徳川家康の十男、初代・紀州藩主、徳川頼宣が遺した父母状という文があります。
領内に起こった犯罪の報告を受けた頼宣公は、「藩の教育に問題があった。彼一人の罪でない。私の不徳を恥じるのみだ」と言い、自ら筆を執って教訓状を書き、これを藩の儒者、李梅渓に清書させたものを藩内にくまなく配りました。これが「父母状」と呼ばれるものです。内容は以下の通りです。
父母に孝行し
法度を守り
へりくだり
奢らずして
面々家職を勤め
正直を本とすること
だれも存たることなれども
弥能相心得候様に
常々可申聞者也
特に、「正直を本とすること」が強調されたそうです。全体を、現代文にすれば「父母に孝行し、法を守り、質素に、家業に勤め、正直に暮らすことは誰でも知っていることではあるけれども、しっかりと心得るように常々言い聞かせなければならない」というような意味になります。この教えは、広く人生訓として紀州藩に永く浸透し、市内には今でも園児にこの内容を暗唱させている幼稚園があります。
領内に起こった犯罪の報告を受けた頼宣公は、「藩の教育に問題があった。彼一人の罪でない。私の不徳を恥じるのみだ」と言い、自ら筆を執って教訓状を書き、これを藩の儒者、李梅渓に清書させたものを藩内にくまなく配りました。これが「父母状」と呼ばれるものです。内容は以下の通りです。
父母に孝行し
法度を守り
へりくだり
奢らずして
面々家職を勤め
正直を本とすること
だれも存たることなれども
弥能相心得候様に
常々可申聞者也
特に、「正直を本とすること」が強調されたそうです。全体を、現代文にすれば「父母に孝行し、法を守り、質素に、家業に勤め、正直に暮らすことは誰でも知っていることではあるけれども、しっかりと心得るように常々言い聞かせなければならない」というような意味になります。この教えは、広く人生訓として紀州藩に永く浸透し、市内には今でも園児にこの内容を暗唱させている幼稚園があります。