与えました。このように、中国三千年の倫理道徳の古典が、今なお私共の心に受け継がれているのです。経済的に超大国となった中国の指導者層は、これらの尊い文化遺産の価値を深く認識し、誇りを持って、邪な思いの無い大国としての役割を果して欲しいものと思います。


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「戦い」の表現

2023-08-18 05:51:43 | 歴史
「戦い」や事件を表現する言葉は多様です。
「役」「乱」「変」「寇」「戦」「戦争」「事件」などがあります。
「役」 民衆を徴集して兵として権力者が戦う戦、上から目線の表現です。
        前九年の役(1051~62)、後三年の役(1086~1088)
        文禄・慶長の役(1592~1597)

「乱」  戦により世の中がみだれることからこのように称するようです。
やはり上から目線の表現です。
        保元の乱(1850~1901)
        平治の乱(1159)
        応仁の乱(1467~1477)
「変」  乱と似ていますが、意外性や驚愕が感じられる表現です。
        承久の変(1221)
        本能寺の変(1582)
「寇」  外国に侵攻する戦いです。元寇、和冦
「戦」 普通の表現ですから、よく使われてます。
白村江(はくすきのえ、663)の戦
        桶狭間の戦(1560)
        川中島の戦(1553~1564)
        長篠の戦(1575)
        関ヶ原の戦 (1600)
「事件」一般的な表現ですから広く使われます
             元禄赤穂事件 (1701) 四十七士の討ち入り
             池田屋事件(1864)
             寺田屋事件(1862)
 たかが、戦の表現ですが、豊臣秀吉が朝鮮を攻めた文禄・慶長の役は、朝鮮側から見ると
 日本の侵略であり、朝鮮では、自国の年号を用いて「壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱」といわれているそうです。
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光岳小屋

2023-08-15 05:59:49 | 文化
不肖は学生時代、友人6人と南アルプス南部の高山を縦走しましたが、最後の目的地が光岳でした。標高2592メ-トルの高山で、「てかりだけ」と読みます。地味な山でしたが山頂の下に山小屋があり一泊しました。光岳を直接目指す場合は、長野県の易老渡(いろうど)登山口から急坂を徒歩10時間登る厳しい行程です。
ところで近頃、この小屋の主人が40年振りに替わり、女性の小宮山花さんという方になりました。彼女は「絶望のテカリ」と言われていた汚名を返上して注目されているようです。ソ-ラ-パネルと蓄電池で化石燃料を使わないエコハウス(写真 下)を作ったのです。食器洗いと入浴用の温水はこの太陽熱温水器を使用し、現在は食事もあるし、ベッドもあるということです。
台風被害により小屋に至る林道が一時、閉鎖されるアクシデントがありましたが、今年も営業をするようです。



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五段梯子 長岡藩旗

2023-08-12 05:55:15 | 歴史
不肖が通った高校(元・長岡中学)の第二校歌は堀口大学が作詞しました。
「翳すゆかりの三葉柏(みつばかし) みなもととおき わが藩の高きこころを新しく」と歌い出す古風な歌です。三葉柏は長岡藩主、牧野家の家紋ですが、その他に五段梯子という藩旗(下 写真)があり、戊辰戦争においては藩士は、この藩旗をかかげて西軍と戦いました。この五段梯子について司馬遼太郎は「峠」の中に、次のように書いています。

牧野家の兵はこの梯子の紋章を袖印にして戦場に出る。めずらしい紋章である。源平のころの牧野家の祖、阿波の田口氏の時代からすでにこれを用いていたという。とにかく梯子という道具はめでたがられる。「高きにのぼる」ということで縁起物とされてきた。もっとも江戸城の口のわるい茶坊主などは、「なんのめでたいことがあるものか。梯子は高きにのぼるというが、高きから落ちるということもあろうよ」と、かげ口をいっていた。なるほど阿波・田口氏のむかしから牧野家は登っては落ち、登っては落ちの数奇な家運の連続で、登りっぱなしにのぼったのは徳川三百年のあいだだけであった。牧野家は、徳川十七将の一人であり、老中を勤める家柄でした。
 
    この司馬遼太郎の説とは別に、五段梯子の由来を調べました。時は戦国時代、敵に追われていた牧野の殿様は、領民の納屋に匿ってもらいました。その領民は機転をきかせて、まるで何もなかったように納屋に梯子を立てかけておきました。敵の追手はこれを見て、「何もないだろう」と見事騙され、殿様は無事に逃れきったのです。領民は殿様を差し出せば褒賞をもらえた筈なのにそうはしませんでした。殿様はこのことを忘れず、今まで以上に領民を大切にすることを決意し、五段梯子を藩旗にしました。
 
       司馬遼太郎「峠 前編」 新潮社


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 数学研究の意味

2023-08-09 05:51:26 | 科学
世に数学の難問は色々あります。円周率を何桁も求めること、巨大素数を  
   求めることなどで、人類は今も挑戦を続けています。コンピュ-タ-の進歩により、円周率は100兆桁、巨大素数は2342万9425桁まで求められました。
   これを上回る巨大素数を求めると、10万ドルの懸賞金を与えるという人まで現れています。
    ところで、これらを求めて何の役に立つのかという疑問も湧いてきます。巨大素数は現代の文明を支えている情報技術分野で暗号の生成に必要なのだそうです。
また、難しい数学の難問を解いている時に、ふと疑問も湧いてきます。
     何でこんなことをやらねばならないのか、将来一体、役に立つのであろうかと。

     数学者の藤原正彦氏は、「数学者の言葉では」という著書の中に下記のこと を書いています。
      「役に立たない」というのは、「価値がないということではない」と、した上で、狡猾な答であるかも、と慎重です。「価値がないということではない」ということは、価値がないことを否定しているだけで、価値があるとは言っていません。価値があると言い切ってしまうと「どんな価値があるのか」という新たな追求が始まるでしょう。さらには「価値とは何ぞや」という難しいことにも発展しそうです。故に、あいまいな言葉で妥協を計っている狡猾な答だと、氏は謙遜されています。
フランスの有名な数学者、ポアンカレ-は、「真理の探究こそが人類の目標である。数学はそれを達成する手段の一つである」と、喝破しています。単純明快な答です。
       不肖は以下のように考えています。数学の勉強は論理的思考方法を身につける修練の場である。現に数学研究の進化は、物理学・工学・化学の進歩の基盤となっています。
       アインシュタインの相対性理論は、リ-マン幾何学、テンソルなどの高等数学を駆使して記述され、成り立っています。また、微分積分、フ-リエ変換、複素数、群論などの数学の発見と応用は、工学の進歩にも大いに貢献しています。
       
         藤原正彦「数学者の言葉では」 新潮文庫
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徒然草 百六十七段

2023-08-06 06:05:46 | 文学
兼好法師の文には味わいがあります。「徒然草」百六十七段を次に記します。

一道(いちだう)に携はる人、あらぬ道のむしろにのぞみて「哀れ我が道ならましかば、かくよそに見侍(はべ)らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よにわろく覺ゆるなり。知らぬ道のうらやましく覺えば、「あなうらやまし。などか習はざりけむ」といひてありなん。我が智をとり出(いで)て人に争ふは、角(つの)あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙をかみ出だすたぐひなり。
人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは大きなる失なり。品(しな)の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくのとがあり。慎しみてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざはひ)をも招くは、ただこの慢心なり。
一道にも誠に長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に物に伐(ほこ)る事なし。

慢心をいましめる文と思われます。

     「方丈記 徒然草」 日本古典文學大系 岩波書店


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日本人の悪い癖

2023-08-03 05:48:06 | 歴史
昭和史の大家の故・半藤一利氏が著作の中で日本人の悪い癖について指摘しています。
     
  東日本大震災の原発事故に焦点を当てて考えると、「こういう大地震が来るんじゃないか、そして大津波が襲うんじゃないか」という予想はできたはずなんです。ところが、こういう思考法は日本人の戦争中からの癖なんですね。「起きて
困ることは、起きないのではないか」と考える。そう考えているうちに「起きないに違いない」、そしてついには「絶対に起きない」という結論になるんですね。何の根拠もなしに確信してしまう。太平洋戦争のときの日本の作戦は全部そうなんです。敗戦直前の昭和二十年八月九日のソ連軍の満州侵攻などがいい例です。
「今、出てこられたら最悪だ」「いや、中立条約があるんだから出てこないだろう」「ゼッタイ出てこない」と、国境線にソ連軍が集結しているのがわかっているのに楽観してしまった。それが大変な悲劇を生む結果となった。根拠のない楽観は困ったものです。それを国家レベルでやると悲惨なことになります。元寇の時、蒙古軍は日本攻略に失敗しましたが、近代になって米英と戦争している時に、いざとなれば、「神風が吹くから神州不滅だ」などと言っていたのは愚かなことです。

  半藤一利「今、日本人に知ってもらいたいこと」KKベストセラ-ズ

 





    

     



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