ベツレヘムのキリスト生誕の遺跡には小さい堂があります。ここでキリストが産声を上げたという洞窟の床には、東方の三博士を導いたと伝えられる星の形が銀ではめこんであり、馬槽(うまぶね)があったという場所が祭壇になっているそうです。<o:p></o:p>
このベツレヘムの星の正体が何であったか、これは昔からしばしば問題になってきました。キリスト教徒、とくに旧教徒の国では、この星を超自然的な奇蹟によるものとするのが普通でした。しかし、近世になるにつれ、これに科学的な解釈を与えようとする人々が、学者はもちろん、キリスト教徒にも続出してきました。この星の話は新約聖書の「マタイによる福音書・第2章」にだけ出ています。<o:p></o:p>
「イエスがヘロデ王の代(よ)に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東でその星を見たので、その方を拝みにきました。』ヘロデ王は秘かに博士たちを呼んで『行って、その幼子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ』<o:p></o:p>
博士たちが出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして家に入って、母マリアのそばにいる幼子に会い、ひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬(香料であり薬)などの贈り物をささげた。」<o:p></o:p>
この話は、いわゆる救世主の「御公現」のことで(西暦1年1月6日)、クリスマスから数えて12日目にあたります。<o:p></o:p>
さて、この星の正体は何だったのでしょうか。聖書の原文はとても簡素で具体的でないので手がかりが少ないのですが、古来より多くの人が説明を試み ています。まず、マッキンレー中佐が宵の明星、金星説を唱えました。金星は1年半毎にベツレヘムの星のような動きをくりかえすことが知られていましたが、1月のこの時期、救世主の生誕と符合する出現を想定するのは困難で あるとされました。<o:p></o:p>
また、大天文学者、ケプラーが新星説を発表しましたが、一般に新星は暗いことから、この星の態様とは異なるという弱点がありました。またハレー彗星などの大彗星ではないかという説もありましたが、周期的に出現する彗星が西暦1年頃に現れた可能性を見出すことができませんでした。その後ケプラーは1606年に、魚座に木星と土星が集まった天象ではないかとの説を提示し、ニューヨークのプラネタリウムなどでのシミュレーションの結果からも木星・土星の会合説が支持されており、有力な仮説になっています。<o:p></o:p>
2000年にも亘る、なんとも壮大でロマンに溢れる考証ではないでしょうか。<o:p></o:p>
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野尻抱影著 『星と東西民族』 恒星社<o:p></o:p>
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