後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山林の夕暮は淋しいものです、しかし・・・

2011年05月12日 | 写真

075 左の写真は山林の中の小屋から里へ続く道路を見た光景です。

夕日が西に傾き、間もなく甲斐駒の向こうへ沈んで行きます。

回りの木々が暗くなり、淋しい感じがします。

この頃になると庭に戻って、小川で冷やしたビールを飲み始めます。

少しほろ酔い気分になると不思議にも淋しい夕暮れの風景が明るい、楽しい林の風景に変化します。

下の写真は小川のほとりのテーブルから小屋の庭を見た光景です。西日が斜めに右側から射し込んでいます。

寒くなるので傍らで焚火を始めます。

そして楽天的な気分で飲んでいると、いつの間にか回りは闇に包まれ、空には北斗七星が輝いています。

077 夜の8時頃には持参したシチュー鍋を卓上コンロで温め夕食にします。

9時前には焚火に丁寧に水をかけて、小屋に入ります。

少し本を読んで9時30分には寝てしまいます。

そんな夕方から寝る迄の時間が素晴らしいのです。

自然の風景が時間の経過にしたがって次第に変わって行きます。焚火で燃える木の香りが郷愁を誘います。

朝はいろいろな小鳥の声で目を覚まします。

顔を洗ってから、小川のほとりのテーブルでコーヒーを淹れます。ベーコン・エッグの焦げる臭いが流れます。そうして又新しい日が始まるのです。

する仕事も無いので新緑の雑木林の中を散歩します。時間がゆっくり流れます。これが山林の中の小屋の一日です。つまらない話で失礼致しました。(終り)


ある原子炉専門家グループの福島原発の現状の分析

2011年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

先日掲載した、「福島原発事故現場収束へのボランティア組織結成・・・旧日本原子力研究所で勤務していた27人のグループ」の専門家集団は以下の様な分析をしています。一つの客観的な分析と思いますのでご参考までにお送りいたします。

I.   原子炉の状態と現在の対応

(1)   炉心の発熱量:現在の発熱量は、原子炉の全力運転時の熱出力(600KW)の1/1000程度と想定され、この熱を水の蒸発で奪うには、毎日100トン規模を要する。

このほか、14号機の使用済燃料プールに格納されている核燃料も、膨大な放射能を有し発熱を続けており、炉心と同様に不断の冷却が不可欠である。

(2)   燃料の発熱期間:燃料の発熱(崩壊熱)は、1~数年で自然に収まるものではなく、例えば、1年後でも現在の3/10程度はあり、引続き冷却の継続を要する。

(3)   現在の注入水の行先13号機では、注入した水のほとんどが蒸発している。2号機では、容器の損傷部から高濃度の放射能を含む水が炉外に漏出している。

(4)   炉内情報の不足:炉内の状態に関する情報は、いくつかの発表が行われているものの、それらの測定・計算・検証の手段・方法など、根拠・信頼度はほとんど知ることができず、また、現在行われている作業についても、詳細情報が得られないため、適確な判断が困難である。

本メンバーによる推定においても、燃料の破損・溶融の状況と程度、圧力容器・格納容器・配管・接合部の破損や腐食の進行状況、再度の水素爆発の可能性、水に含まれる放射能の程度等について、見方に相当の幅がある。

例えば、炉内水の放射能濃度が極度に高い場合には、強烈な放射線のため、遮蔽によっても冷却装置の運用が困難ではないかとの危惧を有する者もあり、信頼できる炉内情報の取得は、今後の対策の選択や有効性にもかかわってくる。

こうしたことから、放射線を防護しつつ原子炉建屋内に立入り、可能な限り実態を把握するとともに、作業性を確保する措置を最優先すべきとの強い意見が出されている(現在、東電では、その試みに着手しつつある)。

(5)  原子炉容器のリスク初期に一時的に大量の海水が注入されたが、原子炉圧力容器、格納容器等に海水を注入した先例はなく、残留している微量の海水成分によっても、溶接部等での応力腐食割れや腐食加速のリスクがあり、その評価・対策の重要性・緊急性が指摘されている。

(6)   バックアップ及び保全対策の例:不測の事態が発生しても、大量の放射能放出を防ぎ得るようなバックアップ対策に緊急に着手すべきことが、強く指摘されている。

例えば、原子炉全体に対する水密格納施設、原子炉建屋修復、周辺土壌の除染、原子炉周囲への防壁・屋根の設置、海への漏出防止壁の構築、大量の放射性水の貯蔵対策、廃棄物集積センター、可能な限りの燃料の取出・遮蔽容器への保管、等。

その効果、工法・工期、二次災害防止策等、綿密な専門的検討が必要となる。

(7)   最終処理に至るまでの手順と期間:事故後、最終処理に至る一般的な基本手順とおおよその期間について、例えば、次のような想定例がある。

 事故の安定化に1

 施設の除染・機器撤去に数年

 長期管理施設の整備に数年

   長期管理の実施に10

   解体撤去に10

実際に本事故の最終処理がどのような方法をとるか、どの程度の期間を要するかは、現状では即断できず、当面の対策の進捗を見つつ明確化することとなろう。この場合、TMI事故後の処理・処分や外国における原爆実験後の処理事例等も参考にすることができるであろう。

いずれにせよ、そのスキームは、復興計画に大きく影響する

==以上は今回この専門家集団が作成した文書のほんの一部の抜粋です==


たった2年間の情熱的な交友で消えてしまったマイフレを懐かしむ、悲しく偲ぶ

2011年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

インターネットは不思議な人間の絆を作ってくれます。2008年秋頃から私のブログへ好意溢れるコメントを送ってくれたHootaさんという方が居ました。

年が明けて、2009年の4月15日に彼の大型ヨットを訪問し、一夜飲みました。そして続く5月1日に沼津沖の駿河湾でヨットに乗せて貰いました。その後も彼のお陰で東京湾で大型ヨットに3回も乗ることが出来たのです。

昨年の2010年10月を最後にHootaさんのブログの更新が途絶えてしまったのです。

心配なので個人的なメールを送りましたが返事がありません。忽然と消えてしまったのです。

せめて彼の自宅の住所や電話番号を聞いて置けば良かったと後悔しています。インターネットで知り合った方々へは住所・電話番号を聞くのは失礼と思い込んで居たのです。

Hootaさんはヨットの中にもコンピューターを持ち込んでいて、そこからブログへヨット関連の情報をこまめに発信していました。

そんな彼なのに、昨年の10月を最後に音沙汰が無くなったのです。

3月から水仙、梅、モクレン、桜、などど春の花々が次々に咲きました。その花々を見る度にHootaさんを懐かしく思い出して居ます。人生のはかなさを感じています。

彼が急に忙しくなり、元気に他の仕事をしていると信じています。

Hootaさんのご健康をお祈り致します。下に思い出の記事を2つ再掲載いたします。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

別世界は無いことが分かりました

海で豪華なヨットに乗っている人を別世界の人のように思っていました。昨日、北欧風の大型艇、Bambino で東京湾や伊豆七島周辺を帆走しているHoota さんを初めて訪ねてみました。他のヨット乗りをまじえて4人で一緒に古いニスをサンドペーパーで落とす作業を午後中しました。夕方から夜にはHootaさんとビールを飲みながら歓談しました。海で豪華なヨットにのっている人々は別世界の人のような気がしますが?と、聞きました。「皆さん、普通の人々で生活の仕方を工夫してヨットに使うお金を作っていると思いますよ。」「職業や年齢も色々です。皆さん、気持ちの良い方々で話がすぐ通じますよ」。

別世界なんて存在していませんでした。

Hootaさんは以前、法務省で国家公務員として働いていた人です。人間が純粋なようで、中央省庁のお役所仕事があまりお好きでなかったようです。安定した職業をサラリと止めて、ニコルさんのレンジャー養成学校の先生になりました。ヨットは16歳の時から素晴らしい師匠について練習したそうです。現在は「東京ベイヨットクラブ」の指導教官として働いています。千葉県の内房総の保田漁港に係留してある大型北欧風ヨット、Bambinoの保守管理も任されているそうです。話題は16歳のとき、ヨットを指導してくれた師匠の素晴らしさ、ニコルさんの魅力的な人柄と黒姫に造成した美しい林のこと、東京ベイヨットクラブを主宰しているK氏の卓見などなどでした。全ての出会いに感謝している様子なのです。ああ、こういう人をジェントルマンと言うのだ、と感じました。奥様の話も出ました。現在も法務省に務めていて、2年間の神戸への単身赴任を終えて最近帰って来られたそうです。ご結婚のいきさつなどを楽しそうに話してくれました。

始めは夕陽を見ながら後ろ甲板で飲んでいました。夜になったので、美しいチーク材で内装したキャビンの中で飲み合いました。ヨットを体験したい人が手軽に乗れるシステムも教えてくれました。東京ベイヨットクラブのHP:http://tokyobay.tv/ をご覧になると体験セーリングの案内があります。下に夕陽の写真、Bambinoの写真、Hootaさんの写真などを示します。(終わり)

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