yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

老子 上篇 第二十四章

2023-09-29 05:50:24 | 文学
中国、紀元前5世紀、戦国時代の哲人、老子の書「老子 前編 第二十四章」を紹介します。

原文
企者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。其在道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。
書き下し文
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見る者は明らかならず、自ら是(ぜ)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほむ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。その道に在っては、余食贅行(よしょくぜいこう)と曰(い)う。物或いはこれを悪(にく)む、故に有る道の者は処(お)らず。
 訳
 つまさきで立つものは、立ち尽くすことができない。大股であるくものは、長くあるくことはできない。自分を見せびらかすものには、何もよく見えない。みずから是(ただ)しいとするものは、他人よりきわだって見えることはない。自分でほめるものは、何も成功しない。(した仕事を)誇りにするものは、長つづきしない。それらのものは「道」の立場からいうと、余分の料理や無用の付着物とよばれる。それらを生物はおそらく嫌い、斥けるであろう。だから「道」を有する人は、そんなところに長居はしないのだ。

         小川環樹 訳注 「老子」中公文庫


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漢字 4文字で読む

2023-09-26 05:52:50 | 文学
テレビのクイズ番組を見ていましたら、新しいタイプの設問として、「漢字を平仮名4文字で読む」というものがありました。不肖にはかなり難解でしたが、いかがでしょうか。下に紹介します。答は末尾に書きました。なお、文語短歌などで使う雅語が多いようです。

問題

 鉄 銅 銀
 武 兵 士
 署 団 弁
 永 数 経
 尺 械 閂
 酣 熱 風
 胡 窟 駕
 対 遖 頑
 倒 篁 褌
 餞 某 閥
 蘭 蛇 獺
 雷 嘴 鬣
 牲 邪 俤
 柵 鎹 皇
 階 陵 叢
 
解答

 くろがね あかがね しろがね
  もののふ つわもの さむらい
  やくわり かたまり はなびら
  とこしえ しばしば たていと
  ものさし からくり かんぬき
  たけなわ ほとぼり ならわし
  でたらめ ほらあな のりもの
  つれあい あっぱれ かたくな
  さかさま たかむら ふんどし
  はなむけ それがし いえがら
  あららぎ くちなわ かわうそ
  いかずち くちばし たてがみ

  いけにえ よこしま おもかげ
  しがらみ かすがい すめらぎ
  きざはし みささぎ くさむら 

   
 


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月明らかに星稀に

2023-09-23 05:57:53 | 文学
1082年に成立した蘇軾の「前赤壁賦」の中ほどに「月明らかに星稀に」の句があります。
  客曰ク
  月明ラカニ星稀ニ
  烏鵲(うじゃく)南ニ飛ブトハ
  是レ曹孟徳(そうもうとく)ノ詩ニ非ズヤ
  西ノカタ夏口ヲ望ミ 東ノカタ武昌ヲ望メバ
山川相纏(まと)ヒ 鬱乎(うっこ)トシテ蒼蒼タリ
此レ孟徳ノ周郎ニ困(くる)シメラレシ者(ところ)ニ非ズヤ 
   
      「赤壁の戦」(208年)で、魏軍が呉軍に敗北した場面を述べています。
一方、「曹孟徳ノ詩」とは魏の武帝、曹孟徳の「短歌行」という詩のことです。この「短歌行」の中に、次のようにあります。

   月明星稀
   烏鵲南飛
   繞樹三匝
   何枝可依
   山不厭高
   海不厭深
   周公哺吐
   天下帰心

       「読み方」

   月明ラカニ星稀ニ
   烏鵲(うじゃく)南ニ飛ブ
   樹(き)ヲ繞(めぐ)ルコト三匝(さんそう)
   何(いず)レノ枝ニカ依ルベキ
   山 高キヲ厭ハズ
   海 深キヲ厭ハズ
   周公 哺(ほ)ヲ吐キ
   天下 心ヲ帰ス

   「訳」
  月が明るく輝いて星影が薄れるころ、烏鵲(かささぎ)は南をさして飛んでゆく。高い木のまわりを三度もめぐり、止まるべき枝をさがしている。山はいくら高くなっても厭わないし、海は水がいくら深くなってもかまわない。いにしえの周公は一食に三回も食べかけの物を吐き出す熱心さで賢才に接したからこそ、天下の人びとの心が彼につき従ったのである。
曹操もそれを羨んだのです。

       石川忠久 「NHK漢詩紀行 三」NHK出版


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長岡 花火

2023-09-20 05:50:40 | 歴史
新潟県長岡市の花火大会は不肖の郷里の行事ですが、太平洋戦争の直後、戦没者の鎮魂と慰霊を願って昭和22年(1947)に始まりました。長岡は昭和21年8月1日に米軍の空襲により灰燼に帰し、多くの犠牲者を出しました。広島、長崎に原爆が投下される直前でした。長岡も原爆の標的の候補地であったという説もありますが、不肖が今日あるのは、幸運にも長岡に原爆が投下されなかったからです。この長岡が空襲を受けたのは、わが中学(今日の長岡高校)の先輩、山本五十六元帥の真珠湾奇襲作戦に対する報復だと信じられています。その高校の校歌、第一番は下記です。

我が中学のその位置は構は八文字浮島の兜の城と名も高き旧城跡を前に見て峨々たる嶮峰鋸は其の東面に天を指し本島一の大河なる信濃川は其の西に汪洋広野を浸しつつ北海さして流れゆく。

長岡は河井継之助の下で戊辰の北越戦争(1868)を戦い、西軍に敗れて焼土になった事もあり、市民は不屈の復興魂を持っています。正三尺玉(下 写真)を始め、趣向をこらした現代花火はテレビでもよく放映されています。驚いたことに、長岡市が、昔の敵国アメリカのハワイのホノルルと姉妹都市になって、花火師がハワイに渡って友好の花火を打ちあげているという話もあります。 


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高祖父 玄孫

2023-09-17 05:52:42 | 歴史
の父が祖父、祖父の父が曾祖父、曾祖父の父が高祖父。つまり高祖父は4代上の父です。父という字の替りが母であってもいいのです。高祖父より上の代になると名称がありません。
子の子が孫、孫の子が曾孫、曾孫の子が玄孫(やしゃご)です。
つまり4代下の子供です。5代下が来孫(らいそん)、6代下が昆孫、7代下が仍(じょう)孫、8代下が雲孫(うんそん)です。これより下の名称はないそうです。人の寿命による制約のために高祖父と玄孫が実際に対面できるのは、難しいといわれています。
江戸幕府の8代将軍の座を争ったのは、紀州藩5代藩主・吉宗と、尾張藩6代藩主・継友ですが、両者は徳川家康の玄孫同士でした。結局、吉宗が勝って8代将軍になりました。一方、高祖父の二人が総理大臣というすごい家系の人もいます。元フィギュア-・スケ-ト選手の八木沼純子さんです。八木沼さんの母方の高祖父の松方正義は4代と6代の総理。また同じく母方の高祖父の山本権兵衛は16代と22代の総理大臣です。
また、鎌倉時代後期には、足利尊氏と新田義貞というライバルがいて日本の覇権を争いました。二人共、清和天皇の子孫の源義国の雲孫(8代下の子)でした。兄弟は勿論、子孫同士がライバルになることはよくあるようです。




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 THE LONGEST DAY

2023-09-14 05:54:18 | 歴史
「THE LONGEST DAY, 最も長い日」とは、第2次世界大戦において連合軍の英米軍が、欧州戦線においてフランスのノルマンジ-海岸に上陸し、独軍に対する反攻を開始した日、即ち1944年6月6日のことです。アメリカを代表する映画制作会社、20世紀FOX社が社運をかけて制作した映画の題名です。43億円の巨費を投じ、ジョン・ウェイン、ヘンり-・フォンダ、ロバ-トミッチャム等、英米の有名俳優総出演という豪華版でした。邦題は20世紀FOX社の日本支社の広報を務めていた故・水野晴郎氏が「史上最大の作戦」と命名しました。戦争という文字を使うことなく、大作映画を予感させる優れたタイトルでした。興業も大成功であったということです。邦題の傑作といえば、「How Green was my valley」や「Gone with the wind」 に、「我が谷は緑なりき」「風とともに去りぬ」という邦題を命名したのも、秀れセンスを感じます。さて、日本にも「日本のいちばん長い日」があります。太平洋戦争の終戦の日、1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送に至る一日を描いたドラマであり、書籍も映画もあります。タイトルの選定にも納得です。作者の半藤一利氏の苦心の産物ともいえます。


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仙台育英高校 校歌

2023-09-11 05:51:48 | 文化
2022年(昨年)夏の甲子園の全国高校野球選手権大会 決勝戦で、8月22日に下関国際高校と仙台育英高校が戦い、8対1で仙台育英高校が勝利し、東北勢が史上初の栄冠に輝きました。深紅の優勝旗が白河の関を超えたのです。(写真 下)戊辰の敗北か ら150年ぶりの東軍の快挙に拍手します。
 
    甲子園に響いた仙台育英高校の校歌は加藤利吉(会津若松出身の高校創立者)が作詞しました。歌い出しは下記の通りです。

  南冥遥か天翔る鴻鵠棲みし青葉城、ああ松島や千賀の浦

「南冥」や「鴻鵠」という語から中国の故事を連想しました。
「南冥」の説明:「南冥」は南方の大海のことです。
「荘子 逍遙遊篇」より。

北冥ニ魚有リ 其ノ名ヲ鯤(こん)ト為ス、鯤ノ大イサ幾千里ナルヲ知ラズ。化シテ鳥ト為ル、其ノ名ヲ鵬ト為ス、鵬ノ背ノ幾千里ナルヲ知ラザルナリ、
怒(はげ)ンデ飛ブ。ソノ翼、垂天ノ雲ノ若シ、將ニ南冥ニ渉ラントス。南冥トハ天池ナリ。


「鴻鵠」の説明:「史記、陳勝世家」が出典です。
「鴻」はオオトリ、「鵠」はクグイ(白鳥)をいい、ともに大きな鳥であるため、転じて
大人物の志をいいます。
中国、秦 (しん)代の武将で、後に楚(そ)王となった陳勝(陳渉)は年少のころ、家が
貧しかったため作男として働かなければならなかったのですが、つねに大望を捨てず
「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや」と自分の抱負を語り、嘆じた、
と伝える「史記」の故事があります。鴻鵠が燕雀を見下す語感もあります。逆境にあ
った照ノ富士関も鴻鵠の志を保って、横綱にまで上りました。


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アルプスの谷 アルプスの村

2023-09-08 05:54:34 | 文化
故・新田次郎氏が1964年にこのタイトルの本を書きました。1961年の夏、ヨーロッパに出張中であった佐貫亦男教授が案内役となり、新田次郎氏に同行してヨーロッパ・アルプスを巡りました。
佐貫先生と新田次郎氏は気象庁において同僚の間柄でしたが、佐貫先生は東大に転出して航空学科の教授になっており、新田次郎氏は文筆活動を始めていて、作家への道を歩んでおられました。この旅の紀行文から「アルプスの谷アルプスの村」が生まれましたが、私もこの本をスイス・アルプスの入門書として愛読して来ました。
新田次郎氏はグリンデルワルドに着く直前に目に入ったアイガーを仰いで「これで死んでもよい」とつぶやいたそうです。不肖私も1992年にグリンデルワルドを訪れた際に、アイガー北壁ののしかかって来るような迫力に圧倒されたことを憶えています。新田次郎氏は自分の故郷の信州の山々とあまりに異なる山容に感極まったとのこと。次いで、ヨーロッパ・アルプスと日本アルプスでは、岩肌の色も肉づきも骨格も違い、人種が異なる、いや山種が異なると感じたとのことです。こうした感動とヨーロッパ・アルプスの旅の経験がこの後の新田次郎氏の山岳文学の基になったようです。また、このようなきっかけを作ってあげることができ、案内役であった佐貫先生も安堵されたようです。
 新田氏のような優れた作家の友人を持つと、有り難いことに、佐貫先生ご本人も驚く程の人物として、大いに持ち上げて描写してくれたのだそうです。例えば「佐貫先生は、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語がペラペラ」などと。確かに、登山電車の中でドイツの子供達が騒ぐのを懇々と説諭した場面も紹介されていましたから、ドイツ語ペラペラは事実でありましょう。
なお佐貫先生は別の本の中でも、スイス・アルプスを歩くのに、ドイツ語、フランス語、イタリア語は必要、英語は不要と書いておられました。

新田次郎『アルプスの谷アルプスの村』 新潮社
佐貫亦男『佐貫亦男の旅の回想―アルプスとドイツを旅して50年』 
グリーンアロー出版社

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仏教の十戒

2023-09-05 05:54:51 | 文化
曹洞宗の祖、道元禅師は大著「正法眼蔵」を著しましたが、これは95巻におよぶ長大な経典です。そこで、道元の教えの要約本ともいえる「修証義(しゅしょうぎ)」という経典が編纂されました。この中に、10の戒律があります。

第一 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生命あるものをむやみに殺してはならぬ
第二 不偸盗戒 (ふちゅうとうかい)盗んではならぬ
第三 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 愛欲によって人を犯してはならぬ
第四 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘を言うな
第五 不酤酒戒(ふこしゅかい) 酒の売買はならぬ、酒に溺れるな
第六 不説過戒 (ふせっかかい)他人の過ちを責めるな
第七 不自讃毀佗戒(ふじさんきたかい) 自慢をし、かつ他人の心を傷つけるな
第八 不慳法財戒(ふけんぼうざいかい) 物でも心でも施すことを惜しむな
第九 不瞋恚戒(ふしんいかい)  他人にたいして怒ったり、恨んだりしてはならぬ
第十 不謗三宝戒(ふぼうさんぽうかい) 仏法僧の三宝に、不信の念を持ってはならぬ
 
     旧約聖書にもモ-ゼの十戒があります。その第六項、殺してはならぬ、第  七項、姦淫してはならぬ、第八項の盗んではならぬ、第九項の嘘を言うな、第十項の隣人を貪ってはならぬ、などは仏教の禁じ戒と同じです。仏教の禁戒もモ-ゼの十戒も、宗教の衣を脱いでも一般人の心得として、正しく守らなければならないことです。
 
渡邊三省 「人間 良寛」風濤社

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飯給駅 小湊鉄道

2023-09-02 05:56:20 | 歴史
房総半島のほぼ中央に、市原市飯給村(いたぶむら)があります。小湊鉄道の飯給駅(いたぶえき)は、難読駅名の代表格です。地名の由来は、壬申の乱(672年)に敗れてこの地に落ち延びたとされる弘文天皇(大友皇子)にまつわる伝説により、飯給駅前の白山神社は弘文天皇を祭神としています。飯給という地名も、この地の人々が天皇の一行に食事をささげたことから、弘文天皇の3人の皇子が飯給の名を与え、それに由来すると言われています。
また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の平定のためにここを通過した時、住人が食事を献上したことから飯給の地名がついたという伝説もあります。飯給駅は飯給の最寄り駅(写真 下)ですが、1日の平均乗降客はわずか4人という寂しい駅です。しかし、この駅から見える田園風景は大変素晴らしいと人気があります。
房総半島のほぼ中央に、市原市飯給村(いたぶむら)があります。小湊鉄道の飯給駅は、難読駅名の代表格です。地名の由来は、壬申の乱(672年)に敗れてこの地に落ち延びたとされる弘文天皇(大友皇子)にまつわる伝説により、飯給駅前の白山神社は弘文天皇を祭神としています。飯給という地名も、この地の人々が天皇の一行に食事をささげたことから、弘文天皇の3人の皇子が飯給の名を与え、それに由来すると言われています。
また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の平定のためにここを通過した時、住人が食事を献上したことから飯給の地名がついたという伝説もあります。飯給駅は飯給の最寄り駅(写真 下)ですが、1日の平均乗降客はわずか4人という寂しい駅です。しかし、この駅から見える田園風景は大変素晴らしいと人気があります。





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