後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

愛を強く感じる人、全く無関心な人、嗚呼、人はそれぞれ

2017年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
愛にはいろいろなかたちがあるようです。親子の愛や夫婦の愛は実感出来る分かり易い愛です。
しかし子供の童話によく描かれている王様の人々へに対する愛は、現在の日本人には分かりにくいのではないでしょうか。
王様が人々を愛し、人々は王様を愛することは美しいことです。王様も人々も幸福です。どんなに科学や工業が発達していても愛が豊かにみなぎっている国ほど幸せな国はありません。
そのような国がアジアのいっかくにあるのです。タイ王国です。
昨年の10月13日にプミポン国王が88歳で亡くなったときのタイの人々の写真をご覧下さい。

1番目の写真は国王を慕う民衆がタイのシリアート病院の外で国王の病気が良くなるように祈っている光景です。病院の外にいる人の多くがピンク色の服を着て、国王に幸運が訪れることを願っています。

2番目の写真はプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。

3番目の写真も同じようにプミポン国王の姿を写した写真を掲げ嘆き悲しむ女性の写真です。

4番目の写真は悲しみのあまり道端で泣き崩れる3人の女性の写真です。以上の写真の出典は、http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/13/thailand-_n_12481536.html です。
プミポン国王の遺骸の通る沿道を国民が埋め尽くして悲しみにくれたそうです。そして国中が黒服を着て1年間の喪に服したのです。その1年間の喪も間も無く明けます。そして一年後の今月にプミポン前国王の葬儀を国家こぞって行うのです。

5番目の写真はこの一年間、黒服で通勤している光景の写真です。

プミポン国王はタイで敬愛される存在でした。国王の肖像画はタイの至る所で見かけられ、多くのタイ人は国王を崇拝の対象としていたのです。
プミポン国王は1927年12月5日、アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、1946年6月、18歳で即位しました。世界で在位期間が最も長い王様でした。趣味は音楽、絵画、写真、ヨットなどだったそうです。作曲も行い、発表された作品は50を超えていたとも言います。。

タイは立憲主義の国ですが、政府に問題が起こったときには国王が仲裁役として大きな役割を担ってきた歴史があるのです。70年間に及ぶ在任中、クーデターや政治的な対立が起きたとき、国王は常に政治的な権力を行使して国内の平和を守ったのです。
タイは現在、2014年5月にクーデターが発生し、国王の承認を得たのち、軍政の支配下にあります。
このようにタイの王様は政治的な力を何度も発揮してきたのです。
それが可能だったのは国民が王様を愛していたからです。王様が国民を愛していたからです。
翻って日本の天皇制を考えて見ましょう。
私どもの天皇性は1300年の歴史があります。この長い間の存続を可能にしたのは時代、時代の政治権力者が天皇を利用して来たからです。と理解するのはあまりにも皮相的な理解です。
どんな時代にも天皇は人々を愛し、人々は天皇を愛していたのです。この相互の愛が天皇制を守ってきたとも理解できます。この相互の愛が無ければ政治権力者は天皇を利用できません。
このように目に見えない愛を強く感じる人もいます。鈍感で感じない人もいます。全く無関心な人もいます。
天皇制を否定する人にはこのような愛の存在が理解出来ないのです。
嗚呼、人はそれぞれです。しかし目に見えない愛を強く感じる人は幸せです。そのような人々を私は好きです。
今日示した写真に写っているような人々が好きです。尊敬しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

日本人の教養としての漢詩を思い出し楽しむ

2017年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日と昨日と続けて最近の日本の国内政治にまつわる生々しい記事を次のように書きました。
「安倍総理が辞め、小池総理に?原発は廃止か?」2017年10月02日 掲載、
「政治に関心の無い人の罪、そして人間的な魅力」2017年10月03日 掲載。
そうして安倍さんの独断的解散の結果がどのような結果になったかを簡略に書きました。
その結果とは、「自民・公明のグループ」と「希望・民進・維新というグループ」と「共産・社民・その他のグループ」の3つのグループの三者対抗戦になって、この3つのグループが475定員の衆議院議員の議席を争う選挙になったのです。
そして昨日は民主国で政治に関心を持たない人は悪いと書きました。全ての国民が政治に関心を持ち自分の自由な考えに従って投票することが民主主義の原理原則です。
こういう政治権力の闘争に関連したことを書いていると自分の心が荒れます。ザラザラした気分になります。
読んで下さった方々の心も決して平安な状態ではなくなります。どうしても人間の悪い一面である権力欲を連想するから気分が悪くなります。
そこで今日は気分を良くするようにと、昔学校で習った漢詩を思い出し鑑賞しようと思います。
漢詩は日本人の教養ですが共産党の中国の学校でも現在教えています。
例えば、湖南省の邵阳市第一中学校のHP(http://www.sysyz.com.cn/wx/sh.aspx?id=280 )にも「元二の安西に使するを送る」と題した漢詩が挿絵入れで紹介してあるのです。その挿絵をここにお送りいたします。

そして漢詩は以下の通りです。

「元二の安西に使するを送る」
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出づれば故人無からん

「送元二使安西」
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人

邵阳市は日本の漢字で書くと邵陽市になります。
古典文学の教養として日本も中国も同じ漢詩を幾つも習っているのです。

日本でも唐時代の漢詩を学校で教えています。ですから日本人は漢詩の幾つかを憶えていて、折にふれ詠み返しています。
王維が友人の送別のために書いたのがこの漢詩です。唐の都から西の陽関という関所を越えて西域の僻地に旅立つ親友との惜別の詩です。もう二度と会えないかも知れない友へもう一杯の酒を飲んでくれと言いながら別れを惜しんでいるのです。
この詩のポイントは故人にあります。故人とは古くからの友人や親友の意味です。そして 陽関は関所の名で、現在の甘粛省敦煌県の西南の玉門関の陽(みなみ)にあったのです。


皆様も友人の送別会の時、この漢詩を朗誦したのではないでしょうか?
・・・渭城の朝雨 軽塵を潤し~客舎青青柳色新たなり~~
君に勧む更に盡くせ一杯の酒~~~
西のかた陽關を出ずれば故人無からん~~~

こんな漢詩を読んでいると自分の故郷の仙台の風景が思い出されます。
若い頃、夢を抱いて東京に出て来て生涯を過ごしました。中央の実社会で苦しい思いや悲しい思いもしました。しかしそれは邯鄲の夢でした。そして遊びまわった山や草原や広瀬川の河原を思い出すのです。
そのような仙台の広瀬川の写真と東一番丁の写真を示します。2014年10月の秋に撮りました。最後の写真は仙台の夜景の写真です。出典の、
http://midekesain.com/photodisp.php?imgid=711 からお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)