動物たちにぬくもりを!

動物愛護活動の活動経過や日々の出来事、世の中の動き等幅広く紹介します。

映画「ひまわりと子犬の7日間」と「奇跡の母子犬」

2013-03-29 07:26:29 | ドラマ・映画

動物たちの未来のために(ブログ)より・・・山下由美

2013年3月18日

「奇跡の母子犬」の映画化のお話を頂いたのは、3年前。
「素晴らしい映画に!ひまわりのメッセージがずっと世に残る映画に!」
監督、プロデューサー、そんな思いで、沢山の時間をかけながら、「ひまわりと子犬の7日間」という映画が完成し、無事に公開を迎える事が出来ました。
映画に携わった皆さんの「魂」が入った映画なんです!!
「ひまわりと子犬の7日間」のモデル犬、ひまわりは、とても不思議な仔でした。
たった一匹の野犬だった犬が、ここまで人の心を動かした事、それは、平松監督がおっしゃってた「愛情の連鎖」だと感じました。
ひまわりが我が身を犠牲にしてまでも、子犬達を守ろうとした深い愛情・・・
その愛情の深さは職員さんの心を動かし、そしてひまわりと職員さんの愛が、日本中に連鎖すべく動き出したんです。
ひまわり!貴女の「愛情の連鎖」が全国に届くんだよ?
日本の動物愛護の世界が変われるかもしれないんだよ?
一緒に歩んで行こうね・・・

2011
年11月~宮崎県で「ひまわりと子犬の7日間」撮影がスタートしました。
中央保健所での撮影日、堺雅人さん、オードリー若林さんと記念撮影をするために、ひまわりが撮影現場まで来てくれました。
実は、ひまわりは重い病にかかっており、末期だったんです。
痛み止めを飲みながら、毎日毎日病気と闘っていた頃だったんです。
ひまわりの病気を知っていた松竹のスタッフ皆さん、心痛めながら、色んな想いでひまわりと接して下さっていました。
「ひまわり、来てくれてありがとう!必ず良い物を作るから、大ヒットを必ず報告するから、だから、どうか生きていて!」
この時から、みんなの心が一つになっていたのだと感じました。
宮崎での撮影も無事終わり、撮影隊皆さんが、ひまわりの無事を祈りながら東京へと戻られた1週間後・・・

2011年11月27日
職員さんは、ひまわりを車に乗せて河川敷に向かいました。
映画の舞台でも出てきた大淀川の河川敷です。
ここは、職員さんとひまわりにとって特別な場所でした。
「ひまわり、着いたよ」
いつもなら、自分からサッと車を降りるのに、この日は、車内から景色を眺めていてなかなか降りてきません。
周りの景色を、脳裏にしっかり焼き付けておきたいかのように・・・
ようやく車を降りて、いつものように職員さんの横を歩き出しました。
「ひまわり、帰ろうね」
職員さんの横を歩きながら車に戻ろうとしたとき、ひまわりはバタッと倒れ、そのまま呼吸も止まりました。
職員さんが、慌てて心肺蘇生をしたとき、ひまわりは大きく息をしましたが・・・
職員さんは、心肺蘇生の手を止めました。
「・・・このまま逝かせてあげよう。もう痛みから解放させてあげなければ・・・」
ひまわりは、大好きな職員さんに抱かれながら、苦しまずに虹の橋を渡っていきました。

2011年11月27日 ひまわり永眠
ひまわりが亡くなった大淀川の河川敷は、ひまわりと職員さんにとって、特別な場所でした。
2008年3月11日、ひまわりが、管理所から卒業したこの日、ひまわりと職員さんが歩いた最初の場所だったんです。
2011年11月27日の朝、2人は気付いていたんだと思います。
この日が、お別れの日になるだろうという事を・・・
最期の場所に選んだのが、最初に二人で歩いた思い出の場所だったんですね。
まるで宮崎での撮影を無事に見届けるまではと、最後の力を振り絞って、頑張って生きててくれたようなそんな気がしてなりません。
東京のスタジオで撮影をしていた堺雅人さんやキャストの皆さんは、ひまわりが今しがた息を引き取ったと報告を受け、撮影の手を止め、全員で黙祷したそうです。
撮影隊の皆さん、俳優さんの皆さんの気持ちが、更に強くひとつになりました。
「貴女のメッセージを、必ず作品の中で伝えていきます」
そうひまわりと約束を交わしたそうです。
映画に携わった皆さんが、「魂」を込めて作り上げたのは、そういう強い思いがあったからです。
映画をご覧になって下さった方なら、ご理解頂けるかと思いますが、だから・・・あのような素晴らしい作品になっているんです。
これまでは、ひまわりが亡くなった事を隠してきました。
映画に悪影響が出る事を懸念してではありません。
私も含め、映画に携わった皆さんが、ひまわりから大きな使命を託されたと・・・
ひまわりからのメッセージを大切に伝えていきたいと・・・
ひまわりの「死」を受け流されなくない・・・
そう考えた結果、プロデューサーと私の意思が相互し、「今」伝えるタイミングだったんです。ひまわりは大きな使命を持って、この世に生を受けた仔だと思います。
映画の試写会での舞台挨拶にて、職員さんが壇上で最後にこう言いました。
「ひまわり、良かったね・・・ひまわり、ありがとう」
ひまわりの死を知っていた皆が、その言葉に涙しました。
私も壇上に居ながら、堪えきれなくなり後ろを向いて涙しました。
私にとって、職員さんにとって、映画に携わった皆さんにとって、「ひまわりと子犬の7日間」は、ひまわりから渡された犬猫達の未来へのバトンなんです。
私達みんな、同じ気持ちでそのバトンに手を伸ばし、迷うことなく、力強く、バトンを受け取りました。
ひまわりの思い、ひまわりの願い、絶対無駄にはしない・・・
映画に携わった全員・・・強く誓いました。
「ひまわりと子犬の7日間」は、ひまわりの遺作ではありません。
ひまわりが未来を変えるスタートの映画なんです。
ひまわり・・・ありがとう・・・








沖縄県 動物のサポートセンター設置を計画

2013-03-28 06:24:14 | 頑張る行政

沖縄県 動物のサポートセンターの設置を計画

2013年3月14日 沖縄タイムス

個人で飼育ができなくなったり、飼い主がいない犬猫を引き取り、保護する施設は現在、本島内では県動物愛護管理センター(南城市)が担っている。
中核市移行後は4月に新設される市の「環境衛生課」に動物愛護の相談窓口が移るため、市域で保護した動物のサポートセンターの設置を計画。
軍用地の開放に伴い具志自治会が活用してきた海岸沿いの土地など2万2千平方メートルを市が買い上げ、南側1千平方メートルにセンターを建てる。
センターでは殺処分を行わず、一時的に保護した犬猫の引き取り手を探す譲渡業務に力を入れる。
開設までは市で受け付け、県愛護センターに収容する。
市の担当者は「愛護センターの犬猫の約10分の1が那覇市から収容されているといわれている。センター設置で引き取り手を増やしていきたい」と話した。
ボランティアで犬猫の一時保護や引き取り手を探すNPO法人ワン・パートナーの会(比嘉秀夫理事長)は「サポートセンターで犬の飼育法などを指導し、飼い主のモラル向上を推進できれば、殺処分される犬・猫も減る」と期待している。
一方、市は買い上げる土地の残りの敷地を「具志南多目的広場(仮称)」として、夜間照明を備えた市民スポーツ振興の拠点にする考え。
13年度当初予算で調査費を計上した。


どなたか貰ってください!

2013-03-25 19:58:02 | 保護

生後1.5~2ヶ月の子犬が3匹います。
野良犬が産んだ子たちです。
3匹の中でも人懐こく近づいてくる子が1匹、オスです。

餌をあげると喜んで食べます。
あとの2匹は近づいてきません。性別不明。


どうか貰ってあげてください。
電話:090-9769-3092(au)、090-1314-8330(ソフトバンク)へお願いします


保護犬、仮設の主人と再会

2013-03-23 17:22:23 | 東日本大震災

保護犬、仮設の主人と再会

2013年3月7日 中国新聞

広島市安佐北区のNPO法人犬猫みなしご救援隊が6日、福島第1原発事故の被災地から連れ帰って保護している犬2匹を、福島市の仮設住宅などで暮らす飼い主と再会させた。
保護した被災地の犬と猫は計約1400匹。
4月6日には広島市中区で活動を紹介するイベントがある。
中谷百里理事長(50)は6日朝、雌の老犬ポチッ子を連れ仮設住宅を訪れた。
「元気だったか」。
満面の笑みで出迎えたのは菅野サツキさん(85)。
抱き寄せられたポチッ子は、懐かしい飼い主の顔をなめて喜んでいた。
菅野さんは福島県飯舘村から避難した。
仮設住宅では犬が飼えないため、2011年5月に救援隊へ預けた。
「一緒に村に戻れる日がくるのかな」と菅野さん。
夕方には中谷理事長がポチッ子を迎えに来て、再び離れ離れの生活に戻った。
この日は別の犬1匹も、飼い主の高齢男性と再会した。
救援隊はこれまで、保護した被災地の犬猫のうち約500匹を飼い主に戻し、900匹は安佐北区の保護施設や全国の里親の元で預かっている。
2、3カ月に1度、飼い主と会わせている。
中谷理事長は「ペットと離れた飼い主は、避難生活のストレスに加え、家族を失うような悲しさを感じている。世話を続けて安心させたい」と話す。
イベントは4月6日午後1時半から、広島市中区の中国新聞ホールである。
活動に共感した広島市内の有志が企画。
中谷理事長が小さな命の尊さについて講演し、演劇の上演もある。

【写真説明】中谷理事長(左)が連れてきたポチッ子を迎える菅野さん(撮影・桑田勇樹)


被災乗り越えセラピー犬に

2013-03-19 06:15:47 | 東日本大震災

被災乗り越えセラピー犬に 宇都宮・木塚さん宅の「哲」

2013年2月10日 下野新聞

東日本大震災後、東京電力福島第1原発近くで保護され、宇都宮市東町、無職木塚孟さん(65)に引き取られた雑種犬が今月、アニマルセラピー犬としてデビューした。
被災犬がセラピー犬になるのは全国的にも珍しい。
木塚さんは「この子の瞳の奥に苦しく悲しい思いを感じた。話せないが、人の心が見える。きっと多くの人を癒してくれる。いずれ被災地の方々との交流も実現させたい」と活躍を願っている。
この犬は推定4歳の雄で、東日本大震災から約1カ月半後の2011年4月30日、福島県双葉郡の海岸で動物愛護団体のNPO法人犬猫みなしご救援隊(広島市)に保護された。
その直後、木塚さんが塩谷町にあった救援隊の臨時拠点を訪問。
目を伏せてうずくまる犬が気になり、里親ボランティアになることを決めた。
妻の次子さん(63)が哲と名付けた。
木塚さん宅で当初、哲は寂しそうに鼻を鳴らし眠れずにいたため、次子さんが約1カ月間、夜は茶の間で添い寝。
福島の民謡「新相馬節」を口ずさむと、安心するようだった。
落ち着いた哲は、散歩で出会う一人暮らしのお年寄りや子どもにすっと近付き、寄り添うような行動を見せるようになった。
「空気を読んで弱い立場の人の所へ行くんです」と木塚さん。
才能を感じ、NPO法人日本アニマルセラピー協会栃木中央本部(鹿沼市)で認定試験を受けさせると、一発で合格。
7日には群馬県桐生市の障害者支援施設でデビューし、指をなめるなどして利用者の心を和ませた。


被災犬ライ

2013-03-16 19:59:57 | 東日本大震災

<被災犬>3時間の帰郷、飼い主と再会 岐阜から飯舘へ

2013年 3月11日(月) 毎日新聞



約1年半ぶりに再会したライを囲む小泉さん家族
=福島県飯舘村臼石で2013年3月10日午前11時0分、加藤沙波撮影

「ライ、おかえり!!」。福島第1原発事故で飼い主と別れ、岐阜県富加町の施設で暮らす犬20匹が10日、古里の福島県飯舘村に戻ってきた。
現在は福島市内に住む小泉裕隆さん(49)一家もオスの柴(しば)犬「ライ」(10歳)と久々の再会。
つかの間の“家族だんらん”を楽しんだ。
被災犬を預かる岐阜市のNPO法人「日本動物介護センター」(山口常夫理事長)が、震災2年に合わせ日帰りの里帰りを実現させた。
10日午前9時半ごろ、飯舘村役場にキャンピングカーで到着した犬たちは飼い主のもとへ。
ライもケージが開くと力強く飛び出し、小泉さんと次女貴子さん(20)、三女薫さん(18)になでられると、しっぽを大きく振った。
「めんげえ(可愛い)から置いてけ」と父正二さん(72)が、知人の車に乗った子犬に一目ぼれして家に来たライだった。
しかし原発事故で小泉さん方は計画的避難区域に指定され、一家は11年6月上旬に福島市内の借り上げ住宅に。
犬は飼えず、ライは岐阜へ。
「すべて分かっていたのか、暴れることなくケージに入ってこっちを見たときには泣けたよ」と裕隆さんは言う。
再会後、一家が営んでいた自動車解体工場に一緒に一時帰宅したライは、慣れ親しんだ場所で周囲のにおいをかいだり、エサをもらったり。
「よく枝でブラッシングしたよね」「散歩の途中で逃げちゃっても家に帰ってきたな」。
家族は思い出話で盛り上がった。
3時間の再会が終わり、おとなしく車に乗せられるライを姉妹は少し離れた場所で見送った。
「元気でね。また会えるから」
【加藤沙波】


震災から2年

2013-03-13 17:36:14 | 東日本大震災


2011年3月11日の震災から2年が経ちました。
上記の数値は現在の状況です。
福島第一原発事故で、今も約15万人が避難生活を強いられています。
被災した福島県から避難中に亡くなったり、自殺したりした原発関連の死者は千人を超えるみられています。
テレビや新聞では大きく報道されていました。
思い出配達人のドキュメント、東京で働く20歳の青年「苦しい時こそ笑顔で」、・・・・・
頑張る姿に泣けてきました。
そんな中、動物たちのドラマもあります。
数回にわたり掲載します。


イルカの群れ、溺れた女性とその飼い犬を助ける

2013-03-08 07:04:18 | 新聞記事・Webニュース・テレビ・書籍・ブログなど

イルカの群れ 溺れた女性とその飼い犬を助ける

2013年3月6日 The Voice of Russia



オーストラリア南部の小さな町カリカリングに住むカリン・ギトシャムさんは自らが助かったことは「奇跡に他ならない」と語っている。
彼女は海に落ち、もうあきらめかけたところを、イルカたちに助けられた。

ギトシャムさんは2匹の犬を飼っているが、その一匹と散歩していたところ、犬が海に落ちてしまった。
ギトシャムさんは、犬が沖に流されていくのを見て、助けるために水辺に寄っていったが、そこを転げ落ちてしまった。
 「水に落ちて、浮かびあがったとき、泳いでくるものがいたので、サメだ!と思いました。」とギトシャムさんはテレビ番組「7ニュース」で語っている。
 しかし、泳いでくるものがまた現れたところで、それがイルカの群れであることが分かった。
蹄鉄の形に並んだイルカたちは力尽きそうになっていた犬を飼い主のもとに持ってきてくれただけでなく、一緒に丸石に上がるのを手伝ってくれたという。
ギトシャムさんは、これから海辺ではリードを外さないようにすると語っている。
   イタルタス