私は、ただただ音楽を聴くだけの人でピアノお稽古もしたことはないし、初めてのクラシック体験は百科事典の付録のソノシートで聞いたシューベルトの「野ばら」だった。だから、バッハのこともよく知らない。
バッハという人はエピソードを語られない人だ。モーツアルトもベートーベンもシューベルトも大音楽家といわれる人を描いた映画は数あるが、バッハの人生を映画にしたというのを聞いたことがない。彼がどんな暮らしをし、どんな恋をし、どんな名誉を得、どんな失望を味わったかを、私は知らない。
しかし、時々バッハという人について考える。私にとってバッハとはそういう人だ。
わたしの想像の中でモーツァルトは口から音符を吹いている。ボッティチェリの絵に描かれた口から花を吹く春の女神のように、念仏とともに阿弥陀仏を吹く空也上人のように、モーツアルトは呼吸をするように音を紡ぐ。わたしたちは天才を愛する。モーツァルトは掛け値なしにその一人であり、人からも天上からも愛された才能だっただろう。それに比べ、バッハはどうだろうか。無口で付き合いにくい人だったかもしれない。部屋にこもりブツブツ呟きながら鍵盤に向かっているちょっと偏屈な人ではなかったかなっと考えたりする。創作中に近寄る子には、気難しく叱る人だったろうし、弟子や生徒には、音楽とは関係ない、生活の中の不良行為を指摘するような、いやな大人だったかもしれない。だからといって、モーツアルトがより神に近いと私は思わない。それはわたしがモーツァルトのように神に近い才能を持っていないからかもしれないが。
バッハは生きた時代もあり、彼の音楽の多くは宗教曲である。その意味で彼は『音楽の捧げ物』をしていたわけなのだが、彼は何に音楽を捧げていたのだろうか。バッハは音の数式を懸命に解いていたのではないか。口ずさみながら、書き込みながら。モーツァルトが「降りてくる音」ならば、バッハは「苦悶の中で解く音」である。人の技として音楽を律儀に不器用に解き続けたバッハを、わたしは素敵だと思う。数学者は数字の中に広大な宇宙を見るという。バッハを聴くと、彼が憧れ続けたものもそんな音の宇宙なのではなかったのかと思える。天上の音を、人である自分を自覚しながら追い求めていたのではないかと思う。万能、天才でないわが身を嘆きながらも少しでもあの場所に近づきたいというバッハの悲しみや喜びが聴こえる気がする。
もしかすると、バッハは教会の説く神など、ちっとも信じてなかったかもしれない。彼が信じた神は音楽という名の神で、探し求め、苦悩し、躓き、失望し、時に永遠の音と思えるものが遠くに垣間見える。モーツアルトは「神の歌」であり、バッハは「神を追い求める魂の歌」である。多くの著名な演奏家がバッハを好んで演奏する理由がそこにあるのではないか。バッハを聴くと、人が奏でうる最も高みの音の楽園が聴こえる。たとえ凡庸と思われる人だって、求め続けるとある日突然、天上は、その姿を見せてくれることもあるのだとバッハは思わせてくれる。
Special thanks for モーツァルトとバッハ~教会音楽に関する考察 KenさんのBLOG STATION
バッハという人はエピソードを語られない人だ。モーツアルトもベートーベンもシューベルトも大音楽家といわれる人を描いた映画は数あるが、バッハの人生を映画にしたというのを聞いたことがない。彼がどんな暮らしをし、どんな恋をし、どんな名誉を得、どんな失望を味わったかを、私は知らない。
しかし、時々バッハという人について考える。私にとってバッハとはそういう人だ。
わたしの想像の中でモーツァルトは口から音符を吹いている。ボッティチェリの絵に描かれた口から花を吹く春の女神のように、念仏とともに阿弥陀仏を吹く空也上人のように、モーツアルトは呼吸をするように音を紡ぐ。わたしたちは天才を愛する。モーツァルトは掛け値なしにその一人であり、人からも天上からも愛された才能だっただろう。それに比べ、バッハはどうだろうか。無口で付き合いにくい人だったかもしれない。部屋にこもりブツブツ呟きながら鍵盤に向かっているちょっと偏屈な人ではなかったかなっと考えたりする。創作中に近寄る子には、気難しく叱る人だったろうし、弟子や生徒には、音楽とは関係ない、生活の中の不良行為を指摘するような、いやな大人だったかもしれない。だからといって、モーツアルトがより神に近いと私は思わない。それはわたしがモーツァルトのように神に近い才能を持っていないからかもしれないが。
バッハは生きた時代もあり、彼の音楽の多くは宗教曲である。その意味で彼は『音楽の捧げ物』をしていたわけなのだが、彼は何に音楽を捧げていたのだろうか。バッハは音の数式を懸命に解いていたのではないか。口ずさみながら、書き込みながら。モーツァルトが「降りてくる音」ならば、バッハは「苦悶の中で解く音」である。人の技として音楽を律儀に不器用に解き続けたバッハを、わたしは素敵だと思う。数学者は数字の中に広大な宇宙を見るという。バッハを聴くと、彼が憧れ続けたものもそんな音の宇宙なのではなかったのかと思える。天上の音を、人である自分を自覚しながら追い求めていたのではないかと思う。万能、天才でないわが身を嘆きながらも少しでもあの場所に近づきたいというバッハの悲しみや喜びが聴こえる気がする。
もしかすると、バッハは教会の説く神など、ちっとも信じてなかったかもしれない。彼が信じた神は音楽という名の神で、探し求め、苦悩し、躓き、失望し、時に永遠の音と思えるものが遠くに垣間見える。モーツアルトは「神の歌」であり、バッハは「神を追い求める魂の歌」である。多くの著名な演奏家がバッハを好んで演奏する理由がそこにあるのではないか。バッハを聴くと、人が奏でうる最も高みの音の楽園が聴こえる。たとえ凡庸と思われる人だって、求め続けるとある日突然、天上は、その姿を見せてくれることもあるのだとバッハは思わせてくれる。
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臭いと共に色が蘇ってくる。
赤いのが多かったな。綺麗だったな。
アナログのシャリシャリ音懐かしいな。
よし、お盆には別荘でアナログLP聴こっと。
音楽家の人生謎知るべくも無い私だが、「私は知らない」と言って、ここまで具体的に語彙力豊かに書き綴り、イメージを感じさせる文章に圧倒された。
図に乗るではないと言われそうだが、なんだかバッハは自分とダブってきた。あくまでうさとさんの文章を読んで自分が創造する馬鹿なバッハだが。
私は音楽には、かな~り疎い人間です。
左耳が聞こえないというハンデもその理由でもありますが、
でも、音楽は無条件に好きです。
ただ、曲のタイトルだとか覚えない方ですわ^^::
「クイズドレミファ、ドン♪」には出場できない輩です。
先ほどは、ブックマークの件
ご快諾頂きありがとうございます。
たま~に、寄らせて頂きます。^^
ありがとうございます。
バッハではないですが、是非うさとさんに聞いてもらいたい曲が頭に思い浮かびました。
ご存知ですか?
「天使たちのシーン」小沢健二
1つにはチェンバロという鍵盤楽器の特性もあるんじゃないかと、即物的な猫わんは想像したりします。チェンバロはピアノと違って強弱の表現が出来ないらしいでのす。
ちなみにピアノという名称は略語で、ピアノ・デ・フォルテと言うのが意味として正しいようです。弱い音から強い音まで出せるよ、という意味が含まれています。もっと厳密にはクラビ・チェンバロ・ピアノ・デ・フォルテと言うらしいです。強い音から弱い音までカバーしたチェンバロ様の鍵盤楽器という意味になります。
もちろんバッハの時代にも弦楽器や管楽器など強弱を出せる楽器はあったはずですが、バッハの専門が鍵盤だったのかな。あるいは、作曲という作業はメロディーだけでは出来ないので、和音も同時に鳴らせる鍵盤楽器が必須だった。しかし当時の鍵盤(チェンバロ)は一定の音量しか出なかったため、あのような無機質で禁欲的な音楽が出来上がったと、そんな風に想像しています。
バロックに詳しい人が読んだら笑いたくなるコメントかもしれませんね。
そんな僕ですが、たまにバッハの曲を聴きたくなるときあります。だけど、良いCDを持ってないんですよね。間違って買ったのを1枚、これはシンセサイザーでバッハの曲を弾いています。1回しか聴いてないのに、未だに手元にあります。
あ、そういえばトッカータとフーガは嫁はんが持ってます。彼女はこの曲のことを「鼻から牛乳」と呼んでました。理由は不明です。
アナログLPいいですね。高校のとき中古レコード屋でモーツァルトのレクイエムを買い、ほんとに何度も聴きました。そこから聴こえてくるようでした。けんちゃんがバッハか、何を追い求める?
>happyさん
わたしも題名が覚えられません。とりあえず、フンフンといって、人にわかってもらいます。でも、きっとそんなん、楽しめばいいんですって。素敵なコメントのbookmarkありがとうございます。
>そうみやさん
こちらこそ、そういっていただけると、一番うれしい、そういうことが言いたかったんだと思います。ありがとう。
オザケンですね。聴いたことあったかなぁ?今度聞かせてください。
>猫わんさん
大作ですね。どこから調べてくるんですか?前の医療系といい、すごい知識量!!わたしのは、知識なしの過剰感情移入から来たもんですから、その知識は驚きでする。あ、わたしにもひとつわかることがあった。鼻から牛乳をチャラリーで歌っている芸人がいたね。
禁欲もよいですよ、極めれば極楽です。
そうですね。禁欲の快感、わかります。
お勧めのアルバム等ありましたら教えてください。
バッハCD1枚は押さえておきたいので。。。
ブランデンブルグ協奏曲とか、いいねぇ~。
絹糸が絡み合いながら、いつしか1枚の布が折り上がっていくような、旋律のゆらぎに体を任せてみたいですね。
しかしさすがにうさとさんですねぇ。感性を文字で表現するとこうなる!みたいな感じですよね。最後まで読まされたって感じがしました。
>猫わんさん
今度、その知識の源泉を教えてください。弟子入りしたいくらいです。わたしのは感情先行なんで、とっても興味深かったです。長いですが、マタイ受難曲いいと思います。>>絹糸が絡み合いながら、いつしか1枚の布が折り上がっていくような、旋律のゆらぎに体を任せてみたいですね。>>美しい表現ですね。バッハのようです。
>あきちゃん
多分、わたしのほうがずっと門外漢です。>>20台半ばでレーサー(東日本のダートチャンピオン)でステレオマニアの方(今は家業を継いで社長)と出会いステレオの面白さの手ほどきを受けました >>贅沢なお話です。あきちゃんの交友関係って羨ましいです。交友は財産です。それがあきちゃんを支えてるんですね。最後まで読んでいただけて、よかったです。
崇高なものを求めながら現状をしっかり見据えそこからこつこつと絶え間ない努力を重ねていくことの大切さをうさとさんの記事を通してバッハに学ばせて頂きました。
本当に貴方の文章は描写がすごいですね、まるで映像が目前にあるように思えてきます。
わたしもがんばります。