yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

唱歌 里の秋 秘話

2021-07-29 06:05:05 | 文学
名歌「里の秋」の歌詞は、昭和16年(1941)太平洋戦争の最中、東北地方の田舎を舞台に戦地に出征した父への慰問文として書かれました。当初、曲はついていませんでした。題名は「星月夜」で、詞の一番と二番は今日の「里の秋」と同じでした。三番と四番は次のとおりです。

三番 きれいな きれいな 椰子の島
   しっかり護って くださいと
   ああ 父さんの ご武運を
   今夜も ひとりで 祈ります

四番 大きく 大きく なったなら
   兵隊さんだよ うれしいな
   ねえ 母さんよ 僕だって
   必ず お国を 護ります。

昭和20年(1945)に戦争が終り、南方で戦っていた引き揚げ第一船
が浦賀に入港することになり、JOAKでは「引き揚げ同胞激励の午後」というラジオ放送の中で「兵士を迎える歌」を流すことになりました。その時急遽、斎藤信夫の「星月夜」の歌詞に海沼実が作曲し、更に曲名も「星月夜」から「里の秋」に変更されました。この際に、時節柄、上記の三番と四番は削除され、新たに三番の歌詞は次のようになりました。

 三番 さよなら さよなら 椰子の島
    お船に ゆられて 帰られる
    ああ 父さんよ ご無事でと
    今夜も 母さんと 祈ります。



 一番  しずかな しずかな 里の秋
     おせどに木の実が 落ちる夜は
     ああ 母さんと ただ二人
     栗の実にてます いろりばた

 二番  あかるいあかるい 星の空
     なきなきよがもの 渡る夜は
     ああとうさんの あのえがお
     栗の実たべては おもいだす




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五蘊皆空

2021-07-26 06:00:26 | 文学
「般若心経」の最初に出てくる言葉に、「五蘊皆空」があります。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく)
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是(やくぶにょぜ)
舎利子 是諸法空相(ぜしょほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい) 無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)。

五蘊の「蘊」は梵語でスカンダと言い、「要素」つまり「大事ないちばんもとになるもの」という意味です。五蘊は色、受、想、行、識、のことです。

「色(しき)」は梵語で「ル-パ」と言い、「形のあるもの」「存在するもの」を意味します。
 「受」は梵語で「ヴェ-ダナ-」と言い、「感覚」「感受性」を表します。
 「想」は梵語で「サンジュニャ-」と言い、表象を意味します。
 「行」は梵語で「サンスカ-ラ」と言いつもお手数をおかけします。、意志作用を意味します。
  「識」は梵語で「ヴィジュニャ-ナ」と言い、認識を意味します。

 「色」が物質的・身体的要素で、「受」以下の四つが精神的要素です。

「般若心経」では「五蘊が皆空だ」といいます。
「空」は梵語で「シュ-ニャ」と言いますが、仏教では、すべての存在は直接原因、間接原因によって成立したもので、存在にはその本質となるべきものがないと説き、これを「空」といいます。

   紀野一義 『「般若心経」を読む』 すずき出版 





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品格の向上

2021-07-23 06:06:08 | 文化
「品格の向上」、良い言葉です。第73代横綱に昇進した照ノ富士関が昇進
伝達式で述べた口上は、「不動心を心がけ横綱の品格と力量の向上に努めます」でした。立派です。拍手を送ります。また、この言葉を弟子に言わせるに至った師匠の伊勢ケ浜親方の老成した風格に感じ入ります。横綱は強ければいいだけではなく、勝ち方が美しいことも求められるのではないでしょうか。「美しく勝つ」、それが品格です。
相撲の所作やすべてにおいて高い品格が備わっているのが、美しいことだと思います。「張り手」や「肘かちあげ」などという攻め方で相手をゆさぶる行為は、横綱がとる相撲ではないと思います。白鵬関の15日間全勝優勝はすばらしい業績ですが、勝った時に「どうだ、勝ったぞ」という態度は、見苦しいと感じます。勝負はフェアーに全力を尽して戦った後、勝ちを得ても相手の健闘を称え、敗者をいたわる謙虚さを忘れないような、そんな態度をとって欲しいと思うのです。
品格の向上は、相撲、スポ-ツのみに限らず、他の分野、人生のすべてにおいて望ましい目標ではないでしょうか。照ノ富士関には、怪我を悪化させないように留意しながら、力士の手本となるような大横綱になって欲しい。ご健闘を
祈ります。 




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将棋 プロ棋士のレ-テング ランキング

2021-07-20 06:22:14 | 将棋
将棋のプロ棋士のレ-テング ランキングを日々、計算して表示しているサイトがあります。2021年7月16日の時点において、170人のプロ棋士の中で上位、1位から30位までは下記のようになっています。  

 1位 藤井聡太 王位、棋聖       2030.6
2位 豊島将之 竜王、叡王  1921.4
  3位 渡辺明 名人、王将、棋王 1917.5
  4位 永瀬拓矢 王座 1915.2
5位 斎藤慎太郎 八段      1855.6
6位 広瀬章人 八段       1825.8
7位 羽生善治 九段       1792.0
        8位 木村一基 九段   1790.6       
9位 糸谷哲郎 八段 1782.4
10位 佐々木勇気 七段     1778.8
11位 山崎隆之 八段      1772.0
12位 近藤誠也 七段      1825.8
13位 澤田真吾 七段      1765.6
        14位 佐々木大地 五段  1760.9       
15位 菅井竜也 八段 1727.1
16位 千田翔太 七段      1753.5
17位 八代弥 七段           1748.5
18位 稲葉陽 八段       1746.4
   19位 郷田真隆 九段       1739.6
   21位 久保利明 九段 1732.6
20位 石井健太郎 六段        1855.6
21位 久保利明 九段 1732.6
22位 佐藤天彦 九段         1730.8
23位 増田康宏 六段     1726.5
        24位 丸山忠久 九段  1724.1      
25位 池永天志 五段 1719.5
26位 飯島栄治 八段         1713.7
27位 三浦弘行 九段      1712.7
28位 佐藤康光 九段      1707.4
29位 梶浦宏隆 七段      1704.7
        30位 三枚堂達也 七段  1696.3 
     
上記にはタイトル保持者とA級棋士がおり、順位30位
以内に強い棋士がほとんどすべて入っています。この方式のレ-テング・ランキングの精度が良いことを示しています。一方、かつて、強豪といわれた棋士のランキングはどうでしょうか。 

順位の低い九段は沢山います。数字は順位。

中村修 95位、森下卓117位、高橋道雄120位、先崎学 131位、南芳一 138位、塚田泰明144位、脇謙二160位、小林健二161位、福崎文吾167位。
昔は強豪でしたが、最近は勝ちが少ないのでしょう。

上記のランキングによれば、藤井聡太二冠は、レ-テングは 断突の2030.6、順位は1位です。実力がプロの中で最高である事が数値上でも客観的に証明されています。
それなのに、藤井二冠が名人ではない事に違和感を覚えます。実力をタイムリ-に反映していない、旧来の順位戦による序列の制度、順位戦制度が障害になっているようです。勝ち負けが明瞭な勝負の世界で最高の実力者が相応の処遇を受けていないとすれば不公平なことと批判されるのではないでしょうか。
日本将棋連盟は、制度の改善を求められるかも知れません。
   
        将棋のプロ棋士のレ-テング、ランキングのウェブサイトのURLは下記です。
 https://shogidata.info/list/rateranking.html







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よしお 考

2021-07-17 06:07:11 | 文化
「よしお」という名前は、よい 男 に通ずるので、日本人男性が
広く名乗っており、多くの漢字があてられ、有名人も沢山います。

義雄
  木村義雄  十四世名人(将棋)
  小出義雄  マラソンコ-チ、高橋尚子を育てました
  小島義雄  お笑いタレント
他に、不肖の身近にも一人います。
義男
   白井義男   元、世界チャンピオン(ボクシング、フライ級) 
芳夫
   石田芳夫   二十四世本因坊(囲碁)
 
   良雄
      大石良雄   播州赤穂藩 筆頭家老(赤穂浪士のリ-ダ-)
   好夫
      中野好夫   英文学者

   吉生  知人に一人います。

   誉士雄 児玉誉士雄  政治家(右翼)


   よしおと同じ意味の語に「よしろう」と「よしひこ」があります。

   喜朗  森喜朗    元・首相

   快彦  井ノ原快彦  俳優、歌手、タレント

佳彦  野田佳彦   元・首相

善比古  阿部善比古   小学校 恩師
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十分盃

2021-07-14 06:15:37 | 歴史
不肖の郷里、長岡に、「十分盃」という盃があります。(写真 下)

十分盃(十分杯)は日本酒などを飲むときに使用する酒器です。中央の飾り内部にサイフォンのからくりがあり、底に穴が開いています。八分目くらいまでお酒を注いでも何も起こりませんが、並々注ぐと底の穴からお酒が全て流れ出てしまいます。「欲張ると全てを失ってしまう」という教訓の酒盃です。長岡藩3代目藩主の牧野忠辰公が、「物事は八分、余裕をもって行えば万事うまくいく」と自らを戒め、家来に説いたと伝えられています。「ほどほどがちょうどいい」
長岡では十分盃として伝えられましたが、他にもあります。発祥はギリシャといわれ、中国では「欹器(いき)」といいます。空のときには、直立しますが、なみなみ注ぐとひっくり返る仕掛けの器です。「世の中の万事はこれと同じ。満ちて転覆しないものはない」と、孔子は弟子たちをさとしたそうです。


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二刀流

2021-07-11 06:06:59 | 文化
二刀流といえば、野球の投打で活躍しているエンジェルスの大谷翔平さんの二刀流が有名です。アメリカの新聞では、two-way-player と翻訳しているそうです。

元々、二刀流は宮本武蔵が使った二天一流という剣術の流派のことです。右手と左手に各々大刀を持つという剣法は普通の人には無理であり、宮本武蔵のような豪腕の人にのみ可能でした。二刀流を英訳するとNito Ryu (the school of the two swords)となります。

ところで、二刀流と類似した意味の言葉に「二足の草鞋を履く」という言葉があります。これは両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること。特に、江戸時代、博徒が捕吏を兼ねることをいいました。現在では「会社員と作家の二足の草鞋を履く」など、両立が困難と思われるような職業を兼ねることを指します。
銀行員で、作詞・作曲・歌手も兼ねる小椋佳さんもその一人ですが、どの草鞋も一流なのがすばらしい。日本の社会のル-ルでは、民間会社でも官庁でも、通常、二足の草鞋を履くことが制限されています。しかし小椋氏の場合は、公然の黙認状態であったということです。「二刀流を遣う」も「二足の草鞋を履く」も、非凡な才能を持った人にのみ可能なようです。







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不将不迎 荘子

2021-07-08 06:02:15 | 文学
『荘子 内篇』に次の箴言があります。

 至人之用心。若鏡。不將不迎。應而不蔵。故能勝物而不傷。

  「読み方」
 至人ノ心ヲ用フルコトハ。鏡ノ若(ごと)シ。將(おく)ラズ迎(むか)ヘズ。応(こた)ヘテ蔵(こだ)ハラズ。故ニ能(よ)ク物ニ勝(た)ヘテ傷ツケラレズ。

      「訳」
 至人、絶対者の心は明るい鏡に譬えることができる。明鏡は「將(おく)らず迎えず、應じて蔵せず。故に能く物に勝(た)えて傷つけられず。」物の去来に任せて自己の主観や恣意にみだされず、去るものは去るに任せて追いかけず、来るものは来るに任せて、ことさらに迎えることをしない。西施の美貌も癩病やみの醜穢(しゅうわい)も、堯舜の聖善も桀紂(けっちゅう)の凶悪も、ただあるがままに写して愛憎好悪の私情を挟まず、一切万物に応接して、しかもその迹を留めない。だから明鏡は「能く物に勝えて傷つけられず」、あらゆる存在に自由自在に対処することができ、しかも自己自身は傷つくことも害なわれることもないのである。
「不將不迎」はよく書になっており、その例を示します。(下 写真)

福永光司 「荘子 内篇」朝日新聞社






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凡聖不二

2021-07-05 06:02:42 | 文学
「凡聖不二(ぼんしょうふに)」は仏教の言葉です。

    釈迦が入滅して以降、釈迦と同じように覚(さと)りを得る修行者がいなくなりました。そのため、釈迦のような仏陀になるには何度も生まれ変わって善行を積まないといけない、という教えが主流になりました。一般の人々も修行者も、凡人は聖者である仏陀とは程遠いのだ、という事です。ところがその後、大乗仏教の台頭により、衆生は仏陀とかけ離れたものではない、という思想が主流になりました。凡人も聖者である仏陀も同じである、という思想です。これを「凡聖不二」といいます。空海の書に『凡聖不二』がありますが、この中に下記のような箴言があります。
      人の短を言うことなかれ、おのれの長を解く説くことなかれ、人に施し
      て思うことなかれ、施しを受けて忘れることなかれ。


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勧酒  干武陵

2021-07-02 06:04:38 | 文学
晩唐の詩人 干武陵(うぶりょう、801~)の五言古詩を紹介します。
 

     勧酒

    勧君金屈巵
    満酌不須辞
    花発多風雨
    人生足別離


    酒ヲ勧ム

    君ニ勧ム金屈巵(きんくっし)
    満酌辞スルヲ須(もち)イズ
    花発(ひら)ケバ風雨多シ
    人生別離足ル


       「訳」

       あなたに勧めましょう、この金の杯を。なみなみついで、どうか遠慮しないでくれたまえ。花が咲いたら、とかく風雨にさらされるもの。人生に別れはつきものだ。

        有名な井伏鱒二の訳詩では

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガセテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

「鑑賞」
 干武陵は、進士に及第した秀才ですが、宮仕えが性に合わず、琴と書物を携えて諸国を遊歴しました。後に田舎に隠棲して余生を送りました。飄逸で多感な趣がありました。金屈巵は屈曲した取っ手のついている金の杯です。
「サヨナラ」ダケガ人生ダの印象からこれを別離の詩と取る人が多い。しかし、率直にこの詩を読むと、「酒を勧む」と題するように、今の目の前の楽しい宴会で、心ゆくまで酒を飲むことに主眼があります。後半は、花には風雨が多いし、人には別れが多い、と対句仕立てにして、だから花の咲いている今、こうして互いに会っている今を楽しもう、というのです。決して別れの歌ではありません。

 石川忠久「漢詩の楽しみ」時事通信社





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