あと少しで、わたしのともだちMDBちゃんの誕生日だ。MDBちゃんとわたしは大学時代同じサークルに入っていた。大学を出て何年かの間ほとんど会うことはなかったし、彼女は遠くに住むことになり、音信も途絶えがちだった。しかし、数年前MDBちゃんは大学のある街に帰ってきた。久しぶりに会うことになり、二人でわたしたちがともに過ごした大学や周りの街を歩いてみた。「お帰りツアー」というわけだ。わたしも大学の中を歩くのは卒業以来初めてで、変わらない景色、新しく建設された学部棟などを二人で回った。そして、それまでのことをそれぞれに話した。なんだかよくわからないけれど、二人で泣きながら話した。「大学出てから、何やってきたんだろう、わたし。ばっかみたい」少なくともわたしはそう思えて、泣けた。MDBちゃんにとって、それまでの日々がどんなものだったかは彼女の話の中だけからしかわからないが、彼女もそんなに上手ではない生き方をしてきたみたいだ。MDBちゃんもわたしも一人っ子で、しっかりしたお子さんとして育ってきた。学校の係りも嫌がらず引き受けた。甘えず、頼らず、手を抜かずに誠実に努力することが大事だと信じてきた。周りからは危なげなくマイペースで、すいすいと世の中を渡っているように見えることだろう。実際MDBちゃんは資格をたくさん持つ「できる人」で、クールな上司だと思っている部下も少なからずいるだろう。東京まで出ていたら、全然違う人生が待っていたことだろう。そんなわたしたちが、「不器用な渡世をしている」と言っても人は取り合ってくれないだろうし、私自身、他人から「不器用な人ね」と言われたら、「あんたに言われたかないわ」と思うことだろう。でも、MDBちゃんといると、上手でない生き方をしていることを隠さなくってよくなる。「できる振り」も「できない振り」もしなくてよくなる。多分、どんなところでもMDBちゃんといるようにしているべきなんだろうけど、なかなかそれができなくって、いつも疲れ果ててしまう。
それ以来、仕事のついでがある折りごとに時々会っては二人でくだを巻いている。「ここまで生きてきてわかったことだけど、世の中の人は頼ったり、甘えたりしながら上手に折り合いをつけている。どうも、その方が、うまく生きていけるらしい。そんなことに気づかなかったわたしたちって、どうだろう。」って言いながら。MDBちゃんはわたしが会った人の中のベストに入るやさしい人だ。人を捨てることなく、人生を受け入れることのできる人だ。彼女に切り捨てられたと思う人がいるかもしれないが、それは違う。その人が彼女に捨てられる形を取らせているだけだと思う。でも、周りの人のどれだけがそれに気づいているんだろうか。
MDBちゃん、お誕生日おめでとう。また、一緒に飲もう。
それ以来、仕事のついでがある折りごとに時々会っては二人でくだを巻いている。「ここまで生きてきてわかったことだけど、世の中の人は頼ったり、甘えたりしながら上手に折り合いをつけている。どうも、その方が、うまく生きていけるらしい。そんなことに気づかなかったわたしたちって、どうだろう。」って言いながら。MDBちゃんはわたしが会った人の中のベストに入るやさしい人だ。人を捨てることなく、人生を受け入れることのできる人だ。彼女に切り捨てられたと思う人がいるかもしれないが、それは違う。その人が彼女に捨てられる形を取らせているだけだと思う。でも、周りの人のどれだけがそれに気づいているんだろうか。
MDBちゃん、お誕生日おめでとう。また、一緒に飲もう。
私も今日誕生日なんです!へたくそなりに、私も頑張って生きていこうと改めて思います。 今日の写真の絵皿、色もデザインも素敵ですね!
古い友達って、何もいわなくってもわかる何かがあるように思います。発想のパターンとかがわかっているし、人間としてサラ(未開発?)な状況で出会っているからかもしれないです。それに比べると大人になってからはどうしても、社会的立場とか背負って出会うことが多くて、それが「振り」につながるのかもしれません。ちょっと同志みたいなとかがあるのかな。
mikitanにとって、すばらしい1年となりますように。
>人には迷惑を掛けるものだし、人から迷惑を掛けられることもある
トンチンカンじゃないです。そのとおりです。人の世の中はそうやってできています。だから、鷹揚な心が必要なのに、せっかちな私は、心の中では、多少のことにも目くじらを立ててるんですよね。どうも、人との「間合い」の取り方がよくわかってないんじゃないかと思います。まだまだ修行が足りませぬ。
じっくり豆でも仕込んでみるか。