観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「北方領土」「農業」を考察する予定(未定)。

日本自動車博物館

2018-11-28 06:55:03 | 日本地理観光
日本自動車博物館とは、国内最大級の石川県小松市にある自動車をテーマとした博物館。1978年(昭和53年)、石黒産業(富山県小矢部市・セメント販売業)社長の前田彰三(故人)が個人収集した自動車を元に開設。1995年(平成7年)に加賀温泉郷に程近い(日本自動車博物館 KAGA 旅・まちネット)石川県小松市に移設。加賀(石川県)と言いますと、加賀百万石の前田氏が想起されます。あるいは意識されたのではないでしょうか。前田彰三氏は自動車博物館の功績で2004年に日本自動車殿堂受賞

世界の自動車博物館と言えば、アメリカデトロイト、ディアボーンのヘンリー・フォード博物館(トリップアドバイザー)やドイツシュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館(トリップアドバイザー)だったりするようです(ドイツ4大自動車博物館(トリップアドバイザー)のひとつ。他にポルシェ博物館(シュトゥットガルト)・BMW博物館(ミュンヘン)・アウディ ミュージアム(インゴルシュタット))。他にイタリアフィアット本社があるトリノ自動車博物館(トリップアドバイザー)やフランス国立自動車博物館(JTB)も有名なようです。イギリスの自動車博物館はyahooニュースの辻野ヒロシ氏(モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト)の記事参照(愛知県長久手市のトヨタ博物館や栃木県ツインリンクもてぎのホンダコレクションホールのアクセス面での難が指摘されてますが、日本のインバウンド政策は端緒に就いたばかりで、レンタカーがあまり意識されていないのかもしれません(レンタカーにおけるインバウンド対策(訪日コム)参照)。日本の自動車コレクションを世界の自動車マニアがより楽しめるようになれば(日本自動車博物館 当館について>「日本自動車博物館でしか見ることの出来ない貴重な車」も多数展示されている)、ブランド力もあがるでしょうし、地域の観光政策にも寄与すると思います)。

ちなみに変わったところで、日本自動車博物館には世界のトイレもあるようです(トリップアドバイザー)。これは石黒産業が住宅設備機器を取り扱っていることと関係しているのでしょう(会社概要)。トイレと言えばTOTO。TOTOと言えば北九州。北九州と言えばセメント。セメントとトイレに関係があるかは良く分かりません。

カテゴリーの新設

2018-11-28 06:54:31 | 日記
カテゴリー「日本史」と「世界史」を追加します。11月19日。

日本史では、世界史を視野に入れながら、日本人・日本文化・日本国・皇室を北海道・沖縄の歴史を絡めて考察していきます。※11月25日追記。

※日本地理観光を追加。当面予定のない世界史をいったん削除。11月28日追記。

富士山の由来の考察(フジは藤)と南部氏、日本の地名・人名考(甲斐河内の小地政学及び陸奥・伊勢の関係)

2018-11-28 05:45:01 | 日本史
山梨県南部町で何か面白い話はないかと、当地発祥の南部氏の歴史を簡単に纏めていた時に、やっぱり河内地方は富士川だなと思い、富士山の由来を独自に考察してみました。関係ないようで、筆者の調べでは微妙に関係があるとみました。由来はずばりフジ=藤で白藤かなと。以下、筆者のツイッターからの再録・微修正。

南部町と言えば奥州南部氏の発祥の地。甲斐源氏の加賀美遠光(甲斐国巨麻郡加賀美郷(山梨県南アルプス市))の三男光行が石橋山の戦いで源頼朝に与して戦功を挙げ、甲斐国南部牧を与えられ南部姓を称したと言います。光行の子波木井実長が日蓮を庇護し、身延山久遠寺が日蓮宗の拠点になったとか。南部氏は奥州北部の雄ですが、どうも南北朝時代に北畠顕家に従い下向した一族(南部氏 戦国大名研究)のようです。江戸時代の盛岡藩も著名(ただし、南部家第44代当主南部利英は先代の長女瑞子と結婚した養嗣子で後陽成天皇の男系子孫にあたるそうです)。

甲斐の河内地方には後に甲斐源氏武田氏一族の穴山氏が進出。駿河(静岡県)の今川氏に属したこともあったようです。甲斐河内地方は甲府盆地の勢力と深い関係を持ちながらも、富士川を通じて駿河や伊豆・関東とも関係が深かったようです。

さて、やはり富士山です(富士山の見える公園|観光|山梨県南部町ホームページ)。富士山の由来は諸説あるようですが、記録としては常陸国風土記の福慈岳が初出、不二山・不尽山とも書き、万葉集にも登場するようです。漢字は当て字でフジと呼ばれる山だったのでしょう。

何故フジか。地名の由来は不明の場合は多いですが、筆者は藤に由来するのではないかと推測します。というのも印象的な雪が垂れる山容が藤の花の垂れる様に近いような気がするからです。藤原氏は著名ですが、古来藤は日本固有の花として珍重されてきました。

白藤という品種(グーグル画像検索)の起源はさておき、白い藤と富士山の雪は似ているとも言えますし、白藤は案外古い時期に遡る可能性があります。

人名としての白藤は、第8代孝元天皇子孫の22代が白藤氏を名乗り、44代白藤惟村が南朝に加勢したとも言います(摂津国八部郡兵庫津北風家文書目録 archive.today)。摂津国には摂津源氏がいましたが、お隣河内源氏(甲斐源氏=武田氏は河内源氏で甲斐国河内地方の河内と河内国の関連性も示唆されます)も同族の清和源氏になります。また、シラフジ 【白藤】(日本姓氏語源辞典)によると、岩手・三重・石川の姓だとされます。だとすると、新姓ではなく南部氏関連の可能性も考えられなくもありません。加賀美氏(加賀の白山も加賀富士と言われ、山容が似ているとも言えましょう。甲州の加賀美氏も白山と富士山の関係性が考えられます。共に修験道の山です)と南部氏は同族で、伊勢(三重)の北畠氏と南部氏の関連性が深いようですから。偶然にしては出来すぎているような。

白藤の滝は北海道足寄町・静岡県藤枝市・三重県伊賀市・島根県邑南町にあって、やはり白藤に見えるから白藤の滝なのでしょう。百名山北アルプスの笠ヶ岳は同名の山が各地にあって笠を伏せたような山容だから笠ヶ岳です。雪が白いフジのように見えるからフジの山としておかしくありません。

地名としての白藤は他に熊本県上益城郡山都町白藤とか、群馬県勢多郡粕川村(現前橋市)膳字白藤の白藤古墳群とか、佐々木氏系図に近江國(滋賀県)白藤郷(地部/近江國 古事類苑)などがあるようです。どうも古来、地名や人名に藤がつくものが多いようです(フジ 広島工業大学)。

>フジは紫や白色の長い花房を垂らし、古代から愛でられています。
>この強い生命力からか、地名や人名に“藤”の字のつくものが多く

ですから、筆者はフジは素直に藤。紫の印象の藤もありますが、意外に白藤も古くからあったかもしれませんし、そうでなくとも垂れる姿=藤で山にかぶさる雪が白い藤の発想もそう飛躍したものではないような。

古い歴史に見る藤と言えば、古事記中つ巻応神天皇の伊豆志袁登売(いずしおとめ)(いずしは出石で兵庫県の但馬地方で出石乙女ですが、伊豆表記が気になります。南部町にも近い(氏祖南部光行が従った源頼朝拠点の)伊豆国は出石と関連性があってシが落ちた可能性も?兵庫県豊岡市出石町には伊豆という地名があるようです)の説話が挙げられるようです。藤のつく山名としては、藤無山があるようです(アメノヒボコと伊和大神の足跡 ひょうご歴史ステーション)。播磨国風土記のアメノヒボコは新羅の王子だという話ですが、藤が無いとは何やら意味深。但馬地方は日本海側です。以上は、樹木にまつわる物語: 日本の民話・伝説などを集めて(グーグルブックス 浅井治海 2007 フロンティア出版)を参考にしました。

平成30年度「えひめ地域リーダー育成塾」第3講(平将明 衆議院議員)

2018-11-25 23:21:44 | みんなでやろうぜ
昨日、自民党愛媛県連リーダー塾の会合に出席してきました。平将明 衆議院議員(石破派)によると、安倍総理と石破議員はそれほど仲は悪くないようです。マスコミが面白おかしくしているところがあるらしく、ネットも真に受けているところがあるのでしょう(筆者も反省せねばなりません)。ネットでは加熱気味だった前回の自民党総裁選も、石破さんの出馬は安倍総理サイドからも評価の声はあったとか。

「面白い報道」ではなく、「事実を正確に伝える報道」になった時が、マスコミがアメリカのように衰退する時なのかもしれません。報道が勘違いの元になったら本末転倒です。興味ある分野の事実は面白いと思うんですけどね。いずれにせよ、自分にできることは自分のリテラシーを磨くことでしょう。

安倍政権の経済における最大の功績とも言える金融緩和 に関して言えば、自民党野党時代の部会でも話は出ており、必ずしも安倍総理の専売特許ではないようです。それを力強く主導したのが安倍総理(第一次安倍政権の時も上げ潮派がいたが短命に終わった)だということですね。日銀総裁交代というタイミングにも恵まれたようです(日銀には独立性があって、時の政府の言いなりになる機関ではありません)。安倍総裁後の自民党政権に関して言えば、誰(例えば石破さん・岸田さん・河野さん)がなっても現状のやり方に大きな変更はないと聞きました。金融緩和も魔法の杖ではないので、着実に日本経済を良くしていかなければならないのも確かであるようです。少なくとも(財務省の言いなりとも言われる)石破さんや岸田さんには大きな誤解があるようで、誰とは言えませんが、やや旧来のやり方よりの人がいるとかいないとか。日銀がインフレを嫌うのは体質のようです(インフレバスターズというソフトボールチームがあったとか何とか)。デフレで貯蓄有利は間違いなく、それ自体が経済の足枷になるから、経済においてデフレは有り得ないということですが、安倍政権以降、日本もようやく普通の経済政策になってきたのでしょう。

財政政策が効くのは間違いないとか。ただ、カンフル剤依存になってはならないことも間違いないと考えられます。金融政策・財政政策・成長戦略を必要に応じてやるべきですが、どうもそれぞれの専門の人はそれぞれの専門のことばかりを主張する傾向にあるようで、政治家の見識が求められるところです。

平将明衆議院議員(内閣府副大臣(国家戦略特区等担当)(2014年9月 - 2015年10月)によると、メガカリオンありきではないかと言われた国家戦略特区ですが、その技術を有するのはメガカリオンしかない訳で、先端技術というのはそういうもので、特区というのはそういうところがあるようです。 中国のアリババなんかは、信号までコントロールして実験をやるとか。何でもあり が中国のイノベーション における強みなのでしょう(風光明媚な中国浙江省杭州市は、ジャック・マーこと馬雲創業のアリババの本拠地 Geekroid)。イノベーションに強いのは米中の他に、イギリス(フィンテック)・イスラエル(サイバー戦)・シンガポール。いずれも英米法(慣習法)の国で「やってはいけない」のが法律の国です。やっていいことが書かれている(日本を含む)大陸法の国は厳しいところもあるそう。イノベーションと英米法に関して例えば、参考:第74回公共政策セミナー『なぜ日本ではイノベーションが進まないのか』講師 KDDI株式会社代表取締役会長 小野寺正氏 東京大学公共政策大学院。平議員はいろんな技術を纏めて一箇所でやる方がいいという考え方のようで、やはり細分化の懸念はあるような気がします。候補地探しもあるようですが、今後特区や先端技術に関して自民党からいろいろ法案提出の動きがあるそうです。

マイナンバーに関して、平議員は個人的にポイントを入れて配ることを主張されていました。景気対策としてはやや疑問のところはあるでしょう(普段の買い物をポイントで済ませる可能性が高い)。目的は政府のデジタル化 にあるようです。軽減税率適用などマイナンバーカードがあれば、事務の合理化がかなり進むようです。これは政府の生産性の話ですが、結局のところ、民間においても生産性が高ければ、創造性を発揮する余地が出てきますし、体力がつき必要な政策を実行する余裕が出てきます。住民にとっても悪い話ではありません。消費税は景気を冷やす恐れがある(延期が望ましいのではないか)という意見のようです。もっと消費税率が高い国では、不景気の時に消費税を下げる政策もあるようです(だからこそ増税派の方は少子高齢化・PB黒字化を念頭に好景気の内に上げてしまいたいのでしょう)。逆に言えば、少子高齢化を前提にPB黒字化が視野に入っていれば、消費税増税を推進する勢力もいなくなるのかもしれません。腰折れを防ぐ景気対策というのも中々難しそうな気もしますが、財政政策は効くと平議員は強調されていました。

ここで憲法改正に関して触れておくと、平議員によれば、石破派が特に反対するという話ではないそうです。平議員は寧ろ安倍総理の積極性を心配されていました。ただ、スケジュール的には参議院選前というのは、もうほぼタイムアウトで、練りに練った改正は難しいような気もします。未だに戦後レジームの空気が残る日本において、改憲は選挙にとって大きなマイナスも考えられます。消費税増税の時期が近いのも気になるところで、延期や廃止を主張する勢力が人気を集める可能性もあります(正しい政策が人気を集めると限りません)。大敗したら退陣の可能性もあるんですよね。では憲法改正が有り得ないのかと言えば、恐らく然に非ず。参議院選で議席は減る見込みなのだそうですが、最近国民民主党が話に応じる姿勢を見せているようです。小規模な敗北に止まり、ある程度協力的な野党があれば、参院選後でも憲法改正が頓挫することはありません。国の最高法規ですから、スケジュールを抜きに、国民においてその気運が出てくることに期待したいところです(何かブレているようですが、我々がスケジュールを視野に議論を始めようとした時に、誰が徹底反対したかという話なんですよね。参院選前に収めるのは確実に拙速の謗りを受けるでしょう)。

イノベーションに関連して、情報セキュリティの質問もありました。所謂スパイ防止法 ですね。バックグラウンドチェックが重要だそうですが、警察庁や防衛省はやっているかもしれないませんが、少なくとも他はやっていないそうです。特定秘密保護法案 でも明らかになりましたが、マスコミ等の反対が強い案件のようです。多分学生運動か何かの犯罪歴が明らかになり、自分がアウトになる界隈が必死なのでしょう。小野寺前防衛相(第12・17・18代)によると、特定秘密保護法案後では、他国からの情報の入り具合が全然違ったそうです。日本ではアメリカで常識のバッグクラウンドチェックの常識がないようです(日本にはない“バックグランド・チェック”という常識 アメリカから発信!HRMトーク(人事管理指南術))。アメリカは銃社会で日本と常識が違いますが、日本でも必要な対策は行わなければなりません。自民党でもサイバーセキュリティの線で、いろいろ検討されているという話だったと思います。平議員がサイバーセキリティにおいて名前を挙げられたのは、甘利明議員(國分 俊史教授、甘利 明シニアフェロー、藤井 敏彦客員教授がサイバーセキュリティイベントに登壇 多摩大学大学院)やサイバーセキュリティ基本法をてがけた平井卓也議員です。いずれにせよ、警察庁・防衛省といった安全保障関連の省庁において、特にスパイ対策というのは重要だと考えられます。万一危機に裏切られたら(それがスパイの仕事でしょう)、終わってしまう訳ですから。

米中貿易戦争の一方で、TPP11が発効する見通しになっています。TPPは多岐に渡る環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) ですが、勿論米中貿易戦争で話題の知財分野も含みます。実際、日本国内でも国内法が整備されたようです。参考:TPP11と国内整備法の改正(知財分野)(イノベンティア・リーガル・アップデート)。結局のところ、サイズは武器ですから、アメリカが復帰するなら、中国を変える大きな力になることは間違いありません。元々アメリカが目をつけて大きくした話なんですよね。平議員によると、TPP11を最も嫌がったのは中国なのだそうです。善は急げという諺があります。成長著しい(中国の進出も著しい)環太平洋地域にいち早く公正な競争のスタンダードを打ち立てる必要があります。

平議員によると、「ガソリン値下げ隊」には、かなり困ったところがあるようです。今も昔も筆者は必要なインフラをし終わった訳ではないと考えていますし(高速道路の収益の主力は寧ろSAやPAという話です)、過密な日本で無料インフラは渋滞の原因になり、高速道路の意味も無くなると考えています。ただ、景気対策というか、消費税の話に関連して、消費と経済政策を考えると、原油値上がり時に機動的にガソリン税を下げる経済政策は考えられるのかもしれないとは思いました。省エネ技術発展の圧力が弱くなる可能性もありますが。

平議員指摘のEUと日本との間で反競争的行為に対する連携強化に向けた交渉開始(https://www.squirepattonboggs.com/~/media/files/insights/publications/2017/07/eu-set-to-open-antitrust-cooperation-talks-with-japan/27336japanese-competition-antitrusteu-set-to-open-antitrust-cooperation-talks-with-japanthought-leadership.pdf 2017)。独占企業 が現れると値上げで殿様商売が世の常。現代においては、そうは問屋が卸さない。

平将明議員は副大臣としてクールジャパン戦略も担当していました。和食のパワーは要注目だそうです。海外には和食が好きな要人も結構いて、そこから話が盛り上がり外交力になることがあるそうです。ソフトパワー(日本ではジョセフ・ナイ氏で有名)という奴ですね。課題としては、日本の就労ビザが挙げられるそうです。本場で和食を学びたい職人を受け入れることが出来なければ、南半島国出身者を中心に世界に広がるザパニーズナンチャッテ和食を滅することは事実上難しいのかもしれません。参考:料理人の海外修行にはどんな準備が必要? 店探しのコツから語学力の話まで(しょくヨミ)。逆に考えると、和食好きの国ほど、本気であるならば、日本語学校ビジネスの潜在需要があるのかも。【ランキング】世界の日本食が好きな国ランキング(Globature)。1位はシンガポール。続いてフィリピン。1位シンガポールでは高級料理のイメージで日本料理店が多い。2位(出稼ぎ大国としても知られる)フィリピンには韓国料理店も多いとか。3位がメキシコ。日本人が工場を造っている関係か?和食と言えばスシが人気みたいですよね。日本人からしたら?な感じのものもありますが、まぁ魚食文化には違いありません。漁業が続くということは、もはや日本だけの問題でなくなっている面も。

平議員から指摘があったノルウェーの漁業ですが、あれ北海油田が見つかったから、権利を売って(雇用されて)結果的に・・・ゲフンゲフン。日本はアジアの国だから稲作の生産性で人口密度がどうしようもなく高いことに注意すべきのような気がしないでもありません。4位の国に本気で好かれたら、世界中から魚が消えかねないところもあります。図体デカイと知らず知らずの内に迷惑かけているところもないとは言えません。いや本当に人間が本気で狩猟採集すると簡単に動物は絶滅するんですよ。漁業に限ってもニシンの海は今は昔。漁業とインバウンドで言えば、和食の他に漁村が面白いんじゃないでしょうか。ベトナムで言えばハロン湾(ベトナムの世界遺産、ハロン湾クルーズ&ツアー大特集 https://www.pitt.jp/cityinfo/halong-sp.php 株式会社 ピース・イン・ツアー)。日本で言えば、京都府の伊根町(伊根町観光協会)。まぁ漁業者の数が少なくなれば儲かるというか(効率がよくて)、あるいは遠洋漁業・養殖業・観光・・・。

平議員は太田青果市場の仲卸の元社長でその経験が今に生きているそうなのですが、太田青果市場は羽田に近いことを指摘されていました。外国人にセリを開放すれば、高値がつきそうという話で、もうそれはその通りなんだろうと思います。そこから農産物の輸出も拡大する訳です。ニシキゴイの話もありましたが、平先生の持ちネタであるようです(錦鯉でクールジャパン!?海外からもバイヤーが訪れる、日本の意外な伝統文化 カフェスタトーク★錦鯉特番)。出禁になったTBS。真ん中から読んだらBTS。錦鯉特区 in 新潟 小千谷市 山古志村 長岡市 上越新幹線と組んで何か出来そうですが(あるいは関越自動車道のPAやSA、道の駅)、宿泊と食・土産まで一体でやれば経済効果が高い訳です。儲かれば再投資できますしね。米所新潟・農業県ならではのもてなしってあるんじゃないかと思います。

奈良の宿泊にも言及されていましたが、何とか星ホテルができるという話も。基本的には景観で高さ制限があるので工夫も必要のようです。パリでは歴史的景観への影響が少ない地区での大規模開発を許容する流れだとか(パリにおける高さ制限の歴史 都市の高さとまちづくり)。奈良県の伝統的な街並みと記憶を復元した町家リフォーム(HOMIFYインターナショナル)。伝統的家屋を活かした民泊も面白そうです。ならの伝統工芸(奈良県)もインバウンドで再発見があるかもしれません。19世紀欧州の日本趣味がジャポニズムです。浮世絵が印象派に与えた影響など言われますね。やはり文化の中心地はパリ でありロンドンであるようです。焼き物でもそういう話は聞きましたが。平議員もNYも含めてそうしたところでアピールすると効果は高いと言われてました。奈良県は日本の食文化発祥の地とも言えるかもしれません。参考:【食】奈良は日本の食文化発祥の地(鉄田憲男)(奈良のうまいものプラザ)。ポテンシャルはあるかも。平城京や藤原京の食文化が気になりますね。隋唐の影響も考えられますが、北方系でしょう。古代日本の料理に酪とか蘇等乳製品がありますが、隋唐は元々異民族系だとされます。唐代に江南の開発が進んで蒟蒻など平安時代に南方系の影響も見られるようですが。素麺も唐伝来で索餅で小麦粉と米粉を水で練り、塩を加え縄状にした食品なのだそうです。加須津毛の歴史は古そうですが。古墳時代や奈良時代の都は転々とすることが多く、本格的な宮廷文化は無かったような気がします。藤原京は16年と短いですが、平城京あたりで本格的に創始された可能性はあります。その後も南都でしたしね。大化の改新に関連する 難波長柄豊碕宮 もわりに大規模だったようですが。食文化は宮廷文化に由来することも多い訳です。都と言えば、宮城県が何故宮かと言うと、多賀城に由来するようです。平安海進で現在と違った風景だったようです。

林業でCLTが注目されているそうです。三菱地所、国内初のCLT高層マンションを公開(日経新聞 2018/9/11)。ドイツ 生まれでオーストリアで広まった木材で強度があって、大規模施設や高層建築にも使えるのだそうです。コスト面で課題があるのだとか。だとすれば、例えば、まず奈良や京都で木造でホテルを造れば、積極的な意味も見出せるかもしれません。樹種としてはスギは適しているようで、新しい技術を活かして伝統を受け継ぐ新しい文化を創造すれば面白いんじゃないかと思います。

平議員指摘のオーストリアの林業:日本と共通の多いオーストリアの林業 ―その成功事例(環境ビジネスオンライン)>森林面積の広さ、急峻な斜面の多さ、木材以外の燃料資源がないこと、技術水準が高いことは、日本との共通点といえるでしょう。同じく平議員指摘の オランダの農業 に関して言えば、大量生産型だという話です(オランダの農業を真似しても日本の農業が強くならない理由 岩佐大輝 農業生産法人 株式会社GRA 代表取締役CEO)。だとしたら、その効率性が近郊農業中心に参考になるかもしれません。生産性が高まれば、GDPはアップする訳で、何も全てがインバウンドであり、輸出である必要も無い訳です。日本のマニアックな品種創造も面白いと思いますが、費用対効果ってどうなんでしょうね。いずれにせよ、高付加価値農産物の輸出や富裕層消費ももあわせて考えていくべきです。

平議員ご指摘のドイツの工業ですが、職業訓練が面白いのかもしれません。例えば、ドイツで働きたい!ドイツで職業訓練(Ausbildung)を受けるには(Guanxi Times)。ドイツの大学進学率は先進国中では低く、その代わり職業訓練が充実しているようです。それで質の高い労働力が確保されているのでしょう。今だったら、Iotやプログラミングの技術を教えたら凄いことになるかもしれません。日本でいうと工業高校か高専、ハワーワークで紹介される職業訓練ですが、詳しくありませんが、ドイツのものに比べて教育力が違うのかもしれません。11訂版「職業訓練における指導の理論と実際」(職業訓練教材研究会)が手元にありますが(ネットの検索で引っかかって興味を持ちました)、多分、こういった内容が身についている人って少ないような気もします(失礼があったら申し訳ありません)。ドイツ人の合理的な働き方 って話題になりがちですが、それは訓練されたものであるかもしれない訳です。日本だと企業教育一辺倒のイメージがありますが、中小企業はそこまで手が回らず、悪くみれば根性論になって低生産性を体力等でカバーし、結果、キツイで人気がないみたいな。

平議員ご指摘のイタリアのデザイン に関して言えば、世界最大のデザイン博「ミラノ・サローネ」が毎年4月に開催されており、トリエンナーレデザイン美術館( アーモ・ミラノ)があるようです。ファッション(ミラノ・コレクション)でもミラノは有名ですね。イタリア政治には富裕な北部が独立しようという動きもあります(北部同盟)。つまりイタリアのデザインとは、あるいはミラノではないかと。ミラノは北部イタリア最大の都市で、古くからファッション関連産業も盛んですが、近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しているようです。つまり工業デザイン も優れているんじゃないですか? ルネサンスのミラノ公国があるいはデザインの源流かもしれませんが、その後、結構神聖ローマ帝国だとかハプスブルグ家・オーストリアといった、ドイツ勢力の縄張だった時代も長いようです。それが工業力を培ったかもしれません。几帳面で効率性に優れるオランダ農業の時も少し思いましたが、何となくドイツの影を感じるような。芸術力は貴族文化で元々あったかもしれませんが。ルネサンスとは古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする運動である訳です。所謂温故知新、文化バージョンでしょう。ミラノ公国開始時のミラノは既にアルプス越えの大通商路の合流点に位置していて、手工業、工業(繊維、冶金)と農業(干拓技術、運河、灌漑)の重要な中心だったのだそうです(ウィキペディア「ミラノ公国」2018/11/25)参照。日本で言えば、名古屋か京都かなって思いした。IdcN 国際デザインセンター(名古屋市)、公益社団法人京都デザイン協会なんかが検索で引っかかりますね。お互い距離的に近いですし、リニアと見せかけて新幹線で交流してもいい。

※11月26日追記。ミラノの姉妹都市大阪ですね。名古屋はトリノ。京都はフィレンツェ。第2の都市繋がりなんでしょうね。まぁあまり固く考えすぎない方がいい気もしますね。大陸法の発想ならアウトだな。

平議員ご指摘のフランスの観光ですが、要するに文化財が多いのでしょうが、パリは年間外国人観光客数が世界一なのだとか。エリゼ宮のようなものはもう歴史としか言いようがありませんが、美術館や劇場の類が多いのも気になりますね。日本で言えば、やはり京都だと思いますが、二条城や京都御所はまだポテンシャルがあるのかもしれません。というのも京都の代表的な観光地は金閣寺や銀閣寺・清水寺だったりするからです(勿論それは当然素晴らしいものです)。京都の寺社仏閣は素晴らしい。しかしそれも朝廷あってのものかと。京都のストーリーに朝廷を欠かせる訳にはいかないと思うのですが、どうでしょうか。賀茂別雷神社なんかも皇城鎮護の神社で正一位。賀茂祭は勅祭です。清水寺は坂上田村麻呂ゆかりで平安京を築いた桓武天皇に征夷大将軍に任じられ、胆沢城(岩手県奥州市)を築き蝦夷征討に携わりました。金閣寺・銀閣寺なら室町幕府で花の御所でしょう。ただ遺構がほぼありません(花の御所跡 | 幻の京都探訪 | 京都じっくり観光 )。花の御所クラスがほぼ無視されているのが京都の恐ろしさですが、付近の京都御所で活かしてみるとか?同志社大学の近く。京都の美術館って意外に目立たないと思う訳です。何か大きなものを建てて、朝廷ゆかりのものを集めてみるのはどうでしょうか。要はルーブル美術館のようなものが無い。後は日本の癖でしょうが、個別の寺社仏閣の力が強く、秘仏や非公開が多く分散し過ぎのような気も。まぁお宝を一箇所に集める訳にはいかないでしょうが、例えば、宗派ごとに集めてみるとか、テーマを決めてイベントをやれば面白いんじゃないかと思うんですよね。劇場だと京都劇場でしょうが、やっぱり芸術とはスポンサーかなと思いますね。新国立劇場の協賛企業にトヨタの名前もあるんですよね。そう考えるとデザインでも考えましたが、ちょっと名古屋あるんじゃないのという気も。愛知県は平均年収ランキングで東京・神奈川に次ぐ3位だそうです。

ともあれ、京都の観光ネタは掘っても掘っても尽きなさそうです。とすると京都・観光文化検定試験って意外に実用性もあるのかも(公式テキストブック)も売ってます。奈良は奈良まほろばソムリエ検定。大阪はなにわなんでも大阪検定。奈良は奈良時代以前を全て全国対象にしたらどうかって思いますね。要するに大阪の古墳とか聖徳太子ゆかりの四天王寺とかも対象にしたらいい。天智朝で大津京もやってしまうとか(その後の天武朝が奈良で長い訳です)。その辺は大和の視点で見ればより理解しやすいはず。国分寺や古代道路とか風土記も。京都も延喜式とか荘園とか寺社仏閣の広がりまでやったら面白い。それで一級マスタークラスみたいな。大阪は両雄に比べたら寂しいところはありますが、江戸時代の天下の台所で経済をやればいい。太閤さんのイメージでもありますし、北前船とか。少なくとも京都・奈良は極めるなら知識量が膨大になりそうですね。でも極めれば発見も多く、観光政策にも資するような。インバウンドをやるなら語学も必須でしょうが。国府や国分寺の規格とは?みたいなことも思うのですが、現状パッと検索して出てくる訳でもないようです。

最後にフランス観光でパリの他にちょっと気になったのがマルセイユですね。フランス最大の港湾都市で地中海の魚介類が楽しめるようです。日本だとやや広島っぽいか。南向きで港があって、牡蠣が美味しいみたいな。広島って特に明るい港街のイメージがありませんが、ポテンシャルはあるかも。世界遺産厳島神社(平清盛・航海安全)が近くにあって、食べ物も美味しく(意外と農業県)、筆(毛筆・画筆・化粧筆)とか文化もある。江田島・能美島。倉橋島も結構目立ちますよね(橋架かってますが)。架橋以前は松山との海上交通もよりあったと思います。大阪より西で他に一定の規模以上の港街と言えば、神戸・福岡(博多)・長崎でしょうか。あるいは広島より有名かもしれません。高松や松山も鹿児島も意外と島や歴史があって船便はあると思います。今治とか下関・徳島は架橋・トンネルのイメージが強くなっている印象も。その時代・時代の技術史とか面白そうかなと。琉球貿易が面白いのは東南アジアにまで行っていることかと。ついでに日本人街もやったらどうか。長崎だと江戸と明治になりそう。ニース=バカンスみたいなのは八重山・宮古や沖縄本島周辺の離島ですかね。マルセイユにはアルジェリアから引き揚げてきた人達も居住しているのだそうです。サッカーのジダンは有名ですね。今もフェリーは出ているそうです。マルセイユには欧州・地中海文明博物館(MuCEM)があるそうですが、日本だと福岡(博多)と那覇かなぁ。次点で堺と小樽。大和ミュージアム(広島県呉市)は本気で軍事史(海軍史)をやれば面白いと思います。陸軍史は何ならというかやれるなら(大本営があった)広島市でもいい。で、空軍史は岩国とか。広島市が駄目なら、薩長のいずれか(陸の長州 海の薩摩ですが、薩摩隼人のイメージもあるってことで)。

少子化とか人口問題とか地方の衰退とかはまたいずれ。平先生も地方創生は難しいって石破さんに言うは言ったらしい。この辺は極めつけのところはありますよね。大都市というブラックホールwの問題も触れていました。

日本列島前史(旧石器時代)日本史1

2018-11-19 07:50:42 | 日本史
まず、日本という地理的概念の始まりを氷河期の終結に置きます。氷河期において日本と大陸が(ほぼ)繋がっていたことは良く知られます。瀬戸内海も存在せず今と大きく地理が違っていました。勿論どんなに干上がっていたとしても、後の日本の領域であるのは間違いないのですが、日本列島ではないことは間違いありません。そうした条件ですから、住む人間のスタイルも大きく違っていたと考えられます。

この時代を考古学用語で旧石器時代といいます。大陸と繋がっているのですから、もはや日本史と認識するのが難しいというか、ほぼそうすべきでない時代です。事実上、人類史・世界史の一部と言えるでしょうが、陸橋が消えた後は、勿論それまで住んでいた人は残る訳です。環境の激変に戸惑いながらも、その状況に当時の人は必死で適応したのではないでしょうか(激変といってもほとんどの時期、一夜にして全てが変わる訳ではありません)。

旧石器時代の「日本」にも人類は居住していました。最近の学説では最終氷期の最寒期でも対馬海峡は存在していたとされますが、それ以前の氷河期に渡ってきたのであろうマンモスやトナカイ、あるいはナウマンゾウやオオツノジカといった大型哺乳類は存在しており(例えばナウマン象は約35万年前に日本列島に現れて約1万7000年前に絶滅したとされます)、「日本」に住む人々と共存していたのが、この時代と言えます。

地質学的には更新世(約258万年前から約1万年前までの期間でそのほとんどは氷河時代でした)。最終氷期の約2万年前の最盛期が過ぎると地球規模で温暖化に向い、最後の氷期である晩氷期と呼ばれる約1万3000年前から1万年前の気候は、数百年で寒冷期と温暖期が入れ替わるほどで、急激な厳しい環境変化が短期間のうちに起こったそうです。この間に北半球の高緯度地方ではヤンガードライアス期(最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象)という時代も存在しました。地球規模の現象ですから「日本」にも影響したでしょうが、あまり一般に論じられていないようです。学問的には西アジアでの農耕の開始と関連付けられる論争があるようです。気候の移り変わりに関して、例えば「これまでの気候の移り変わり(第五版)」(http://atmenv.envi.osakafu-u.ac.jp/aono/clihis/)

ここで人類史に言及しておくと、現生人類(ホモサピエンス)はアフリカに起源を持つというのが遺伝子解析から多くの科学者が一致した見解で、共通祖先の分岐年代は14万3000年前±1万8000年、ヨーロッパ人とアジア人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されるそうです(アフリカに残ったのがネグロイド(黒人)・南回りでアジアに向かったのがオーストラロイド・北回りでアジアに向かったのがモンゴロイド)。つまりどれほど遡っても日本史は8万3000年前には遡らないと言えるでしょう。それ以前にアジアに存在した「人」はホモエレクトゥスなど別種の人類と言えます。事実、「日本」の人類の痕跡はこれまでのところ、4万年の磨製石器になるようです。約4万年前の人類史と言えば、オーストラロイドの渡海がそのあたりのようです。比較的海を渡り易い時代だったのかもしれません。勿論論理的帰結として、アジア人史も最大で8万3000年前に遡りません。それ以前は白人と同じ人種で主にユーラシア大陸の中央から西に住んでいたのでしょう。更に遡ると皆アフリカに住んでいたということです。

またいずれ触れますが、遺伝子の研究の進展は旧来の骨の研究から生まれた説を対立する部分で概ね駆逐してしまったことは指摘しておかねばなりません(アフリカ単一起源説が概ね多地域進化説を駆逐したのは、それほどは昔に遡りませんが、原人が世界中で緩やかに新人に移行したと今では考えられていません。つまり骨の研究を絶対視せず、遺伝子の研究の進展の成果を還元しなければならないということであり、人骨の形状を理由に縄文人と弥生人を分けるステレオタイプを怪しく思うべきではないかと考えています)。

さて旧石器時代は縄文時代に続きますが、勿論この分類は土器の有無による分類に過ぎず(縄文時代以前を無土器時代・先土器時代というようです)、ひとつの目安に過ぎません。時代の分類はいろいろな基準が有り得るでしょうが、おおまかにいって、大型哺乳類を絶滅させてしまった後が縄文時代と言えるのではないかと思います。それまで通用していた生活スタイルが通用しなくなり、新しい発明が必要とされたのでしょう。必要は発明の母と言います。日本列島における旧石器時代には竪穴住居などの施設を伴う遺跡はほとんど発見されておらず、獲物を追って主にキャンプ生活をしていたようです。

地理的に日本と異なる歴史を辿った北海道や沖縄はここでは端折っておきます。言えるのは、本土と同様、そうした人類史や気候変動の潮流と無縁であったはずがないということのみです。

モンゴロイド自体が北方系なのですが(南回りの学説もそれなりに存在しているようですが、そうだと仮定しても北に定着した北方系となります。しかし数々の証拠(例えば個人ブログの纏めですが、日本人の起源 1.人類拡散史(https://blog.goo.ne.jp/japanorigen/e/c39b91bf2ce987ee4773eb4ea7157fb5)参照。ただしリンク先の意見と筆者は必ずしも同一ではありません)から北回りで良いと考えられます。筆者がここで言う南方系とはオーストラロイドのことであり、現在の東南アジア系の人々のことではありません。コーカソイドと分かれたモンゴロイドは北回りでアジアに辿りつき南下したのでしょう。出アフリカ後に何処かで分岐したオーストラロイドが南回りで東南アジア→オセアニアに移住したという訳です。しかしながら、東南アジア系が海沿いに北上して縄文人になったとも考えていません。)、こうしてみると、ここまで南回りの気配は全くありません。日本で一般に流通している縄文人=南方人説を筆者がずっと(わざわざ)否定してきたのは、単に誤りであるにも関わらず、影響が大きいからに過ぎません。勿論南からの影響が全くのゼロだとも言いませんが、小さな例外をみつけて針小棒大に主張するほど愚かなことはありません。縄文人が南方人だと言うなら、旧石器時代に「日本」に住んでいた人達が、南方人との競争に負けて駆逐される過程を想定せねばなりませんが、誰もそんなことを主張していません。そんなことは有り得ないからでしょう(そもそも沖縄の「陸橋」は対馬以上に繋がっておらず、本土と比較してか細いものです。南方には南方の気候があって、北上すると住む動植物が違いますから、これまでの生活スタイルが通用せず、わざわざ移住する意味がありません。長距離移動すればするほどそうなります。空白域だったら、それでも人は移住しますが、先住民がいたら、よほど文化度・文明度に差がない限り、先住民にとってかわりません。そもそも地理的境界がない限り、隣接する文化・文明は似てくるのが当然です。いずれにせよ、縄文人=南方人説はどんな人がどんな理由で日本に辿りつき、「先住民」にとってか変わったかを論証しない限り成り立ちません。歴史を現在から遡る一本槍は当然危険です)。多分、南回りの要素だけをタコツボ的に注目して勘違いした説が広く流通してしまったのだと思います。日本人は一般に性格的に他人が唱えている説を誤りだとしても関心を払わず、否定しない傾向があるように思っています。それはひとつの美点ではありますが、高度情報化社会で活躍しようと考えるならば、弱点にも成り得るんじゃないかと思っています。

学問的には、縄文人の人種的特長を古モンゴロイドというようです。古モンゴロイドは北方適応していません。しかし、コーカソイドと分かれた後に北回りでアジアに到達したか南回りでアジアに到達したかの論点は存在するはずで、筆者は南回りもないですが、両方ということもないと考えており、明快に北回りという意見です。南回りがオーストラロイドで、古モンゴロイドの南下したグループがオーストラロイドと混血して東南アジア人になったのではないかと思います。根拠を全て書きませんが、言語学や歴史時代と同時代の考古学で明らかになっている範囲で南から北への民族移動の潮流はほぼ見当たりません。コーカソイドは欧州人など寒い地域にも住みますが、その北方適応は色素が抜けているところ等で、新モンゴロイドのように一重まぶたであったりはしません。北回りだから一重まぶたにならなければならないということはない訳です。新モンゴロイドは寒さが厳しい地域で生まれ一重まぶた等の特徴を獲得し、古モンゴロイドが住んでいる地域に後から移住したと考えます。弥生人に新モンゴロイドの要素が濃いことは間違いないでしょう。ただし、ここがややこしいのですが、新モンゴロイドの方が寒冷適応していながら、血統的には南方系だと考えています。その心は大陸で縄文海進といった温暖化の時期に一度南下し南方系の遺伝子を獲得した新モンゴロイドが北上したと考えるからです(一重まぶた等一度獲得した形質は寒いところを離れても容易に消えたりはしないのでしょう)。縄文時代には日本列島は誕生しており、この北上の動きに日本は基本的に関連していないと考えられます。まず一般に見ることの無い説だと思いますが、遺伝子でも大阪医科大学名誉教授松本秀雄氏の研究では(日本人は何処から来たか 日本放送出版協会 1992)、南方系の遺伝子afb1b3が日本に比べて大陸や半島に多く、沖縄は本土より少ないとなっています。新モンゴロイドが北方適応しているのが明らかなので直感的には分かり難いのですが、気候の変動と人類史を連動させて考えると、自然にそうした結論になり、それが遺伝子や考古学的証拠と一致すると筆者は考えています(一応今書きましたが、この段落の記述は後で縄文や弥生にコピーないし移すかもしれません)。

以上ですが、学説は勿論変わり得ますが、これは間違いないだろうという事実を抑えることからしか、何事も始まらないと思います。最初がわりと肝心なんですよね。遺伝子研究の進展を全く抑えていないかのような議論はどんな定説であっても、いずれ存在しなくなるんじゃないかと考えています(今は広く存在しているように見えます)。間違いを直すなら早い方がいいとは思うのですが。あるいは、こんな大して役にも立たない話に関心を持たないかです。それでものを知らないと思われることは時にあるかもしれませんが、生活上何か問題が起こる訳ではありません。筆者自身は、日本とは?日本人とは?日本文化とは?という問いを考える必要性が自分の中であって、こういうことに関心を持ち、一々纏めて発信している訳です。

※何故そう考えるか記述したので長々とした感じになりましたが、考察というのは他人の検証に耐えられるものでなければなりません。一般にはそうした考察は必要ありませんから、何故という部分を端折って歴史の記述をするなら、下線部の部分を理解してもらえば事足ります。

沖縄と旧石器時代:日本最古の人骨は山下洞人とされるようです。年代に若干の疑義はあるようですが、当時の沖縄は大陸と陸続きだったという話です(琉球列島の起源 http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch1/kyusekki_1.html 沖縄県立総合教育センター 琉球文化アーカイブ)。遺伝子解析で現生人類(ホモサピエンス)だと分かっているようです。沖縄は骨が残り易い土壌だとされ、他にも港川原人始め旧石器時代の人骨が出土しているようです。確実な旧石器は見つかっていないようで、沖縄の広さから考えてあまり大型動物の狩猟など盛んではなかったかもしれません。本土もそうですが、旧石器時代とは概ね氷河期であり、漁労関係の遺跡はあっても海の底ではないかと考えられます。当時の気候・植生等が復元できれば、どういう生活をしていたか、ある程度推測できるかもしれません。

北海道と旧石器時代:氷河期には宗谷海峡は陸橋で大陸と繋がっていました。最近では津軽海峡も繋がっていたとされます(かつて津軽海峡は地続きだった?北海道大学 https://lne.st/2012/04/20/%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%A6%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E3%81%AF%E5%9C%B0%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%9F%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6/ 2012.04.20)。対馬海峡も繋がったり繋がらなかったりしているようですが、その辺の年代観は研究の進展を待つしかないと考えられます。いずれにせよ、大型哺乳類は住んでおり、本州と同様の環境だったと考えられます。北海道には火山が多く、骨が残りにくい土壌であることも同じでしょう。

旧石器時代と狩り・生活文化とその後:大型動物の狩りをしていたとすれば、行動範囲は広く(定住生活に比べて文化は細分化されず)、(獲物が持ち運び困難だったため獲物にあわせる)キャンプ生活(移動生活)を行っていたのではないかと考えられます(例えば、旧石器時代の日本列島 http://www.ranhaku.com/web04/c1/1_02.html 嵐山町WEB博物誌』※埼玉県)。大型生物を狩り尽くした後に止むにやまれず定住生活を行ったところ、結果的に時間をかけて(土器など)文化が発達し、縄文文化に移行したのではないでしょうか?また、縄文時代の実例から逆算すると、旧石器時代においてもあまり南方過ぎると、弥生時代の西日本のようにあまり大きな人口は養えなかったはずです。現代では狩猟採集は南のイメージがありますが、それは温帯が農耕に移行したからであって、当時の状況を考えると、狩猟採集が盛んだったのは北方ではないかと考えられます(沖縄は骨が土壌の関係で骨が残り易い)。動物というのは基本的に北の方が大型です。つまり狩れれば、北の方が大きな人口が養えます。植物に関しても実際のところ照葉樹林より落葉樹林の方が食物となる実が多いのは間違いありません。なぜかというと、恐らく葉が落ちたら光合成できないことが関係するのでしょう。一種の冬篭りでしょうか。

※以上11月25日追記。