tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

政府はコロナから教訓を得たのか?

2021年08月31日 20時39分21秒 | 政治
コロナ問題が終わったわけではありませんから、こんな事を書くのは早すぎるのかもしれません。

しかし、コロナ問題が始まってから、既に1年半を超えています。ところがここへ来て、自民総裁選と総選挙です。コロナに責任を持つべき政権がどうなるか解りませんが、政策も迷走しているうちに2年近い月日がたつことになります。

この2年に近い結構長い月日を振り返れば、最初の緊急事態宣言は成功した部類でしょう。これは国民が真面目に政府の言う事を聞いたからでした。

しかしその後政府のやったことは、コロナを甘く見てのGoToによる経済対策でした。

多くの国民は、みんなが家の中に4月、5月の2か月間蟄居していたから感染者数が一桁になったので、「もう出歩いてもいいよ」と言われてその通りすれば、また感染者が増えるのではないかという危惧を感じていました。

しかし、政府が「大丈夫、コロナを心配するより景気が大事」とおっしゃるので、「そうかもういいのか」半信半疑で、出歩いたところ、やっぱり大変なことに以なり、年が明ければまた緊急事態宣言になりました。

それでも政府は、GoToで感染者が増えたのは数十人か100人程度などと2回目の緊急事態宣言の直前まで言っていました。

その後は、緊急事態宣言や蔓延防止措置の繰り返しで、アメリカからワクチンが来るからそれで何とかなる。東京五輪も実施可能、観客も入れるようにしたいなどと「とらぬ狸の皮算用」をしていましたが、そう甘くはありませんでした。

大分遅れてワクチンが来たので、「1日100万回打て」と檄を飛ばし、東京五輪に間に合うかと思ったのかもしれませんが、途端にワクチンは不足で職域や学校、大規模接種会場は縮小や休止になりました。

結局、東京五輪は無観客となりましたが、日本選手の活躍で多少の盛り上がりはあり、バッハ会長から表彰状も貰えて気をよくし、パラリンピックは、小学生などの教育のために観戦させる事にした途端、引率教員が感染したりで、無観客になりました。

パラリンピックは今日も進行中で、選手は頑張っていますが、会場の外の社会ではデルタ株が猛威を振るい、感染者は激増、特に若者の感染や重症化、死亡例も出て、自慢の医療は崩壊状態、コロナに感染しても入院できず、自宅療養を強いられ、家族感染、単身者の自宅孤独死がニュースになったりしています。

政府は9月末が迫り、自民党は総裁選のドロドロ、コロナと政局どちらが本気と言えば、誰にもよく解りません。

この1年半余の経験を振り返りますと、経験に学んだのは、ワクチンから置き去りにされた若年層でしょうか。デルタ株の怖さを実感し、外出も減り、ワクチン接種希望者が長蛇の列という事ぐらいでしょうか。日本の若者は結構真面目なのです。

政府はGoToこそ言わなくなりましたが、総理は自民党に経済対策作りを命じ、何かまた、コロナ対策と景気浮揚の虻蜂取らずが心配されそうです。

こんな状態で、誰か日本の中に、この「酷い経験」を確り認識し、今後の日本のために本気で生かそうとしている人がいるのでしょうか。

いるとすれば、恐らく感染症対策の専門家の方がたかもしれません。次期政権がどうなるか知りませんが、政治家、就中、国のりーだーにも、根拠のない楽観論を言うのではなく、経験に真摯に学ぶ人が出て来てほしいと思いますが、この願いは叶うでしょうか。

習近平、鄧小平理論を持ち出す

2021年08月30日 17時45分07秒 | 文化社会
近ごろ、愛国心を強調して民心を引き締めている習近平さんが、鄧小平理論を持ち出して、国民の全体に豊かさを行き渡らせる方向(共同富裕)を打ち出したようです。

このブログでは、人間は、基本的に「豊かさ」を求めるもので、更に豊かさともに「快適さ」も求める段階に進んでいくという仮定を置いています。
SDGsなども、それを実現するための条件と考えることが出来るのではないでしょうか。

共産主義はもともと平等を大切にするために自由を制限するという考え方を持つものですが、鄧小平理論は、先に豊かになる人がいてもいいではないかと先ず考えます(改革解放)。
豊かな人が増えれば、その人達が、豊かでない人を助ければ、それで豊かさは均霑していく(共同富裕)。まず豊かな人が出てこないと、豊かさは生まれないといったものでしょう。

これは、共産主義が、平等を重視しすぎた結果、豊かさを追求する自由を働かせる余地が狭まり、経済そのものが発展しなくなってしまっている事への反省だったのでしょう。

この鄧小平理論は大当たりで、その後の中国の経済成長の目覚ましさは皆様ご承知の通りです。

しかし今ではその結果、中国内の貧富の格差は巨大になり、この格差社会化が社会の不安定をもたらす要因になって来ているという事でしょう。

そこで、鄧小平理論の第一段階の、豊かになれる人たちが大いに活躍し、中国経済を世界第二の経済大国になるまでに豊かにしたその成果を刈り取った習近平は、今度はその豊かさを豊かになっていない人達に均霑させようという第2段階(共同富裕)に進むことを考えているのでしょう。

考えてみれば、これは極めてまともなことで、西欧自由主義社会が(まさにピケティが言うように)格差拡大で行き詰まる過程で、社会保障という考え方が広まり、労働運動や社会主義運動などが生まれ、「揺り籠から墓場まで」といわれたイギリスの社会保障制度や、北欧各国の福祉国家が生まれるプロセスと同一のものでしょう。

ただ違うのは、西欧型のそうした経済・社会政策の進化は、民主主義という政治形態のもとで、政権交代を繰りかえしながら進化していったものです。
しかし、中国の場合は、共産党一党独裁ですから、指導者が、そう考えるだけでその進化は可能になります。

その点は簡単で大変やり易いわけで、国会での論争や、選挙戦などは必要なく、指導者の気持ちひとつで、極めて効率的に出来るのでしょう。
しかも、すでにいろいろな国の歴史が先例をいっぱい作ってくれていますから、行先はよく解っているという「地図完備」で「ナビつき」の進路を進めばいいのです。

そうした意味で大成功を収めた例は共産主義国家ではありませんが、シンガポールでしょう。的確に方向を見定め抜群の効率で進化を進め、今や1人当たり国民総所得では日本の1.4倍です。

中国の場合は国が巨大なのと、共産党一党独裁の形で覇権国家を目指すという意識を習近平さんが個人的以お持ちのようですから、そのあたりが上述の好条件をいかに利用し、その先にさらに何を目標にするかが、外からは読めないという点があります。

豊かさの配分の仕方についても、税制、社会保障政策による再配分に加えて、寄付社会の構想もあると聞きますが、習近平さんの肚の内は奈辺にあるのでしょう。

高齢化する人口14億人の国の社会保障問題などというと気が遠くなりそうですが、中国が良い国になってくれることを願うばかりです。

自由世界はアフガニスタンを育てられるか

2021年08月28日 14時14分50秒 | 国際関係
1973年のクーデターによる王制廃止、1979年のソ連侵攻以来、混乱を繰り返し、ISの拠点とされたりしていたアフガニスタンが、新しい国造りを始めることになりました。

政権を握ったのは、どちらかというと悪名の方が高かったタリバンです。イスラム教を奉じ、偶像崇拝を禁じるところから、2001年にはバーミヤンの大仏を破壊したり、イスラム原理主義のISを匿ったりといったニュースは世界に行き渡っています。

しかし今回、米軍撤退を機に一気に政権を握ったタリバンは、積極的に柔軟な姿勢をみせようとしているようです。

イスラム教の範囲内でといった表現はついていますが、イスラム教を奉ずる国はたくさんありますし、女性の権利や、種々の差別などについても、ソフトなイメージを打ち出そうという意識も持っている事は何となく感じられるところです。

タリバンにしてみても、単なる反抗勢力ではなく、一国の統治を、責任を持ってやらなければならない立場になってみれば、国内の平和、平穏を維持し、国連にも加盟し、経済発展のためには、先進諸国の協力をえなければならないということになれば、今までと違った、リーダーとしての責任を感じなければならないでしょう。

マスコミの報道からすれば、そうした意識は持っていると感じる方も多いと思いますが、同時に今迄の行動の在り方から見て、危惧を持つ国や人々も少なくないでしょう。

物事は総て、初めが肝心といわれますが、出来ることなら、この際、自由世界は、アフガニスタンを早期によい国に育てられるような積極的な政策を持つべきではないでしょうか。

日本が太平洋戦争で敗戦し、それまでの富国強兵、勢力版図拡張を目指す軍国主義から、平和を目指し、文化国家、科学技術立国を目指し、経済発展を政策目標とする国となる様、日本を指導し、支援し、協力してくれたのはアメリカでした。

今、アメリカは従来の政策に絡んで大変難しい立場にあるのかも知れませんが、多分バイデン政権はその辺はよく解っているのでしょう。

日本には、中村哲さんのような方が居られ、一民間人でありながら、アフガニスタンには大きな貢献をされ、タリバンも、中村さんには全く手を出さなかったという経緯もあります。(中村さんのペシャワール会は、既に現地で、活動徐々に再開とのことです。)

自由主義圏諸国や国連が、アフガニスタンの再建に向かって、良い国になるよう、優しく育てることに成功することを願っているところです。

このところ、世界中で、いろいろな形での紛争が多くなっています。政権がが独裁化する傾向も、あちこちで見られるような気もします。

ここは、民主主義、自由経済の国々が、国連を中心に十分に思慮深く、これからの世界の良き歴史づくりのために賢明な行動をしていくことが大切なのではないでしょうか。
アフガニスタンの現状はまさにそのチャレンジの第一歩になりうるように思われます。

総理記者会見で2人並ぶのはなぜ?

2021年08月26日 12時02分33秒 | 政治
こんな事を改めて書くのは何か変ですが、やっぱり気になっているので、何方か教えて頂けると 有難いという事も含めて書いています。

総理大臣の記者会見という事で、コロナの新政策が出るたびに記者会見をやっているのですが、何時も、コロナ対策分科会の尾身会長が並んで会見をされます。

尾身会長は、政府の諮問を受けて、政府に答申するのがお仕事で、政府はそれを受けて、多分それを参考にしたうえで政策を決め、その政策を周知するために記者会見を開くのでしょう。

とすれば、政府の政策は政府が決めたもので、尾身会長の役割は総理に答申したところで終わっていて、それからは総理が「政府の方針」を発表し説明するので、分科会の尾身会長が(後見人のように?)記者会見に並ぶのはどうも筋違いの様に感じられます。

ところが、総理はご自分で政策の説明をされ、そこまではいいのですが、続いて尾身会長に目配せをし、何か説明せよと促します。
尾身会長が官僚であれば、それもあるかと思いますが、尾身会長がご自分の意見を述べるのであれば、総理記者会見とは別に分科会会長としての記者会見をやるのが筋でしょう。

そこでは、多分、答申をよく取り入れてくれたとか、この点は無視されたとか、こういう理由でこのように答申した、といったになるのでしょう。

それならそれはそれなり国民に伝える意味は十分あるでしょう。総理に促されて、総理の発言を補完するような形で並んで記者会見というのは、どういう趣旨なのかわからないのです。

事情をご存知の方が居られましたら、是非、お教えいただければ幸甚です。

コロナ・ワクチン開発:台湾と日本

2021年08月25日 16時25分45秒 | 政治
台湾が、新型コロナのワクチンを開発したという報道に驚きました。しかも、蔡英文総統が接種第1号という報道にはその気迫にさらに驚きました。

このブログでは、日本がワクチン後進国になってしまったことを嘆き、何故日本政府は国産ワクチン開発に一言も触れずに米国産ワクチンの確保しか考えないのか疑問を呈して来ました。

日本でも、アンジェスは大阪大学、宝バイオとともに、一生懸命コロナワクチン開発に努力していますし、塩野義製薬も、飲むコロナワクチンの開発を進めています。

治療薬としては、ノーベル賞の大村智博士開発のイベルメクチン(本来駆虫薬ですが) がコロナの予防や感染初期に効果があると世界的に指摘されています。
トランプ前大統領が治療に活用した抗体カクテルも中外製薬が積極的に手掛けています。

もうすぐ2年になろうというコロナ問題について、日本政府の対応は何事も「後手、後手」に回っていると言われますが、ワクチンだけでなくいまだに自宅や個室療養の方は、薬もなく、たよりは自分の回復力だけ、といった状態が多いようです。

アストラゼネカ社などは日本政府より目が早く、今年1月には、兵庫のJPCファーマにワクチンの委託製造を依頼しています。政府はあわてて補助金を出したようです。
しかし政府は、そのワクチンを使わず、台湾や、ベトナムに提供していました。

その台湾が、自国産のワクチンの生産に成功したのです。日本人の誰もが、「一体日本の政府は何をしていたんだ。日本では出来ないと勝手に決めていたのか」と感じたのは当然でしょう。

新らしい薬の開発は容易ではないと聞きます。しか誌今回のコロナ禍の様な場合、克服の決め手になるワクチンについて、国産を考えずに、外国にのみ依存するとおいう方針を、どこでどう決めたのか知りませんが、そんなことで一国の運営が務まるものでしょうか。

特に、薬の場合は政府の許認可が決め手になります。もちろん政府からの補助金、出資の如何も開発のスピードに大きく影響するでしょう。
今回のパンデミックのような場合には、急ぐことが最大の効果という面もあるでしょう。

その点では、アメリカの例を見ても、我々が政府の指示で接種を受けたファイザーのワクチンが米国FDAで正式に承認されたのは一昨日の8月23日です。
我々は承認以前のワクチンを打っていたのですが、承認を待っていたら、感染者も死者も大幅に増えていたでしょう。まさに早い事が大切なアメリカの決断に従ったのです。

医療関係の専門家会議は作りましたが、ワクチン開発についての産学協同の専門家会議も、コロナ問題の初期の段階で必要だったのでしょう。

全てに後手の日本政府のコロナ対策の中で、最も遅れているのがこの辺りではないでしょうか。国難には、挙国一致の体制が必要なのです。

リーダーには「先見性と洞察力」が必要とは、いつも言われることです。このブログでもそれは繰り返し触れています。
今のコロナ禍、緊急事態宣言を現実んい後れを取りながら小出しに追加していくような政府は、どんな先見性、どんな洞察力を持っているのでしょうか。
これでは、真面目に政府についていく国民があまりに可哀想ではないでしょうか。

「豊かで快適な生活」のために政治、宗教が出来る事(試論)

2021年08月23日 16時11分19秒 | 文化社会
過去2回ほど書いてきたものの纏めを今回は試みてみます。
現代社会は、やっぱり「より豊かでより快適な」人間生活を求めて動いているようです。

政府(政治)は、毎年の経済成長、より少ない失業率といったものを目標にします。
宗教は物欲よりも、心の安らかさを教えますから「快適さ」は自分の心の中にあるというのかもしれませんが、通常の人間はそれだけでは満たされないでしょう。(物質的なものも必要)

そうした現代社会の中で、まず政治の役割と考えてみますと、「平和、経済成長、雇用の安定、格差社会化防止」といったことが挙げられてくるのではないでしょうか。

民主主義社会では、政府がそれに失敗すると、通常、政権交代が起き、新しい政府が頑張り、然し失敗することもあり、また政権交代というのが一般的です。選挙というシステムで、国民の意思による選択が可能になっているのです

政治でも独裁政治下では政権交代が起きませんから、独裁者の意思で社会が動くことになります。
独裁者は宗教を嫌います。共産主義も宗教は禁止です。これは多分、共産主義が宗教の性格を併せ持っているという事でしょう。

宗教は元々偏狭なもので、異教徒とは相容れないのです。しかし世の中が進化してきますと、宗教も次第に寛容(柔軟)になり、異教徒との共存が可能になるようです。
この辺りは一神教と多神教では多少違いもあるのかもしれません。

独裁主義・専制政治と宗教とは、教祖(独裁者)の価値体系のみを認めさせるという意味で、国民や信者の人間としての思考や行動の範囲を限定してしまうという点で似ています。
こうした環境の中では、人間の最高次の欲求である「自己実現」は不可能になってしまい、「豊かで快適」ではなくなってくるようです。

こんな風に考えて来ますと「より豊かでより快適な」社会の実現のために適切な政治や宗教はどんなものかといった問題の解答へのヒントが出て来るような気がします。

恐らくその回答は、決して難しいものではなく、人間なら誰でも分かるうな簡単なものだと感じています。

試論の結論として、並べてみますと、多分こんな事になるのではないでしょうか。

政治について見れば、
特定のイデオロギーを掲げて、あるいは特定の宗教を掲げて、その価値体系を良しとし、それ以外の価値体系を否定するような政治は、何時かは行き詰まることになり、社会の進歩、国民生活を国民の望む「豊かで快適」なものにするために効率的に機能することはない。より柔軟で、幅の広い選択肢を許容するものが望まれる。

宗教について見れば、それぞれに特定の神を崇めるものであるから、世界には多くの神が存在する。あなたの神と私の神は違うけれども、異教に対しお互いに寛容になる必要がある。
出来れば、世界中にある神々は、宇宙全体から見れば、同じ創造主ではないか、と考えてみる。(日本では神道と、仏教の 習合が行われている)

こんなことになれば、人類社会の「豊かさ、快適さ」を一層進歩させるために、色々と都合よくなるのではないでしょうか。それなのに今の世界では必ずしもそうなっていません。独裁政治を良しとする国があり、特定の宗教を強制する国もあります。

「豊かで快適な」社会を求める地球人類は、こうした状態を、より良い方向に持っていくために、もっともっと知恵を絞らなければならないのでしょう。

最後に政治について蛇足を付け加えます。
民主主義というのは、特定の政治の型ではなく、逆に、「型が決まっていないからどんな型にもなり得る」という政治形態といいう事ではないでしょうか。
例えていえば、血液型の「0型」=特定の型の特徴がないから「0(ゼロ)型」みたいなものです。 

民主主義国には、徹底した自由経済の国から社会主義的な福祉国家まであります。(例えればアメリカ型から北欧型まで)
選挙の結果によっては、右翼独裁や左翼独裁の政権を作ることもあります。(程度の違いはありますが、ヒトラーのドイツ、トランプのアメリカ、安倍・菅政権の日本・・・)

しかし一度本格的な独裁政権になってしまいますと、民主主義に戻すのは大変ですから、通常はその前に、民主主義の範囲にとどまるような政権交代を選挙によって行うように国民は考えるのでしょう。

人間は多様ですから、多様性の共存を認めるような柔軟性を持つ政治形態でないと「豊かで快適な」社会は永続しないのです。
民主主義はその意味で、現状では最も健全な政治システムなのでしょう。独裁政権の中で育ち大統領にまでなったゴルバチョフさんの意見は大切のように思う所です。

人類社会の進化と政治、宗教、経済

2021年08月22日 10時49分14秒 | 文化社会
30万年ほど前でしょうか、アフリカでホモサピエンスが、生物の進化の結果として、生まれました。
Social animal、社会的動物と言われるホモサピエンスは、次第に社会をつくるようになったのでしょう。

ホモサピエンスの一部は10万年ぐらい前にアフリカから出て数万年のうちに世界中に広がったと考えられています。

そした人々、多分、採集や狩猟で木の実や動物を求めて移動した人たちがまず求めていたのは、A.マズローの欲求五段解説になぞられれば、まずは、生理的欲求、そして安全欲求というより低次欲求段階に加え、人間らしい好奇心や冒険心(より高次な欲求)㋾もって世界に広がったのでしょう。

しかし、世界の至る所に分布した人たちはさらに上位な欲求である社会的欲求、承認の欲求、更には自己実現欲求を 強く感じて人間社会を進化させ、現在の高度な文明社会を作り上げたのでしょう。

その人類が10万年前には想像もつかにない現在の高度な文明社会を作り上げたのです。A.マズローはこれを人間がより高次は欲求を持っていたからと説明しています。
社会的動物と言われる人間はより高次な社会的欲求で人間集団(社会)を作り、その中で承認欲求、更に自己実現欲求というより高次の欲求の従った結果でしょう。

ところで、こうした欲求を人間が持つのは、欲求を感じさせる「目標」がなければならないでしょう。「こんな社会でこんな成果を得たい」という事でしょうか。

ならば、その目標は何でしょうか。先ずは豊かさだったでしょうが、更にそれに「快適さ」を加えて「豊かで快適な社会」と考え、それは今に続いているようです。

ここで標記の命題に戻りましと、誰にも「豊かで快適」と感じられるような社会を作るために、政治、宗教、経済の、3つの検討の要素における体制がどうであれば最も合理的か(便利か)という事になるのが現実のようです。

第1番目の要素の政治は、今、はっきり意見が分かれています。バイデンさんも指摘していますように、民主主義と専制主義(独裁主義)が対峙して競争(バイデン用語)の状態にあります(争いや戦いは良くないです)。では、
そのどちらが人々の「豊かさと快適さ」をより充実させるかが問題です。

ゴルバチョフさんはソヴィエトの大統領として、自らの経験に照らし民主主義を選択すべしと言っています。
それに対して、習近平さんは、中国が発展していくためには、共産党一党独裁でなければならないと言っています。結論はまだのようです

第2番目の要素は宗教です。
宗教は時に頑なですが、時に柔軟で、キリスト教は、より豊かな経済のために宗教革命を活用し、カトリックでは認められなかった金利をプロテスタンティズムで認めるという変化(進化)をしています。

第3番目の要素の経済ですが、人間の「豊かで快適な生活」を直接支えるのが経済です。
ならば政治や宗教は、それぞれに人類社会の安定と発展のためになすべきやくわりをはたしながら、それが人間(国民)の「豊かで快適な生活」という目的と矛盾しないことが大事になっているという事でしょう。 
 もう少し論じなければならないのですが、長くなりますので次回にします。

共産主義の独裁主義化は必然か

2021年08月20日 16時06分12秒 | 文化社会
最近ゴルバチョフさん(90歳)が、声明を発表して、 
ソ連の改革を目指して推進した「改革路線」は正しかったと述べ、(プーチン政権に対しては、名指しは避けつつ)ロシアの発展には、民主主義こそが正しい道と言っているとのことです。

このブログでは、歴史的にみると、共産主義は必然的に独裁主義に陥っていると指摘してきていますが、共産主義国でも、独裁主義に陥らないという事も可能なのかという問題は残っているように思います。

この問題とは一見関係無いようにも思えますが、政治と宗教を分ける政教分離が世界では進んできています。

日本も1945年までは、皇国史観で国民は天皇の赤子(せきし)と神道で国をまとめ、独裁政治をやっていました。
共産主義というのも、人間の思考構造としては宗教と同じで、しかし宗教を否定する宗教でしょうか。

皇国史観や、共産主義の場合は「信奉」という言葉が使われ、宗教の場合には「信仰」という言葉が使われるようですが、いずれにしてもそれ以外の価値観は排除する、あるいは認めたくないというところは同じでしょう。
そういう意味では、リーダーの個人崇拝や、独裁主義が出来やすいと言えるような気がします。しかし権力は腐敗するという事もよく言われます。

共産主義国でも、独裁政権はまずいと気づいていて、国のトップは二選までとか決めているようです。中国も、毛沢東の経緯に学び、二選までとしているようです。
しかしプーチンはそれを撤廃したようで、習近平さんも、今度三選をどうするか世界が注視しているようです。(安倍さんもやりましたね)

ところで、中国では、鄧小平が共産主義の中でも、土地所有を認めて(資本の私有を認め)経済に関する管理の部分を自由化する政策を取り、「社会主義市場経済」と名付けました。

そのおかげで、中国経済は大発展し、世界第2の経済大国になった訳です。しかし、政治は社会主義(共産主義)にしておいた方が国として健全という考え方なのでしょう。共産党一党独裁は変わりません

民主主義にすると、巨大な国ですから統一が取れなくなることを懸念するのは当然かもしれません。

ベトナムなども、ドイモイ政策は基本的には同じで、経済の発展は著しいというのが現実でしょう。

という事で、政治的には一党独裁、経済的には、自由経済の利点を活用するという方法の成功例はあるのですが、これは、本当は、本来の共産主義とは違うものでしょう。
共産は「資産が共有」という事でしょうから、中国もベトナムも社会主義であっても「共産」ではないという事になりそうです。(日本語がいけないのかな)

ところで、この、経済は自由経済、政治、社会構造は共産主義という手法が、今後どうなるのかという問題です。
これは永続しうるものでしょうか。民主主義・自由経済への過渡的なものでしょうか。

これは「政教分離」ならぬ「政経分離」ですから、広く考ええれば、政治、宗教、経済、という3者が、人類社会の発展の中でどんな役割を果たしてきたかという歴史の延長線上で、大変難しい問題のようです。(参考:マックス・ウェーバーの理論)

そういえば、日本共産党は「共産」という言葉を使っていますが、財産の共有も、独裁主義も認めていないようですから、もう少し親しみ易い名前の方がいいのではないかなど思ったりするところです。(年寄りに多い余計なお世話ですね)

ギボウシが良く咲いてくれました

2021年08月19日 16時14分09秒 | 環境
我家の裏の狭い所にずっと以前家内がギボウシを植えました。

後からそこに小さな木ですが、真っ赤な花のツバキを植えて、寒い時期にも花が咲いて良いねなどと言っていました。

ところで、子供たちは皆いなくなり。今や老夫婦2人だけになって、狭い裏に行く事もあまりなくなり雑草だらけになってしまっています。

偶々今日は晴天なので、風呂場の窓をあけてみますと、真白の咲き乱れる花が目に入りました。白いギボウシでした。





こんなに良く咲くのかなと思って見ましたが、そうです、昨年、伸びてきたツバキの若葉にチャドクガが大発生、ご近所に迷惑がかからないようにと思い切って伐ってしまっていたのです。

今年はギボウシの天下ですから、思う存分咲いたのでしょう。

あのあたりの雑草も何とかしなければと思っているのですが、家内に、
「熱中症になりますよ」
「病院は満員ですよ」
と脅かされて、もう少し涼しくなってからという事にしています。

中村哲さんに生きていてほしかった

2021年08月18日 21時07分35秒 | 国際関係
中村哲さんは一昨年の12月、アフガニスタンでパキスタン系のテロ組織の銃撃を受け亡くなったと報道されました。そのニュースを聞き、そんな不条理なことがと思いました。

アフガニスタンで医療から始まり、潅漑、農業開発と日本政府でもできないような大変な貢献を、日本人として、個人の創意と努力でやっておられた中村さんがテロの凶弾に倒れたことは、日本にとって、大きな、大きな損失だったと思ったのです。

ソ連のアフガニスタン侵攻から始まって、東西対立という背景の中で、穏やかな王政の国から内戦の国になり、テロ組織との関連も言われる中で、一貫して現地の人々が安心して日々の生活を送れるように、医療から始まり、食糧がなければ健康な生活はできないと、潅漑から農業の振興まで、この地域では、アフガニスタンの生活が変わったと言われるほどの活動をされていたことは多くの人の知るところでした。

中村さんは、常に、タリバンだって、こんなに綺麗になった農地に銃弾を撃ち込むようなことはしませんよ、と言っておられたとのことですが、タリバンからも厚い信用を得ていたのでしょう。

中村さんの棺をガニ大統領もかついで感謝の意を示した写真を見ましたが、敵対する政府とタリバンの双方から、絶大の感謝と信頼を得ていた中村さんが、その、アフガニスタンの人々のためという純粋な気持ちで、もし今、アフガニスタン情勢が全く新しい段階を迎えた今です、あのままお元気で活動を続けておられたら、今後のアフガニスタンと日本の関係にどれだけ大きな財産になったか、本当に残念でなりません。

生前、中村さんは、日本が、海外派兵などの面で、「絶対に戦争はしない国」というイメージを薄れさせて来ていることが、何となく身の危険を感じさせるような気がしていると漏らしておられたとのことですが、あの時、それが現実になったのです。

嘗て、バングラデシュで、現地で食事中の日本企業の人達がISに襲われて殺害されました
その事件はこのブログでも取り上げましたが、「日本は戦争をしない国」、まさに人(畜)無害で、いろいろと役に立ってくれるのが日本人、というイメージを薄れさせた責任をとるべきは誰なのでしょうか。

アフガニスタンが、何とか良い国に生まれ変わってほしいと世界が思っている今、中村さんが生きておられたら、いかにこれからも日本への信頼の確立に貢献できたかを考え、言いようのない喪失感に駆られるというのが今の心境です。 (合掌)

2021年4-6月GDPをどう読むか

2021年08月17日 15時34分33秒 | 経済
昨日、標記の四半期のGDP第1次速報が発表になりました。

マスコミでは、対前期比の伸び率を中心に、前期比伸び率は実質値で、0.3%、年率に換算して1.3%で、前期のマイナス0.9%からは回復したものの、そのペースは極めて遅く、諸外国が発表している急速な回復に比べても遅々としており、コロナ禍からの回復には遅れが予想される、といったものです。

そしてその主因は、緊急事態宣言などの影響もあり、消費需要の回復が遅れている事で、企業の設備投資には回復がみられる、等となっています。
 
GDPの過去5四半期(2020年4-6月期~2021年4-6月期)の動きを見ますと

対前期比(%)   -7.9  5.3  2.8  -0.9  0.3      
対前年同期比(%) -10.1 -5.6  -1.0  -1.3  7.5

となっていて、前期比では上がったり下がったりで、GoToの実施や、緊急事態宣言によって上下しています。

一方、対前年同期比では昨年の4-6月は最初の緊急事態宣言で、前年比は1割強も下がり、その後、コロナ馴れもあるのでしょうか、下げ幅は徐々に縮小しています。そしてこの4-6月に至り7.5%という大幅な上昇に転じています。

勿論これは昨年の4月の大幅低下を反映しているわけですから、一昨年4-6月(コロナ前)に比べれば昨年10.1%下げましたが、今年はマイナス3.4%程度の水準にまで回復したという事です

そこで、マスコミの言う消費の回復が弱いという点ですが、上と同じことを、家計最終消費支出で見てみます。

対前期比      -8.6  5.2  2.3  -1.0  0.9
対前年同期比   -11.8  -7.9  -2.7  -2.8  7.3

となっています。これで見ますと、家計最終支出(個人消費)も対前期比では、GDPと同様、上がったり下がったりです。

一方、対前年同期比で見ますと、第1回の緊急事態宣言で前年より11.8%落ち込みましたが、落ち込み幅は次第に縮まり、この4-6月は同じ緊急事態宣言(4回目)下ですが、2年連続下げはやめて、前年比7.3%の増加に転じ、一昨年の水準のマイナス5.4%まで回復したという事です(11.3%下がった所から7.3%上がった)。

この消費支出のプラス転換は、昨年も今年も緊急事態宣言下ですから、コロナ馴れ、巣篭り需要の進化と関係もありそうですが、実は毎月の家計調査からもはっきり見て取れるところです。

残念ながら、この個人消費増は、デルタ株による感染者の増加と似た動きで、この点は問題ですが、今後は、ワクチン接種の進展もあり、緊急事態宣言の拡大、延長との関係も当然ありうるわけで、それぞれの要素がどの程度の影響を持つかが鍵なのでしょう。

矢張り決め手はワクチンでしょうが、政府もこの辺りの読み違いをしないように、政策を綿密にし、国民に状況がよく解るような説明をお願いしたと思います。
コロナ征圧には、国民が、現状をよく理解して行動することが必須だからです。

2つの昭和、何が同じで何が違うか(続2)

2021年08月16日 17時32分01秒 | 文化社会
昭和の46年間を論じてきました。当初、昭和20年(1945年)以前の戦争の昭和とそれ以降の平和と経済成長の昭和(今はもう懐かしいレトロの昭和)を2回に分けてと思っていましたが戦後の昭和はやっぱり2つの違った時期があって、どうしても長くなるので、続と続2になりました。

続と続2の境は大阪万博の翌年、1971年(昭和46年)で、この年の8月15日、アメリカのニクソン大統領が基軸通貨ドルの金兌換を停止し、変動相場制になり、そのために世界経済の不安定化が進み、その荒波に翻弄される日本になったことによります。

具体的には、順調な成長期は終わり、2度の石油危機、更にプラザ合意による円高、バブル経済までで、その崩壊で平成長期不況に入る直前までという事になります。

前回の最後の部分で触れました石油危機は、前後2回、最初は昭和48年(1973年)の10月です。

石油の99.8%を輸入に頼るといわれた日本は大混乱、トイレットペーパーと洗剤が店頭から消えるパニックが起き、消費者物価は高騰、結果、翌昭和49年度の経済成長率はマイナス0.8%(実質)と戦後初のマイナスを記録したのです。49年の春闘は33%の賃上げとなり、消費者物価はピーク時には26%も上昇、急激なインフレの進行で、日本経済は潰れるといわれる危機状態になっています。

しかしこの時、日本の労使は賢明でした。翌50年春闘までの1年間分析と討議を重ね、インフレは、石油の値上がりのせいよりも、大幅の賃上げのせいであることを理解、賃金上昇を急速に抑制することで合意、経済を正常に戻しています。

そして昭和56から57年にかけて起きた第2次石油危機は、混乱もなく乗り切り、中成長、安定成長などと言われる安定した日本経済への回復を実現しています。

ここで指摘すべきは欧米主要先進国の状況です。アメリカを始めほとんどの国々は、石油価格の上昇から賃金コストインフレの誘発という状況を続け、当時先進国病といわれたスタグフレーションに陥って、その脱出には政権交代を要し、1990年前後までの長い時間がかかっています。

先進諸国の中で唯一スタグフレーションを回避した日本は、先進諸国から驚嘆の目で見られたようです。
ハーバード大のエズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書いたのが1979年、(昭和54年)日本が第一次オイルショックを克服し終わった年です。

アメリカが赤字国になり、ドルの金兌換を停止、変動相場制になって日本がまず経験した難関はこれでした。
日本は世界に類のない労使の協力という形で難関を乗りきり、戦後の高度成長の時と同ように先進諸国を驚かせることになりました。
真面目に頑張る日本人のエネルギーが、この成功を齎したのでしょう。付け加えれば、これはほとんどが民間の労使の力で、政府の役割は、側面援助程度でした

しかしこの成功は、昭和の日本に、次なる難関を齎したようです。

それは日本の突出に対する警戒感、特にアメリカにとっては、覇権国アメリカに追いつくことは阻止したいとする覇権国の本能のようなものでしょうか。
1985年、ニューヨークのプラザホテルのG5 において、日本は、円レートの切り上を要請されたのです。

ここでは、日米の「経済学の知識」の差が出たようです。日本は受け入れました。しかし変動相場制の中での受け入れは、円高の限度がどうなるかの十分な注意まではしなかったようです。

結果的に円レートは1ドル240円から2年後には120円と2倍に値上がりしたのです。
日本製品の価格は、外国では2倍なり、航空運賃や国際電話の料金は、日本から海外への場合は、海外から日本への場合の2倍の料金になりました。

石油危機の時は石油の値段は世界中で同じ値上がりでしたが、円高の場合はコスト高になるのは日本だけです。そして、これを克服するのは昭和を大きく過ぎてからになりました。

プラザ合意から昭和64年、平成元年(1989年)までは、日本は、アメリカの勧めに従って金融の大幅緩和をやり土地バブルを起こし、バブルの宴に酔い痴れていたのです。

終戦以降の昭和は、廃墟から出発、世界2位の経済大国になり、ニクソンショックまでは順調でした。
そしてその後の第一の試練だった石油危機は立派に乗り切ったものの、プラザ合意では経済学の知識の低さから鷹揚に円高を受け入れ、最後の4年間は、バブルの宴に酔い痴れていたのです。

後に待っていた平成不況は、これもアメリカ発の世界金融大惨事、いわゆる、いわゆるリーマンショックの影響も受け、2010年代まで続く長期不況でした。

黒いダイヤル電話機、白黒テレビ、たばこや塩の看板、満員の通勤電車、植木等のスーダラ節・・・などなどで、今や郷愁の対象となっているレトロの昭和の背景には、こうした日本経済の動きがあったのです。

そしてその前の戦争の昭和の20年、昭和は大きく2つの時代にまたがる、日本経済の大転換を歴史に記した時代だったのです。
この昭和の意義を、日本人はいつまでも大事にしなければならないのではないでしょうか。



2つの昭和、何が同じで何が違うか(続)

2021年08月15日 21時14分39秒 | 文化社会
1945年8月15日以前の昭和は、国民の巨大な犠牲の上に立って、軍閥が天皇を利用し、自分たちの勢力を世界に広げようという構想に支配されたものでした。
軍閥の指導部は、それが日本を一流国にするための必要条件と考えていたのでしょう。

この構想は敗戦で一挙に崩れ、その後の昭和は一時的に日本を占領したアメリカから民主主義と教わり、国民の意思によって国を作っているという日本になりました。

その後の44年は勿論失敗もありましたが成功した面が圧倒的に多く、日本は、一流国どころか、アメリカに次ぐ、世界第2の経済大国になったのです。
その中の庶民の哀歓が今、マスコミでいう「レトロな昭和」という事になるのでしょう。

戦後10年は、食糧難、国民皆空腹という廃墟からのたち上りでした。国民は真剣に復興に邁進しましたが、物不足需要超過の中で生産設備も無いのに政府はにカネばかり供給したのでインフレになるという失敗でした。

 インフレを抑えるために、アメリカの銀行家を呼んで教えを乞い、預金封鎖で通貨量の大削減を行って、その銀行家の名前を付けたドッジ・デフレなども経験しつつ、それでも
急速に生産力をつけ、戦後10年で昭和30年(1965年)には戦前の経済水準を回復しています。

昭和30年代、日本は高度成長期に入ります。まだ国際競争力不足でしたから、外貨準備が少なく、外貨準備が減ると引き締め政策で不況、外貨準備が増えてくると成長政策という事で、短期の不況を挟んで神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気、と古事記に因んだ名前の好景気を連ね、昭和45年(1970年)まで破竹の経済成長を続けます。

この間には、昭和39年(1964年)の東京オリンピック、昭和45年(1970年)の大阪万博があり、その2年前の昭和43年(1968年)にはGDPでドイツを抜き、世界2位の経済大国になっています。
日本の国際競争力は強化され、国際収支は安定した黒字で、外貨不足で経済政策に悩む必要のない国になっていました

庶民の生活水準もウナギのぼりで、戦後の食糧難時代から、「新三種の神器」といわれたカー、クーラー、カラーTV(いわゆる3C)のある快適な生活を実現しています。

しかし昭和45年、大阪万博のあった1970年を境に、日本経済は新しい波乱の時代に入ります。理由は、アメリカが次第に経済力を弱め、国際収支赤字国に転落、基軸通貨国の地位維持のためにドルの金兌換を停止、ドルをペーパーマネーにし、世界経済を不安定なものにしたことの影響です。(アメリカ自身が作ったブレトンウッヅ体制の破綻)

1971年の、奇しくも8月15日、アメリカはドルの金兌換停止を宣言(ニクソンショック)、ドルの価値の下落が始まったのです。

これは世界経済を震撼させ、世界経済は不安定さを増し、結局、変動相場制の時代が始まったのです。

固定相場制から変動相場制への移行で不安定さを増した世界経済の中で、中東情勢も不安定を増し、中東紛争が起き、昭和48年(1973年)に至り、石油の供給不安という状況の中で、OPEC(石油輸出国機構)は、原油価格を4倍に引き上げました。
そして昭和56年(1979年)から翌年にかけの中で、更に3倍に引き上げたのが、いわゆる第1次、第2次の石油危機です。

石油危機が、欧米主要国の経済、そして日本経済に与えた影響については、このブログで繰り返し取り上げています。
更に、変動相場制が日本経済に与えた影響も、このブログの主要なテーマになっています。

それらの問題が、世界第2位の経済大国になった昭和の日本にどのような影響をもたらしたか、それらの点を整理して、次回で「2つの昭和」をまとめたいと思います。

2つの昭和、何が同じで何が違うか

2021年08月14日 22時53分52秒 | 文化社会
明日は終戦記念日です。
1945年の8月15日、あの日、日本中が晴れて暑かった日、正午にラジオから終戦の詔勅(玉音放送)が流れて、国民は日本が戦争に負けたことを知りました。この日のことはかつてこのブログに書きました。

あの日を境にして、昭和は2つの時代に分かれています。同じ昭和ですが、中身は全く違います。
端的に言えば、あの日までは戦争遂行の昭和、そしてあの日からは平和を志向し、国民生活を豊かに・快適にする昭和です。

しかし、昭和の時代を生きたのは同じ日本人です。同じ日本人が、全く違った国造りに励んだのです。その結果、昭和は2つの時代にくっきりと分かれています。

昭和というのは昭和天皇の時代という事です。太平洋戦争の敗戦によって、神であり全軍を率いる大元帥であった昭和天皇は、日本国民の統合の象徴になりました。

もともと神や大元帥というのは陸軍を中心に軍部が作ったフィクションの役割を押し付けられたようなものですから、昭和天皇は、新憲法のもとでの「国民統合の象徴」の方がお好きで、その在り方を真剣に創られたように思っています。

この思いは国民もやはり同じだったと思っています。当時、国民学校6年生の私たちですら「青少年学徒隊員」の一員であり、敵を撃滅するために、御国に命を捧げることが生き甲斐という役割を徹底的に教えこまれていました。

しかし、1945年8月15日を境に、国に命を捧げることは不要と理解するにしたがって、自分の思うように生きられる、という全く新しい可能性に気づき、「生きる」という人間の本能が、忽ちにして脳幹から大脳皮質に伝わり、大脳が、新しい生き方の模索という思考体系を切りかえていったのでしょう。人生への考え方が全く変りました。この変換への違和感はあまりなかったように思っています。

しかし、実際に戦争を体験した人の場合は、自分の現実の行為の記憶が鮮明であればあるほど変換は大変だったと推察するところです。  
  
勿論個人により事情は異なるでしょう。しかし、大きく見れば、日本人は、戦争というフィクションを現実に組み込むようなリーダーに従う時代から、自分の生き方は自分で考えて選び取るという時代へ大きな変換を成し遂げたのです。

そしてこれは、基本的には人間の生命体としての本能が大きな役割を持っていたのだろうと私は考えています。
同時に、大脳の発達した人間にとって、誤った教育がいかに恐ろしいかを示すものではないかと考えています。(最近は、これには洗脳という言葉がよく使われます)

以上が私の感じている1945年8月15日を境として、昭和という時代がどう変わったかという部分だとご理解いただきたいと思います。

そして変わらなかった部分というのは何かという問題です。

これは縄文時代から培われた、多くのDNAが極東に吹き溜って、混血を重ね、あたかも純血種のようになった日本人、そしておそらく細長い日本列島の中で自然の優しさと恐ろしさを知悉し、真面目に、勤勉に生きる事がベストと考えて生きてきた日本人の特徴であるエネルギーレベルの高さではなかったかと考えています。

この点については明日、8月15日に譲りたいと思います。

自然科学の学術論文:中国躍進、日本は低迷

2021年08月13日 21時11分22秒 | 科学技術
皆様ご承知のように、文部科学省の科学技術・学術政策研究所は、毎年世界の学術論文の数と質の調査をしています。

過日、自然科学の分野についての調査について過去3年分の学術論文についての調査を発表しています。

マスコミでは中国がアメリカを抜いて数でも質でもトップになったことを報じていましたが、残念ながら、日本の状況は、このところ低迷を続けているようです。

前回発表の2016-2018の3年間の調査では、中国が論文数でトップになったことが報じられましたが、今回の調査では論文の質についても中国がトップになったことが明らかになりました。

今回発表の過去3年の年平均の論文数は
中35万3千、米28万6千、独6万8千、日本6万3千
昨年発表された2016-2018の3年間の調査でも
中30万5千、米28万1千、独6万8千、日6万5千
で、中国がトップでしたが、今回は質でも中国がトップになってます。

論文の質というのは、どれだけその論文が他の論文で引用されたか(注目された)で、引用された回数の順位という事ですが、それを見ますと
中4万2千、米3万7千、英9千、独7千、・・・・印4千、日3700
で、中国トップ、日本は10位ということになっています。

因みに1995-1997年の調査では(これ以降の数字は自然科学だけでなく全分野です)、
論文数:1位アメリカ、2位日本、以下英、独、仏
論文の質:1位アメリカ、以下英、独、日、仏
で、日本の存在感はかなりのものだったと言えそうです。

その後の様子を見ますと
2005-2007年調査、論文数6位、論文の質7位
2015- 2017年調査、論文数11位、論文の質12位
という事になっています。

自然科学の場合は全分野より成績はいいようでもありますが、残念ながら、そんなことを言っていられないように量、質ともに後退が顕著です。

そうなると、矢張り気になるのは「何故そうなったか」でしょう。
きちんとした答えを出すのは難しいと思います。しかし、これは絶対関係があると言えるのは、プラザ合意によってもたらされた円高による長期不況でしょう。30年もほとんど経済成長がない経済では民間にも政府にも、経済的余裕はなくなります。

今日の研究開発というのは、巨大な時間の設備(カネ)がかかります。ワクチンもそうでしょう。政府が予算を組んで大学、研究機関、企業などを積極的に援助しなかれば、特に基礎研究などの研究などは遅れざるを得ません。

この辺りはこのブログでも折に触れて書いているのでこれ以上触れませんが、プラザ合意を含めて政府の失政が大きく影響していると思うところです。

次期政権には、ぜひ方向転換をお願いしたいと思います。それが明日の日本を決めるでしょうから。