yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

正式名称

2019-08-29 05:57:46 | 文学
略称が定着して日常に広く通用している語が多くあり、あらためて正式名称を問われると、考えこんでしまうことがあります。


       正式名称

食パン    主食用パン
ボ-ルペン  ボ-ルポイントペン
カラオケ   空オ-ケストラ
アカペラ   ア・カベッラ (イタリア語で礼拝堂風に、の意)
バス     オムニバス
教科書    教科用図書
経済     経世済民 (中国・古典、世を治め民を救う、の意)
切手     切符手形
演歌     演説歌 (元々、演歌は政治風刺の歌でした)
軍手     軍用手袋
空母     航空母艦
特保     特定保健用食品
合コン    合同コンパニ-
就活     就職活動
終活     終末活動(多分、就活のもじり)
ブログ    ウェブログ (WebLog)
SNS     ソ-シャル・ネットワ-キング・サ-ビス
CEO     チ-フ・エグゼクティブ・オフィサ-(社長)
ワイファイ   WiFi,Wireless Fidelity、忠実な無線通信環境、ハイファイのもじり






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近江八景

2019-08-26 05:44:08 | 文学
滋賀県は琵琶湖及びその周囲が風光明媚であり、昔から近江八景と賞賛されています。また大津には昔、天智天皇の都の近江・大津京がありました。

「近江八景」は、室町時代(1500年)南近江の大名、六角高領に招かれた公卿の近衛正家が、近江の景勝を8首の和歌に詠み、それが近江八景のいわれとなりました。
  石山秋月(いしやましゅうげつ)  石山寺
  瀬田夕照 (せたせきしょう)
  粟津晴嵐 (あわつせいらん)
  矢橋帰帆 (やばせきはん)
  唐崎夜雨 (からさきやう)
  堅田落雁 (かたたらくがん) 浮御堂
  比良暮雪 (ひらぼせつ)

これらは、漢詩、箏曲、絵、歌の題材にもなっています。 

芭蕉の句にもあります。
  行く春をあふみの人と惜しみける

 芭蕉曰く、この句の「行く春を共に惜しむ」のは、昔近江に都があった歴史のある近江の国の人でなくてはならない。   
     
なお「琵琶湖周航」の歌詞には次の語が見られます。
  滋賀の都、今津、長浜、竹生島、比良、伊吹、西国十番長命寺、

  

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俳画

2019-08-23 06:05:33 | 文学
知人から頂戴した俳画を飾っております。これを紹介します。(写真下)

ふるさとはたのしきかもよ
  ふるき友 若き翁となりて
  酒くむ
         吉野秀雄 うた

 吉野秀雄(1902~1967)は群馬県出身の歌人、書家です。多病に苦しみながらも独自の詠風で境涯の歌を詠みました。昭和の歌壇とはほとんど関わりを持ちませんでしたが、正岡子規の衣鉢を継ぐ歌人の姿を吉野に見て取れるとも評されました。
 この俳画は、素朴な味わいがあります。





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戒名

2019-08-20 05:47:18 | 歴史
仏教で死者に与えられる名が戒名です。中でも徳川家康の戒名は、これ以上はないだろうと思える程、立派です。

 東照大権現 安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士

なお、主な徳川将軍の戒名は以下のとおりです。

2代将軍 徳川秀忠  台徳院殿興蓮社徳誉入西大居士
3代将軍 徳川家光  大猷(ゆう)院殿贈正一位大相国公
5代将軍 徳川綱吉  常憲院殿贈正一位大相国公
8代将軍 徳川吉宗  有徳院殿贈正一位大相国
  14代将軍 徳川家茂  昭徳院殿光蓮社澤誉道雅大居士
   15代将軍 徳川慶喜  神道で葬儀を行ったので戒名無し

   会津藩主 松平容保  忠誠霊神(まさねれいしん)(註・神道の諡号)

    正岡子規の戒名は「子規居士」で、簡素な戒名の代表です。
   子規自ら作文した墓碑銘には、次のようにあります。

    正岡常規(つねのり)、又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升(のぼる)又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭(だっさい)書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊予松山ニ生レ東京根岸ニ住ス父隼太松山藩御馬廻り加番タリ母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十年□月□日没ス享年三十□月給四十円

    墓碑銘の文は簡潔明瞭。子規が主唱しつづけた写生文の極致といわれています。









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鬼畜米英

2019-08-17 06:06:31 | 歴史
文明国に対して「鬼畜米英」とか「盗っ人たけだけしい」などと言う人がいますが、その人の品格と正気と常識を疑います。
「鬼畜米英」という言葉は、太平洋戦争において、対米英開戦の直後から日本人が言った言葉だそうです。「敵は野獣、鬼畜なのだ」と。「日本が戦争の勝機を完全に失ってから日本人は、どんどん神がかり的になっていく。まことに貧すれば鈍するとは真なるかなとの思いを強くした」と、ある作家は言います。

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ウィンドウズ

2019-08-14 06:10:11 | 文化
多くの方々と同様に、私のパソコン・ライフはウィンドウズと共にありました。 マイクロソフトのOS, Windows の歴史を下にまとめました。

 Windows 95 1995
Windows 98 1998
Windows 2000 2000
Windows XP 2001
Windows VISTA 2006
Windows 7 2010
Windows 8 2012
Windows 10 2015

マイクロソフト社に追随して、OSの変更の度に、新しいOSを購入して、
 周辺機器やソフトも更新してきました。何と大きな費用と時間を費やしてきたこと か。マイクロソフト社の横暴とも見える強欲な商法と、それに追随するパソコン・メ-カ-(ソフト及びハ-ドの製造メーカー)に腹が立ちました。
  そこで、これに対して私なりにささやかな抵抗をしました。
  2002年に自作したパソコンにwindows・XPをインスト-ルしました。
運が良かったのでしょうが、今日まで17年間、快適に使い続けています。しかも自作製品は、パソコンにおける私の使用スタイル(文書・表作成、メ-ル、インタ-ネット、ブログ、ゲ-ムなど)においては、すべてのWindowsのOSの中で最高のパフォ-マンスを発揮しているように思われます。しかも新しいOS程、どんどん使い勝手が悪くなっているように感じられるのです。不思議なことです。マイクロソフト社はお客様第一主義ではないように感じられます。
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ただの人

2019-08-11 06:08:25 | 文化
「正義の人」より「ただの人」たれ、声高に運動するより、礼節ある無関心の方がどれほどましかわからないと、作家の関川夏央氏は言います。

国境を挟んだ二つの社会を確と繋ぐのは「ただの人」の交わりです。声高に「問題」を言いつのったり、「正義」を揚げ運動を煽ったりする人でなく、「歴史が培った、普通の、合理的な考え方」を人知れず淡々と貫く人。そういう人に出会った時の静かな感動がないがしろにされがちです。

 「正義」を叫ぶ人は、他の異なる考えを受け入れようとしない独善的で危険な存在になりがちです。冷静で常識のある「ただの人」がいいです。

  関川夏央 「「ただの人」の人生」 文春文庫

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詩経の心

2019-08-08 06:11:21 | 文学
ある歌人が講義の中で詩歌を詠む心得を「論語」を引用して述べました。「論語」の「為政篇」に「子曰ク、詩三百、一言以ツテ之ヲ蔽フ、曰ク思ヒ邪無シ」とありますが、これは「詩経の三百篇をただ一言で包みこめば思いに邪(よこしま)がないこと」を意味します。即ち「純な心で詠む大切さ」を作歌の心得とするようにと教えたそうです。
紀元前に中国で書かれた「詩経」「論語」を含む四書五経は後世に伝わり、朝鮮、日本など中国周辺の国家の倫理道徳の形成に多大な影響を与えました。このように、中国三千年の倫理道徳の古典が、今なお私共の心に受け継がれているのです。経済的に超大国となった中国の指導者層は、これらの尊い文化遺産の価値を深く認識し、誇りを持って、邪な思いの無い大国としての役割を果して欲しいものと思います。

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最後の大名

2019-08-05 05:55:59 | 歴史
最後の大名は上総請西藩(かずさじょうざいはん)一万石の元藩主、林忠崇(はやしただたか)です。幕末に西軍が江戸に迫った時、忠崇は藩主(19歳)ながら脱藩して、徳川家のために戦いました。殿様だけが脱藩したのは、「家臣と領民が戦争に巻き込まれるのを避けたかったため」といわれています。この行動には理由がありました。林家は信濃の小笠原家の分家ですが、ある時、戦に敗れた徳川家の祖先、松平親氏(ちかうじ)親子をかくまって、兎を料理に使ってもてなした事がありました。この後、徳川家は家運が上昇し、ついに天下を治めることになりました。この事から、将軍は「献兎賜盃」と称して、正月に兎の吸物と盃を林家に最初に下すことを慣わしとしました。すなわち、林家は徳川家の第一の家臣になったのです。忠崇は西軍との戦に敗れて明治元年に降伏する直前に死を覚悟して、次の壮絶な辞世の歌を詠みました。

 真心のあるかなきかはほふり出す腹の血しおの色にこそ知れ

政府から切腹の処分はありませんでしたが、請西藩は取り潰しとなり、戊辰戦争で消えた、ただ一つの藩となりました。林家は一時、困窮しましたが、やがて許されて男爵に叙せられ、忠崇は昭和16年に94歳で他界しました。最後の大名でした。

 八幡和郎 「江戸三百藩 最後の藩主」 光文社新書
 






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侠気

2019-08-02 06:15:41 | 文化
侠気、義侠心、任侠は意味が同じで、「強きをくじき、弱気を助ける心だて、おとこぎ」のことです。 与謝野鉄幹が、「友を選ばば、書を読みて六部の侠気、四分の熱」と言ったように、嘗ては当たり前のことであったようです。寂しいことに、近頃、「侠気」という言葉を聞くことがめっきり少なくなったように感じられます。
ロンドン五輪(2012年)の時、日本男子競泳陣は、400メ-トル・メドレ-リレ-で銀メダルに輝きましたが、競技の直前に松田丈志選手が、「コウスケさんを手ぶらで帰すわけにいかない」と話し、選手一同が奮起して泳いだということです。この大会で、それまでメダルの無かった北島康介選手を思いやった発言であり、話題になりました。

侠気に溢れた好漢、俳優の杉良太郎氏の言葉を紹介します。

15歳での刑務所慰問を皮切りに、国内外での福祉活動歴は60年になる。歌手になる前、知人のカレ-店で無給で働いたのも、「見返り」を求めない人生の道を貫く覚悟を決めるため。東北の被災地で炊き出しのカレ-を混ぜている時、リポ-タ-に「それって売名ですか」と訊かれた。寒空の下、人々が並んで待っている。反論する時間も惜しかった(「週間朝日、3月8日号より」)
杉氏の返事は「ハイ、売名です。あなたも売名したら?みんな助かるよ」でした。



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