観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「北方領土」「農業」を考察する予定(未定)。

憲法改正(9条改正と自衛の定義)

2019-02-24 22:18:13 | 憲法・法務・司法・立法
下村博文自由民主党憲法改正推進本部長の講演やCafestaトークで確認しましたが、どうも現行の憲法9条改正案は違憲論の払拭に限定されるようです。

>我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

筆者は必要な自衛の措置をとれると憲法に書いているなら、少なくとも相手の攻撃が着弾したら、持てる装備を全て使って全力で反撃できると思うのですが(戦時国際法に則り)、何かよく分からない制限のようなものがあるのかもしれません。9条2項の戦力の定義はありますが、それは装備や体制整備の段階の話であって、持っている装備がフルスペックで使えないなんて話は信じがたいものがあります。自衛隊は自衛に限るのであって、敵国占領を想定するのは疑問ですが、今はミサイル時代ですし、敵国の根拠地を叩くのは止むを得ないというか、自衛の範囲にしか思えません。

筆者は基本的に憲法の条文間に矛盾があるとしても互いに違憲にならないと考えています。勿論矛盾に見える記述はない方が望ましいのですが、憲法は法律の根拠になるのであって、憲法自身の根拠は存在しないはずです。自衛隊明記で違憲論は払拭できるとして、問題は戦力の解釈ですが、これは現時点でも(自衛隊明記論で改憲しても)その装備が違憲だと解釈される恐れがないとは言えません(その結果自衛隊自身が違憲になる可能性はなくなります)。そうした事態を完全に防ぐためには二項を削除ないし、せめて文言を変えておいた方がいいとは思いますが、発議の可能性の問題もありますし、全ての可能性を考慮して議論するなら、憲法改正はほぼ不可能と考えられますから(特に中東の戦争に参加するしないの議論は不可能です)、ここでひとまず置きます。

戦力の定義ですが、憲法と自衛権(防衛省・自衛隊)を参照すると、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器」「たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母」が保有を許されないようですから、(違憲論を払拭し)戦力でないと定義された自衛隊が現在保有していいと解釈されている兵器は、結局核というか大量破壊兵器関連のみのように見えるんですよね。戦力条項があるなら、裁判所が政府解釈を超えて勝手にこの装備が違憲と判定する可能性が排除できないとは思うのですが、国際的に禁止されている大量破壊兵器を保有している実力部隊が戦力であり軍隊であると日本(だけ)は定義しておくのは、意外と透明性があって分かりやすい解釈になるんじゃないだろうかと思います。

これに伴い所謂非核三原則も「持たず、つくらず」は空文化し意味がなくなります。「持ち込ませず」はそもそも他国の権利を侵害しますし、何なら(無理やり持ち込まれたら)開戦事由にすらなりえるので、この際無かったことにするべきだと思います。残念なのはこれで(現状で)ニュークリアシェアリングのような話の可能性が無くなることですが、それが必要な安全保障環境になったと思われたら、また国民の理解を得て改憲を目指すのが政治の務めだろうと思います。とにかくそういう話を今すると改憲の実現性が無くなると考えられ、薄い可能性を最大限に確保するのような話はやらない方が良いと思います。

ICBMは基本的に大量破壊兵器(ほぼ核)とセットで使われますし、戦略爆撃機も然りです(共にアメリカでは空軍のようです)。問題は攻撃型空母ですが、そもそも空軍の戦略爆撃機を運ぶことは(多分)考えてないでしょうが、要は大陸を占領したり、それを目指すため大洋を横断したりすることを想定しているのが攻撃型空母と考えていいのかもしれません。戦前の海軍の失敗に艦隊決戦志向があるともされるようですが、シーレーンの防衛や通商破壊がそもそも海軍の大きなな役割であるようです(参考:海上自衛隊「装備」のすべて。SBクリエイティブ サイエンスアイ新書 毒島刀也)。自衛でシーレーンの防衛や通商破壊かよ?と思うかもしれませんが、近現代の戦争は総力戦ですし、日露戦争あたりでも既に(艦隊決戦で日本は派手に勝ちましたが)ロシアの通商破壊に苦しめられたところはあるようなんですよね。補給は戦争の重要な一要素で、油が無ければ継戦できない訳です。日本の防衛と通商破壊やシーレーンの防衛は固より一体的です。

具体的には東南アジアの海の島に拠点がある国もありますし、人口密集するアジアのシーレーンの防衛が日本の自衛を意味するということは考えられます。逆に考えれば、そのシーレーンが防衛できずに日本が自衛できるでしょうか?商船が潰され石油が入ってこなくなったら、「はいアウト」は誰でも分かると思います。別に総力戦で奴らを叩き潰すぜを想定せずとも、日本がシーレーン防衛できる能力を保持して訓練しておくことで、戦争になったら面倒と思わせ、平和維持力を高めることは十分可能なはずです。最近導入が決まったF-35bやいずもはそうした用途なのでしょう。南シナ海で自衛隊が訓練していたことが最近公開されましたが、元々自衛隊は日本を自衛するため、通商破壊やシーレーン防衛を志向してきたんだろうと思います。通商破壊と言えば物騒な感じですが、世界の安全保障にとって不安定要因と認識されている大量破壊兵器の保有に関係ありませんし、逆にそうした志向性を持つ海自は背取り対策で大量破壊兵器の拡散阻止業務に従事しているとも言えると思います。

まぁあまり物騒な話をするべきではないのかもしれませんが、実際問題、日本の領土を狙っている国も存在する訳で、戦争になったら補給が絶えて国が死ぬと思わせられれば、かなり抑止力があるってことになると思います。また、中越戦争なんかは中ソ対立でイライラした中国がベトナムを苛めるつもりで開戦したところがあるようです。姑息と思いますがそれが厳しい国際政治の現実でもあるでしょう。中国軍は党の軍隊で政治の腹ひとつで動きかねない部分もあって注意が必要です。犯罪者は弱者を狙うのであって、筋肉ムキムキマンというかできるだけ強そうな人は避けるでしょう。安全保障政策も同じで、奴らは強い、戦争になったらタダでは済まないと思わせることが戦争を抑止し平和を守ります。残念ながら逆に弱そうな国・隙がある国が無茶苦茶やられるってことでしょう(妙な線をガッツリ東南アジアに引いて(弱者に)挑戦的な国もありますよね。経済成長著しい韜光養晦な国は警戒すべきですし、体制整備は直ぐに整うというものでもありません)。

日本自体が不沈空母と言えますから、シーレーン防衛が必要としても、日本が基地では駄目なのかという考え方は有り得るでしょうが(滑走路の制約で艦載機は重量が重くなってしまい、滑走路を十分使える空自の航空機の方が基本的に性能が良いはずです)、シーレーン防衛という遠征を考えると(F-35aの航続距離は2220kmだそうで、沖縄を基地にしても往復で南シナ海での活動には使えそうにありません。空自は戦時に重要な日本近辺の制空権を確保する業務もありますし、海自が独立して戦闘機を自身で持ちその業務を担う重要性もあるかもしれませんし、航空機の搭載戦力の制約を考えると、艦隊の方が対戦したら強い可能性もあると考えられます(先の大戦と違って今はミサイル時代です)(自衛隊が長射程の巡航ミサイルを必要とする背景、盾と矛の競争(Yahooニュース 2017/12/28)を参照すると、射程が延びた対空ミサイルに対して新型の対艦ミサイルが必要なようです)(艦隊が山のように対空ミサイルを持っていたら(高価ですが)空軍でもそれを潰せるのか潰せないのか素人にはサッパリ分からないものがあります)。

こうした業務をすることを国民に説明しやすくし、違憲論を払拭し、平和を引き続き守ることが9条改憲の目的と思います。

北朝鮮の問題にミサイルの脅威が挙げられますが、筆者は交渉による先軍政治の武装解除を目指すよりは、「相互確証破壊式」に北朝鮮に対する攻撃力を整備する方向性が一番コスト安ではないかという気もします。勿論大量破壊兵器の廃棄が前提条件ですが、ミサイルぐらいと言ってはなんですが、それだけなら反撃力があれば、十分抑止は成り立ちそうです。また、一方でミサイル防衛の進展を選択肢から排除しないことも重要かもしれません。外交交渉も不可能ではないかもしれませんが、とにかく世界に短中距離ミサイル廃棄の流れもありませんし、日本もICBMという戦力は持たないにせよ、自衛・防衛にミサイルは必要な訳で、北朝鮮相手に放棄を迫る交渉が難しいと考えられます。

次に集団的自衛権ですが、そもそも自衛とは何でしょうか?ウェブスター見解によると、自衛権の行使の要件は①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)になります。「自衛戦争の名の下に侵略戦争は行われる」という批判がありますが、このウェブスター見解を守る限り、そんなことにはならなそうです。自衛隊が明快にウェブスター見解のようなルールに従って体制整備・法整備し平時から訓練しておけば、日本が侵略戦争を開始するという疑いは無くなるものと思います。こうしたやり方は憲法9条条文との矛盾批判を和らげる役割もありそうです。国連憲章第51条に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」があるようですが、勿論日本も国連加盟国です。日本国憲法が明快に自衛権を否定していないのであれば、国連憲章が定める固有の権利はあると理解するのが普通の読み方だと考えられます。9条2項で交戦権が否定されていますが、その前提として1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とあり、1項に矛盾しない(戦力ではない)実力組織の戦闘を交戦とは言わなければ特に問題はないのではないでしょうか?要は国際紛争を解決するために武力行使せず、(自衛を拡大解釈しない体制で)自衛のための戦闘は容認すればいいと考えられます。交戦権という文言ですが、戦争を開始する権利とも読めます。無論自衛のための「戦争」も広くとれば戦争には違いありませんが、より上位の権利である自衛権で上書きされると解釈すれば良いと思います。自衛権がなければ、襲われたら確実にやられてしまいます。襲えば確実にやっつけられる獲物こそ狙われるのが当たり前ですが国際社会の現実でもあると思います。ですから自衛権が国際社会で認められ、日本もその例外ではないという訳です。その前提で自衛隊が存在し、侵略されたら必要な限度で戦闘することが出来るということになります。この文脈において、日本に依然交戦する権利は存在しないと言えます。あくまで国際的に認められた自衛をしているだけなのですから。あえて例えるなら「喧嘩権」を否定すれば喧嘩を開始することは出来なくなりますが、殴られて(必要限度の範囲内で)殴り返すのは自衛であって喧嘩とは言わないという解釈です。やや分かり難くはあるかもしれませんが、筆者はこれをそう無理のある解釈とは思いません。そして日本がそうした国を志向するのであれば、寧ろ9条2項を削除しないことに積極的意味があるということにもなります(文言ぐらいは分かりやすく変える方が望ましいかもしれませんが、削除したままだと侵略戦争容認と同義になってしまいます)。

個別的自衛権はそれでいいとして、次に集団的自衛権について考えてみると、やはり個別的自衛権と同様で例えばウェブスター見解に準じることが考えられます。集団的自衛権は他国と協同して自衛する権利ですが、この他国が日本で決められた自衛の範囲外で戦争する国だと自衛隊が憲法に禁じる行為を実行する端緒になりかねないことは容易に分かります。ですから、集団的自衛権は固有の権利として持っているにせよ、個別的自衛権に準じる解釈でならねばならないのであって、あらゆる可能性を担保する国に対して、自分の基準以上の協力は不可能だと予めしておかなければならないということになります。言わば、個別的自衛権と同程度の日本が定めた範囲のフルスペックの集団的自衛権は保有しているが、日本が解する範囲以上の自衛は集団的自衛の名の下でも(事実上の自衛でないと解するので)行わないということになると思います。これは主権国家固有の権利でもあると思います。無論、これが集団的自衛権を行使しない言い訳にはなってはならず、同盟国と十分協議する必要はあると思いますが、急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性が認められる攻撃が同盟国に対して加えられた場合、論理的帰結として、自動参戦するということになると思います。具体的には在日米軍基地やグアムの基地もそうですが、ペンタゴン・ホワイトハウス等米本土に対する攻撃も含めて日本は参戦するということになりそうです。ただ、アフガニスタンの戦争への自動的参戦にはならないかもしれません。②の必要性の観点から自衛ではないと判断できるからです(タリバンに証拠を渡せば犯人を引き渡した可能性や犯人確保に失敗しても自衛できた可能性が残ります)。この時、ドイツはNATOによる集団的自衛権の発動を受けて参戦したようですが、日本という国がアフガニスタン戦争に介入する可能性を事前に説明して改憲が成功すると思えないところがあります。ですから、例えば(治安問題と解することができる)テロに対する戦争は自衛の必要性(他に代替手段がない)を認められないと予め説明する必要があるように思います。米本土に対する想定される攻撃とは従来型の軍隊による攻撃を指し、先の大戦で日本がハワイを攻撃したものの、そう簡単に発生しないと考えることが出来ます。風船爆弾の類はテロの範疇で解するべきかもしれませんが、ICBMなんかは勿論戦争に含まれます(テロ組織でできるレベルか国家の力が必要かで判断されるかもしれません)。グアムの米軍基地もそうですが、その辺が仮に攻撃されたと考えると、否応無くもはや一蓮托生としか思えません。それでも日本が先走るべきではありませんが、アメリカと共に近隣の対象国と戦争するということになると思います。逆に日本が攻撃を受けた場合は日本とアメリカは共に戦うことになるんでしょう(頼みます先生!でアメリカという用心棒がボコボコにしてくれる訳ではありません)。また、日本が自衛の原則を守る限り、アメリカが日本の戦争に巻き込まれるという事態も起こり得ません(自衛戦争に対する協力は互いに前提のはずです)。互いにいろいろ言い分はあるかもしれませんが、これで対等な同盟とも言えるはずです。核抑止など米軍は膨大なコストを払っていますが(集団的自衛権ですが、自衛隊という実力組織は集団的自衛権で戦力と組むということになると思います。憲法に書かれているのは日本が主体的に保持しないということです。逆に言えば自衛隊は戦力外の実力組織ということになりますが、名を捨てる形は容認するしかありません)、日本の基地負担は比較的大きいとされます。遠く離れた地域の戦争に参戦しなくても、貢献の方法はいろいろ考えられますし、実際そうしてきたとも思います。

これまで具体的に触れていない①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)をここで考えておくと、過去の事情を理由に自衛戦争しない、道徳・感情のみを理由に自衛戦争しないということになります。あくまで差し迫った(現在の)危険と違法行為(具体的なルール違反が見られること)が自衛戦争の条件ということになると思います。ついで②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)を別の言い方をすると、拡大解釈しないということになりそうです(既に対テロ戦争のような「新しい戦争」は(事前の体制整備がない限り)容認すべきではないのではないかと指摘しました。サイバー戦争・宇宙戦争なら事前に法整備があればOKだということにはなります)。仮に日米同盟が無ければ、日本が中東のテロ組織に攻撃されたとして、戦争のしようもありません。何もしないことはないにせよ、外交努力とか経済制裁とかそういう話になりますよね。ですから、テロ組織の攻撃に対して軍隊を持ち出すのは、(ベストではないかもしれませんが)他に手段があるとは言えるはずです。これに対し、従来の軍隊による攻撃は他に代替手段も無さそうです。軍隊が攻めてきているのに外交努力も経済制裁も何もあったものではありません。③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)もやはり重要で過剰報復はならないという戒めです。一発殴らせておいて殺人するのは、どちらがならずものか分かりません。ちょっと気に入らないからジェノサイドは有り得ないのであって、日本は先の大戦において人道に対する罪に大きく問われた訳でもありません。

平和安全法制に少し触れますと、これまでも違憲ではありませんが(違憲立法審査できる裁判所が判断を下していませんが)(何の権限もない野党の類が何やら外交安全保障で違憲を主張し政争しているようですが)、自衛隊明記で違憲論は必ず払拭されるということになりそうです。憲法間の矛盾があるとしても憲法の条文自体が違憲になる可能性がありません(そう判断する根拠がありません)。集団的自衛権との絡みでも存立危機事態は妥当な自衛権解釈の中に内包されると思います。掃海も石油タンカーが通る海域の機雷は日本の存立危機事態で掃海艇の派遣は当然だと考えられます。かといって、③均衡性の観点から機雷を撒いた国の本土を攻撃して立ち直れないように戦争するということにはならないはずです(同盟国の攻撃はその限りではなく、日本も協力は無論するのでしょう。しかしながら、機雷を撒いた部隊の港は攻撃するかもしれませんし、あるいは出撃基地が明確なら空港の攻撃もあるかもしれません。地上部隊の派遣と占領までは全く無いとと言えます)。

シーレーンの防衛ですが、インド洋・中東あたりは平和維持活動の範囲内で活動するべきで、日本の主任務にはならなそうです。当該海域で日本の自衛を明快に脅かすと言える存在がありませんし、日本にあらゆる可能性を考慮して世界展開する余裕がある訳でもありません。ただ、東南アジアの海域のシーレーン防衛は(日本並びに同盟国に対して挑戦的に)既に積極的に活動している勢力が存在しており、①~③の要件をクリアする事態は想定されるべきだろうと考えています。石油が止れば日本は死ぬのですし、同害報復の手段ぐらい確保せねば防衛になりません(タイマンでやる訳でもなし)。

置き去りになった(最大派閥の)陸自ですが、自衛を旨とするなら、海空と違って平和維持活動以外での日本の周辺事態での活動が考えられません。だとするなら、(現状の体制では)せめて島嶼も含めて防衛というか陸自が奪還作戦に積極的に関わる方向性が重要なのかもしれません。サイバー戦争なんかもありますけど。インフラは基本的には陸にあります(海底や宇宙も重要でしょうが)。

違憲論払拭で改正の必要性云々言う方もいらっしゃいますが、関心のある方は各々自衛とは?自衛隊とは?をこの機会に問い直してもいいんじゃないかと思います。その辺を平時から押さえてないから拡大解釈になりやすいのかもしれません。

竹島問題(太政官指令考)

2019-02-24 20:58:40 | 外交安全保障
官撰『大韓地誌』(1899年)「大韓全図」(部分)DaehanJeondo.jpg(ヒョンチェ(玄采)ウィキペディア パブリックドメイン)

山田宏参議院議員のツイート参照ですが、「日露戦争以前の1899年に大韓帝国が発行していた地理教科書「大韓地誌」には、大韓帝国の東端を東経130度35分と記しており、竹島(東経131度52分)は含まれていなかったし、また「日本海」と単独表記していた」ようです。韓国の領土主張の核心部分は日本の竹島編入(1905年)に先立つ大韓帝国勅令第41号(1900年10月25日)だと思いますが、勅令に言う「鬱陵全島と竹島石島」の石島とは観音島ではないのか?というのが日本の主張です。それに先立つ1899年の大韓地誌で明快に竹島が領土に含まれておらず、地図を見れば鬱陵島周辺に付属の小島が幾つか記載されていますが、その大きさを見ると異論のない(韓国)竹島の次の石島は観音島でしか有り得ないじゃないのかという感じですし、実際にその姿は石島そのものな訳です。

少し遅れましたが、竹島の日(2月22日)に関連して、韓国が意外と領土主張に自信を持っているようなので、この際シッカリ理論武装しようと太政官指令を考察しています。上の見解は過去の主張の焼き直しではありますが、太政官指令とセットで理解するのがいいんじゃないかと思っています。出典が韓国人なのは(鬱陵郡が)韓国の島だからいいんじゃないかと(多分独島領有証拠のつもりじゃないかと思いますが、どう見ても観音島でしかありません)。パブリックドメインですしね。ウィキペディア「竹島」の写真は韓国人が独島としてアップしていたので、避けておきました。竹島資料ポータルサイト(内閣官房)で使っていい資料や写真はいろいろあるようです。

太政官指令「竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」は外一嶋が付属の地図によると竹島(竹島が松島(鬱陵島)。分からない人は勉強を)だという指摘があってそこが注意点ですが、太政官がたまたまそう言っただけというのが事実だと思います(ルーズベルトの「私的な文書」みたいなものです)。日本の領有権主張は江戸時代に淵源があって、1905年に編入したという主張を妨げるものではありません。それを踏まえて外一嶋は地理が不明な当時の存在しない島アルゴノート島と太政官が勘違いした説があるようです。少なくとも竹島一件で(現在の)竹島は江戸時代に明快に放棄されていません(名前がいろいろ入れ替わっていて、一見して分かり難いのが竹島問題の特徴です)。この見解は太政官指令「竹島外一島」が示していたもの(著者 茶阿弥(ブログ「日韓近代史資料集」管理人、九州在住)『iRONNA編集部』 2015/01/02)の主張他、茶阿弥氏の幾つかの記事を自分なりに解釈したものです。気になる人は氏の主張を自身でお読みください。

1900年から遡ること200年、1699年及び1701年、鬱陵島を監督していた鬱陵島捜討官が製作した「鬱陵島外圖」に、その位置関係から竹島に比定される大于島と、観音島に比定される小于島が描かれているらしい(ウィキペディア「竹島 (鬱陵郡)」参照で未確認)ことも鬱陵島の比較的大きな付属島が古来認識されてきたことを証明すると思います(名称が一定でありません)。韓国が主張する于山島や于山国は鬱陵島であったり、鬱陵島付属の韓国竹島であったり、観音島であったり、存在しない空想の島だったりするようですが、地図に書かれている姿はどう見ても韓国竹島なことが多いようです。少なくとも双子島で鬱陵島から距離がある竹島であるのを見たことが一度もありません。対して日本の地図は詳細で明らかに竹島を江戸時代以降、利用・認識していたことが明白です。当時無人島だった鬱陵島にまで出かけて操業するくらい当時の日本の海運や漁業・商業は発達していました。北前船は有名ですよね。

ところが鬱陵島が朝鮮半島から見える付属の島で古来、歴史記録もあったため、鬱陵島は結局放棄することになりました。それが竹島一件です。その(竹島の)先の操業がなくなり、利用すること少なくなった「忘れられた島」を明確に回収することになったのが日露戦争の頃だということになります。日露戦争においては海戦も発生しており、日本海の無人島の所属をハッキリさせておく必要があったと思います。同時期に韓国支配が強まったのは、日露戦争自体、ロシアの満州支配を受けての戦争だからだと考えられます。半島支配抜きで、満州からロシアを日本が追い出す訳にはいきません。歴史をよく見ると日清戦争後に日本は必ずしも朝鮮支配できてなく、ロシアが満州に転じてから日露戦争が起こっています。いずれにせよ、当時は帝国主義の時代なのであって、一連の日韓併合に違法性はなく全て有効です。

憲法改正(合区解消)

2019-02-22 11:35:16 | 憲法・法務・司法・立法
憲法改正で合区ですが、四国が三国になるのは困ると思いますし(しかも隣接する香川-徳島ではなく、山深い四国山地で区切られる徳島-高知)、大都市一極集中の流れが止らなければ(今のところ止りそうもありませんが)、これからドンドン田舎県が合区になっていって更に問題が増えると思うのですが、大都会の選挙区への注目があってもいいと思います。

人口が多い東京選挙区では6人選ばれます。所謂大選挙区制度ですが、有権者との距離が遠くなること、多数の立候補者に有権者が混乱すること、選挙費用がかかること、同一政党間における同士討ち問題、金権腐敗体質の招き、補欠選挙も行いにくいことなどの欠点もあるようです。前回と一回飛ばして(半数改選)その前の連続トップ当選が二重国籍問題でも知られる蓮舫氏なのですが、そのあたりの事情もやや関係すると思います(それでも民主党・民進党は2人通していて大都市に強い感じもありますが、今年改選の2013年選挙ではゼロ人で浮動票が多い感じもあるのかもしれません。ただし極左議員が2人通っています)。

一極集中の是正に関して言えば、福岡市の事例に注目すべきかもしれません。東洋経済2月23日号の特集を参照しましたが、圧倒的な勝ち組福岡市(地方というか大都市な気もしますが)の人口増の秘訣は学園都市であることにもあるようです。教育は憲法改正のテーマでもありますが、今後要注目のテーマかもしれません。大学進学で他県から来て、そのまま就職で人口移入はありそうなパターンというか、人口移動の強いきっかけになると考えられます。地方創生は大学から?

同じ東洋経済記事で過疎地の振興で言えば、猿払村が港区・千代田区に次ぐ高所得なのだそうです。ホタテの育てて獲る漁業が成功しているらしいですが、高所得だけに後継不足はないらしいのですが、加工は外国人実習生に依存しているようです。いろいろ批判もある外国人実習生ですが、過疎地においてwin-winのひとつの事例と言えるのかもしれません。猿払村には天北線の猿払駅があったようです。維持だけで膨大な赤字が出る同路線が現在も存続していれば、今の成功も無かったかもしれません。地方・特に過疎地はお金がかかるものです。しかし抱えていれば面白いこともあると思います。少なくとも足し算すれば規模は大きくなるとも考えられます。日本は意外と人口・面積大国ですし、大国の平均はそう高くはでないところはあると思いますが(その意味でヨーロッパ小国が強い)、結局のところやるべきことをやるということに尽きそうな気もします。ともあれ、そういう地方に目を配り、面白いものを育てていく意味でも都道府県に最低一人の議員を確保するための合区解消という訳です。一人あたりGDPが全てではなく、広い土地を持つ地方を活かす視点も必要だと思います。

憲法改正(災害に関連して緊急事態条項を設ける意義)

2019-02-20 05:51:57 | 憲法・法務・司法・立法
[フリー写真] 東北地方太平洋沖地震の被害に遭った岩手県大船渡市(パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集)

【CafeSta】「みんなで考えよう憲法改正のコト」解説:古屋圭司 党憲法改正推進本部顧問 司会:下村博文 憲法改正推進本部長(2019.2.13)自民党チャンネル(4分30秒~11分40秒あたり)で憲法改正緊急事態条項に関連して、大規模災害に関連して緊急事態条項を設ける意義に関して解説がありました。以下それを元に自分なりに記事にまとめておきます。

古屋圭司議員ご指摘の災害が起きた時の日本の5つの法律。

災害対策基本法
災害救助法
自衛隊法
パンデミック法(新型インフルエンザ等対策特別措置法か。※感染症法があるのに、なぜ「特措法」が必要だったのか 日経メディカル 2013/2/15)
国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律

これらの法律には憲法違反を指摘される疑いがある条項があって、そうした条項はほとんど発動されてこなかったようです。

例えば「車両の移動」に関しては災害対策基本法に基づく 車両移動に関する運用の手引き(国土交通省)7pを参照すると・・・

災害対策基本法
第七十六条の六 第七十六条の四第二項に規定する道路管理者等(以下この条において「道路管理者等」という。)は、その管理する道路の存する都道府県又はこれに隣接し若しくは近接する都道府県の地域に係る災害が発生した場合において、道路における車両の通行が停止し、又は著しく停滞し、車両その他の物件が緊急通行車両の通行の妨害となることにより災害応急対策の実施に著しい支障が生じるおそれがあり、かつ、緊急通行車両の通行を確保するため緊急の必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、その管理する道路についてその区間を指定して、当該車両その他の物件の占有者、所有者又は管理者(第三項第三号において「車両等の占有者等」という。)に対し、当該車両その他の物件を付近の道路外の場所へ移動することその他当該指定をした道路の区間における緊急通行車両の通行を確保するため必要な措置をとることを命ずることができる。
2 道路管理者等は、前項の規定による指定をしたときは、直ちに、当該指定をした道路の区間(以下この項において「指定道路区間」という。)内に在る者に対し、当該指定道路区間を周知させる措置をとらなければならない。
3 次に掲げる場合においては、道路管理者等は、自ら第一項の規定による措置をとることができる。この場合において、道路管理者等は、当該措置をとるためやむを得ない限度において、当該措置に係る車両その他の物件を破損することができる。
一 第一項の規定による措置をとることを命ぜられた者が、当該措置をとらない場合
二 道路管理者等が、第一項の規定による命令の相手方が現場にいないために同項の規定による措置をとることを命ずることができない場合
三 道路管理者等が、道路の状況その他の事情により車両等の占有者等に第一項の規定による措置をとらせることができないと認めて同項の規定による命令をしないこととした場合
4 道路管理者等は、第一項又は前項の規定による措置をとるためやむを得ない必要があるときは、その必要な限度において、他人の土地を一時使用し、又は竹木その他の障害物を処分することができる。

これら国土交通大臣の権限は、地方整備局(東北、関東、北陸、中部、近畿、中国、四国、九州の8地方整備局)長又は北海道開発局長(沖縄県については、内閣府沖縄総合事務局開発建設部ですが、規定なしか)に委任されているようですが(災害対策基本法施行令33条の5)、これまで日本では災害時に例えば交通を阻害している車があり、それに対処する法律があっても、手出しが難しかったということなのでしょう。世界では当たり前にある緊急事態条項が無かった(【正論】国防と緊急事態の扱いは同一に 駒沢大学名誉教授・西修 産経新聞 2018.10.16 >国防条項と緊急事態条項の設定は、各国の憲法構造において不可避である。私が世界の全憲法を調査したところ、ある程度の人口と面積を備えた国家でそれらを欠いた憲法はほとんど見当たらない。とくに1990年以降、まったく新しく制定された憲法をもつ103カ国中、緊急事態条項を欠いている憲法は皆無である)から。

車は勿論個人の貴重な財産です。でも災害時には放置された車が邪魔になって交通を阻害する可能性があります。交通が阻害されていたら、緊急車両の通行もできませんから、速やかに撤去する必要がある訳ですが、これまで国土交通省の局長の判断では移動というか破損させる(第七十六条の六の3)ことが難しかったのではないかと思います。災害時に必ずしもレッカー移動する余裕がある訳ではなく、壊して速やかに通行を確保するべき時はあると思います。災害対応はスピード命です。勿論「やむを得ない限度において」という規定がありますから、これ幸い災害時にバンバン車を破壊するということでは全く無く、プロの責任者の判断において不必要かつ過剰にこの規定を利用することは無いということでもあると思います。

日本国憲法第二十九条
財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

用いることは出来るようですが、侵してはならないと書いている訳ですし、正当な補償があっても破損させることは出来ない可能性はあると思います。また、首都直下地震や南海トラフ地震クラスの大規模災害時に、全て補償できるのか(補償できないからといって必要と思われる措置をとらなくていいのか)という論点があってもいいと思います。いや自分にとって車は命より大切だ(本気かもしれません)と訴えられる恐れもあって、とにかく憲法を盾に災害に乗じた権利濫用を防ぐ必要はあるんだろうと思いますし、現実にそれを恐れてこれまで必要な措置が中々とられてこなかったという経緯があるんだろうと思います。緊急時だから憲法を曲解していいとも言えませんし(それをやると平時に戻って裁判で負ける可能性もあります)、実際にそうされてこなかったということでもあります。

クレーン車(東京消防庁)
>このクレーン車は、震災時における救助活動や各種災害現場で使用する車両です。
・・・吊り上げて車を移動させる訳ですが、これを実施した後、車が傷ついたんだがどうしてくれる?みたいなクレームも考えられます(穿った見方をすれば後で自分で傷つけることは出来ます)。まぁ消防庁の過失で補償も考えられはするんでしょうが、平和な日本と言えど世の中そんなに甘いものでもなく、是幸いで詐欺を働こうとしう方もいらっしゃるかもしれず(詐欺が無ければ警察は必要ありません)、言いがかりから政府・自治体を守る憲法的根拠が必要とも考えられます。

東日本大震災においてがれきの撤去に関連して現行憲法の規定に問題があるのではないかという自治体首長の声もあったようです。

次に職務従事命令に移ります。

災害対策基本法
(都道府県知事の従事命令等)
第七十一条 都道府県知事は、当該都道府県の地域に係る災害が発生した場合において、第五十条第一項第四号から第九号までに掲げる事項について応急措置を実施するため特に必要があると認めるときは、災害救助法(昭和二十二年法律第百十八号)第七条から第十条までの規定の例により、従事命令、協力命令若しくは保管命令を発し、施設、土地、家屋若しくは物資を管理し、使用し、若しくは収用し、又はその職員に施設、土地、家屋若しくは物資の所在する場所若しくは物資を保管させる場所に立ち入り検査をさせ、若しくは物資を保管させた者から必要な報告を取ることができる。

災害救助法
(従事命令)
第七条 都道府県知事は、救助を行うため、特に必要があると認めるときは、医療、土木建築工事又は輸送関係者を、第十四条の規定に基づく内閣総理大臣の指示を実施するため、必要があると認めるときは、医療又は土木建築工事関係者を、救助に関する業務に従事させることができる。
2 地方運輸局長(運輸監理部長を含む。)は、都道府県知事が第十四条の規定に基づく内閣総理大臣の指示を実施するため、必要があると認めて要求したときは、輸送関係者を救助に関する業務に従事させることができる。
3 前二項に規定する医療、土木建築工事及び輸送関係者の範囲は、政令で定める。
4 第五条第二項の規定は、第一項及び第二項の場合に準用する。
5 第一項又は第二項の規定により救助に従事させる場合においては、その実費を弁償しなければならない。
(協力命令)
第八条 都道府県知事は、救助を要する者及びその近隣の者を救助に関する業務に協力させることができる。
(都道府県知事の収用等)
第九条 都道府県知事は、救助を行うため、特に必要があると認めるとき、又は第十四条の規定に基づく内閣総理大臣の指示を実施するため、必要があると認めるときは、病院、診療所、旅館その他政令で定める施設を管理し、土地、家屋若しくは物資を使用し、物資の生産、集荷、販売、配給、保管若しくは輸送を業とする者に対して、その取り扱う物資の保管を命じ、又は物資を収用することができる。
2 第五条第二項及び第三項の規定は、前項の場合に準用する。
(都道府県知事の立入検査等)
第十条 前条第一項の規定により施設を管理し、土地、家屋若しくは物資を使用し、物資の保管を命じ、又は物資を収用するため必要があるときは、都道府県知事は、当該職員に施設、土地、家屋、物資の所在する場所又は物資を保管させる場所に立ち入り検査をさせることができる。
2 都道府県知事は、前条第一項の規定により物資を保管させた者に対し、必要な報告を求め、又は当該職員に当該物資を保管させてある場所に立ち入り検査をさせることができる。
3 第六条第三項から第五項までの規定は、前二項の場合に準用する。

災害対策基本法と災害救助法によれば、都道府県知事は災害時に医療、土木建築工事を救助業務に従事させることが出来、地方運輸局長(運輸監理部長を含む)は輸送関係者を救助業務に従事させることが出来るようです。他にも物資の保管を命じたり出来るようですが、これが(災害時に県内や地方運輸局内の業者を命令によって動員することは)憲法第22条居住移転の自由に反する恐れがあって(動員に法的根拠があっても訴えてくる論外な外国もあって今正に問題になっているところですが)(災害復旧は1日して成りませんし、被災地に止まって救助する必要があるのですから、一時的に居住・移転してもらう必要はあろうかと思います)、実際は東日本大震災においてボランティアで協力はしてくれたようですが、キチっとした法的根拠は必要でしょうし、その範囲に関して(広範囲に協力要請すると)憲法上問題があるという話もあるようです。「公共の福祉に反しない限り」という但し書きはあるのですが、公共の福祉って分かり難い概念でいろいろ議論もあるようですし、憲法は国民が読んで分かりやすいようにあるべきだと思います。

日本国憲法第二十二条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

自衛隊法に関して言えば、第九十四条の三「第八十三条第二項の規定により派遣を命ぜられた部隊等の自衛官は、災害対策基本法(昭和三十六年法律第二百二十三号)及びこれに基づく命令の定めるところにより、同法第五章第四節に規定する応急措置をとることができる」に基づき、例えば災害対策基本法第六十五条「市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、当該市町村の区域内の住民又は当該応急措置を実施すべき現場にある者を当該応急措置の業務に従事させることができる」の実施が緊急事態条項が無いと難しいのかもしれません。職業選択の自由があるから、応急措置の業務に従事してくれと要請されても嫌だよという訳です。

また、さすがに現役自衛官が任務拒否は無いにせよ、予備自衛官の災害招集で職業選択の自由で拒否が有り得る可能性もあります。予備自衛官に他の仕事もあるかもしれませんが、その場合でも災害時に動員し得るのかという議論があってもいいような気もします。日本は首都直下地震や南海トラフ地震のクラスの災害が有り得る国な訳ですから、人手が足りない可能性は有り得ますし、災害対応は速やかに行うことが重要です。救助活動の現場では災害後3日(72時間)が勝負と言われているそうです(72時間pdf 内閣府防災担当)。

国民保護法に関して言えば、国民保護法とは(内閣官房 国民保護ポータルサイト)を参照しましたが、住民の避難に関する措置があるようですが、これも居住、移転の自由を犯す恐れもあるのかもしれません。災害時の避難に関する検討課題 防災・災害情報(中央防災会議「災害時の避難に関する専門調査会」第6回資料)によると、災害時に避難を呼びかけても結構避難しない方もいらっしゃるようで、命令口調で呼びかけて効果があったという話もあるようです。印象も大切でしょうが、避難指示に対して抵抗を誘発する権利を制限する憲法根拠がある方が平時からの訓練もし易く、住民の事前の理解が得られるとも考えられます。少なくとも居住・移転の自由があるなら、避難指示が出たところで、いや自分はここを動かない!と主張する余地があって、実際にそう考えてしまう方がいるようですから、そういう方が亡くなったとしてその人の自由ですからでいいのかということになります(確信犯的に動かない人はそれでいいと考える余地はありますが、認知症等で判断力がない方もいらっしゃいますし、実際問題自分が被害を受けるような気がしなかったというレベルの認識で避難しない方もいるようです)。自治体は極力犠牲者を少なくするのが務めと思います(訴えられなかったら問題なしでもないでしょう)。

新型インフルエンザ等対策特別措置法に関して言えば(これが古屋議員の仰るパンデミック法か分かりませんがとりあえず)、第四十五条「感染を防止するための協力要請等」が憲法が保障する権利に抵触する恐れがありそうです。例えば「生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の新型インフルエンザ等の感染の防止に必要な協力を要請することができる」ようですし、例えば興行場に対して「施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる」ようです。要するにパンデミックを誘発する恐れがあって、皆家でジッとしててほしいので、パチンコ場は閉鎖しててねという要請が考えられますが、商魂逞しすぎる方々の抵抗があったらどうするのかと考えてみることが出来るのかもしれません。まぁこれはあくまで要請に過ぎないようではありますが。

安倍政権下での憲法改正に徹底抗戦している野党第一党の党首の憲法観ですが、「東京新聞:性急な改憲議論「首相の趣味」 枝野氏「必要性感じない」」というニュースもあった(2018/01/05 リンク切れ)ようで、この程度の男が東日本大震災当時の官房長官だったことは日本の不幸だったのかもしれませんね。緊急事態対応に関連して、菅直人政権は十分な対応が出来なかったのであって、その原因は現行憲法に緊急事態条項が無かったことにあるのではないですか?だとしたら、憲法改正に関連して緊急事態条項を話し合わねばならないと思います(審査会は野党第一党が徹底反対したら動かず、実際議論が出来ていないようです)。フルアーマーが話題になりましたが(護憲系の支持者が反対するかもしれませんが)、自分を守ることが仕事ではありません。

現行憲法下で災害対策の法律があるからと言って、十二分に機能してきたとは限りません。憲法が規定する権利が緊急時に問題になるのであれば、制限する根拠も明快に必要になります。勿論法的根拠が必要ですから、憲法に緊急事態条項があるからと言って、滅茶苦茶なことが行われるということになりません(大陸法の国ですし法律に書かれていないことは実行する根拠がありません)。災害対策関連法案があったとして、画竜点睛を欠いていたという訳です。

これまでの自民党の震災対策(自民党ホームページ)

古屋議員は憲法改正を当初から訴えてきており、緊急事態条項や防災等にも詳しいようです。筆者は緊急事態条項は憲法改正の足を引っ張りかねないと思ってはいたのですが、勉強不足だったのかもしれません。

緊急事態条項に関連してこれまで国会議員の任期延長の話が中心だったようですが、大規模災害時に選挙どころではないは分かります。憲法に規定を設けて選挙延長は考えられると思います。

筆者としては他に東日本大震災クラスの震災で自治体が壊滅した場合を考えておく必要もあるんじゃないかと思います。東日本大震災において実際に町長が死亡したり、機能を喪失した自治体もあったと言います。幾ら法律に政府の権限が明記されていたとしても、その権限を持つ人物が死亡している場合、仕事の指示を出せるものがいないということになりかねません。これは憲法関連のマターではないかもしれませんが、緊急事態が何処まで想定されているか分からない気もしますので、あえて書いておきます。

また首都直下型地震の場合は、権限を持つものが死亡する等して災害関連の法律における憲法的根拠すら失われる可能性もあるかもしれません(例えば国会が開かれなければ国会の承認等得られません)。官房長官等、東京を離れないのが原則の仕事もある訳ですが、例えば防災担当大臣が首都直下地震でも政府機能が喪失しないように何らかの権限・制限をもたしたり、首都機能(防災)の一部移転をしておくことは考えられるのかもしれません。

極東国際軍事裁判

2019-02-19 06:59:59 | 外交安全保障
極東国際軍事裁判(東京裁判)とは第二次世界大戦後に連合国が日本を裁いた軍事裁判。インドのパール判事の東京裁判批判はよく知られるところですが、筆者は軍事裁判なので通常の裁判と同列に考えるような見方はどうかと思っています。日本はサンフランシスコ講和条約を締結・批准しており、第11条に「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。」とあります。第11条のthe judgmentsに関して政府は裁判と訳し、読み上げられた判決内容全般の受諾と考える立場のようですが、諸判決と訳し判決主文に基づいた刑執行の受諾と考える立場の方が日本語の読みとして自然ですし、外務省の誤訳ではないかと思います。どう考えても判決を受け入れ(認め)(刑を)執行するという約束でしょう。軍事裁判は軍事裁判なのであって、歴史観を定める役割は基本的に無いと考えます。ですから判決内容全般の受諾と考えるのはおかしい訳です。歴史観を受け入れたとして刑を執行して終わりになるでしょうか?判決を受け入れ刑を執行したらその刑に関しては終わりですが、歴史観を受け入れてしまうと刑を執行した後も何らかの措置をずっととらなければならないはずですが、そんなことは書いていない(意図していない)訳で、意図的なものか勘違いか分かりませんが、これを裁判と解釈できるはずがないと思います。歴史の詳細を踏まえるには、あまりにいい加減に過ぎますし、受け入れて条約を結んでしまうと後で訂正の余地もありません。時代の変化にも対応できません。こう書くと、日本は歴史を反省しないのか?という批判もありそうですが、歴史は歴史で反省すればいい訳ですし、連合国の代表であるアメリカとは日米同盟もあって、何の契約関係も繋がりもない訳では勿論ありません。また後に日本は連合国(国際連合)に加入もしています(敵国条項つきですから、東京裁判の解釈に関わらず、未だに我々は敵国だと認定されていますから、心配無用だというか、妙な超解釈で余計なことを考える必要は無いと思います)。United Nationsの誤訳も酷いことで有名ですが、あるいはわざとでしょうか(国民感情に配慮した?)。いずれにせよ、筆者はサンフランシスコ講和条約第11条の曲解はおかしいですから、基本的には刑の執行をもって極東軍事裁判の話は終わっていると考えています。これは通常どんな裁判でも同じのはずです。勿論必要な反省はせねばなりませんが、それはそれで相応しい場があります。軍事裁判という非常時の裁判を根拠に何か後々まで拘束されるのではないかというような考え方が極東国際軍事裁判の否定的な見方に繋がっているような気がしてなりません。何時までもWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の洗脳が解けないかのような日本らしいと言えば日本らしい解釈とは言えるのかもしれませんが、戦後一世代経て生まれた筆者には違和感しかありません。歴史は歴史できちんと踏まえて反省すべきは反省するにせよ、今の国際環境を見て今の声を聞くことが日本に必要なことのはずです。

井上馨氏が日本の裁判の蛇足判決を批判しましたが、頷けるものがあります。裁判官が何かお説教をしたがる訳ですが、裁判とはそういうものではなく、教育は刑務所でやるものだと思います。こちらはあってもなくてもいいと言えばそうなのかもしれませんが、外交安全保障に関わる極東国際軍事裁判に関して言えば、寧ろ金科玉条にされると有害とすら言えると思います。日本が歴史の反省を強く意識するのは良いと思いますが、極東国際軍事裁判は本来そういう場ではないと考えます(嫌でも対米関係・国際関係で意識させられるでしょうし、歴史観はシッカリ検証して教科書ででも教えるなどすればいいはずです)。何か極東国際軍事裁判の不備を指摘する声があるのも承知していますが、軍事裁判とはそもそもそういうものでそれが戦争に負けるということだと思っており、それを何時までも言うことに違和感があります。逆に何時までも金科玉条に戦犯国ガーのような非難も必要な反省は続けるにせよ、何も考えずにただ日本という国・日本人を悪認定し続けるようで強い違和感があります。日本自身が日本の味方でなくて誰が日本の味方をするんでしょうか?(そういうことを言う人は日本人意識がない人でしょうか?)いずれにせよ、簡単な裁判で後々子々孫々まで何かレッテルを貼ってしまうの如き考え方は寧ろ歴史を真剣に考えることを阻害する働きがあって有害ですし、その有害を否定するために極東国際軍事裁判そのものを否定するというのも同じく歴史を真剣に考えることを阻害しており、結局のところ今の問題を今の状況で考えることを阻害していると見ています。

中々憲法9条改正の気運が高まらず残念ですが、その遠因に極東国際軍事裁判もあるんじゃないでしょうか。少なくとも結構構図は似ています。前文のような極端な「平和主義」を金科玉条にする左翼勢が極東軍事裁判を盾に日本を永遠に戦犯にしたい派で護憲。(筆者もそうですが)(戦後長らく改正されていない憲法について真剣に議論する)改憲派はそれ自体正しいと思いますが(逆に言えば理由を考えて話し合い自体を拒否してしまう護憲派とその仲間達はその時点で正しくない(道徳が無い)ということになります)、保守派を自認する方々には反米で極端に歴史的事実を全否定したい人が含まれているような気がします。極論は分かりやすいですが、それで分かった気になって思考停止してしまうと新しいことは何も出来ないということになります。時計の針は今も動いているのに。

さて所謂A級戦犯「平和に対する罪」=「侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為」で裁かれた方々ですが、死刑が多く執行されています。この罪は事後法で国際法違反という指摘もありますが、日本は判決を受け入れ刑を執行しているのですから、これは有効だと考えざるを得ません。基本的に戦争を開始した責任者がこのA級戦犯だと連合国が考え、刑の執行をもって戦争責任にひとつの区切りがついたということだと思います。歴史的事実は歴史的事実で検証してもいいと筆者は思いますが、当事者は感情的なしこりが強く冷静な検証を阻害するでしょうし、連合国における敵国条項が削除される訳でもなく、戦後の歴史の積み重ねで日米同盟抜きの独立した安全保障が完全にできる訳でもありません。また、誰が開始したかですが、欧米に関する開戦の経緯は日本の先制攻撃でハッキリしているにせよ(挑発的な外交に問題はあると思いますが、文脈を短く切ることも出来ません)、中国に関しては第二次世界大戦(支那事変・日中戦争)(いったん停戦を挟んでいますし、満州国事変まで戦争開始を遡るのは無理だというか、政治的な見方に過ぎません)において、中国の先制攻撃を誤魔化している部分があるように思います(ただし、中国には中国の言い分があって日本を追い出すためだったでしょう。この中国の言い分をぼかすために(議論しないために)開戦の経緯は言わないでおいたような気がします)。あえて一言でいうと遅れてきた帝国主義の敗北なのだと思いますが、副産物として植民地の独立を誘発させたところはあったかもしれません。いずれにせよ、欧米を中心とした連合国は(敵国条項は残るものの)現在第二次世界大戦の「歴史的罪」を糾弾していませんし、基本的に大きな問題はないんじゃないかと思います。反日国のプロパガンダに対しては正確な事実をもって反論し誤魔化さないことが重要だと思います。それが結果的に敵国条項に削除に繋がるかもしれません。

「戦犯問題」に関連して、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議(1953年8月3日)ですが、(旧社会党、共産党を含む)全会一致で可決されているようです。この時日本は既に占領が終っており、日本は主権を回復すしている状態、朝鮮戦争が休戦した(1953年7月27日に休戦協定)直後の時期でした。勿論サンフランシスコ講和条約は既に発効しており、大日本帝国の旧領の処理に関連して一通りの目処がついたという意味で行われたのかもしれません。勿論現行の恩赦制度「恩赦が行なわれたその時から将来に向かって生ずるものであって,過去にさかのぼって,既成の効果を消滅させることはない」(昭和40年版 犯罪白書 第二編/第三章/三/1 恩赦 )と同じく、極東国際軍事裁判を無効化させるものではなく、この決議が行われた時点以降に、名誉回復で国民皆が団結して前に進もうということだったという理解でいいんじゃないかと思います(そういう決議でなければ、中々過去の経緯を無視して総論賛成全会一致出来ないでしょう)(複雑な過去の経緯をもって総論賛成全会一致すべきことに徹底反対している某政党とその仲間達は少なくとも1953年時点より退化しているように見えます)。無効にしたところで死刑になった方々は生き返りませんが、無効になった訳ではないことに注意が必要だと思います。決議の意味は戦犯だから~(差別する)というような話を終わりにしようという意味でしょう。後述しますが、日本は人道に対する罪(C級)の適用はほとんど受けていないようです。サンフランシスコ講和条約ですが、(アメリカとの)単独講和論と(ソ連・中国を含む)全面講和論の対立があって、この時社会党や共産党は(共産主義国との講和を含む)全面講和論を採ったようです。世論は単独講和論多数でした。結局単独講和論でサンフランシスコ講和条約が結ばれ、名誉回復決議は全会一致で可決できたということになります。戦前を生きた議員の方々は社会党や共産党であっても、この時点では愛国心があった(日本のための仕事で合意できた)(筆者は憲法議論自体に反対する国会議員の方々は日本のために仕事が出来ない愛国心がない方々・職業倫理意識もない方々だと思っています)ようにも思えます。

靖国神社のA級戦犯合祀問題ですが、既に赦免されていることに注意が必要だと思います。これは先に指摘しましたが、判決が無効になったという意味ではなく、決議が行われた時点以降、罪を問わないというか追及しないようにしようということだと思います(つまり冷静な戦争の経緯の検証を妨げるものではありません)。国会の議決で(個人の)罪を追及しないことになっているんでしょうから、民間の神社が祀ることに不都合も無いと思います。そもそも日本文化に怨霊信仰があって、(死んだ)「罪人」を祀って神にするところがあります。殺された方はどうなのと思わなくもないですが、生きている人が祟りを恐れるところがあったんでしょう。それはともかく、A級戦犯で死刑になった方々の無念を考えると、日本文化の観点で言えば祀るのは自然だとも言えます(国際的には特に反日国の誤解を招く可能性はありますが、少なくとも理論上は開戦経緯の「罪」を無効化したと解釈する必要はないように思います)。

以前の記事「防衛省慰霊碑地区と靖国神社考」で触れましたが、靖国神社と今上陛下の御親拝の問題に関して言えば、時期的に先帝陛下がまずA級戦犯の合祀について不快感があったような気がします。BC級戦犯の合祀は既に久しく、そこは問題では無かったようです。あるいはA級戦犯の罪を無効化する動きと考えられた可能性はあると思います。そういうふうな歴史解釈が罷り通ると、じゃあ戦争責任は誰にあったのかということに繋がりかねません。先帝陛下は戦争責任は全て自身にあるとマッカーサー元帥に語ったようですが、実際のところは極東軍事裁判で裁かれた訳ではありません。これは筆者は戦前においても天皇の政治の実権はそう大きなものではなく、法的な責任は無いという意味だと理解します。勿論先帝陛下が心にも無いことを言ったと思えず、道義的な責任が自身にあると表明されたのでしょう。民間の神社の歴史観にどうこう言えませんが、受諾した判決を無効化するような歴史観があるとすれば筆者は疑問があります。戦前の日本も国ですから政治の実権は何処かにあったはずです。全て正確な裁判が行われたか疑問があるにせよ(冷静な検証は否定されないにせよ)、法的な責任を全て回避できると思えませんし、そうすべきであるとも思えません。罪は刑の執行をもって償われたと見ることも出来ますし、名誉回復決議も行われています。

注意すべきは靖国神社は戊辰戦争の幕府軍や西南戦争の薩軍を祀ってはいないことだと思います。ですから、「平和の罪」を犯した「罪人」を祀る神社として相応しくないと見ることは出来るのかもしれません(西南戦争はともかく戊辰戦争は反乱軍=侵略軍が勝った訳ですが)。ただ日本という国で見るとA級戦犯は反乱軍ではありません。いろいろな見方はあると思いますし、これ以上この点に触れることはしませんが、先帝陛下に複雑な思いがあって(極東国際軍事裁判の起訴状の提出は1946年4月29日(4月29日は昭和天皇の誕生日)に行われたそうです)、靖国神社御親拝を中止されることにしたのだろうと思います(例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われているとのこと)。

今上陛下も御親拝されていませんが、基本的にはこうした経緯を引き継いでいるのだと思います。ひとつだけ指摘するならば、極東国際軍事裁判のA級戦犯7人の死刑執行日は当時皇太子だった継宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)であったそうです。皇室は法的な責任を問われなかったかもしれませんが、道義的な責任を問われなかった訳ではないのかもしれません。

最後にBC級戦犯に触れますが、日本においては犯罪類型B項の罪「通例の戦争犯罪」に問われた方が多いようです。これは、戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反です。極東国際軍事裁判における法的根拠は不勉強で分かりませんが、捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や、非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」が国際法として存在します。ただ英米は慣習法の国であって、大陸法の国ではないことに注意が必要な可能性もあります。

C項は人道に対する罪でドイツにおいてはホロコーストがこれに当たるようで、A項の罪より目立ったようです。一般に第二次世界大戦の戦争犯罪とはC項の罪が一番言われるような気がしますが、日本はこのC項の罪はあまり問われなかったようです(単純にそうした事実が少なかったと考えられます)。ですから単純に日本とドイツを同一視するのも誤りです。某半島国は徴用や戦時売春婦を人道に対する罪だと主張しているようですが、そんなことは問われませんでしたし(要はその時点でそうした罪に問われるようなことをしたと見做されていません)、今更過去の歴史を現代の視点で見て罪を新設し裁くのような考え方(超遡及法)が通用すると思えません。

唯一の合法的な政府とは(拉致問題と日朝平壌宣言)

2019-02-17 23:36:49 | 外交安全保障
ブルーリボンバッジの.jpg(ウィキペディア 吉田宅浪)

「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」が日本政府の立場ですが、日朝平壌宣言(首相官邸 2002)では国交正常化の後、経済協力を実施することとなっています。これは「双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した」とありますから、日本政府が北朝鮮に対して信頼関係を認定できなければ(理論上は逆も然りですが、基本的に北朝鮮が日本に経済協力することは出来ません)、国交正常化は出来ないということになりますから、この順番(最後に経済協力)で問題ありません。また、「朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。」とありますから、本来は北朝鮮によるミサイル乱発で北朝鮮との信頼関係が無くなったと言うことも可能です。

それはいいとして、意外な問題が日韓基本条約第3条「韓国は国連総会決議195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」にありました。唯一の合法でない非合法の政府と国交正常化するんでしょうか?

国連総会決議第195号(Ⅲ)和訳(アナザービュー)というページがあったので、国連総会決議195条(1948年12月12日)を確認してみましょう。やはり合法的政府(大韓民国政府)だとか、この政府は朝鮮における唯一政府であることを宣言するだとか書かれています。朝鮮の統一を斡旋するとも書かれていますが、普通に読んだら唯一合法の韓国が北朝鮮を吸収する前提です。朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日)において韓国に国連軍が加勢したのも、こうした規定に基づくでしょう。ちなみにサンフランシスコ講和条約(1951年)で韓国は参加を拒否されています(日本の一部だったからです。所謂徴用工問題も結局法的には日本国内部の問題で、敗戦の結果独立した韓国と日韓基本条約で完全かつ最終的な解決をしたということになると思います。関連して慰安婦問題は慰安婦合意で最終的かつ不可逆的な解決)。

しかし、韓国・北朝鮮が1991年9月17日に国連に加盟しています。日本にしてみれば北朝鮮は非合法政府になりそうでいいの?ですが、とにかく国連自身が北朝鮮を認めているということになりそうです。

・・・何か理屈がないか考えましたが、国土統一院を新設したのが1969年8月1日。1990年12月27日に統一院に改変しています(更に1998年2月28日に統一部に改変)。一緒に加盟しているし、既に統一しているということか?

英語で韓国がRepublic of Koreaで北朝鮮がDemocratic People's Republic of Koreaですから、どちらも唯一朝鮮の合法政府Republic of Koreaで民主主義人民はお飾りに過ぎないと考えれば、別にどっちでも成り立つということなのかもしれません(国連総会決議195条を英語で確認した訳ではありません)。トンチ問答みたいですが。

この辺が理屈だとしたら、朝鮮と韓国を使い分けている日本(中国も同じ?)はややこしい感じで、国際的な普通の見方よりどっちが合法?が気になってしまうのかもしれません。

1991年の南北基本合意書に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるようですが、共に大して尊重はしていないようです(特に北朝鮮)。

・・・まぁ国連総会決議に基づく条文は国連の認定でどうとでもなるというか上書きされたいうことで気にしないのが一番いいのかもしれませんね(多分これだ!)。完全かつ最終的に解決されたのは請求権の問題です。

朝鮮戦争休戦協定(1953年)も気になってチェックしましたが、あくまで休戦のための協定なのであって、相手国がどうこうという規定がなく(法的な地位に関して言及がないようで)、日朝平壌宣言に直接的には関係ないようです。ただ、北朝鮮は6回に渡り休戦協定に束縛されないと表明しています。何か気に入らないことがあったのかもしれませんが(というか砲撃とかしてきたような気もしますが)、休戦中ってことにしておかないと、国交正常化のための信頼関係も何もないことは確かだと思います。

朝鮮回廊と民族史(ツングースと高句麗、三韓及び日本(蓬莱?)への稲作を含む中国文明(燕・斉)の伝播)

2019-02-17 18:47:58 | 世界史地理観光
高句麗論争(朝鮮半島北部から満州南部を支配した高句麗が「朝鮮史」なのか「中国史」なのかという帰属をめぐる論争)に関連して、高句麗の起源・民族でいろいろ迷いもあったのですが、ほぼ考えが固まりました。支配者層が後のツングース/満州で半島部の領民が朝鮮ということで良いんじゃないかと思います。現在、北朝鮮に朝鮮民族しか住んでいないですし、三国史記で歴史がまとめられていることからも、基本的には朝鮮史でいいと思いますが、高句麗史を中国史(というか満州民族史)として捉える見方もあるでしょう。支配者層の歴史で見るべきという意見があってもいいですが、衛氏朝鮮は中国人(燕人)王朝ですが、朝鮮半島に中国人は住んでいません。歴史において少数派の支配者層はしばしば多数派の領民に飲み込まれることがあります(同化させるケースもあって一概には言えません)。例えばフランス人はゲルマン人であるところのフランク族の国が起源とされますが、フランス語はラテン系で言語的にはフランス人はローマ人の末裔です(元々はケルト人が住んでいました)。これはあくまで想定ではありますが(頭の体操で色々言えはするでしょうが)、現実に中国語と朝鮮語は違う言語なのですから、言語学的に証明されているとも言えます。

稲作農耕は日本(菜畑遺跡:現在では前10世紀~)に伝わったようですが、燕の領域に稲作があったはずがありませんから、これは山東半島あたり(後の斉)から伝わったと考えられます。遼東半島で約3000年前の炭化米が見つかっているそうで(稲作の痕跡は見つかっていない)、山東半島~廟島群島~遼東半島~朝鮮半島ルートで稲作が伝播し(日本人は中国人ではありませんから文化の伝播のみ、あるいは多数の日本人に少数の渡来人が吸収されたと考えられます)、気候が適している日本(九州)で盛んになったと考えられます。山東半島斉の建国が紀元前1046年ですから、そもそも山東半島に住んでいたとされる莱族が稲作を伝えたと考えるのが素直かもしれません。莱族の莱は蓬莱の來で、蓬莱とは古代中国で蓬莱は、方丈・瀛州とともに東方の三神山の1つであり、山東半島のはるか東方の海にあるとされます。東方三神山の方丈とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島。残りの瀛州はのちに日本を指す名前となったようです。徐福伝説が日本各地に残りますが、漢代「史記」のこうした話は何らかの根拠があるとも考えられますし、時代からも場所からもそれは日本のことを指しているのであって、交易ルート・交流ルートが想定されていいんだろうと思います。あるいは斉に破れて移民が従来有していた交易ルートを使って渡ってきたとも考えられます(日本において亡国の百済の移民が住み着くこともあったようです)。朝鮮半島における水田稲作に関しては約2500年前の水田跡が松菊里遺跡などで見つかっているそうです(時代が正確かは分かりませんが、稲作には日本の気候の方が適しています)。

史料にある範囲で朝鮮半島に大きな影響を与えたのは燕(紀元前11世紀 - 前222年)であるようです。燕は遼東半島を支配しましたが、国都は薊(北京市あたり)であり、上記山東半島ルートで來族が稲作を伝える時間的余裕はあったように思えます(最初に島伝いに移動したとして、経験さえあれば渤海横断ルートをとることも出来ます。呉越伝来説は有力とされますが、最初の移動が想定できず筆者は難しいと考えています。時期的にも斉の建国あたりがドンピシャで長江下流域において前5000年頃に始まったという呉越の稲作の日本・半島への伝来がどうして大きく時代が降るのか説明がつきません。南方の稲作が大陸内で北方適応・北上するのに時間がかかったと見るべきではないでしょうか)(銅鐸が越の王墓で見つかったというニュースも鈴が日本で発展したという通説でいいような気がします。日本は鈴文化で五十鈴川等の地名から銅鐸(紀元前2世紀~2世紀)は鈴と呼んでいたと考えています(スズは和語で、縄文時代にクルミなどの木の実やマメを振ると外殻や鞘の中で種子が動いて鳴ることに着想を得て作られた道具ともいわれるようです。金属で造る文化を教えた、あるいは輸入元は中国かもしれませんが、言葉は和語を使用したと考えられます)(後に埋納して文化が断絶した後、鐸が考古学的に越であるならば、古墳時代における南朝(最初の宋が420年 - 479年)との通交で鐸が改めて伝わったとも考えられますが、銅鐸の名称がはじめて用いられたのは8世紀に編纂された続日本紀のようですから、タクという漢語から考えて、遣唐使との関連が深いと考えられます)(いずれにせよ、難破必至の東シナ海ルートを時代を遡るほど信じません)(>中国古代の殷・周金属文化圏では、紀元前10世紀以後、山東の斉の箕族が、殷・周の権威のもとで、朝鮮西部に接する遼寧で活動していた。燕・斉人の東来は、古くから存在した。:礪波護、武田幸男「隋唐帝国と古代朝鮮」『世界の歴史6』中央公論社、1997年、264頁)。

燕の建国の経緯に韓侯国が関係しているようで、燕の士大夫層に韓氏や箕氏が見られるようです(伝説的な朝鮮最古の王朝箕子朝鮮は殷に出自を持つ箕子が建国したとされますが、殷の統治範囲を考えると甚だ疑問です。義経伝説や源為朝=舜天説のような起源説話だと思います。後代に燕の領域から箕氏が移住してつくったのが箕子朝鮮と考えられます)。三韓とは朝鮮南部ですが、何故に韓(河南省北部の一部、山西省南部の一部、陝西省東部の一部)(距離が離れてますし七雄で弱小とされます)?と思っていたのですが、韓氏に由来している可能性があると思います(出典はド忘れしましたが、日本だと移住後に地名を名字(武士の名字)としており感覚的に分かり難いですが、中国の宗族制度では移住して姓を地名・村名にしたとか。例えば「周荘」「趙村」「馬家屯」「柳鎮」のような地名があるそう。全然違うかもしれませんが)。

燕は遼東半島をも支配しましたが、斉からの文化の伝播もあったか(当初からバランサーしていたかもしれません)、燕の国都から遼東半島が遠く、北方の気候が厳しいこともあってか、少なくとも現在の朝鮮半島の領域までは中国人(漢民族)は多く移住しなかったようです(移住が多かったとして羅唐戦争後の新羅か高麗以降の歴史の影響が大きいかもしれませんが、よく分かりません)。遼東半島は概ね中国の領域であったようです。

高句麗に戻りますが、最初の首都卒本城や遷都後の有名な丸都城は鴨緑江北岸のようで、このあたりは後にツングース系民族の居住地として知られます。高句麗、夫余(扶余)、東沃沮、濊、貊の言語・民族が同じとされ、高句麗は現在の中国東北地方に広大な領域を持っていたようですが、どうも漢四郡の玄菟郡の影響を受けて(あるいは民族的な成長はもっと前かもしれませんが)、高句麗が成立したようです。魏と戦争して丸都城を落とされることもあったようですが(このあたりが魏志倭人伝の時代)、313年に高句麗が朝鮮半島の楽浪郡を征服しました。427年に平壌(現在の市街ではないそう)に遷都(南の方が生産力が高く人口が多かったかもしれませんし、少なくとも朝鮮半島を南下するのに便利でした)。高句麗は強国で度々隋や唐といった大国を退けたことで知られます(広開土王碑で知られるように、半島南部の国を支援する倭国=大和朝廷とも戦争しました)。三国史記における朝鮮半島中部の高句麗の地名は金芳漢氏によると、百済・新羅と同じのようです。その上で金氏は平壌方面に南下する以前の高句麗の言語と、朝鮮半島中部の地名に用いられている言語が同一ではない可能性を指摘し、乏しい史料から高句麗語はツングース系を示唆したようですが、この意見は妥当なように思います。とにかく中国東北地方に朝鮮人が広く居住していた歴史がありませんし、朝鮮半島南部の百済の支配者層も高句麗に起源があると自称しており、韓族の居住地も高句麗同様の支配者層と領民の分離があったとも考えられます。後の新羅の支配→短い後三国時代→高麗と時代が移行し、現在の朝鮮半島の領域を支配する高麗時代に三国史記が編纂されていますが、どうも北朝鮮の領域に朝鮮人以外の民族が住んでいたような感じがなく、日本人は魏志の記述から朝鮮半島北部に別民族が住んでいたように思ってしまう感じがはあるような気もしますが、元々朝鮮半島には朝鮮人(ないし朝鮮人に類似の民族)が住んでいたと考えていいのだと思います。

ただ、高句麗や百済の史料が少なく、(支配者層の)言語の復元が難しいことから、このあたりの推測に確証がないようです(広開土王の碑文なども、結局漢文で読みが分からないと思います。万葉仮名のようなものが無いと読みが分かりません)。日本には高麗(こま)や百済の地名がありますし(基本的には日本に日本の地名はありません)、誰も同族と主張していませんから、数少ない言語再建から日本語との系統関係を示唆する研究は誤っていると思います。数詞が似ている説は日本語の数を表す言葉が中国語に類似することと同様の現象とも考えられます(イチ、ニ、サン、シ・・・とイー、アル、サン、スー)。高句麗は早くから中国の影響を受けて高い文明があったとも考えられますが、日本が比較的関係が良かったとされる百済の支配者層が高句麗と同族のようで、文化の伝播で高句麗語が(百済語を通じる等して)日本語に入ってそもそも不思議はない訳です。ビロウや稲作に代表される比較的南国の日本文化が高句麗にルーツがあるはずもありません。

新羅は辰韓の地の国で秦人が済み秦韓ともいったようですが、日本の渡来人として著名な秦氏はこれに関係する可能性があると思います。何故秦かと言えば、燕の故地(遼東半島あたり)を引き継いだ秦の影響が考えられると思います。秦という巨大な統一国家のインパクトは相当大きかったのではないでしょうか。その後の漢において漢四郡支配がありましたから、益々中国の影響は大きかったはずです。朝鮮語と中国語は別言語ですが、朝鮮人の姓は中国同様の一字姓になっています(三国史記の王名から元は違ったようです)。

いずれにせよ、朝鮮半島には古くから朝鮮人が住んでいたというのが筆者の考えです。これに対して中国東北地方には古くからツングース民族が住んでおり、言語資料の少なさから証明できないようですが、それが扶余族であり、元来の高句麗なのでしょう。

高句麗・扶余の東の挹婁・勿吉・靺鞨・女真(満州族)は中国の史書によると独特の言語を持っていたとされるようですが(少なくとも確実なツングースは女真族とされます)、筆者は疑問を持っています。そもそも中国がこうした遠方の東の部族とあまり接した経験がないように思うのですが、日本語でも祖父母の方言がよく分からないのような話もありますし、(同族の)大和と琉球では正史も違いますし、大和と隼人も明らかな同属ですが、異民族扱いでした。同系統でも別民族と判断されてそもそも不思議がありません。気になるのが女真(金朝)(黒水靺鞨とされます)以前の渤海国(高句麗に服属していた粟末靺鞨の国とされます)で、中国東北部と沿海州(外満州)といった広大な領域を支配しており、これはどうも同じ民族が住んでいたと考えて良さそうです。渤海国は遠交近攻で(共に朝鮮半島の新羅と仲が悪かったので)日本に使節を送っていたことで知られますが、外満州というあまりに寒い地域の支配はそもそも同族だったからと考えないと理解が難しいものがあります。後の樺太のウィルタもツングースと分かっています。

日本の北方「異民族」アイヌ

2019-02-17 10:39:27 | 日本地理観光
アイヌ民族(ウィキペディア/パブリックドメイン)※アイヌ民族はかつては白人とも言われ遺伝子も日本とはやや違います(北回りで北海道に到達したかもしれませんし、少なくとも北海道のアイヌと和人は長い歴史の間、混交しなかったとも考えられます。オホーツク文化人等沿海州人との混交も考えられます)。

初めて「先住民族」と明記 「アイヌ新法」閣議決定(FNN PRIME)

>政府は、アイヌ民族を先住民族と初めて明記した「アイヌ新法」の案を閣議決定した。
>この法案は、北海道などに先住してきたアイヌを、初めて「先住民族」と明記したうえで、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を掲げている。
>そのうえで、サケなどの伝統的な漁法の規制緩和や、アイヌ文化を振興する新たな交付金の創設が盛り込まれている。
>菅官房長官は、「アイヌの方々が、民族としての名誉と尊厳を保持し、これを次世代に継承していくことは多様な価値観を共生し、活力ある共生社会を実現するために必要と考えているところであります」と述べた。
>政府は、アイヌ文化の振興を外国人観光客の増加にもつなげたい考えで、今の国会で法案を成立させる方針。

ネットではアイヌ民族が先住民族であるという認定に疑問の声があるようです。

そもそも民族の定義ですが、居住地、血縁関係、言語、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるようですが、ある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもあるようです。アイヌの居住地は北海道・樺太・千島で、各種証拠から北東北にもいたとされ、言語は日本語と系統関係不明のアイヌ語、伝統的宗教は熊送りが特徴的なアニミズム、国家は持たず部族社会だったようで独自の民族として客観基準があり、アイヌとは「人間」の意味で自分達を一纏まりで認識しており、日本人(和人)のことをシサム・シャモ(後者はやや差別的なニュアンスがあるようです)(ロシア人のことはフレシサム・フレシャモだそうです)と呼んでますから、民族概念への帰属意識という主観的基準でも民族として認められるようです。

先住という意味では、アイヌが和人(日本人)に比べて、北海道に先住していたことで異論はありません。ゆえに先住民族で間違いなく、疑問の声があるのはアイヌが日本においては通常目立たない小規模な民族であることから来るのでしょう(その意味ではアメリカにおけるインディアンに類似します。独立論が出るような規模の民族ではありません)。厳密に言えば、日本という国は単一民族からなる国ではないということになります(見方次第で事実上の単一民族の国ということも出来ると思います)。

現代において日本人=日本国籍=日本民族の図式が一般に成り立ちますが(特には誤用と思いません)、厳密に言えば日本人=日本国籍=日本民族+アイヌ民族と見ることも出来ます(戦前は例えば朝鮮人=朝鮮民族が日本国籍を持っていました)。

観光振興ということですが、アメリカのネイティブ・アメリカン観光のようなものを意識しているのだと思います。現状では日高地方の平取町立二風谷アイヌ文化博物館が有名だと思います。アイヌは最近では週刊少年ジャンプのゴールデンカムイでも知られますね(かつて北海道にゴールドラッシュがあったとか)。

アイヌは歴史的には日本から見て蝦夷(えぞ)と呼ばれていました。北海道が蝦夷地です。エゾ=アイヌは通説でこれにまず異論は無いと思います。厄介なのが蝦夷を昔はエミシやエビスと呼んでいたということで、エミシ=アイヌ説とエミシを和人(日本人)の辺民とみるエミシ辺民説とが対立してきました。エミシは昔、愛瀰詩・毛人とも書き、畿内の先住民であるとされたり、毛野国=両毛地域(群馬・栃木)に住んでいた人が毛人ではないかと言われたり、多賀城(宮城県、南東北)や越後(新潟県、渟足柵・磐舟柵)あたりの「服わぬ(まつろわぬ)」民を指したりしますから、辺民説が部分的に当たっている可能性もあると思いますが、何か具体的な(特に文献上の)根拠・証拠がある訳ではないと理解して良いと思います。少なくとも北東北に広範囲に残るアイヌ語地名から、全てのエミシが和人でも無さそうですが、これは後述します。

エゾという用語が使われ始めたのは11世紀か12世紀であるようです。鎌倉時代には蝦夷(えぞ)沙汰職、蝦夷(えぞ)代官という役職があって、これは南北朝時代に蝦夷(えぞ)管領と呼ばれるようになりました。この職は安藤氏(後に安東氏)の世職で、政務を行う役所は津軽の十三湊(とさみなと=江戸前期まで、現代の呼び名。江戸時代後期以降じゅうさんみなととも)にあったようです。この頃北東北はどうも和人(日本人)の居住地らしく、北東北のアイヌ語地名は少なくともエミシに遡るように思えます。エミシをエゾと呼ぶようになった経緯ですが、時期的には中世社会への移行期に近く、鎌倉幕府の成立等とあわせて、移住した関東あたりの武士の方言に関係する可能性があると思います(アイヌ語で人を意味する「エンチュ (enchu, enchiu)」が東北方言式の発音により「Ezo」となったとする説も。出典:小泉保(1998)『縄文語の発見』青土社)。

擦文文化の成立過程と秋田城交易(北海道博物館研究紀要 鈴木琢也)を参照すると、8~9世紀は、擦文文化と東北地方土師器文化との物流・交易が活発になる時期のようです。渡島蝦夷、渡島狄との交流も史料に見え、考古学的に交易も確認できるようです(秋田城が拠点とも)。渡島が北海道ですが、今も北海道南部の半島を渡島(おしま)半島と言います。注意すべきは東北地方土師器文化で、これを完全に和人(日本人)と見るべきではないのではないかと思います(そう見ると北東北のアイヌ語地名を理解しにくくなります)。後述するように樺太アイヌと北海道アイヌの文化は違っており、単に日本人と隣り合っていたから似たような文化だったのであって、民族は言語系統で判別されるところが大きいように思います。蝦夷(エミシ)の地の古墳を考えてみるのも面白いかもしれません(蝦夷の古代史/工藤雅樹著 平凡社新書071 2001)。水田農耕の早期の北東北への到達が明らかになったことで、蝦夷(エミシ)=辺民説が有力にもなったようですが、必ずしも技術=民族ではなく(インディカ米の産地が全て同一民族でしょうか?)、北東北のアイヌと技術の受容、同化の過程について考察しても良いでしょう。同一地域に異なる民族が住むことも、世界史では割合通常のことです。

鎌倉時代には北の「元寇」があったと言われ、元とアイヌが交戦したことで知られるようです。樺太の白主土城がアイヌ伝統のチャシとはかなり構造の違う方形土城で中国長城伝統の版築の技法が使われており、元の前進基地だったとされるようです(アイヌとモンゴルの戦い モンゴルの樺太侵攻 1264年の遠征 1284-1286年の連続攻撃 個人ブログ)。樺太アイヌはミイラ作成で知られるようですが、東夷之遠酋・俘囚之上頭を自称する藤原氏のミイラ(中尊寺)との関連性も指摘されるとか(オホーツク文化圏でも北海道でもミイラ作りは行われないようです)。

樺太アイヌは北海道アイヌや千島アイヌとは異なる文化・伝統を有することで知られますが、ルーツは余市あたりのアイヌにあるとも言われるようです。大陸文化の影響で独自の文化を育んだ可能性もあると思いますが、千島アイヌ語に比べると比較的言語資料が多く残っているようです。南樺太がソ連に占拠されて以降は、北海道に移住したとか。山丹交易や蝦夷錦でも知られるようです。

樺太には他にウィルタ・ニヴフといった民族が先住しており、ウィルタがツングース系(満州系)で、ニヴフ(ギリヤーク)の話す言葉は系統不明で孤立した古シベリア諸語のひとつとされるようです(アイヌ語も系統不明で孤立した言語とされます)。ニヴフは道東オホーツク沿岸の海獣狩猟や漁労を中心とした異質の文化オホーツク文化の担い手と見る説も有力です。日本書紀にでてくる粛慎(みしはせ、あしはせ)はオホーツク文化人だという説も有力だとか(トビニタイ文化から擦文文化人(後のアイヌ)に吸収されたとも)。樺太探検で知られるのは徳川将軍家御庭番である間宮林蔵です。オホーツク海の流氷は有名ですが、氷結した沿海州アムール川の氷だということも知られますね。

千島アイヌ(ウルップ島以北のアイヌ)はより南のアイヌと異なる伝統を持っていたようですが、日本とは没交渉で謎が多いようです。進出は比較的遅かったとも。

ここで北東北のアイヌ語地名ですが、筆者はアイヌ語地名で疑いないと考えます(例えば、アイヌ語地名の日本語化の型(鏡味明克)が学問的かつ詳しいように思います。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる金田一京助も東北のアイヌ語地名を濃厚に発見したようです)。北海道と同じナイ地名が北東北にあって、その量が多ければアイヌ語でないと考える方が難しいものだと思います。これは北東北の沿岸部に限らず、沼宮内(ぬまくない)のような岩手北部や比内(ひない)のような秋田北部にも広がりますから、北海道のアイヌが来たというようなレベルの話ではなく、元々北東北に住んでいたと考える以外に説明はつかなそうです。

前述したように元々エミシがアイヌを呼んだという証拠はありませんが、畿内から見て東北あたりのまつろわぬ民=エミシの中にアイヌが含まれることは間違いないんだろうと思います。学説的にも7世紀以降の蝦夷について、アイヌとの連続性を認める説が有力だとされ、蝦夷に対し中央政府側に通訳がついていたそうで、アイヌ語系統の言葉を話していたと推定されているようです(宇野俊一ほか編「日本全史」講談社、1991年)。考古学的にも古墳時代の寒冷化に伴い、北海道の道央や道南地方を中心に栄えていた続縄文文化の担い手が東北地方北部を南下して仙台平野付近にまで達したとも。

蝦夷という漢字ですが、蝦(エビ)と夷に分けられるように思います。夷狄とは中国からみた周辺異民族を指す言葉で、蝦狄という宛て方もあったようですから、夷という漢字は見たままの意味なのでしょう。蝦(エビ)はエビ色の用例があり、和語の「えび」は、元々は(山)葡萄、あるいはその色のことだったのだそうです。樹木シリーズ58 ヤマブドウ(森と水の郷あきた)参照ですが、秋田の人やアイヌはブドウの皮を履物・袋・漁具等に利用したようですし(北海道のアイヌは、ヤマブドウの樹皮でシトカプ・ケリ(葡萄蔓の靴)と呼ばれる草鞋を編んで履いていた)(儀礼用の冠・サパンペも、ヤマブドウの樹皮を芯にして作る)、薄紫色に染めることを「葡萄染(えびぞめ)」というそうです。あるいはエビ色の異民族に見えたから蝦夷という漢字を宛てた可能性もあると思います。長野県北部にはヤマブドウを使った伝統の民間療法が残っており、茎をつぶして、虫刺され時に塗る。葉は噛んで蜂刺されに塗り、果実は貧血によいと言います。山葡萄は古名を「エビカズラ」(葡萄蔓)とも言い、あるいは縄文時代から山葡萄は利用されてきたのかもしれません。寒さやお酒による赤ら顔も関係あったかどうか。

漢字はともかく、エミシ・エビスは元々日本人からみて異民族を指したのでしょうが、語源はよく分かりません。用語としてはエミシの方が古いようです。エビスのエビはエビ色+衆の可能性もあるでしょうか。

余談になりますが、日本の異民族として南九州の熊襲や隼人も知られますが、熊襲は風土記では,球磨噌唹 (クマソオ) と連称されており、クマ(人吉盆地)+ソオ(大隅地方・鹿児島県東部)だったのでしょう。ソオはよく分かりませんが、クマは目の隈に近い意味でクマ川≒黒川といった意味かもしれませんし、曲川かもしれませんが、いずれにせよ日本全国に広がる一般的な地名のようです。付近で言えば阿蘇が麻生で一般的な地名のバリエーションの可能性もあると思います(関連して木曽はキソウで木が生えるところかもしれません。曽は本来ソウと読みます)。琉球王国は独自の歴史(書)を持ちますが、民族的(言語的)出自は日本で南九州も同様だろうと思います(海民が島に渡ったろうことを考えると、肥前・肥後と薩摩といった西回りが南西諸島と関係が深そうです)(廃藩置県で沖縄県になって以降、琉球民族というより、沖縄県民と見るべきだと考えます。フランスやイタリア・スペインも結構地域性があるらしいですが)。いずれにせよ、アイヌは縄文人の子孫であるにせよ、沖縄と違って系統関係が異なることに注意が必要だと思います。漢民族とモンゴルの関係が証明されないように、隣り合う民族が必ずしも近縁関係を証明できる訳ではありません(同じに分類される土器を使っていたからと言って同じ民族だと証明されません)。

鎌倉時代後期(14世紀)には、蝦夷(えぞ)は「渡党」、「日の本」、「唐子」に分かれ、渡党は和人と言葉が通じ、本州との交易に従事したという文献(諏訪大明神絵詞)が残っているそうです。蝦夷が北東北にいたことを踏まえると、渡党とは蝦夷地に渡ったエミシ(ゆえに和人と混交が進んでおり二言語を操る)かもしれませんし、渡島の蝦夷だったから渡党かもしれません。渡党=和人説もあるようですが、日本語を操るアイヌが次第に同化したと考える方が妥当のような気がします。

道南十二館(どうなんじゅうにたて)(内4つは史跡)は、蝦夷地渡島半島にあった和人領主層の館の総称ですが、渡党と共存していたようです(遺跡にアイヌの居住の跡も見られるようです)。秋田氏(旧・安東氏)から独立した花沢館主(上ノ国町上ノ国。上ノ国遺跡は中世都市とも言われるそうです)の蠣崎氏(糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)と関係がある可能性も)が、後に松前氏になり、江戸時代の松前藩の蝦夷地支配に繋がるようです。

唐子(からこ)は日本人と接触の薄かった日本海側の(後の)(北海道以北の)アイヌを指すと思います。あるいは後の樺太アイヌが含まれるのでしょう。大陸との交易が古くからあったとも考えられ、ゆえに唐(から)という字が使われるのでしょう。樺太の語源は不明のようですが、唐子の唐、つまり大陸と関係ある可能性もあると思います。日ノ本は通常日本を指しますが、日本よりより東の地域ということで太平洋側のアイヌを日ノ本の呼んだと考えられます。東北地方も日本海側と太平洋側で結構文化が違うようですが、特に渡島半島の山は結構深い感じで(ヒグマも出るでしょうし)、海上交通が主体で日本海と太平洋岸という文化の分かれ方をしたんだろうと思います。ただ、道央あたりは日本海側と太平洋側の文化は繋がっていたかもしれません。いずれにせよ、いずれも日本から見た(日本が名づけた)呼称なのでしょう。

アイヌ文化で言えば、サイモンという神明裁判が行われていたようですが、これは日本の古代や室町時代の記録にも見られ、盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)といううけいの一種であるようです。鉄器は交易で和人から手に入れていたようですが、アイヌ文化は独自の文化を保ちながらも、歴史的に隣り合う日本の影響もあったと考えられます。

チャシは諸説あるようですが、基本的には防御用の砦なのでしょう(コシャマインの戦いの戦いなどしばしば反乱は起こっています)。日本も山城が方々に山城が築かれましたし、沖縄においてはグスクが知られます。グスクは宗教的な場でもあったらしく、複合的な意味があったかもしれません。結局、統一的な国家が建設されるより先に日本人が支配した感じになるのは、人口希薄で日本以外の文明の地から遠い事情があったかもしれません。

ネットではアイヌ文化と左翼利権の関係性も指摘されますが、健全な発展を望みたいものです。アイヌ文化は樺太・千島・沿海州や東北・北海道の歴史にも関係が深く、それ自体価値があります。

JR北海道と観光列車、そのルート

2019-02-15 23:06:05 | 日本地理観光
細岡展望台から望む釧路湿原と釧路川(クシロシツゲン細岡天王堂大01.jpg ウィキペディア)

東急やJR東日本など、観光列車でJR北海道を支援(日経新聞 2019/2/12)

>東急が投入する観光列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」は2020年から札幌―道東間で走る。

路線が気になって検索したところ、2016年8月31日に北海道に上陸した台風10号による被害発生後、根室本線「東鹿越駅-新得駅間」の運行休止が続いているようで、じゃあどうするのかと思いましたが、札幌-道東間の都市間鉄道はそもそも石勝線が担っているようです。

富良野-新得の維持に危機感 沿線関係者 バス転換認める声も(北海道新聞 2018/11/20)

>「石勝線が使えない場合の代替機能も」
>「代行バスが走り、不便はない。町の人口や高校生の利便性などを考えるとバス転換し、便数を増やすのが現実的」

2年半も復旧してないのが不審で調べたのですが、根室本線「富良野駅-新得駅間」がJR北海道によれば単独では維持することが困難な線区(2016年 JR北海道発表資料 pdf)として発表されており、どうも採算の取れなさからあえて復旧していないようです。石勝線開通後は特急列車の運行が無くなり、現在は極端に利用が少ない線区なのだそうです。JR北海道特有の問題として、冬期の除雪の問題もあるようで、過疎地ならバスの方が費用対効果はあるのだと思います。廃止すると旭川-十勝間の連絡が少々悪くなる気もしますが、ノースライナー号(帯広~旭川)(北海道拓殖バス)もあるようですからまぁ何とかなるようには思えます。

JR北海道の経営が無理ゲーにもほどがある件について(Rail to Utopia 東京の都市交通を考えるブログ)

JR北海道の経営が厳しいというのは周知の事実ではあるのですが、断トツみたいですね(四国も厳しいと言えば厳しいですが)。先のJR北海道のpdfも併せてみる限りでは、そもそも極端に利用者が少ない路線は早めに決断するべきでしょうし、高速道路の開通でまだまだこれから利用者が大きく減るような気がします。

さて札幌―道東間の鉄道ですが、十勝平野の風景は見所になるのかもしれません。十勝の農業がよい意味で北海道の農業のイメージ(例えば人気漫画「銀の匙」の舞台)で巨大なことで知られます。日本においては断トツの規模の北海道農業(農業生産額 [ 2010年第一位 北海道 都道府県別統計とランキングで見る県民性])(離れますが二番三番は鹿児島・宮崎で南九州らしい)。

札幌-釧路間、"特急スーパーおおぞら"の楽しみ方(地球の歩き方)

>広大な畑が広がる十勝地方からが北海道らしい風景
>刈り取った豆を積み、てっぺんに青いシートをかける「ニオ積み」が秋の北海道の風物詩

田舎の農村=田園風景に慣れた人には新鮮に映りますね。


眼下に広がる白い海 北海道占冠村の「雲海テラス」(YouTube)

根室本線が元々のメインルートで建設した時には、後に石勝線がメインになろうとは誰も思わなかったでしょうか。ついで道東で列車と言えば釧路湿原。

2018年 くしろ湿原ノロッコ号運行(釧路・阿寒湖観光公式サイト)

JTBの観光列車に関する調査で大人気らしい。自然が美しく雄大なことで知られる北海道の中でも釧路湿原は唯一無二なの感じはありますね。動物を見るためかゆっくり走ってくれるようです。

「観光列車」についてのアンケート調査(JTB)

観光列車を選ぶ理由は見た目重視。観光列車に興味のある人は多く、観光列車に乗るために旅先を決める人も多いようです。一緒に乗りたいのは配偶者、次いで家族。旅の目的はパートナーとの親睦・休養という人が多いのだと思います。

「くしろ湿原ノロッコ号」の他に道東なら、知床連山を彼方に望みながらオホーツク海沿岸を走り、冬の大海原を流氷が埋めつくすダイナミックな景観を車窓から楽しめる「流氷物語号」や汽笛を鳴らしながら冬の釧路湿原の雪中走行が魅力の「SL冬の湿原号」も有名なようです(下記たびらい記事参照)。

観光列車(SL、トロッコ列車など)(たびらい)

見た目重視ぶりが意外と分かっているJR北海道。特急旭山動物園号は子供が食いつきそう。内装をも動物のイラストやぬいぐるみで賑やかに飾られており、絵本も準備されているようで、家族連れに最適か。旭川近くで言えば、富良野線沿線の美しい花畑や丘などの景色を楽しめる「富良野・美瑛ノロッコ号」も観光列車で知られるようです。

北海道での事業の歴史が古い東急。札幌観光と車窓の景色、道東観光を併せて楽しめる観光列車投入で北海道における事業とのシナジー狙いでしょうか。「ザ・ロイヤルエクスプレス」なら乗車自体楽しめそうです(伊豆の観光列車 「ザ・ロイヤルエクスプレス」 煌びやかなその車内 鉄道新聞)。

JR東が「びゅうコースター風っこ」を投入する宗谷線は秘境の旅が売りになりそう(道央道北・乗り鉄の旅(その13):宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その1) 鉄宿! 鉄道の見えるホテル・旅館 完全ガイド)

鉄オタ、秘境マニアの聖地でしょうか。費用対効果で秘境の路線も何時かは・・・なんてことになる前に?(鉄道の需要を下げる)高速道路の建設もこれからでそれもいろいろ論点ありそうですが(北海道に高速道路は必要だと思いますか???? Yahoo!知恵袋)。別に北海道のインフラ整備にお金をかけるなというつもりは全くないのですが、北海道胆振東部地震で、何処にかけるかという論点があってもいいんじゃないかと思いました。守るべきはキチッ守る。そうでもないことは優先順位を下げるのような。

“廃墟マニア”の聖地・軍艦島から世界遺産へ - 秘境写真家・酒井透(TOCANA)

廃墟マニアと秘境マニアの相性がいいのだとしたら、失礼ながら秘境も廃墟も多そうな北海道はその意味でもポテンシャルがあるのかもしれません。

意外と沢山⁉日本にあるラピュタ風な場所10選(snaplace)

廃墟は映えてるんだか、映えてないんだか分かりませんね。 少なくともキラキラはしてませんがw 軍艦島は維持費がかかるらしく、どうペイさせていくかは課題なのかもしれません。

続いて北海道と鉄道と言えば北海道新幹線で道南渡島半島を見て終わりとします(ニセコ・小樽あたりは既に著名観光地ですしまたいずれ)。

「ながまれ号」に乗ってきたよ。(往路編・函館→上磯→茂辺地)(どさんこカメラ)

JRではない道南いさりび鉄道株式会社。でも函館新幹線を木古内で降りて「ながまれ号」で函館観光に向かうのはひとつの正解かも。車内w

見て、触れて、動かせる。鉄道で栄えた長万部の歴史しのぶ「鉄道村」(北海道ファンマガジン)

旧国鉄時代の貴重な鉄道グッズが並ぶ空間「鉄道村」ですが、職員が常駐している施設ではないのだそうです。北海道新幹線の駅ができる長万部(おしゃまんべ)駅の名物が「かにめし」というのは知ってましたが、桃鉄知識(※国民的ゲーム「桃太郎電鉄」。製作者は週刊少年ジャンプの黄金期を支えた名物コーナージャンプ放送局のさくまあきら氏。実際に食べて美味しかったものを知名度関係なくゲームに登場させているという(桃鉄が旅行で役立つ!「桃太郎電鉄」をガイドブック代わりにする方法))。思わぬところで知名度?

北海道新幹線「新八雲駅」要らない説と戦おうと思ったもののひとまずギブアップ。退避駅等いるから造ったとは思いますが、観光面でこれといったアイディアが出せません(檜山・乙部方面へのアクセス改善!雲石峠に新ルートが開通します。)。国道277号で八雲町方面へ通じるらしく、檜山に通じる産業・観光道であると共に生活道としての側面も大きいのかもしれません。

戦国時代シミュレーションゲーム「信長の野望」で意外と知名度がある?蠣崎氏(武田氏・松前氏)の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点の山城が史跡上之国館跡勝山館跡(上ノ国町)。約5万点の陶磁器を始めとして出土品多数の中世都市。

アイヌ新法で注目が集まる北海道の先住民アイヌですが(日高地方平取町二風谷が有名ですね)、筆者としては道南におけるアイヌと和人(日本人)の関わりに特に興味があります。観光資源としての可能性もあるかも。その辺はまた近い内に。

アイルランド統合問題とブレグジット

2019-02-14 23:08:47 | 注目情報
イギリスの旗(ウィキペディア/パブリックドメイン※ユニオンジャックあるいはユニオンフラッグ。アイルランド旗(聖パトリック旗)が含まれることで知られます)

ブレグジットについて知っておくべき全て(BBC 2017年07月12日)

アングル:英首相の「新たな離脱対応」とは何か、その勝算は(ロイター 2019年1月18日)

ブレグジットってそれ自体、大きな問題で(離脱の方向性は決まっていると考えても)ハードかソフトかという問題もありますが、スコットランド独立と北アイルランドの統合問題が絡むという稀にみる混沌とした事件のように思います。

スコットランドの独立志向、ブレグジットで強まる可能性=世論調査(ロイター 2018年9月4日)

スタージョン首相が英国民に呼びかけ:「ブレグジットが嫌なら、スコットランドにいらっしゃい」(Yahooニュース 2017/3/21 ブレイディみかこ 在英保育士、ライター)

スコットランドの独立問題はずっと燻っていて、2014年の国民投票では55%が反対し否決されました。それがブレジットで再燃する恐れがあって、スコットランドは残留志向が強いらしく、ブレグジットをしたらまた独立を問うとか何とかそんな話のようです(最新情報を踏まえている訳ではありません)。しかし女性首相VS女性首相が国内であるとは傍から見て面白い国です(当事者だったら笑えないかもしれません)。イギリス国民はわりと醒めているというか、独立してもいいよという人が半分ぐらいいるとか。平和なんじゃないかと思いますがね。余裕だな?

北アイルランドの問題も厄介ですが(かつてテロの温床でした)、同じアイルランド島内のアイルランドがEUの国だけにより厄介でブレグジット最大の問題と言われているようです。問題の収拾に失敗すると、テロの再発も言われているようです。北アイルランドにおけるイギリス下院の議席は(統一を維持しメイ政権に閣外協力している)民主統一党が10議席、アイルランド統一国家の建設を主張するシン・フェイン党が7議席、無所属1議席。

【ブレグジット超解説】最大の懸案はアイルランド国境を復活させない予防措置「バックストップ」(Newsweek 2019年2月14日 ウィリアム・アンダーヒル)

北アイルランドの人はブレグジット反対派が多く、アイルランド島内に明快な国境を設けることに反対のようです。これに対する提案がバックストップ条項だそうですが、これは国境管理の明確な解決策が見つかるまでEUの関税同盟に止まる案ですから、ブレグジットの意味なしということで離脱派が反対なのだとか。国境復活を避けるために北アイルランドだけにバックストップを適用し、イギリス本土をEUの関税同盟のルールから離脱させるという案もメイ政権を支える民主統一党の反対で実現困難なのだそうです。民主統一党は北アイルランドがイギリスの他の地域と違う扱いを受けるのが許せないのだそう。

詳しくありませんが、以上を前提に考えるとメイ政権においてどうなるかは意外と絞られると思います(上記記事によると、585ページに及ぶ離脱協定案の大半に関して、議員の多くに異論はないのだとか)。

まず、何も合意できずハードブレグジットになると仮定すると、バックストップ適用は出来ませんから、明快な国境を造るか造らないかということにならざるを得ません。恐らく(さすがに)造ると決められないと思いますが、そうなると北アイルランドを通じて結局EUと繋がってしまいイギリスに何のメリットもない(移民など完全にアイルランドを通じてザルになります)ということになります。そうだとすれば国境を造るしかないのですが、独立を目指す勢力も根強い以上、まず破局であるようにしか思えません。多分、ハードブレグジットになったらイギリスは北アイルランドを失う可能性が高いのではないでしょうか(それを覚悟してソフトブレグジットを蹴ることになると思います)。

それを避けるにはソフトブレグジットしかありません。ここでソフトブレグジットが一度否決された理由を振り返ると、国境問題に行き着きます。つまり、ハードブレグジットを辞さない強硬離脱派の方々は、北アイルランドを切るか、国境問題をとるかの二択を迫られていると考えられます(有力ですから選択できると考えられます)。もう一つの撹乱要素である北アイルランドの保守政党民主統一党の方々から見れば、自分たちが死ぬか(統一党はハードブレグジットの混乱で生き残れるか疑問です)、北アイルランドが特別扱いされるか(容認できないようです)、何とかソフトブレグジットが纏まるように願うかしかありません。

メイ政権案とは、期限を設けないバックストップで「長期的には、テクノロジーに期待する見方もある。例えば、貨物が倉庫を出る前に、税関申告ができるシステムが開発されるのではないか。X線検査やスクリーニング審査、車両番号の自動認識などを組み合わせれば、国境で物理的に止める必要はなくなる。」という話もあるようですから、ともかくしばらくは(技術などにより解決されるまでは)EU関税同盟に止まり、アイルランド国境を開放しておくという案のようです。これなら少なくとも北アイルランドの問題はあまり無さそうではあります。

アイルランドの立場で見れば、ハードブレグジットはアイルランド島に厄介な問題が起こり、巻き込まれる恐れもありますが、基本的には北アイルランドの問題でしょうし、アイルランドが巻き込まれる時にはイングランドも巻き込まれるでしょうし(チキンレースだとしてもイギリス側も苦しそうです)、まかり間違えばアイルランド統一の「悲願」が達成される巨大なメリットがあるとも考えられ、(特に民族派は)イギリス強硬離脱派よりあるいは譲歩しないんじゃないかという気もします。また、アイルランドは金融が盛んでブレグジットを歓迎する見方と貿易関係から歓迎しない見方があって経済面では五分五分という話のようです(復調のアイルランドは英EU離脱で恩恵を受けるのか? 2017年3月30日)。実際にアイルランドは強硬離脱の意見に対し頑なな態度を貫いているようです。アイルランドの協力がなければ、国境問題を解決するならば(アイルランド島内での国境強化はやはり現実的ではないようにも見えます)、短中期的には北アイルランド-本土間の「国境」を考えるしかありません。

EUの立場で見ると、経済面ではアイルランドと似たような立場ではあるのでしょう。政治面でもどちらにしても離脱であって、島の問題にあまり真剣でない可能性もあると思います。少なくとも全くの当事者はイギリス及びアイルランドではないでしょうか。イギリスは元々自国の通貨ポンドも保持するなど特別な立場を維持してきました。イギリスはEU内の大国ではあるものの、その意味で離脱の痛手は比較的軽度と見ることは出来ます。

そもそもブレグジット自体、国民投票で引き起こされた「問題」です。そう考えると、イングランドを筆頭としたイギリス人が北アイルランドをどう見ているかが問題の鍵を握るのかもしれません。国民投票の時点では、経済的に大変な問題があるということが分からなかったという声もあるようですし、ましてや北アイルランドのテロや統合の問題が再浮上する可能性まで考えていなかったとも考えられます。今更ブレグジット取り止めを国民やメイ政権・保守統一党政権が決断する可能性が薄いにせよ、こうした問題を踏まえ、イギリスの基本的立場としては、ハードブレグジットをしても良いのか(経済的な打撃と北アイルランド問題リスクを容認できるのか)、離脱のメリットを十分に発揮できないソフトブレグジットを容認するのかという二択になるような気がします(決定権はイギリス議会及びイギリス政府にありイギリス世論がそれを支えます)。恐らくはアイルランドとEUの譲歩を促す作戦は現状の厳しい見通しを考えても少なくとも大きくは成功しないように思えます。イギリスは議員内閣制であり、場合によっては総選挙及び政権交代マターに発展する恐れもあります。