後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬の河口湖、西湖、精進湖への小さな旅

2017年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム
富士五湖は満々と碧い水をたたえ静かに広がっています。高原の神秘的な湖です。
東の山中湖は忍野八海を含み広大な湖でした。西の河口湖、西湖、精進湖、本栖湖はつながった「さいの海」という細長い湖でした。
それが貞観6年(864年)に起こった富士山の大噴火で多量の溶岩が流れ込み現在のような4つの湖になったのです。
この貞観大噴火の様子は甲斐の国司が京都の天皇へ報告書を送っています。
「貞観6年7月17日辛丑、甲斐国(の国司)が報じるところ、駿河国の大山・富士が突如として火を噴き、山じゅうを焼き砕き、草木は焦がれ死んだ。土石は溶け流れて、八代郡にある本栖海(本栖湖)と剗(さい)の海を埋めてしまった。湖水はお湯のように熱くなり、魚や亀の類はみな死んだ。人々の家屋は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、そのような例は数え上げることもできない。2つの湖の東には河口海(河口湖)という湖があるが、火はこの方角へも向かっている。」
現在の河口湖、西湖、精進湖、本栖湖も大量の溶岩が流れ込み、それぞれ独立した4湖になったのです。
そしてその風景は貞観時代以来、現在まで変わっていません。
富士五湖は私共家族の遊び場でした。岸辺で昼食を食べたり船に乗ったりしてその清い水を覗き込んでいました。
山中湖の近くのマウントフジホテルや夏だけ営業している山中湖の横浜グランドホテルにも泊まりました。河口湖のフジビューホテルや富士急ハイランドホテルや旅館にも泊まりました。
富士五湖には四季折々楽しかった思い出が沢山あります。
昨日、家内が昔風の太い海苔巻きを作りました。そうだ河口湖の岸辺で富士山を眺めながら二人で食べようと思いました。
そして冬の河口湖、西湖、精進湖への小さな旅に出たのです。写真に従ってご案内いたします。

1番目の写真は河口湖の西岸から見上げた昨日の富士山です。五合目の上は灰色の雲に覆われていました。
寒々しい冬の高原の湖の雰囲気をお伝えしようと撮った写真です。

2番目の写真は河口湖に来ると必ず車を停めて遊ぶ場所です。ヨットが何十年も変わらず係留されているロマンチックな場所です。昨日もここで車を停めて海苔巻きを食べました。

3番目の写真は河口湖の東岸で、富士ビユーホテルの下から見た風景です。ここにも同じヨットが何十年も係留されています。

4番目の写真は西湖です。夏の間活躍したボートが岸辺に並び、人気がありません。湖面に寒い冬の風が吹いていました。

5番目の写真は冷たそうな西湖の黒い湖面の写真です。強風で波立っています。

6番目の写真は西湖の岸辺です。西湖まで奥に入ってくると岸辺まで車を入れて良い所があちこちにあるのです。家内が空気が美味しいと言って何処までも歩いていきます。回りには誰もいません。波音だけが何時までも小さく響いています。

7番目の写真は向こう岸に雪が残る精進湖の風景です。

8番目の写真は車を波打ち際まで入れて富士山を撮った写真です。
いつもは湖水一面にヘラブナ釣りのボートが並んでいますが流石に厳冬の季節には誰もいませ。

9番目の写真はコーヒーを飲んだ洒落たカフェの前から見た精進湖の風景です。

冬の河口湖、西湖、精進湖への小さな旅の魅力は高原の湖の静謐さにあります。
観光客がほとんどいないのでとにかく静かです。淋しさが漂っているのです。
楽しかった思い出も湧き上がってきます。そて人生のあれこれを想い感慨が深いのです。
そんな小さな旅もたまには良いものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考========
(1)河口湖
河口湖(かわぐちこ)は、本州の中部、富士山の近くに存在する、富士五湖の1つに数えられる相模川水系の湖である。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖とほぼ同じで 14.6m の深さ。
湖の中央に鵜の島(鸕鷀島)と呼ばれる小さな島がある。また、産屋ヶ崎は富士山展望の好適地とされている[3]ほか、乳ヶ崎、小曲岬(子轉ヶ崎)、長崎(胞ヶ崎)などの景勝も存在する。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
富士五湖の中で最も北に位置し、全体が山梨県南東部の南都留郡富士河口湖町に属する。
河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害を出した。一方で、山を挟んだ東の新倉村(現・富士吉田市新倉)では透水性の溶岩台地が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。新倉掘抜は江戸時代初期から工事が行われ、曲折を経て、江戸後期の1865年に完成し、新倉村は河口湖の水利権を保持している。1911年には新たなトンネルが掘削されたため、それ以降、新倉掘抜は利用されていない。
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%B9%96 )

(2)西湖
山梨県南部、富士河口湖町の中央付近に位置する。富士山の火山活動によって生じた堰止湖。面積は富士五湖では4番目の大きさで、最大水深は2番目の深さで 71.7m。山梨県指定天然記念物フジマリモの群落地である。富士箱根伊豆国立公園の特別地域内にある[4]。
かつて富士山北麓には、剗の海という広大な湖があった。やがてその西部に溶岩流が流れ込んで分断され、本栖湖が生まれた。さらに平安時代初期の貞観6年(864年)に富士山が大噴火(貞観大噴火)を引き起こし、流れ出た膨大な量の溶岩流によって剗の海は大半が埋め尽くされた。この時に埋め残された東端が現在の西湖で、精進湖は北側の湾の一つである。現在でも雨水による増水時に、それぞれの湖で水位が一定して同じく推移するため、3つの湖は地下でつながっていると考えられている。
西湖には本来、自然排水による河川が存在していなかったが、近年人工的に河口湖に放流する排水路が完成し、標高差を利用した発電も行われている。1981年(昭和56年)には湖中から中世の丸木舟が発見され、山梨県指定有形文化財となっている。
2013年(平成25年)6月22日、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産(富士山域)の一つとして、世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B9%96_(%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BA%94%E6%B9%96) )

(3)精進湖
同じ富士五湖の西湖、本栖湖と同一の水脈を有しているので水面標高も同じく約900mで、湖水の水位が連動する傾向がある。最大水深は15.2mで河口湖と並び3番目の深さ。0.5平方キロメートルと五湖中でもっとも湖水面積が狭く、流入河川および流出河川はない。
2013年(平成25年)6月22日、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産(富士山域)の一つとして、世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。
成因[編集]
富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、本栖湖・西湖と同じ水位である。かつては単一の大きな湖(剗の海;せのうみ、「背の海」の意か)であったと考えられているが、富士山の溶岩流でまず南西の本栖湖と分断され、『日本三代実録』に拠る864年(貞観6年)の貞観大噴火の溶岩流によって西湖と分断された。
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2%E6%B9%96 )

(4)剗の海
剗の海(当時の表記:剗海)はかつて富士山の北麓で東西にわたって広大な面積を有していたが、貞観6年(864年)に起こった富士山の大噴火(貞観大噴火)の際、おびただしい量の溶岩流によって大部分が埋まってしまった[1]。現在、富士五湖に名を連ねる西湖と精進湖は、剗の海の一部が埋まらずに残ったものである[1]。
このときの様子は、延喜元年(901年)に成立した公式史書である『日本三代実録』の「貞観6年7月17日」(ユリウス暦864年8月22日)に甲斐国国司から京の朝廷に届けられた報告(貞観大噴火についての第2報)として以下の内容が記されており、 溶岩流が本栖湖と剗の海の2湖に流入したこと、多くの民家が溶岩流に呑み込まれてしまったこと、溶岩の別の流れは河口湖方面へ向かっていること、係る天変地異の前には大きな地震を始めとする様々な変事があったこと、などを伝えている。
貞觀六年七月十七日辛丑 甲斐國言  駿河國富士大山 忽有暴火 燒碎崗巒 草木焦熱  土鑠石流 埋八代郡本栖并剗兩水海  水熱如湯 魚鼈皆死 百姓居宅 與海共埋 或有宅無人 其數難記  兩海以東 亦有水海 名曰河口海 火焔赴向 河口海  本栖剗等海 未燒埋之前 地大震動 雷電暴雨 雲霧晦冥 山野難辨 然後有此災異焉  

(現代語訳)
貞観6年7月17日辛丑、甲斐国(の国司)が報じるところ、駿河国の大山・富士が突如として火を噴き、山じゅうを焼き砕き、草木は焦がれ死んだ。土石は溶け流れて、八代郡にある本栖海(本栖湖)と剗の海を埋めてしまった。湖水はお湯のように熱くなり、魚や亀の類はみな死んだ。人々の家屋は湖と共に埋まり、残った家にも人影は無く、そのような例は数え上げることもできない。2つの湖の東には河口海(河口湖)という湖があるが、火はこの方角へも向かっている。本栖海や剗の海が焼け埋まる前には、大地が大きく揺れ、雷と大雨があって、雲霧が立ちこめて暗闇に包まれ、山野の区別もつかなくなった。それらが起こった後にこのような災異が訪れたのだ。


老境になると国際政治も自然の風景のように見える、マティス国防長官の訪問も

2017年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム
老境になると現世からの距離が大きくなります。この世のことは若者に任せて、自然を愛し悠々と楽しい生活が続きます。
そうすると国内政治も国際政治も自然の風景のように見えます。距離を置いて眺めているので国際政治も客観的に大きな視野で眺められるようになるのです。
例えば最近のマティス国防長官の日本訪問について、その訪問を自然の風景のように見てみましょう。
マティス国防長官が尖閣諸島をアメリカも防衛すると言明しました。そして米軍基地への日本の財政支援は素晴らしいと褒めました。
日本のマスコミは鬼の首でも取ったように喜んでいます。急にマティス国防長官を、人格高潔な「戦う修道士」と言われてると紹介します。そして蔵書が7000冊もある知的な政治家だと褒め讃えるのです。日本の、マスコミはそれだけで終わりです。

しかしこのマティス国防長官の韓国や日本の訪問を他の国々はどのように見ているのでしょうか?
国際政治を自然の風景のように見ていると視野がおのずと広がり別な風景が見えてきます。
そこで今回のマティス国防長官の日韓訪問を中国はどのように見ているかということをyahoo のニュースのネット版からご紹介致します。

マティス国防長官日韓訪問に中国衝撃!――http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20170205-00067372/
マティス国防長官の日韓訪問に衝撃が走った。中国では連日のように特集番組を組み、アメリカこそが地域の平和を乱していると攻撃。しまいにはCCTVにキッシンジャーを登場させて、アメリカを批判させる始末だ。
◆東北アジア安全保障を重視したトランプ政権
マティス国防長官が最初の訪問国として韓国と日本を選んだ。トランプ政権の閣僚という観点から見ても、初めての外国訪問である。おまけに国務長官ではなく国防長官が、最初に外国を訪問し、かつヨーロッパではなく韓国と日本を選んだという意義は非常に大きい。トランプ政権のアジア太平洋地域に対する安全保障問題への関心の高さをうかがわせるからだ。
大統領選期間中、「世界の警察にならない」と何度も宣言することによって中国を喜ばせていたトランプ氏が、当選するや、矢継ぎ早にレックス・ティラーソン国務長官、ジェームズ・マティス国防長官、あるいは新設した国家通商会議のピーター・ナバロ委員長など、錚々たる対中強硬派で布陣を揃えたことだけでも、中国にとっては十分に衝撃的だった。
かてて加えて、政権誕生から2週間も経たないで国防長官が韓国日本を訪問するとは何ごとか。その戸惑いようも、想像がつくだろう。
マティス国防長官は、2月2日に訪韓するなり、龍山(ヨンサン)駐韓米軍司令部を視察し、午後には政府ソウル庁舎と大統領府を訪問して、黄教安(ファン・ギョアン)大統領権限代行首相や金寛鎮(キム・グァンジン)国家安保室長と会談した。3日には尹炳世(ユン・ビョンセ)外相や韓民求(ハン・ミング)国防相とも会談。
会談ではいずれも、アメリカが米韓同盟を重視していることを強調し、北朝鮮の脅威に対抗する固い意志に変わりはないことを確認。また終末高高度防衛ミサイル(最新鋭迎撃ミサイル)THAADの年内配備も確認しあっている。
3日の午後には訪日し、安倍首相と対談した。国防長官なので「表敬訪問」と位置付けながらも、事実上の日米(首脳級)対談で、10日からの日米首脳会談の準備段階の感がある。
安倍首相との会談では、韓国同様、日米同盟強化の重要性を強調し、尖閣諸島が日米安保第5条の防衛対象であることを明言した。また、北朝鮮への対応とともに、中国の東シナ海や南シナ海における「力による」膨張に対する警戒感とさらなる協力を確認し合った。
◆中国の猛烈な抗議報道――キッシンジャーまで駆り出して
これに対して中国は尋常ではない抗議を表明し、中央テレビ局CCTVは連日マティス国防長官の訪韓訪日に関する特集番組を組み、1時間ごとに報道して、くりかえしアメリカとともに日本と韓国を批判した。
韓国に関しては韓国へのTHAAD配備を批判し、日本に関しては釣魚島(尖閣諸島)は「中国古来の領土」と、荒々しい語気で繰り返し主張した。
またマティス国防長官が在日米軍基地の経費負担増に関して持ち出さなかったことは、結局のところ「安倍に日本自身が別の形で軍備を増強することを促し、自衛隊の軍事化を正当化する理由を与えた」と、ほぼ八つ当たりだ。
北朝鮮の報道を引用しながら、「朝鮮半島の不安定化をもたらしているのはアメリカであり、アメリカが半島から手を引きさえすれば、北朝鮮が核やミサイルの開発をする必要もない。原因は全てアメリカにある」「アメリカの武器商人のはけ口として、結局のところアメリカは世界のどこかに緊張を生んでいなければ、武器を使用する理由がなくなるので、韓国にTHAADを配備したり、大量の武器を売りつける」などともしている。
一方では、日本(の安倍首相)がトランプ政権においては「日米同盟は軽視されているのではないか」と心配しているために、それを安心させるためにマティス国防長官がこんなに慌てて訪韓訪日をしたのだという分析も数多く見られる。だからこの訪問は「安倍にとっての“定心丸”だ」というのもある(「定心丸」とは「心臓(精神)を安定させる丸薬」の意味)。
日本では韓国を最初に訪問したのは日本の国会日程の都合上という情報もあるが、中国では「いまアメリカの同盟国にとって最も心配なのが韓国。政権も不安定な上に、前政権を打倒するため日韓合意を覆し中国寄りになる可能性がる」などと分析している。
ともかく、春節も明けやらぬうちに隣国に現れた「狂犬マティス」の威風堂々とした雄姿に中国は圧倒され、狼狽していることがうかがわれる。
動画で見られる報道のうち、安定的にネットで見られるものは多くないが、一例を挙げると以下のようになる(それでも画面が出て来なかったときはお許し願いたい。しばらく待っていると出てくるものもあり、また▲印をクリックしないと始めないのもある。タイトルが異なり内容が同じというものもあるかもしれないが、ネットでも見られそうな番組をいくつか拾ってみた)。
●「米新任国防長官本日訪韓:THAAD、軍事費、北朝鮮核問題などに関心」
●「米新任国防長官本日訪韓 マティスは朝鮮半島情勢の実態を理解するため」
●「米新任国防長官訪日:マティス日本を落ち着かせるため アメリカのアジア太平洋戦略の利益を強固にすることが意図」
などがある。
動画ではない情報は多すぎるが、いくつかの例を挙げると:
●「駐在米軍費用の分担がマティス訪日の焦点:韓日を引き寄せて中国に対抗」(新華網)
●「マティス訪日は釣魚島“共同防衛”のため」(全文)(中国政府の参考消息)
●「米国防長官マティスは、なぜ韓国を先に日本を後に訪問したのか」(日本の報道を紹介しつつ)
●「米国防長官訪日 安倍が“定心丸”を呑みたいため」
●「米国防長官マティス訪日は“定心丸”のため:100%日本と肩を並べて」
などなどがある。
アメリカこそが地域の平和を乱していると批判を強める中、CCTVは最終手段として、キッシンジャー元国務長官を取材して「“一つの中国”原則は米中関係の基礎であり、不変のものだ」という主旨のことを言わせている。
特に今年はキッシンジャー氏自身が手掛けた上海コミュニケ(1972年)発表から45周年記念の年。中国としてはワラをもつかむ気持ちだろう。キッシンジャーが長生きで良かったと中国は思っているにちがいない。
特集番組では、たとえば韓国にいる「米軍駐留反対派」や「THAAD配備反対派」などの抗議デモをクローズアップするなど、選定的に報道している。
これらはいずれも、如何に中国が大きな衝撃を受けて動転しているかを示すもので、その意味ではトランプ政権の東アジア戦略は、今のところ功を奏していると言えよう。 「狂犬」の威力は大きい。 ・・・終り・・・

何も付け加えんません。論評も加えません。
自然の風景に注文を付けたり論評するほど愚かなことはありません。

今日の挿し絵代わりの写真は東久留米市の石塚園芸店の西洋サクラソウの写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)