yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

尊称 雅号 通称 諡号 法号

2024-04-28 05:44:48 | 文化
それぞれの分野の第一人者を尊敬して周囲や後世の人々が名付けた
称号が尊称ではないでしょうか。例えば以下があります。

詩聖 杜甫
詩仙 李白
詩仏 王維
詩郎 杜牧   (不肖の愚案)
詩翁 白居易  (不肖の愚案)
詩徹 蘇軾   (不肖の具案)
大豪(将棋)   升田幸三
大豪(囲碁)   藤沢秀行
俳聖 芭蕉
楽聖 ベ-ト-ベン
音楽の父 バッハ
音楽の母 ヘンデル
ワルツの父 ヨハン・シュトラウス
角聖 常陸山谷右エ門
棋聖(将棋タイトル)藤井聡太
棋聖(囲碁タイトル)一力遼
 碩学、泰斗  学問においておおいに優れた人
 画伯  画家の中でおおいに優れた人
 名人  技芸、工芸においておおいに優れた人、例えば、左甚五郎
     木村義雄、大山康晴も長い間このタイトルを保持しました。
     尊称の最たるもの
 神君  徳川家康

   通称、幼名という呼び名もあります。
    吉之助 西郷隆盛
    正介  大久保利通
    弥助  大山巌
    真吾  西郷從道
    仲五郎 東郷平八郎

     なお、薩摩下鍛冶屋町に生まれた上記の吉之助から仲五郎の5人は後に大活躍をしました。明治維新から日露戦争までこの町内で一手にやってのけたとも言われます。

    生前の行いを尊び、死後に贈られる称号を諡号(しごう)といいます。
     義公 徳川光圀
     裂公 徳川斉昭
    
    死後のおくり名(戒名・法名)を「法号」といいます。
     不識庵  上杉謙信
     機山   武田信玄

  雅号は、文人・学者・画家などが本名以外につける風雅な別名。
   漱石  夏目漱石
   子規  正岡子規
   蒼龍屈 河井継之助
   青淵  澁澤榮一
   鈍翁  益田孝(茶人、三井財閥の総帥)
   耳庵  松永安左エ門、「電力の鬼」ともいわ 
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偶成 朱熹

2024-04-25 06:06:39 | 文学
南宋の詩人で、哲学者「朱子」として著名な朱熹(しゅき)の「偶成」を紹介します。少年時代に師から教わりました。

  偶成

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋風 
 
     「読み方」
少年老イ易ク 学成リ難シ
一寸ノ光陰 軽ンズベカラズ
未ダ覚メズ 池塘 春草ノ夢
階前梧葉 已(すで)ニ秋声 

      「訳」
若い時代はうつろいやすく、学問というものはなかなか成就しない。
それゆえ、ほんのちょっとした時間すらも、おろそかにしてはならない。
池のほとりに春の草が萌え出して楽しい夢からいまださめきらないうちに、
早くも庭先の梧桐(あおぎり)の葉を落とす秋が来たことに驚くのです。

         「鑑賞」
朱熹は南宋の詩人であるばかりでなく、哲学者として朱子の呼び名で有名であり、その学問、朱子学は後世に多大な影響をあたえました。この詩は、そうした学者の面目躍如たるもの。夢多い青少年期の努力いかんで、学問の成果も決まるのだから、刻苦勉励せよ、という「少年老い易く・・」の有名な起句・承句が一篇の主題。このお説教の詩を、春草、梧葉のしゃれた比喩が救っています。朱子らしい機知にとんだ詩です。

        石川忠久 「NHK 漢詩紀行」NHK出版

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東照神君 遺訓

2024-04-22 05:54:01 | 文学
東照神君 徳川家康公には次のような遺訓があります。


人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人を攻むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

この意味は、おおよそ次のようなものです。

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが、無事に長く安らかでいられる基礎で、怒りは敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
及ばざるは過ぎたるに勝れり。
   
       戦国時代を終わらせ、日本に260年もの長期の平和をもたらした人物の言葉
     には、深い洞察があり、さすがに達人の名言です。

       不肖は最後の「おのれを責めて人を攻むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり」に特に共感を覚えます。
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藤井八冠の名言

2024-04-18 05:55:38 | 将棋
2023年3月、 棋王戦に勝利した結果、藤井聡太氏は20歳8ヶ月で、棋聖、王位、叡王、竜王、王将、棋王の六冠となりました。(その後、名人、王座を加えて現在は八冠となりました。) 「立場にふさわしい将棋を指せるよう、いっそう頑張らなければいけないと思います」と、棋王奪取の後に語りました。当夜の記者会見では、「初挑戦時を名古屋駅として、新幹線で東京駅に向かっているなら、今はどのあたりを通過中?」という変化球の問いに対し、「え-と・・・じゃあ静岡くらいということでお願いします」と笑顔で答えました。「静岡」が「静岡駅」ならば中間地点ですが、「静岡県」ならば浜松から熱海まで解釈に幅が生まれます。絶妙の応手でした。なお、2022年に五冠達成後、現在地を、まだ「森林限界の手前です」と藤井聡太氏は表現しましたが、「今も途上」という意味においては、森林限界と静岡は重なっていました。

「大志 藤井聡太のいる時代」 朝日新聞

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無用の用

2024-04-15 06:42:25 | 文化
テレビのクイズ番組を見ていると、解答のできない人が、腹を立ててよく言う台詞があります。「その問題の解答ができたから、どうだっていうのだ、その解答が役にたつのか。」
この言葉に対して、ある識者が下記のように言って窘めました。
「すぐに役に立たない」ことにも意味があります。今すぐ役に立たないことを知ることは、将来、役に立つ可能性があるのです。「今すぐ役に立つ」ことを知っても将来、役に立たなくなる可能性もあります。
数学の難問や宇宙の成り立ちが分かったら、何の役に立つのか。これもよくいわれますが、人類の難問の解答を追求する学者は大勢いますし、それを良しとする文化や、そうした活動を支援する国家(例えば英国)もあります。
老子が説く「無用の用」にも通じているかも知れません。



     



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ジョブス氏の最後の言葉

2024-04-12 06:33:41 | 文化
アップルの創業者、スティ-ブ・ジョブス氏が遺した最後の言葉を紹介します。

STEVE JOBS Last Words - 
スティーブ・ジョブス最後の言葉
    
I reached the pinnacle of
success in the business world.
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
   
In others’ eyes, my life is an epitome of success.
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。
    
However, aside from work, I have little joy.
In the end, wealth is only a fact of life that
I am accustomed to.
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
   
At this moment, lying on the sick bed and
recalling my whole life,
I realize that all the recognition and wealth that
I took so much pride in, have paled and become
meaningless in the face of impending death.
病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
   
In the darkness, I look at the green lights from
the life supporting machines and hear the
humming mechanical sounds,
この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
I can feel the breath of God and of death drawing closer…
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。
   
Now I know, when we have accumulated
sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue
other matters that are unrelated to wealth…
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。
   
Should be something that is more important:
もっと大切な何か他のこと。
    
Perhaps relationships, perhaps art,
perhaps a dream from younger days …   
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。
   
Non-stop pursuing of wealth will only turn
a person into a twisted being, just like me.
終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。
  
God gave us the senses to let us feel
the love in everyone’s heart, not the illusions
brought about by wealth.
神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた幻想ではなく、
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。
  
The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。
   
What I can bring is only the
memories precipitated by love.
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。

That’s the true riches which will follow you,
accompany you, giving you strength and light to go on.
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。
    
Love can travel a thousand miles.
Life has no limit. Go where you want to go.
Reach the height you want to reach.
It is all in your heart and in your hands.
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、
全てはあなたの手の中にあるのだから
   
What is the most expensive bed in the world? –
“Sick bed” …
世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい? 
シックベッド(病床)だよ。
    
You can employ someone to drive the car for you,
make money for you but you cannot have someone
to bear the sickness for you.
あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。
  
Material things lost can be found.
But there is one thing that can never be
found when it is lost – “Life”.
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。
人生だよ。命だよ。
   
When a person goes into the operating room,
he will realize that there is one book that he has
yet to finish reading – “Book of Healthy Life”.
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。
「健康な生活を送る本」
  
Whichever stage in life we are at right now,
with time, we will face the day when the
curtain comes down.
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
   
Treasure Love for your family,
love for your spouse, love for your friends…
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。
  
Treat yourself well. Cherish others.
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。
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些細なことにも文化が宿る

2024-04-09 06:30:36 | 文化
耳を洗う」「尻の毛を抜く」「マラソンで走る長さ」の答が分かったから
と言って、どうだといわれるかもしれません。円周率、3.1415・・・・を62兆桁も計算して何に役立つのかという疑問もあります。しかし、こんな些細なことの中にも文化が宿っているのではないかと思うのです。

「耳を洗う」の由来。
「史記正魏伯夷伝・註」によると、許由が堯から帝位を譲ろうと言われ、汚れたことを聞いたと思って「耳を洗った」そうです。汚れたことを聞いたので洗い清める事から、この故事が、「俗事にかかわりなく暮らすことのたとえ」という意味になりました。

「尻毛を抜かれる」の意味。
  油断している隙につけこまれたり、不意に突飛なことをされたり、利用されて財産を騙し取られることを意味します。

「マラソンで走る長さ」の由来。
マラソンの語源は、紀元前にギリシャ軍兵士がペルシアの大軍との戦いの勝利を報告するために、マラトンという町から約40km離れたアテナイまで走ったことに由来しています。勝利の報告後、使命を果たした兵士は力尽きて亡くなってしまいました。この兵士を偲んで、兵士が走った約40kmを第1回オリンピックで走ったのがマラソンの始まりだそうです。当時は大会によって距離が違い、「約40km」という曖昧なルールで実施していました。では42.195kmという中途半端な距離が採用されたのはいつなのでしょうか。
それは1908年の第4回ロンドン大会です。当初は42kmで設定していたのですが、このときのイギリスの王女アレキサンドラが「スタートは城の窓から見えるように宮殿の庭で。ゴールは競技場にあるボックス席の前に設置してほしい」とリクウェストした結果、当初予定していた42kmよりも距離が延び、42.195kmになったと言われています。そして、マラソンの距離を固定することになった第8回パリ大会から、正式な競技距離として42.195kmが採用されました。何とスポ-ツの世界では、ギリシャの戦士の力走した距離よりもイギリスの王女のリクウェストが優先された事がわかります。
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枕詞

2024-04-06 05:49:33 | 文学
日本には「枕言葉」という美しい言葉があります。
枕詞は短歌によく使われます。思ったより沢山ありますが、例えば以下のようなものがあります。
     
  (枕詞)  (掛かる言葉)
あきつしま  大和
さざなみの  近江
あおによし  奈良
みすずかる  信濃
とぶとりの  飛鳥
かみかぜの 伊勢
やくもたつ  出雲
さねさし   相模

たらちねの  母
ぬばたまの  夜・黒
ちはやぶる  神
もののふの  八十
あしひきの  山
からごろも  着る

 枕詞には、意味を抜いて歌を単純化し、調べを調えるという効果があります。

      たらちねの母が吊りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
                                 長塚 節
      さねさし相模の小野に入り来り夕かげりはやし紅梅の花
                                 土屋 文明




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「管見」 山本覚馬

2024-04-03 05:40:36 | 歴史
幕末の会津藩士、山本覚馬は、山本八重(新島襄夫人)の実兄です。八重より17才年長で、藩公の京都守護職就任に随行して京都に滞在中に、「管見」という文を著しました。拙い見解のことを「管見」というのですが、これは謙遜であり、覚馬の「管見」は、実は驚くような卓見であり、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、岩倉具視は、一読して深く感嘆し、明治政府でこれの実現を目指しました。覚馬は眼が不自由であったので上京しませんでしたが、京都府庁に出仕して、幕末動乱後の京都の発展に尽力しました。
 覚馬は、青年時代に江戸に遊学し、佐久間象山に洋学・砲術を学び、蘭学・英学を極めました。後年には読書から、あるいは西周・津田真道・神田孝平らの新進の学者と交わって、西洋の事情に通じ、国士ともいうべき諸藩の名士と往来し、その思想は実に当時の封建思想を超えていました。「管見」には、専ら対外的見地から政見が述べられています。

近年、防衛省の防衛研究所(東京)に、この原本が保存されていたことがわかりました。この事は政府において重要文書と認識されていたことを意味しているのです。
 「管見」は、延々数万言、次の23項目について論じていました。すなわち、政権・議事院、学校、変制、撰吏、国体、建国術、製鉄法、貨幣、衣食、女学、平均法、醸造法、条約、軍艦国律、港制、救民、髪制、変仏法、商律、時法、暦法、官医 などです。
日本の近代化の方策を具体的に述べたもので、その根幹は殖産興業を中心とする物づくりと教育による人づくりでした。当時、誰もが発想もしなかった女子教育にまで話が及んでいる先見性が特長です。  
次のようなエピソ-ドもあります。義弟の新島襄が同志社大学の建地を探していた時に、今出川の広大な薩摩藩邸の跡地を紹介しました。西郷隆盛が、かつて、覚馬に「好きに使ってよか」と許可していたというのでした。同志社大学の設立には西郷と覚馬の恩恵が大きく関わっています。

早乙女貢 「明治の兄妹」 新人物往来社


日本の近代化の方策を具体的に述べたもので、その根幹は殖産興業
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