名歌「里の秋」の歌詞は、昭和16年(1941)太平洋戦争の最中、東北地方の田舎を舞台に戦地に出征した父への慰問文として書かれました。当初、曲はついていませんでした。題名は「星月夜」で、詞の一番と二番は今日の「里の秋」と同じでした。三番と四番は次のとおりです。
三番 きれいな きれいな 椰子の島
しっかり護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります
四番 大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります。
昭和20年(1945)に戦争が終り、南方で戦っていた引き揚げ第一船
が浦賀に入港することになり、JOAKでは「引き揚げ同胞激励の午後」というラジオ放送の中で「兵士を迎える歌」を流すことになりました。その時急遽、斎藤信夫の「星月夜」の歌詞に海沼実が作曲し、更に曲名も「星月夜」から「里の秋」に変更されました。この際に、時節柄、上記の三番と四番は削除され、新たに三番の歌詞は次のようになりました。
三番 さよなら さよなら 椰子の島
お船に ゆられて 帰られる
ああ 父さんよ ご無事でと
今夜も 母さんと 祈ります。
一番 しずかな しずかな 里の秋
おせどに木の実が 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実にてます いろりばた
二番 あかるいあかるい 星の空
なきなきよがもの 渡る夜は
ああとうさんの あのえがお
栗の実たべては おもいだす
三番 きれいな きれいな 椰子の島
しっかり護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります
四番 大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります。
昭和20年(1945)に戦争が終り、南方で戦っていた引き揚げ第一船
が浦賀に入港することになり、JOAKでは「引き揚げ同胞激励の午後」というラジオ放送の中で「兵士を迎える歌」を流すことになりました。その時急遽、斎藤信夫の「星月夜」の歌詞に海沼実が作曲し、更に曲名も「星月夜」から「里の秋」に変更されました。この際に、時節柄、上記の三番と四番は削除され、新たに三番の歌詞は次のようになりました。
三番 さよなら さよなら 椰子の島
お船に ゆられて 帰られる
ああ 父さんよ ご無事でと
今夜も 母さんと 祈ります。
一番 しずかな しずかな 里の秋
おせどに木の実が 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実にてます いろりばた
二番 あかるいあかるい 星の空
なきなきよがもの 渡る夜は
ああとうさんの あのえがお
栗の実たべては おもいだす