yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

ワインの歴史

2011-10-30 06:25:13 | 歴史
楊貴妃がワインを好んだということを知りました。そう言えば、我が国でも織田信長が嗜んでいたようです。そこでワインの起源を調べてみました。起源は極めて古く、ヨーロッパぶどうの原産地はコーカサス地方と言われています。BC7000年頃、古代文明発祥の地メソポタミアでは既にぶどうが栽培されていました。
シュメール人により育てられたワインは、エジプトやシリアに伝わり、エジプトではBC3000年頃からワイン作りが始まり、神への捧げ物、王宮での貴重な飲み物となり、次第にその生産量が増えていきました。さらに航海術に長けたフェニキア人により地中海の各地にワインが伝わりました。特にギリシャ人はワインの醸造の技術を大きく発展させるとともに、宗教儀式に使い、貿易品としても盛んに利用しました。ローマ人は壺の替りに木樽を使い始め、長期貯蔵や熟成を可能にしたので、ローマ帝国の版図の拡大とともにワインがヨーロッパ各地に広まりました。楊貴妃が愛飲したワインはシルクロードを通って唐帝国に運ばれたと思われます。織田信長が嗜んだワインは、南蛮人がヨーロッパから舟で直接、日本にもたらした物でしょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草枕

2011-10-27 06:16:24 | 文学
ご承知の通り、今や古典となった漱石の作品です。冒頭は、記憶に残る名文です。

山道を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所はどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊(たっ)とい。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。  (以下略)

重松泰雄の解説
「いやな奴」で埋っている俗界を脱して非人情の世界に遊ぼうとする画工の物語。作者自身これを「閑文字」と評しているが果してそうか。主人公の行動や理論の悠長さとは裏はらにこれはどこを切っても漱石の熱い血が噴き出す体(てい)の作品なのだ。

ついでに不肖私の見るところ「草枕」は、至るところに俳句あり、漢詩あり、英文ありで漱石の文学と学識に溢れています。

      夏目漱石 「草枕」 岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お礼

2011-10-26 06:30:27 | 近況
いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。
お蔭さまで、10月26日に、アクセス数が17万になりました。
平成18年の3月に書き始めてから約5年半になりました。
今年1年間でアクセス数が7万増えました。
これからも書き続けるつもりですのでご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涼洲詞

2011-10-25 05:53:33 | 文学
涼洲は、現在の甘粛 武威県、節度使の任地であり、河西回廊最大の都市でした。そして、酒泉・敦煌・玉門関の外はシルクロードの世界です。古来ここは、領土を拡張して要路を確保しようとする中国と、隙あらば中国本土に進入しようとする胡との紛争が絶えない地域でした。「涼洲詞」は、こうした辺境の厳しさや遠征の苦しさを主題として唐代にできた楽府題です。次に「涼洲詞」の傑作を二つ記します。

涼洲詞    王子渙(おうしかん)

黄河遠上白雲間
一片孤城万仞山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門関

黄河遠く上る白雲の間
一片の孤城万仞(ばんじん)の山
羌笛(きょうてき)何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを
春光度(わた)らず玉門関

黄河を遠くさかのぼって、はるか上流の白雲のなびくあたり
そそり立つ山にぽつんと塞(とりで)が建っている
羌(きょう)族の笛の音は「折楊柳」の曲を悲しげにかなでているが
そんな別れの曲を吹くことはないぞ
ここ西の果ての玉門関までは春の光がやって来ないのだから

この詞の詩眼は「怨」です。

涼洲詞    王翰(おうかん)

葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回

葡萄の美酒 夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥すとも君笑うこと莫(なか)れ
古来征戦幾人か回(かえ)る

葡萄のうま酒を夜光の杯で飲む
飲もうとすると、琵琶を馬上でせきたてるように
かきならしている
したたかに飲んで酔いつぶれ、そのまま沙漠の上に倒れ臥してしまった
昔から辺地に出征して、無事に生還できた人がどれだけいるであろうか

この詞の詩眼は「笑」です。

これら涼洲詞には辺地の哀愁が惻々と伝わってきます。

石川忠久 「NHK漢詩紀行」 日本放送出版協会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙の不思議

2011-10-22 05:46:45 | 科学
宇宙や素粒子に関しては不思議な事ばかりですが、それが今回の話題です。以下の文の多くは、東京大学数物連携宇宙研究機構の機構長である村山斉教授の著書から引用しました。

まず、宇宙の大きさですが、私達が現在観測できる宇宙の大きさは10の27乗メートルと言われています。地球の直径が約1.2X10の7乗(12000km)ですから、宇宙の大きさが途方もなく大きいことがわかります。一方、万物を形作っている素粒子の大きさは10のマイナス35乗と考えられています。従って素粒子と宇宙の大きさとの比率は10の62乗にもなります。
さて、素粒子の一つであるニュートリノは宇宙から絶えず地球に降り注いでいますが、世界で初めてニュートリノの存在を観測して確認したのは、日本の「カミオカンデ」という観測装置でした。この観測装置は岐阜県神岡鉱山の地下、約1000メートルの深さの場所にあり、3000トンもの水を蓄えたタンクと1000本もの光電子増倍管からなる巨大な装置です。このニュートリノ観測の功績により、小柴昌俊博士は2002年にノーベル物理学賞を受賞しました。その後、このカミオカンデをさらに巨大化させたスーパーカミオカンデにより、ニュートリノには僅かに質量があることも突きとめられました。近頃、ニュートリノの速度が光速を上回ったという実験結果を、スイスのCERNが発表しました。これはアインシュタインの特殊相対性理論と矛盾するので、今後の実験検証が期待されます。

さて、宇宙にある星を全部集めても宇宙の重さの0.5%にしかならないという計算結果があります。また、宇宙にあるすべてのニュートリノの質量を全部合計すると、星の重さの合計と同程度になると言われています。ニュートリノと星をすべて合計しても、宇宙の重さのわずか1%にしかなりません。不思議なことです。なお宇宙にある銀河団や星がバラバラになって遠くに飛んでいかないことから、宇宙には暗黒物質(または暗黒エネルギー)が満ちていると考えられています。その正体は今のところよくわかっていませんが、それは宇宙の重さの23%を占めているということです。

 近年、素粒子の研究は、加速器・ハワイのすばる望遠鏡・チリのアタカマ沙漠にある巨大なアルマ電波望遠鏡などにより、その実験・観測技術は長足の進歩を遂げています。しかし、依然として「宇宙にはまだまだ謎が沢山ある」のですが、20世紀から21世紀の初めにかけて、「わからないことが、これだけある」ということがわかってきました。これは現代物理学の成果であり、大きな前進です。
 さて、重力の根源は何なのでしょうか。重力の元になる粒子は「ヒグス粒子」と呼ばれますが、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林氏・益川氏の理論や南部陽一郎氏の功績は、反物質やヒグス粒子に関係するものです。
 また、宇宙の年齢は137億年と言われていますが、現在、宇宙は加速しつつ膨張を続けているという説もあり、最後はどうなるのかわかっていません。ちなみに、原子を構成している陽子の寿命は、10の34乗年以上ということもわかっており、これは宇宙の年齢に比べて24桁も多いということです。私たちは、縦、横、高さのある3次元空間に生きていると認識していますが、「超ひも理論」では宇宙は10次元もあるという説があるそうで、興味深いことです。
村山斉著 「宇宙は何でできているのか」 幻冬舎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風評に対する美談

2011-10-19 05:52:56 | 文化
福島は風評被害に泣いています。「朝日歌壇」には京都から次のような鮮烈な一首が届いたそうです。
  桃買うを迷いてポップ確認す「福島」とあり迷わずに買う

手書き広告の産地名表示(ポップ)に店の心意気を感じ、それを見て即座に購入した主婦の侠気に拍手しました。また、京都五山の送り火の薪として被災地の薪に死者の鎮魂の願いを書いた物を燃やすという話がありました。ところが寺院側は、万一放射性物質が付着していると焼却により放射性物質が飛散する恐れがあるという理由で、被災地の薪を使用することを拒否しました。これに対して抗議をした京都市民の心意気も、上記の短歌の心と同じであり、私は共感しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運・鈍・根

2011-10-16 05:53:12 | 文化
「運・鈍・根」は古人の言ですが、スポーツ・芸事・趣味・学問・事業・経営など、多くの物事を達成する際の、重要な姿勢を端的に示しています。
「運」は幸運、運勢と同じような運の字を使っていますが、「棚からぼた餅」的な幸運のことではなく、自分の理想や使命を自覚できること。それに邁進できる環境にいることなどを指すのではないかと思います。
「鈍」は字のごとく、愚鈍とか愚直と言うことです。何事も、要領よく簡単に達成できることは希ですから、他人が既に行ったことに基づく先入観を捨てて、自分の信念により、愚直に努力せよという戒めと理解しました。
「根」は根性とか根気強いということで、「継続は力なり」ということでしょう。

先日、10月5日に56歳の若さで惜しくも他界したアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏も同様のことを言っております。スタンフォード大学の卒業式のスピーチで語った言葉は特に有名です。
「時間は限られている。他人のまねをした人生を生きて時間を浪費してはならない。革新的な製品をつくり出すことだ。それこそが私が楽しんでやっていることだ。
Stay hungry Stay foolish!」
貪欲であれ、愚直であれ。

運、鈍、根と同じです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェスの話

2011-10-13 06:31:03 | 将棋
チェスという遊びは古代インド(現在のイラン、近世ではペルシャと呼ばれた国)のアバダンあたりで発祥したというのが定説になっています。チェスのことをドイツ語でSchach(シャハ)フランス語、英語ではなまってEchecs、Chess。その語源はペルシャ語のシャー(皇帝=王の中の王)に由来しています。中国ではシャンチー、朝鮮ではチャンギ、日本では将棋ですが、皆、シャ行なのは必然性があったのでしょう。チェスのルールは世界中同じですから、社交の手段としても有効です。
文豪ゲーテを読まないドイツ人は大勢いますが、ヒュブナー(ドイツのNo.1棋士、世界でNo.8)の棋譜を読まないドイツ人はいないでしょう。ロシアではチェーホフの詩を知らない学生はいても、アリョーヒンの「不滅の名局」を自分のチェス盤上で並べて鑑賞したことのない学生は一人もいないと言われています。外国人にケネディとかゴルバチョフといっても、ほとんど反応しませんが、フィッシャー(アメリカの天才棋士)やカスパロフ(22歳、史上最年少で世界チャンピオンになった)を話題にすると、チェスを趣味にしない人でも、とたんに眼を輝かせるということです。
スイス人とメール交信をしていた時、私が「日頃、日本の将棋を楽しんでいる」と書きましたら、「じゃあチェスの対局をしよう」という事になりました。以後、約2か月の間に電子メール上で7局ほど対局しました。私が連戦連勝したので、彼はとうとうギブ・アップしました。私は未だにチェスの定跡もよく知らない初心者ですが、将棋とは方法も目標も同じなので、私に向いていたのでしょう。将棋のプロ棋士にはチェスの強豪が多く、羽生善治永世名人、森内俊之現名人、佐藤康光九段などがいます。

渡井美代子 「早わかりチェス」 日東書院
 
下の写真のチェスは、イタリアのサンジミアーノで買ったものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

超光速粒子の観測実験について(2)

2011-10-10 06:11:28 | 科学
スイスのCERNにある国際共同研究グループOPERAは、9月23日に「素粒子の一つ、ニュートリノが光速を超えて飛ぶ」という測定結果を発表しました。

ジュネーブ郊外にあるCERNの加速器からニュートリノを発射させ、約730km離れたイタリア・グランサッソ国立研究所の地下観測所で受信することにより発見したものです。「ニュートリノが光より1兆分の6秒(60nS)だけ速く到達した」ということです。
速度=距離÷時間差 ですから距離と時間差を正確に測定することがポイントでしょう。
スイス、イタリア間の距離はGPSを用いて20cm程度の精度で特定したそうです。
一方、時間差は二つの原子時計を使用したと思われますが、原子時計の取り扱いはかなり厄介なものらしいです。

この実験では、確かに、ニュートリノの速度は測定されていると推察されます。ニュートリノはすべての物質を通過できるので、ジュネーブからグランサッソまで地中を最短距離で通過しますから、距離と時間差が正確に測定されれば、ニュートリノの速度は測定されたことになります。
しかし、光(又は電波)は地中を通過することができませんから、この実験では光の速度を測定したことにはなりません。光の速度は既知の事ですし、この実験の目的は光の速度を知ることでないためか、光の速度を併せて測定したという新聞紙上の発表もなかったようです。
報道による「ニュートリノは光より60nS速く到達した」という観測において、光の速度については、併せて測定したということにはなりません。光はどのような経路を通ってイタリア・グランサッソに到達したか不明ですから、「60nS速い」という表現は意味する所が不明確です。(すなわちニュートリノと別の経路で到達した光を同列に比較するのは無意味です。)光の到来が観測できたという発表(新聞紙上)をすることなく、ニュートリノが光より速く到達したと言うのは、実験の信頼性に疑問をおぼえます。

光の速度を測定するのは今回の実験の目的ではありませんが、ニュートリノの速度が光速を上回ったかどうかは、とても重要なことです。
取り扱いの厄介な原子時計による時間差測定を完璧なものにすることが、一番の近道のように思われます。ジュネーブとグランサッソの中間地点で(例えばローマ)で二つの原子時計の
時刻合わせを行った後に、一つをジュネーブに、一つをグランサッソに置くのです。原子時計を移動させる時には飛行機などを利用して高速で移動させた場合には、時計が遅れることに配慮しなくてはならないと思います。素人の私が考える程度の事は、すべて折り込み済みと思いますが、100年余の間、物理学の基本概念であったアインシュタインの特殊相対性理論を否定する為には、手間を惜しむべきではないでしょう。ニュートリノの速度を、別のシステム(例えば、日本のシステム)で測定することができれば、良い検証実験になると考えます。ただし、原子時計の取り扱いが困難であるという問題点があるとすれば、それはヨーロッパでも日本でも同じことでしょう。難しいものです。

 「原子時計の取り扱いが実験の成否を決める」と直感しましたので不肖、私もさらにひと工夫してみました。6個の原子時計を使う方法です。6個の原子時計をローマに用意します。6個とも、時刻合わせを行います。この内の3個は、ニュートリノの発射点ジュネーブに置きます。この3個の時計を仮にA1、A2、A3とします。残りの3個を観測点であるグランサッソに置きます。この3個の時計をB1、B2、B3とします。
そこで、ニュートリノの速度測定実験を行います。時間差DT1=(B1―A1)、DT2=(B2―A2)、DT3=(B3―A3)と、約60ナノ秒の3つの測定値が得られるでしょう。この3つの測定値の中で最大の測定値と最小の測定値を除外して、中間の測定値をこの実験の測定値とするのです。いわば、多数決みたいなもの(極端な数値を除外する方法)ですが測定精度が向上することが期待されます。統計学では測定値サンプルの分布状態により結論が異なるのですが、この実験の場合、平均値より中間値のほうが確からしいというのは私の直感であり、間違っているかも知れません。DT1、DT2、DT3として得られたデータが下記の場合ならば

 (1) 60.0, 60.0, 60.0   期待値 60.0  本来あるべき状態だと思います。
 (2) 59.7, 60.0, 60.8   期待値 60.0
 (3) 59.8, 60.0, 60.9   期待値 60.0
我田引水的なデータを採用しているというご批判を受けるかも知れませんが、中間値を採用すると測定の期待値は、60.0 となります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語の乱れ

2011-10-07 06:07:08 | 文化
最近、日本語が乱れていることを聞くにつけ、嘆かわしいことと思います。
若者の話し言葉には、実に聞くに堪えないものがあります。

(1) 新語 「うざい、やばい」「なにげに美味しい」(なかなか美味しいこと)「普通に美味しい」(まずまず美味しいこと)。もしかして、私は意味をとり違えているかも知れません。
(2) 「ら」抜き言葉 「来られない」ことを「来れない」と言う。
「食べられない」ことを「食べれない」と言う。
(3) 「っ」言葉  「すごっ」 「やばっ」「うまっ」「あつっ」「怖っ」
「っ」言葉は、かなり流行っているそうです。話し言葉に詳しい専門家によると、こうした言葉は独り言に近いが迫力があり、また、さりげなく仲間との繋がりを保っていくのに便利なのだそうです。たとえ返答が無くても傷つかずにすませられる、気軽な表現なのだそうです。
しかし、日本語は丁寧に美しく正しく使うべきではないでしょうか。「国語の乱れは国の乱れ」と言っている人もいます。
国語が乱れると文化が乱れ、ひいては国家が独自性を失い、その存続を危うくする恐れもあります。日頃、乱れた言葉を使っていると、いざという時に正しい会話ができなくなるという恐ろしいことにもなりかねません。家庭教育や小・中学校の国語の学習がとても重要なのは言うまでもありません。日本人は日本語で考え、日本語で意思を表現して来ました。まずは正しい日本語をしっかりと身に付けることが肝要で、外国語に堪能になることよりもはるかに大切なことではないでしょうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする