yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

西山朋佳 将棋 女流三冠

2020-03-31 06:33:09 | 将棋
西山朋佳(にしやまともか、大阪市出身、24歳)さんは、現在、将棋女流の最強者で、三冠(女王・女流王座・女流王将)です。プロを目指す今年の三段リ-グでは、次点のため、惜しくもプロ入り、即ち最初の女流プロを逃しました(次点は今回で2回目)。3月29日には里見香奈女流四冠(清麗・女流名人・女流王位・倉敷藤花)と第60回NHK杯将棋ト-ナメントの女流枠を目指して女流の頂上決戦が行われ、西山さんが制勝しました。
西山さんの棋風について、色々と評されています。観戦記者の津田章に氏によると、「女性とは思えない豪快な将棋」
鈴木大介九段によると「強かった頃の鈴木大介に似ている」と賞賛されました。

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祝 朝乃山 大関昇進

2020-03-28 07:05:44 | 文化
去る3月25日、日本相撲協会は関脇・朝乃山の大関昇進を決めました。富山県出身力士では、横綱・立山以来、実に111年ぶりの大関誕生でした。
 大関に推挙されたことを伝えられると、朝乃山は「謹んでお受けします。大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します。」と口上を述べました。明快で、心がこもっています。
 朝乃山は、出身高校の富山商業高等学校の校歌、「平和の責めを分かち持ち、愛と正義の理想追ひ、かざすよわれ等二つ星」から口上の言葉を選んだそうです。なお、この校歌は、堀口大学作詩、團伊久磨作曲です。
 
 ちなみに、不肖の出身高校の第二校歌も詩人の堀口大学が作詞されました。蛮カラな校風の校歌の中にあって、特に格調が高く、洗練された歌です。
 「翳(かざ)すゆかりの三葉柏(みつばがし、藩公・牧野氏の家紋)、源淵(みなもと)とほきわが藩の 高き精神(こころ)を新しく こゝに伝へて剛健の 校風守る一千余 北の丈夫夫(ますらを)血はたぎる (以下略)。」 わが藩という語は時代を感じさせますが。
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天才の育て方

2020-03-25 06:33:38 | 文化
クイズ番組を観ていますと、超難問を瞬時に解答する天才がいる事に驚かされます。凡人の私は、答を聞いても意味がわからず、答にどうやって到達したのか、1分以上経ってからようやく分かる始末です。こうした天才達はどのように育ったのでしょうか。天才達は東大の学生で、水上さん(医学部)、林さん(文学部)、鶴崎さん(理学部)、鈴木さん(法学部)等の4人ですが、オバさんの質問に答えて下記のように語りました。

1.大量の読書。分野を選ばず、何でも読む。(例えば、図書室の本全部を読む)
2.勉強を親から奨められた経験がない。まず、好きな事を見つけて深く追求する。親はそれを大いに支援し、興味のありそうな物をいつも周囲においてくれていた。
3.ノ-トの取り方は黒板に書いてある事をそのまま写す。
4.復習より予習を重視する。授業は知っている事を確認する時間。
5.勉強する場所:閉ざされた勉強部屋ではなく、居間や図書室でもいい。

上記の事を真似すれば、必ず天才が育つとは思えません。やはり生まれつきの知能・才能が違うのではないかと思わざるを得ませんでした。

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今だけ 自分だけ

2020-03-22 06:41:21 | 歴史
ある歴史学者の言葉です。「今だけを良くしたい、自分だけが良くなりたい。
これではダメです。皆がこれをやったら、自分の幸福までもが危うくなるのが現代だ。」
  歴史上、治水は河川の氾濫に対処しつつ、農業用水を確保して農業を発展させ、安全を確保してきました。
 中国・古代の伝説の帝王、禹は黄河の治水に成功して夏王朝を興しました。
 日本では、甲斐の武田信玄、備中・岡山の津田永忠、静岡の金原明善を治水の三傑とも言うそうです。
 武田信玄は甲斐の国の治水に尽力し、現代にまで残っている信玄堤を残しました。津田永忠は百間川を開削し、瀬戸内海と陸地の間に水門を築き、広大な新田開発に成功しました。金原明善は、毎年氾濫する天竜川において、周囲の山々に木を植えることを始め、それを美林にまで育て、「あばれ天竜」と言われた天竜川を鎮めました。治水の効果は100年先の人々にも恩恵を与えるものです。人間には、将来を想像し予測ができる優れた知能があります。現代には、この能力を善用する事が求められています。「今だけ、自分だけいい」ではいけないようです。
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言い間違い

2020-03-19 06:17:56 | 文学
「言い間違い」。言う側はウッカリミスなのでしょうが、聞く側からみると大爆笑、ユ-モアや稚気を感じるなど、とにかく可笑しいものです。それを少し集めてみました。

理路騒然  (理路整然)
ざっくらばん (ざっくばらん)
うさぎごっこ  (いたちごっこ) 
はらわたがにえくりかえる程おかしい  (腹の皮がよじれる程おかしい)
まことしなやか   (まことしやか)
ミコトンドリア   (ミトコンドリア)
あたってくじけろ   (あたってくだけろ)
壁の上塗り      (恥の上塗り)
ル-ズセックス    (ル-ズソックス)
シュミレ-ション    (シミュレ-ション)
種馬のように働く    (馬車馬のように働く)
高まつ子         (松たか子)
小林あさひ        (小林旭)
ミノモンタン       (みのもんた)
よねよねクラブ      (米米クラブ)
めかけやき定食      (生姜焼き定食)
うみやきソバのじょう   (上海焼ソバ)
元気か、おまえたち    知人が文通していた中国人ギャルからの手紙
ダ-ゲンハッツ      (ハ-ゲンダッツ)
男子なげやり       (男子槍投げ)
しものせわ        (下世話)

一方、誰もが知っている政治家が言い間違えると失笑や苦笑を買います。政治家にも辛い所があります。

              
 糸井重里 「言いまつがい」 新潮文庫



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愛嬌と大袈裟

2020-03-16 06:39:46 | 文学
「愛嬌」と「大袈裟」は仏教由来の言葉です。

「愛嬌」の語源は「愛敬(あいぎょう)」で、愛敬相から取られた慈しみ敬うという意味の仏教用語。仏様の顔立ちが穏やかで恵み深いことを指し、誰からも愛され慕われる表情や姿を指すものです。中世期以降(室町時代頃との説が有力)清音化した「あいきょう」が用いられるようになり、更に「敬」の意味が薄れるとともに「可愛らしさ」や「艶かしさ」などの意味を持つようになったため、「嬌」の字が当てられて「愛嬌」となりました。

「大袈裟(おおげさ)」とは、誇張すること、誇大であること。「袈裟」は、もとはサンスクリット語で赤褐色または黄褐色(つまりこぎたない色のことです)を意味し、仏教の草創期に僧侶が着ていた粗末な衣装のことを言ったカーシャーヤの音写語。当初は貧乏教団だった仏教も、しだいに大宗教となり、それにともなって袈裟も高価な布に飾りをつけた立派な衣装に変わっていきました。「大袈裟」は、その袈裟の中でも最も大きいものを言い、一説には、それを着用すると仰々しく見えるため、他教団の僧侶たちがけなしたことから、慣用語の「大袈裟」が生まれたと言われます。  
 
日常何気なく使っている言葉に、仏教との関わりがあることが分かります。   
         






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ほととぎす

2020-03-13 06:26:41 | 文学
「ほととぎす」はカッコウ科の鳥で、私達の身近におり、梅雨の時節には、独特の鳴き声が聞こえてきます。
芭蕉に、「ほととぎす大竹藪をもる月夜」という佳句があります。また、百人一首、藤原実定(さねさだ)の和歌に、「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞのこれる」があります。
ほととぎすは真昼どきも鳴きますが、和歌や俳句に詠まれたほととぎすは、大抵夜か夜明けです。また、「テッペンカケタカ」と啼くともいわれますが、「特許許可局」という聞きなしも有名です。

なお、「ほととぎす」と読む漢字は多くあります。それを次に列挙しました。
子規、時鳥、杜宇, 杜鵑, 橘鳥, 田鵑, 蜀魂,不如帰 など沢山あります。

 余談ですが、昔、中国・蜀の望帝が復位を望みましたが果たせず、望帝の魂魄が、「不如帰」と鳴きながら去り、ほととぎすに化したという伝説があります。このことから、「ほととぎす」は「蜀魂」とも呼ばれています。
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挑戦

2020-03-10 06:22:22 | 文化
「挑戦」とは戦をいどむこと。記録や、難しい事柄、優れた先人(チャンピオン)、新しい事柄に挑むことなどを指します。最近めずらしく友人との会話(メ-ルの文)の中に、「挑戦」という言葉が出てきましたが、よく聞いてみると、結局「挑戦」と言えるほどのことではありませんでした。しかし翻って自分のことを思うと、近頃、行動力がなくなってきたせいか、挑戦することが減っている事に気付きました。この所、「挑戦」と言えるようなことをやっていないなと。強いて挙げれば、新しいプログラム言語の学習とか新しいブラウザ-の獲得が、最近の私にとっての小さな挑戦でした。
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北前船

2020-03-07 06:36:58 | 歴史
江戸時代中期から明治時代初期までの間、主として日本海を航路とした北廻船、北国船という商業船団がありました。北国で海産物、米などを積み、上方と中国地方で塩、酒などを積んで往来して売買して、巨万の富を築きました。
北前船の寄港地は、北は北海道の松前から、南は九州福岡の津屋崎まで、日本海の港の多くを網羅しています。(北前船のイメ-ジ・写真下)
蒸気機関船の普及とともに、帆船の北前船は退場しました。
北前船の有名な船主に、下記の人達がいました。

 高田屋嘉兵衛  函館(蝦夷)
  嘉兵衛の生涯を書いた、司馬遼太郎の「菜の花の沖」が知られています。

 本間光丘   酒田(出羽)  
  「本間様にはおよびもせぬがせめてなりたや殿様に」、と言われました。
 西出孫左衛門  橋立(加賀)

 なお、北前船を題材にしたミステリ-に「化生の海」という佳品があります。

    
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芭蕉と李白・杜甫

2020-03-04 06:18:31 | 文学
「虚栗(みなしぐり)」の跋文に芭蕉は、自ら下記のように述べました。
「栗と呼ぶ一書、其味四あり。李・杜が心酒を嘗めて、寒山が法粥を啜る」。
 ここで芭蕉は、李白や杜甫を愛読し、賞味したことを明かしたのです。
芭蕉は唐の詩人、李白・杜甫から大きい影響を受けました。特に杜甫に対して深い共感と尊敬を懐いていたといわれています。

紀行文の傑作、「奥の細道」の書き出しの文。
「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人なり。」
これは、李白の次の文章の和文訳です。(見事な訳ですが)
  夫レ天地は萬物ノ逆旅(げきりょ)、光陰ハ百代ノ過客ナリ。
   (「春夜桃李園ニ宴スルノ序」李白より)

     
芭蕉39歳、「老杜ヲ憶フ」句があります。(老いた杜甫を憶う句)
  「髭(ひげ)風を吹いて暮秋歎ずるは誰が子ぞ」
一方、杜甫の漢詩
 「藜(あかざ)ヲ杖ツキ世ヲ歎ズルハ誰ガ子ゾ」
   (「白帝城最高楼」杜甫より)
次の句も杜甫と同様の心境を表現しているようです。(芭蕉晩年の句)
「秋深き隣は何をする人ぞ」

また、奥州、平泉で藤原氏の繁栄と衰亡を観て詠んだ句があります。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
 この句は次の杜甫の有名な漢詩を踏まえてよんだものと言えます。
「国破レテ山河在リ 城春ニシテ草木深シ」
    (「春望」杜甫より)

芭蕉が杜甫から得た最も重要なものは、自然を単なる感覚の美としてとらえず、自己の生の象徴として感じとることだったとも言われます。

    吉川幸次郎 「日本古典文學体系 月報」岩波書店

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