yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

マヨラナ粒子

2018-09-30 06:56:19 | 科学
去る7月11日に、京都大学や東京大学の研究チ-ムは、磁石の性質を持ち、電気を通さない「磁性絶縁体」を使って実験を行い「マヨラナ粒子」の存在を確認したと発表しました。マヨラナ粒子は、イタリアの物理学者 エット-レ・マヨラナが1937年に存在を予言。「幻の粒子」
と呼ばれていました。宇宙にもともと、物質を構成する「粒子」と、その粒子とは電気的な性質が逆の「反粒子」があります。マヨラナ粒子は、粒子であり反粒子でもあるという不思議な性質を持ちます。この性質を応用すれば、新タイプの量子コンピュ-タ-の開発につながると期待されています。
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七味とうがらし

2018-09-27 06:29:29 | 文学
「人生、七味とうがらし」という文を見ました。「うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ」。人を翻弄するこれら七つの性(さが)は、いずれも自他の比較に由来する。他人と較べる中でしか自己を見ることのできない人の宿痾(しゅくあ)であり業(ごう)である。これら負のイメ-ジの七つの「み」もありますが、正のイメ-ジのある多くの「み」もあります。己の強み、面白みを恃(たの)み、それらを生かして日々励み、他人を慈しみ、愛しみ、憐み、温かみ、親しみや慎みのある心をもって日々に楽しみを見出してゆく前向きな生き方もありそうです。
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経文緯武

2018-09-24 06:07:52 | 文学
「経文緯武(けいぶんいぶ)」、または「緯武経文(いぶけいぶん)」は、武を緯(たていと)とし、文を経(よこいと)とすること。すなわち、文武を兼ねそなえた王道の政治を意味します。出典は「晋書文六王・賛」です。この文字が彫られた印章は、幕末に15代将軍・徳川家茂公が率いる幕府が、1858年の日米修好通商条約、続いて日英条約、日仏条約、1967年の日本丁抹(デンマ-ク)条約などの条約締結において、幕府の公印として用いました。最近、この印章が徳川宗家(当主・徳川恒孝氏)の蔵から発見されたということです。
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火星に湖

2018-09-21 05:44:30 | 科学
火星の南極にある氷床の下に大量の水が液体の状態で存在している可能性が高いことが、イタリア国立宇宙物理学研究所などの分析でわかったそうです。研究チ-ムは「生命が生き残れる環境」だと指摘しています。これは、欧州宇宙機関(ESA)の探査機「マーズ・エクスプレス」が2012~15年に得た南極周辺の観測デ-タを分析した結果です。JAXAの臼井寛裕教授は、「火星に水があるなら、地球と似た生物がいる可能性が高まったと言える」と話しています。
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米山稔氏 ヨネックス社長

2018-09-18 06:16:51 | 文化
去る9月9日に全米オ-プンテニスで優勝し、世界の女子の頂点に立った大坂なおみさんが愛用するラケットはヨネックス社製の一般向けの普通のラケットだそうです。ヨネックス社とはどういう会社かを調べました。創業者は米山稔氏(よねやまみのる、1924~)です。出身地は新潟県、旧三島郡越路町)何と不肖の郷里、現長岡市です。米山氏は歌手の故・三波春夫氏と少年時代からの友人です。
1946年に米山製作所を創立し漁業用の木製浮きを製造しました。漁業法の進歩により、木製浮きが売れなくなると、バドミントンのラケット製造に転じ、1967年にヨネックスラケットと社名を変更し、さらに1982年には現在のヨネックス株式会社に発展させました。そしてテニスのラケットやゴルフ用品も作る総合スポ-ツ用品メ-カ-となりました。スポ-ツ用品は競争の激しい分野だそうですが。木と金属の加工技術に強みがあり、世界の同業他社と熾烈な競争をしているとのことです。大坂なおみさんの快挙にあやかってテニスラケットの「なおみ特需」が起きる可能性がありそうです。
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焚書坑儒

2018-09-15 05:54:00 | 歴史
中国 秦の始皇帝は、自分にとって都合の悪い書物を燃やしたり、儒学者を穴に生き埋めにして殺しました(焚書坑儒)。言わば一種の言論統制です。現代中国にも言論の自由がありません。中国共産党に都合の悪い書物、絵、人物は監視、排除されます。2000年前と同じような言論統制が行われています。自由の国であったはずの大国の大統領は自分に都合の悪いニュ-スはフェイク(偽)ニュ-スと決めつけます。明らかに言論の自由の侵害です。日本にそのような事がないことを願っています。
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越後長岡藩 牧野氏

2018-09-12 06:35:06 | 歴史
不肖の郷里の牧野氏の話です。牧野氏の祖先は、第八代孝元(こうげん)天皇の曾孫にあたる武内宿禰(たけのうちのすくね)で、子孫が三河国の牧野村に移った頃に姓を牧野と改めました。徳川家康に仕え、徳川十七将の一人として武功がありました。1618年に牧野忠成が越後長岡に入封したのが越後長岡藩、7万5千石の始まりです。
今年はそれから400年にあたります。以後、明治の廃藩置県まで約250年に亘り長岡を治めました。譜代大名として、これ程長期にわたり同じ領地を保った例は少なく、僅かに彦根藩井伊家と同じです。牧野家の家紋は三つ柏、長岡藩旗は五間梯子です。上席家老には稲垣家、山本家がありました。稲垣家からは、「武士の娘」を書いた杉本鉞子(えつこ)が出ており、太平洋戦争の連合艦隊司令長官であった山本五十六は、名門の山本帯刀家を嗣ぎました。また、幕末の英傑、河井継之助も家老を務めました。牧野家の家風は、三河以来の「常在戦場」です。戊辰戦争で長岡は灰燼に帰したのですが、親藩の三根山藩から贈られた「米百俵」を食い潰すことなく、小林虎三郎は教育資材を整え、学校開校にあてました。これが「米百俵」の精神として知られるようになりました。その時に開校したのが、国漢学校(洋学校)です。不肖の母校の長岡高等学校は、この洋学校を元にしております。第一校歌には、「一、我が中学のその位置は構は八文字浮島の兜の城と名も高き旧城跡を前に見て(後略) 二、清秀雄偉の山川の感化を受くる我が校は明治五年の冬の頃洋学校の開始より爾来変遷定めなき世の辛酸を凌ぎ来て(後略)」とあります。因みに牧野家の17代当主、牧野忠昌氏は今もご壮健です。
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演歌

2018-09-09 05:42:05 | 文化
昭和41年頃、作家の五木寛之氏が著書の中で、主人公に演歌の特徴を語らせています。「庶民の口に出せない怨念悲傷を艶なる詩曲に転じて歌うのが艶歌だ」そして艶歌はやがて演歌と呼ばれて広まりました。
不肖は、歌曲を愛好する者の一人であり、演歌・歌謡曲初段、唱歌・歌曲三段、校歌・寮歌五段を自称していますが、五木寛之先生のこうした定義は初耳であり、味のある見方に目から鱗の思いです。当時、欧米から入ってきたロックやフォ-クに日本の歌曲は押され気味でしたので、五木氏もそれを残念に思われたのではないでしょうか。
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お礼

2018-09-06 05:56:15 | 文化
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。90万アクセスを卒寿と言い換えることといたしますと。延べアクセス数の記録によればお蔭さまで9月1日に、アクセス数においては、卒寿となりました。また、延べ掲載数は1360話になりました。引き続き、このブログへのご来訪をお待ち申し上げております。
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ボランティア 尾畠春夫氏

2018-09-03 06:07:53 | 文化
去る8月12日、当時2歳の藤本理稀(よしき)君は、山口県周防大島町の海水浴場からの自宅への帰路に同行者とはぐれて行方不明になりました。警察や地元の捜索は難航しました。報道を見て、大分県日出町のボランティアの尾畠春夫氏(おばたはるお)78歳は8月14日に現地入りしました。翌8月15日に捜索を開始してからわずか約20分後に、理稀君の家から約500メ-トル離れた山中の沢のほとりにいた理稀君を発見し、無事に保護しました。神業のような成功物語でした。尾畠氏は、全国各地をボランティア活動で飛び回り、困っている人を助けることと、受けた恩に報いることを生きがいにしているそうです。座右の銘は「施した行いは直ちに水に流せ、受けた恩は石に刻め」だそうです。立派な人物です。万事につけて不寛容と利己主義と冷酷が横行する昨今の社会における爽快な美談であり、尾畠氏の清々しいお人柄に接し感動しました。
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