下村博文自由民主党憲法改正推進本部長の講演やCafestaトークで確認しましたが、どうも現行の憲法9条改正案は違憲論の払拭に限定されるようです。
>我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
筆者は必要な自衛の措置をとれると憲法に書いているなら、少なくとも相手の攻撃が着弾したら、持てる装備を全て使って全力で反撃できると思うのですが(戦時国際法に則り)、何かよく分からない制限のようなものがあるのかもしれません。9条2項の戦力の定義はありますが、それは装備や体制整備の段階の話であって、持っている装備がフルスペックで使えないなんて話は信じがたいものがあります。自衛隊は自衛に限るのであって、敵国占領を想定するのは疑問ですが、今はミサイル時代ですし、敵国の根拠地を叩くのは止むを得ないというか、自衛の範囲にしか思えません。
筆者は基本的に憲法の条文間に矛盾があるとしても互いに違憲にならないと考えています。勿論矛盾に見える記述はない方が望ましいのですが、憲法は法律の根拠になるのであって、憲法自身の根拠は存在しないはずです。自衛隊明記で違憲論は払拭できるとして、問題は戦力の解釈ですが、これは現時点でも(自衛隊明記論で改憲しても)その装備が違憲だと解釈される恐れがないとは言えません(その結果自衛隊自身が違憲になる可能性はなくなります)。そうした事態を完全に防ぐためには二項を削除ないし、せめて文言を変えておいた方がいいとは思いますが、発議の可能性の問題もありますし、全ての可能性を考慮して議論するなら、憲法改正はほぼ不可能と考えられますから(特に中東の戦争に参加するしないの議論は不可能です)、ここでひとまず置きます。
戦力の定義ですが、憲法と自衛権(防衛省・自衛隊)を参照すると、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器」「たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母」が保有を許されないようですから、(違憲論を払拭し)戦力でないと定義された自衛隊が現在保有していいと解釈されている兵器は、結局核というか大量破壊兵器関連のみのように見えるんですよね。戦力条項があるなら、裁判所が政府解釈を超えて勝手にこの装備が違憲と判定する可能性が排除できないとは思うのですが、国際的に禁止されている大量破壊兵器を保有している実力部隊が戦力であり軍隊であると日本(だけ)は定義しておくのは、意外と透明性があって分かりやすい解釈になるんじゃないだろうかと思います。
これに伴い所謂非核三原則も「持たず、つくらず」は空文化し意味がなくなります。「持ち込ませず」はそもそも他国の権利を侵害しますし、何なら(無理やり持ち込まれたら)開戦事由にすらなりえるので、この際無かったことにするべきだと思います。残念なのはこれで(現状で)ニュークリアシェアリングのような話の可能性が無くなることですが、それが必要な安全保障環境になったと思われたら、また国民の理解を得て改憲を目指すのが政治の務めだろうと思います。とにかくそういう話を今すると改憲の実現性が無くなると考えられ、薄い可能性を最大限に確保するのような話はやらない方が良いと思います。
ICBMは基本的に大量破壊兵器(ほぼ核)とセットで使われますし、戦略爆撃機も然りです(共にアメリカでは空軍のようです)。問題は攻撃型空母ですが、そもそも空軍の戦略爆撃機を運ぶことは(多分)考えてないでしょうが、要は大陸を占領したり、それを目指すため大洋を横断したりすることを想定しているのが攻撃型空母と考えていいのかもしれません。戦前の海軍の失敗に艦隊決戦志向があるともされるようですが、シーレーンの防衛や通商破壊がそもそも海軍の大きなな役割であるようです(参考:海上自衛隊「装備」のすべて。SBクリエイティブ サイエンスアイ新書 毒島刀也)。自衛でシーレーンの防衛や通商破壊かよ?と思うかもしれませんが、近現代の戦争は総力戦ですし、日露戦争あたりでも既に(艦隊決戦で日本は派手に勝ちましたが)ロシアの通商破壊に苦しめられたところはあるようなんですよね。補給は戦争の重要な一要素で、油が無ければ継戦できない訳です。日本の防衛と通商破壊やシーレーンの防衛は固より一体的です。
具体的には東南アジアの海の島に拠点がある国もありますし、人口密集するアジアのシーレーンの防衛が日本の自衛を意味するということは考えられます。逆に考えれば、そのシーレーンが防衛できずに日本が自衛できるでしょうか?商船が潰され石油が入ってこなくなったら、「はいアウト」は誰でも分かると思います。別に総力戦で奴らを叩き潰すぜを想定せずとも、日本がシーレーン防衛できる能力を保持して訓練しておくことで、戦争になったら面倒と思わせ、平和維持力を高めることは十分可能なはずです。最近導入が決まったF-35bやいずもはそうした用途なのでしょう。南シナ海で自衛隊が訓練していたことが最近公開されましたが、元々自衛隊は日本を自衛するため、通商破壊やシーレーン防衛を志向してきたんだろうと思います。通商破壊と言えば物騒な感じですが、世界の安全保障にとって不安定要因と認識されている大量破壊兵器の保有に関係ありませんし、逆にそうした志向性を持つ海自は背取り対策で大量破壊兵器の拡散阻止業務に従事しているとも言えると思います。
まぁあまり物騒な話をするべきではないのかもしれませんが、実際問題、日本の領土を狙っている国も存在する訳で、戦争になったら補給が絶えて国が死ぬと思わせられれば、かなり抑止力があるってことになると思います。また、中越戦争なんかは中ソ対立でイライラした中国がベトナムを苛めるつもりで開戦したところがあるようです。姑息と思いますがそれが厳しい国際政治の現実でもあるでしょう。中国軍は党の軍隊で政治の腹ひとつで動きかねない部分もあって注意が必要です。犯罪者は弱者を狙うのであって、筋肉ムキムキマンというかできるだけ強そうな人は避けるでしょう。安全保障政策も同じで、奴らは強い、戦争になったらタダでは済まないと思わせることが戦争を抑止し平和を守ります。残念ながら逆に弱そうな国・隙がある国が無茶苦茶やられるってことでしょう(妙な線をガッツリ東南アジアに引いて(弱者に)挑戦的な国もありますよね。経済成長著しい韜光養晦な国は警戒すべきですし、体制整備は直ぐに整うというものでもありません)。
日本自体が不沈空母と言えますから、シーレーン防衛が必要としても、日本が基地では駄目なのかという考え方は有り得るでしょうが(滑走路の制約で艦載機は重量が重くなってしまい、滑走路を十分使える空自の航空機の方が基本的に性能が良いはずです)、シーレーン防衛という遠征を考えると(F-35aの航続距離は2220kmだそうで、沖縄を基地にしても往復で南シナ海での活動には使えそうにありません。空自は戦時に重要な日本近辺の制空権を確保する業務もありますし、海自が独立して戦闘機を自身で持ちその業務を担う重要性もあるかもしれませんし、航空機の搭載戦力の制約を考えると、艦隊の方が対戦したら強い可能性もあると考えられます(先の大戦と違って今はミサイル時代です)(自衛隊が長射程の巡航ミサイルを必要とする背景、盾と矛の競争(Yahooニュース 2017/12/28)を参照すると、射程が延びた対空ミサイルに対して新型の対艦ミサイルが必要なようです)(艦隊が山のように対空ミサイルを持っていたら(高価ですが)空軍でもそれを潰せるのか潰せないのか素人にはサッパリ分からないものがあります)。
こうした業務をすることを国民に説明しやすくし、違憲論を払拭し、平和を引き続き守ることが9条改憲の目的と思います。
北朝鮮の問題にミサイルの脅威が挙げられますが、筆者は交渉による先軍政治の武装解除を目指すよりは、「相互確証破壊式」に北朝鮮に対する攻撃力を整備する方向性が一番コスト安ではないかという気もします。勿論大量破壊兵器の廃棄が前提条件ですが、ミサイルぐらいと言ってはなんですが、それだけなら反撃力があれば、十分抑止は成り立ちそうです。また、一方でミサイル防衛の進展を選択肢から排除しないことも重要かもしれません。外交交渉も不可能ではないかもしれませんが、とにかく世界に短中距離ミサイル廃棄の流れもありませんし、日本もICBMという戦力は持たないにせよ、自衛・防衛にミサイルは必要な訳で、北朝鮮相手に放棄を迫る交渉が難しいと考えられます。
次に集団的自衛権ですが、そもそも自衛とは何でしょうか?ウェブスター見解によると、自衛権の行使の要件は①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)になります。「自衛戦争の名の下に侵略戦争は行われる」という批判がありますが、このウェブスター見解を守る限り、そんなことにはならなそうです。自衛隊が明快にウェブスター見解のようなルールに従って体制整備・法整備し平時から訓練しておけば、日本が侵略戦争を開始するという疑いは無くなるものと思います。こうしたやり方は憲法9条条文との矛盾批判を和らげる役割もありそうです。国連憲章第51条に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」があるようですが、勿論日本も国連加盟国です。日本国憲法が明快に自衛権を否定していないのであれば、国連憲章が定める固有の権利はあると理解するのが普通の読み方だと考えられます。9条2項で交戦権が否定されていますが、その前提として1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とあり、1項に矛盾しない(戦力ではない)実力組織の戦闘を交戦とは言わなければ特に問題はないのではないでしょうか?要は国際紛争を解決するために武力行使せず、(自衛を拡大解釈しない体制で)自衛のための戦闘は容認すればいいと考えられます。交戦権という文言ですが、戦争を開始する権利とも読めます。無論自衛のための「戦争」も広くとれば戦争には違いありませんが、より上位の権利である自衛権で上書きされると解釈すれば良いと思います。自衛権がなければ、襲われたら確実にやられてしまいます。襲えば確実にやっつけられる獲物こそ狙われるのが当たり前ですが国際社会の現実でもあると思います。ですから自衛権が国際社会で認められ、日本もその例外ではないという訳です。その前提で自衛隊が存在し、侵略されたら必要な限度で戦闘することが出来るということになります。この文脈において、日本に依然交戦する権利は存在しないと言えます。あくまで国際的に認められた自衛をしているだけなのですから。あえて例えるなら「喧嘩権」を否定すれば喧嘩を開始することは出来なくなりますが、殴られて(必要限度の範囲内で)殴り返すのは自衛であって喧嘩とは言わないという解釈です。やや分かり難くはあるかもしれませんが、筆者はこれをそう無理のある解釈とは思いません。そして日本がそうした国を志向するのであれば、寧ろ9条2項を削除しないことに積極的意味があるということにもなります(文言ぐらいは分かりやすく変える方が望ましいかもしれませんが、削除したままだと侵略戦争容認と同義になってしまいます)。
個別的自衛権はそれでいいとして、次に集団的自衛権について考えてみると、やはり個別的自衛権と同様で例えばウェブスター見解に準じることが考えられます。集団的自衛権は他国と協同して自衛する権利ですが、この他国が日本で決められた自衛の範囲外で戦争する国だと自衛隊が憲法に禁じる行為を実行する端緒になりかねないことは容易に分かります。ですから、集団的自衛権は固有の権利として持っているにせよ、個別的自衛権に準じる解釈でならねばならないのであって、あらゆる可能性を担保する国に対して、自分の基準以上の協力は不可能だと予めしておかなければならないということになります。言わば、個別的自衛権と同程度の日本が定めた範囲のフルスペックの集団的自衛権は保有しているが、日本が解する範囲以上の自衛は集団的自衛の名の下でも(事実上の自衛でないと解するので)行わないということになると思います。これは主権国家固有の権利でもあると思います。無論、これが集団的自衛権を行使しない言い訳にはなってはならず、同盟国と十分協議する必要はあると思いますが、急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性が認められる攻撃が同盟国に対して加えられた場合、論理的帰結として、自動参戦するということになると思います。具体的には在日米軍基地やグアムの基地もそうですが、ペンタゴン・ホワイトハウス等米本土に対する攻撃も含めて日本は参戦するということになりそうです。ただ、アフガニスタンの戦争への自動的参戦にはならないかもしれません。②の必要性の観点から自衛ではないと判断できるからです(タリバンに証拠を渡せば犯人を引き渡した可能性や犯人確保に失敗しても自衛できた可能性が残ります)。この時、ドイツはNATOによる集団的自衛権の発動を受けて参戦したようですが、日本という国がアフガニスタン戦争に介入する可能性を事前に説明して改憲が成功すると思えないところがあります。ですから、例えば(治安問題と解することができる)テロに対する戦争は自衛の必要性(他に代替手段がない)を認められないと予め説明する必要があるように思います。米本土に対する想定される攻撃とは従来型の軍隊による攻撃を指し、先の大戦で日本がハワイを攻撃したものの、そう簡単に発生しないと考えることが出来ます。風船爆弾の類はテロの範疇で解するべきかもしれませんが、ICBMなんかは勿論戦争に含まれます(テロ組織でできるレベルか国家の力が必要かで判断されるかもしれません)。グアムの米軍基地もそうですが、その辺が仮に攻撃されたと考えると、否応無くもはや一蓮托生としか思えません。それでも日本が先走るべきではありませんが、アメリカと共に近隣の対象国と戦争するということになると思います。逆に日本が攻撃を受けた場合は日本とアメリカは共に戦うことになるんでしょう(頼みます先生!でアメリカという用心棒がボコボコにしてくれる訳ではありません)。また、日本が自衛の原則を守る限り、アメリカが日本の戦争に巻き込まれるという事態も起こり得ません(自衛戦争に対する協力は互いに前提のはずです)。互いにいろいろ言い分はあるかもしれませんが、これで対等な同盟とも言えるはずです。核抑止など米軍は膨大なコストを払っていますが(集団的自衛権ですが、自衛隊という実力組織は集団的自衛権で戦力と組むということになると思います。憲法に書かれているのは日本が主体的に保持しないということです。逆に言えば自衛隊は戦力外の実力組織ということになりますが、名を捨てる形は容認するしかありません)、日本の基地負担は比較的大きいとされます。遠く離れた地域の戦争に参戦しなくても、貢献の方法はいろいろ考えられますし、実際そうしてきたとも思います。
これまで具体的に触れていない①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)をここで考えておくと、過去の事情を理由に自衛戦争しない、道徳・感情のみを理由に自衛戦争しないということになります。あくまで差し迫った(現在の)危険と違法行為(具体的なルール違反が見られること)が自衛戦争の条件ということになると思います。ついで②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)を別の言い方をすると、拡大解釈しないということになりそうです(既に対テロ戦争のような「新しい戦争」は(事前の体制整備がない限り)容認すべきではないのではないかと指摘しました。サイバー戦争・宇宙戦争なら事前に法整備があればOKだということにはなります)。仮に日米同盟が無ければ、日本が中東のテロ組織に攻撃されたとして、戦争のしようもありません。何もしないことはないにせよ、外交努力とか経済制裁とかそういう話になりますよね。ですから、テロ組織の攻撃に対して軍隊を持ち出すのは、(ベストではないかもしれませんが)他に手段があるとは言えるはずです。これに対し、従来の軍隊による攻撃は他に代替手段も無さそうです。軍隊が攻めてきているのに外交努力も経済制裁も何もあったものではありません。③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)もやはり重要で過剰報復はならないという戒めです。一発殴らせておいて殺人するのは、どちらがならずものか分かりません。ちょっと気に入らないからジェノサイドは有り得ないのであって、日本は先の大戦において人道に対する罪に大きく問われた訳でもありません。
平和安全法制に少し触れますと、これまでも違憲ではありませんが(違憲立法審査できる裁判所が判断を下していませんが)(何の権限もない野党の類が何やら外交安全保障で違憲を主張し政争しているようですが)、自衛隊明記で違憲論は必ず払拭されるということになりそうです。憲法間の矛盾があるとしても憲法の条文自体が違憲になる可能性がありません(そう判断する根拠がありません)。集団的自衛権との絡みでも存立危機事態は妥当な自衛権解釈の中に内包されると思います。掃海も石油タンカーが通る海域の機雷は日本の存立危機事態で掃海艇の派遣は当然だと考えられます。かといって、③均衡性の観点から機雷を撒いた国の本土を攻撃して立ち直れないように戦争するということにはならないはずです(同盟国の攻撃はその限りではなく、日本も協力は無論するのでしょう。しかしながら、機雷を撒いた部隊の港は攻撃するかもしれませんし、あるいは出撃基地が明確なら空港の攻撃もあるかもしれません。地上部隊の派遣と占領までは全く無いとと言えます)。
シーレーンの防衛ですが、インド洋・中東あたりは平和維持活動の範囲内で活動するべきで、日本の主任務にはならなそうです。当該海域で日本の自衛を明快に脅かすと言える存在がありませんし、日本にあらゆる可能性を考慮して世界展開する余裕がある訳でもありません。ただ、東南アジアの海域のシーレーン防衛は(日本並びに同盟国に対して挑戦的に)既に積極的に活動している勢力が存在しており、①~③の要件をクリアする事態は想定されるべきだろうと考えています。石油が止れば日本は死ぬのですし、同害報復の手段ぐらい確保せねば防衛になりません(タイマンでやる訳でもなし)。
置き去りになった(最大派閥の)陸自ですが、自衛を旨とするなら、海空と違って平和維持活動以外での日本の周辺事態での活動が考えられません。だとするなら、(現状の体制では)せめて島嶼も含めて防衛というか陸自が奪還作戦に積極的に関わる方向性が重要なのかもしれません。サイバー戦争なんかもありますけど。インフラは基本的には陸にあります(海底や宇宙も重要でしょうが)。
違憲論払拭で改正の必要性云々言う方もいらっしゃいますが、関心のある方は各々自衛とは?自衛隊とは?をこの機会に問い直してもいいんじゃないかと思います。その辺を平時から押さえてないから拡大解釈になりやすいのかもしれません。
>我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
筆者は必要な自衛の措置をとれると憲法に書いているなら、少なくとも相手の攻撃が着弾したら、持てる装備を全て使って全力で反撃できると思うのですが(戦時国際法に則り)、何かよく分からない制限のようなものがあるのかもしれません。9条2項の戦力の定義はありますが、それは装備や体制整備の段階の話であって、持っている装備がフルスペックで使えないなんて話は信じがたいものがあります。自衛隊は自衛に限るのであって、敵国占領を想定するのは疑問ですが、今はミサイル時代ですし、敵国の根拠地を叩くのは止むを得ないというか、自衛の範囲にしか思えません。
筆者は基本的に憲法の条文間に矛盾があるとしても互いに違憲にならないと考えています。勿論矛盾に見える記述はない方が望ましいのですが、憲法は法律の根拠になるのであって、憲法自身の根拠は存在しないはずです。自衛隊明記で違憲論は払拭できるとして、問題は戦力の解釈ですが、これは現時点でも(自衛隊明記論で改憲しても)その装備が違憲だと解釈される恐れがないとは言えません(その結果自衛隊自身が違憲になる可能性はなくなります)。そうした事態を完全に防ぐためには二項を削除ないし、せめて文言を変えておいた方がいいとは思いますが、発議の可能性の問題もありますし、全ての可能性を考慮して議論するなら、憲法改正はほぼ不可能と考えられますから(特に中東の戦争に参加するしないの議論は不可能です)、ここでひとまず置きます。
戦力の定義ですが、憲法と自衛権(防衛省・自衛隊)を参照すると、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器」「たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母」が保有を許されないようですから、(違憲論を払拭し)戦力でないと定義された自衛隊が現在保有していいと解釈されている兵器は、結局核というか大量破壊兵器関連のみのように見えるんですよね。戦力条項があるなら、裁判所が政府解釈を超えて勝手にこの装備が違憲と判定する可能性が排除できないとは思うのですが、国際的に禁止されている大量破壊兵器を保有している実力部隊が戦力であり軍隊であると日本(だけ)は定義しておくのは、意外と透明性があって分かりやすい解釈になるんじゃないだろうかと思います。
これに伴い所謂非核三原則も「持たず、つくらず」は空文化し意味がなくなります。「持ち込ませず」はそもそも他国の権利を侵害しますし、何なら(無理やり持ち込まれたら)開戦事由にすらなりえるので、この際無かったことにするべきだと思います。残念なのはこれで(現状で)ニュークリアシェアリングのような話の可能性が無くなることですが、それが必要な安全保障環境になったと思われたら、また国民の理解を得て改憲を目指すのが政治の務めだろうと思います。とにかくそういう話を今すると改憲の実現性が無くなると考えられ、薄い可能性を最大限に確保するのような話はやらない方が良いと思います。
ICBMは基本的に大量破壊兵器(ほぼ核)とセットで使われますし、戦略爆撃機も然りです(共にアメリカでは空軍のようです)。問題は攻撃型空母ですが、そもそも空軍の戦略爆撃機を運ぶことは(多分)考えてないでしょうが、要は大陸を占領したり、それを目指すため大洋を横断したりすることを想定しているのが攻撃型空母と考えていいのかもしれません。戦前の海軍の失敗に艦隊決戦志向があるともされるようですが、シーレーンの防衛や通商破壊がそもそも海軍の大きなな役割であるようです(参考:海上自衛隊「装備」のすべて。SBクリエイティブ サイエンスアイ新書 毒島刀也)。自衛でシーレーンの防衛や通商破壊かよ?と思うかもしれませんが、近現代の戦争は総力戦ですし、日露戦争あたりでも既に(艦隊決戦で日本は派手に勝ちましたが)ロシアの通商破壊に苦しめられたところはあるようなんですよね。補給は戦争の重要な一要素で、油が無ければ継戦できない訳です。日本の防衛と通商破壊やシーレーンの防衛は固より一体的です。
具体的には東南アジアの海の島に拠点がある国もありますし、人口密集するアジアのシーレーンの防衛が日本の自衛を意味するということは考えられます。逆に考えれば、そのシーレーンが防衛できずに日本が自衛できるでしょうか?商船が潰され石油が入ってこなくなったら、「はいアウト」は誰でも分かると思います。別に総力戦で奴らを叩き潰すぜを想定せずとも、日本がシーレーン防衛できる能力を保持して訓練しておくことで、戦争になったら面倒と思わせ、平和維持力を高めることは十分可能なはずです。最近導入が決まったF-35bやいずもはそうした用途なのでしょう。南シナ海で自衛隊が訓練していたことが最近公開されましたが、元々自衛隊は日本を自衛するため、通商破壊やシーレーン防衛を志向してきたんだろうと思います。通商破壊と言えば物騒な感じですが、世界の安全保障にとって不安定要因と認識されている大量破壊兵器の保有に関係ありませんし、逆にそうした志向性を持つ海自は背取り対策で大量破壊兵器の拡散阻止業務に従事しているとも言えると思います。
まぁあまり物騒な話をするべきではないのかもしれませんが、実際問題、日本の領土を狙っている国も存在する訳で、戦争になったら補給が絶えて国が死ぬと思わせられれば、かなり抑止力があるってことになると思います。また、中越戦争なんかは中ソ対立でイライラした中国がベトナムを苛めるつもりで開戦したところがあるようです。姑息と思いますがそれが厳しい国際政治の現実でもあるでしょう。中国軍は党の軍隊で政治の腹ひとつで動きかねない部分もあって注意が必要です。犯罪者は弱者を狙うのであって、筋肉ムキムキマンというかできるだけ強そうな人は避けるでしょう。安全保障政策も同じで、奴らは強い、戦争になったらタダでは済まないと思わせることが戦争を抑止し平和を守ります。残念ながら逆に弱そうな国・隙がある国が無茶苦茶やられるってことでしょう(妙な線をガッツリ東南アジアに引いて(弱者に)挑戦的な国もありますよね。経済成長著しい韜光養晦な国は警戒すべきですし、体制整備は直ぐに整うというものでもありません)。
日本自体が不沈空母と言えますから、シーレーン防衛が必要としても、日本が基地では駄目なのかという考え方は有り得るでしょうが(滑走路の制約で艦載機は重量が重くなってしまい、滑走路を十分使える空自の航空機の方が基本的に性能が良いはずです)、シーレーン防衛という遠征を考えると(F-35aの航続距離は2220kmだそうで、沖縄を基地にしても往復で南シナ海での活動には使えそうにありません。空自は戦時に重要な日本近辺の制空権を確保する業務もありますし、海自が独立して戦闘機を自身で持ちその業務を担う重要性もあるかもしれませんし、航空機の搭載戦力の制約を考えると、艦隊の方が対戦したら強い可能性もあると考えられます(先の大戦と違って今はミサイル時代です)(自衛隊が長射程の巡航ミサイルを必要とする背景、盾と矛の競争(Yahooニュース 2017/12/28)を参照すると、射程が延びた対空ミサイルに対して新型の対艦ミサイルが必要なようです)(艦隊が山のように対空ミサイルを持っていたら(高価ですが)空軍でもそれを潰せるのか潰せないのか素人にはサッパリ分からないものがあります)。
こうした業務をすることを国民に説明しやすくし、違憲論を払拭し、平和を引き続き守ることが9条改憲の目的と思います。
北朝鮮の問題にミサイルの脅威が挙げられますが、筆者は交渉による先軍政治の武装解除を目指すよりは、「相互確証破壊式」に北朝鮮に対する攻撃力を整備する方向性が一番コスト安ではないかという気もします。勿論大量破壊兵器の廃棄が前提条件ですが、ミサイルぐらいと言ってはなんですが、それだけなら反撃力があれば、十分抑止は成り立ちそうです。また、一方でミサイル防衛の進展を選択肢から排除しないことも重要かもしれません。外交交渉も不可能ではないかもしれませんが、とにかく世界に短中距離ミサイル廃棄の流れもありませんし、日本もICBMという戦力は持たないにせよ、自衛・防衛にミサイルは必要な訳で、北朝鮮相手に放棄を迫る交渉が難しいと考えられます。
次に集団的自衛権ですが、そもそも自衛とは何でしょうか?ウェブスター見解によると、自衛権の行使の要件は①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)になります。「自衛戦争の名の下に侵略戦争は行われる」という批判がありますが、このウェブスター見解を守る限り、そんなことにはならなそうです。自衛隊が明快にウェブスター見解のようなルールに従って体制整備・法整備し平時から訓練しておけば、日本が侵略戦争を開始するという疑いは無くなるものと思います。こうしたやり方は憲法9条条文との矛盾批判を和らげる役割もありそうです。国連憲章第51条に「個別的又は集団的自衛の固有の権利」があるようですが、勿論日本も国連加盟国です。日本国憲法が明快に自衛権を否定していないのであれば、国連憲章が定める固有の権利はあると理解するのが普通の読み方だと考えられます。9条2項で交戦権が否定されていますが、その前提として1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とあり、1項に矛盾しない(戦力ではない)実力組織の戦闘を交戦とは言わなければ特に問題はないのではないでしょうか?要は国際紛争を解決するために武力行使せず、(自衛を拡大解釈しない体制で)自衛のための戦闘は容認すればいいと考えられます。交戦権という文言ですが、戦争を開始する権利とも読めます。無論自衛のための「戦争」も広くとれば戦争には違いありませんが、より上位の権利である自衛権で上書きされると解釈すれば良いと思います。自衛権がなければ、襲われたら確実にやられてしまいます。襲えば確実にやっつけられる獲物こそ狙われるのが当たり前ですが国際社会の現実でもあると思います。ですから自衛権が国際社会で認められ、日本もその例外ではないという訳です。その前提で自衛隊が存在し、侵略されたら必要な限度で戦闘することが出来るということになります。この文脈において、日本に依然交戦する権利は存在しないと言えます。あくまで国際的に認められた自衛をしているだけなのですから。あえて例えるなら「喧嘩権」を否定すれば喧嘩を開始することは出来なくなりますが、殴られて(必要限度の範囲内で)殴り返すのは自衛であって喧嘩とは言わないという解釈です。やや分かり難くはあるかもしれませんが、筆者はこれをそう無理のある解釈とは思いません。そして日本がそうした国を志向するのであれば、寧ろ9条2項を削除しないことに積極的意味があるということにもなります(文言ぐらいは分かりやすく変える方が望ましいかもしれませんが、削除したままだと侵略戦争容認と同義になってしまいます)。
個別的自衛権はそれでいいとして、次に集団的自衛権について考えてみると、やはり個別的自衛権と同様で例えばウェブスター見解に準じることが考えられます。集団的自衛権は他国と協同して自衛する権利ですが、この他国が日本で決められた自衛の範囲外で戦争する国だと自衛隊が憲法に禁じる行為を実行する端緒になりかねないことは容易に分かります。ですから、集団的自衛権は固有の権利として持っているにせよ、個別的自衛権に準じる解釈でならねばならないのであって、あらゆる可能性を担保する国に対して、自分の基準以上の協力は不可能だと予めしておかなければならないということになります。言わば、個別的自衛権と同程度の日本が定めた範囲のフルスペックの集団的自衛権は保有しているが、日本が解する範囲以上の自衛は集団的自衛の名の下でも(事実上の自衛でないと解するので)行わないということになると思います。これは主権国家固有の権利でもあると思います。無論、これが集団的自衛権を行使しない言い訳にはなってはならず、同盟国と十分協議する必要はあると思いますが、急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性が認められる攻撃が同盟国に対して加えられた場合、論理的帰結として、自動参戦するということになると思います。具体的には在日米軍基地やグアムの基地もそうですが、ペンタゴン・ホワイトハウス等米本土に対する攻撃も含めて日本は参戦するということになりそうです。ただ、アフガニスタンの戦争への自動的参戦にはならないかもしれません。②の必要性の観点から自衛ではないと判断できるからです(タリバンに証拠を渡せば犯人を引き渡した可能性や犯人確保に失敗しても自衛できた可能性が残ります)。この時、ドイツはNATOによる集団的自衛権の発動を受けて参戦したようですが、日本という国がアフガニスタン戦争に介入する可能性を事前に説明して改憲が成功すると思えないところがあります。ですから、例えば(治安問題と解することができる)テロに対する戦争は自衛の必要性(他に代替手段がない)を認められないと予め説明する必要があるように思います。米本土に対する想定される攻撃とは従来型の軍隊による攻撃を指し、先の大戦で日本がハワイを攻撃したものの、そう簡単に発生しないと考えることが出来ます。風船爆弾の類はテロの範疇で解するべきかもしれませんが、ICBMなんかは勿論戦争に含まれます(テロ組織でできるレベルか国家の力が必要かで判断されるかもしれません)。グアムの米軍基地もそうですが、その辺が仮に攻撃されたと考えると、否応無くもはや一蓮托生としか思えません。それでも日本が先走るべきではありませんが、アメリカと共に近隣の対象国と戦争するということになると思います。逆に日本が攻撃を受けた場合は日本とアメリカは共に戦うことになるんでしょう(頼みます先生!でアメリカという用心棒がボコボコにしてくれる訳ではありません)。また、日本が自衛の原則を守る限り、アメリカが日本の戦争に巻き込まれるという事態も起こり得ません(自衛戦争に対する協力は互いに前提のはずです)。互いにいろいろ言い分はあるかもしれませんが、これで対等な同盟とも言えるはずです。核抑止など米軍は膨大なコストを払っていますが(集団的自衛権ですが、自衛隊という実力組織は集団的自衛権で戦力と組むということになると思います。憲法に書かれているのは日本が主体的に保持しないということです。逆に言えば自衛隊は戦力外の実力組織ということになりますが、名を捨てる形は容認するしかありません)、日本の基地負担は比較的大きいとされます。遠く離れた地域の戦争に参戦しなくても、貢献の方法はいろいろ考えられますし、実際そうしてきたとも思います。
これまで具体的に触れていない①急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)をここで考えておくと、過去の事情を理由に自衛戦争しない、道徳・感情のみを理由に自衛戦争しないということになります。あくまで差し迫った(現在の)危険と違法行為(具体的なルール違反が見られること)が自衛戦争の条件ということになると思います。ついで②他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)を別の言い方をすると、拡大解釈しないということになりそうです(既に対テロ戦争のような「新しい戦争」は(事前の体制整備がない限り)容認すべきではないのではないかと指摘しました。サイバー戦争・宇宙戦争なら事前に法整備があればOKだということにはなります)。仮に日米同盟が無ければ、日本が中東のテロ組織に攻撃されたとして、戦争のしようもありません。何もしないことはないにせよ、外交努力とか経済制裁とかそういう話になりますよね。ですから、テロ組織の攻撃に対して軍隊を持ち出すのは、(ベストではないかもしれませんが)他に手段があるとは言えるはずです。これに対し、従来の軍隊による攻撃は他に代替手段も無さそうです。軍隊が攻めてきているのに外交努力も経済制裁も何もあったものではありません。③必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)もやはり重要で過剰報復はならないという戒めです。一発殴らせておいて殺人するのは、どちらがならずものか分かりません。ちょっと気に入らないからジェノサイドは有り得ないのであって、日本は先の大戦において人道に対する罪に大きく問われた訳でもありません。
平和安全法制に少し触れますと、これまでも違憲ではありませんが(違憲立法審査できる裁判所が判断を下していませんが)(何の権限もない野党の類が何やら外交安全保障で違憲を主張し政争しているようですが)、自衛隊明記で違憲論は必ず払拭されるということになりそうです。憲法間の矛盾があるとしても憲法の条文自体が違憲になる可能性がありません(そう判断する根拠がありません)。集団的自衛権との絡みでも存立危機事態は妥当な自衛権解釈の中に内包されると思います。掃海も石油タンカーが通る海域の機雷は日本の存立危機事態で掃海艇の派遣は当然だと考えられます。かといって、③均衡性の観点から機雷を撒いた国の本土を攻撃して立ち直れないように戦争するということにはならないはずです(同盟国の攻撃はその限りではなく、日本も協力は無論するのでしょう。しかしながら、機雷を撒いた部隊の港は攻撃するかもしれませんし、あるいは出撃基地が明確なら空港の攻撃もあるかもしれません。地上部隊の派遣と占領までは全く無いとと言えます)。
シーレーンの防衛ですが、インド洋・中東あたりは平和維持活動の範囲内で活動するべきで、日本の主任務にはならなそうです。当該海域で日本の自衛を明快に脅かすと言える存在がありませんし、日本にあらゆる可能性を考慮して世界展開する余裕がある訳でもありません。ただ、東南アジアの海域のシーレーン防衛は(日本並びに同盟国に対して挑戦的に)既に積極的に活動している勢力が存在しており、①~③の要件をクリアする事態は想定されるべきだろうと考えています。石油が止れば日本は死ぬのですし、同害報復の手段ぐらい確保せねば防衛になりません(タイマンでやる訳でもなし)。
置き去りになった(最大派閥の)陸自ですが、自衛を旨とするなら、海空と違って平和維持活動以外での日本の周辺事態での活動が考えられません。だとするなら、(現状の体制では)せめて島嶼も含めて防衛というか陸自が奪還作戦に積極的に関わる方向性が重要なのかもしれません。サイバー戦争なんかもありますけど。インフラは基本的には陸にあります(海底や宇宙も重要でしょうが)。
違憲論払拭で改正の必要性云々言う方もいらっしゃいますが、関心のある方は各々自衛とは?自衛隊とは?をこの機会に問い直してもいいんじゃないかと思います。その辺を平時から押さえてないから拡大解釈になりやすいのかもしれません。