tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2019年、今年は「アメリカ追随へ舵」の年か?

2019年12月30日 23時32分41秒 | 文化社会
2019年、今年は「アメリカ追随へ舵」の年か?
 戦後の日本は、アメリカの影響を強く受けながら成長してきたことは誰もが認めるところでしょう。しかし同時に、日本的なものも捨てずに、色々な分野で日本的なものを残しながらそれを活用して成功し、成長してきたように思います。

 そしてその成果が続いたのが、1980年代(前半)までだったのでしょうか。1968年、日本のGDPは、当時の西ドイツを抜き、アメリカについて世界2位になりました。そしてさらにその差を詰めていきました。

 多分、覇権国アメリカはいくばくかの脅威を感じたいたのでしょう。1985年G5の場を利用して日本に円の切り上げを求めました。
 この戦略は、その後の内需拡大・金融緩和の助言とともに結果は大成功で、日本はバブルに浮かれ、1990年からはバブル崩壊とともに、平成の長期不況に陥り、ほぼ30年にわたってゼロ成長となりました。

 日本に代わってアメリカを脅かすことになったのは中国で、アメリカはまず人民元切り上げから対日本と同じ戦略で人民元切上げを要求しましたが、中国は日本の経験に学んでいて答えはNO!。今まさに覇権争いに入りつつあります。

 戦後のアメリカは、好戦的で危険な国日本が平和憲法を制定したことを喜んだようですが、その後、 日本は本来好戦的な国でないことを知り、日本を経済的にも、防衛力(軍事力)でもアメリカに協力する国になることを望んだのでしょう。

 日本は「平和憲法」を旗幟に掲げながら、自衛力を強化し、アメリカに協力することを肯定、集団的自衛権まで認めることになりました。
 そして次は、正式に「改憲」に踏み込もうとしています。

 こうした観察は、所謂地政学的な覇権争いの問題に関わる政治的側面ですが、それ以外の面でも、2019年に至って、かなり色濃く「日本的なもの」を捨てようという動きが出ているように感じられます。

 このブログの関心領域である経営も分野でも、「日本的経営」の影は次第に薄くなってきているように感じられます。
 日本企業は、戦後「企業は公器」などと自称し、利益を目的にせず、社会に貢献することを目的にするという理念を確立して来ました。

 しかし、長期不況の下で呻吟し、アメリカ流のマネー資本主義を目の当たりにし、日本的な人間重視、雇用重視の姿勢から、マネー中心の経営が企業本来のものといった見方に迷い込む経営者も増えてきたようです。

 人間の面で、それと軌を一にするのが「働き方改革」です。「企業は人間集団」という日本的経営を捨て、職務に見合った人材を随時採用することが最も効率的で、雇用は流動的にすることが最も合理的という考え方が推奨されています。
 学卒一括採用などはやめ、職務上必要な人間だけを必要なときに採用、不要になったら解雇するのがベスト、賃金は遂行する職務によって決まり、年功などは関係なく職務給+成果主義が正しいという考え方です。
(多分これで日本企業は人間中心経営で欧米流経営を凌駕する能力を失うことになるでしょう。)

 欧米流の理念を体現しているのがトランプさんの行動でしょう。政治も経済も経営もすべてディールなのです。そして目的は自分のところ(国、企業、個人)にどれだけマネーが入ってくるかという事になるのです。
 
 こうした今年の傾向が、トランプさんと安倍さんが仲がいいこととどの程度関係するかはご想像にお任せですが、今年は特に「日本的なものを否定しよう」という風潮が強くなリ、それが多様な面で現れたように感じ、このまま進むと後からが大変な損失になりそうですと警鐘を鳴らしたい気持ちを強くしています。
 来年はまた、こんな風潮が進むのでしょうか。何かと心配な年の暮です。

経済研究機関等の2020年度実質成長率予測

2019年12月29日 23時55分54秒 | 経済
経済研究機関等の2020年度実質成長率予測
 去る12月21日、22の両日、2020年度の「政府経済見通し」について書きました。
 趣旨は、政府が大変高い経済成長率の見通しを出しているという事実と、私なりに(勝手に)その理由を考えてみた結果についてです。

 その節、多くのシンクタンクの実質成長率予測は0.5%辺りに集中していると書きました(政府の見通しは1.4%)。

 私自身、数字を調べて書きながら、自分の見間違いではないかと何度も疑ったのですが、やっぱりそうだという事が解って、「これは書いておかなければいけない」と思って書いたのですが、まだ「本当にそんなに違うの、数字の見間違いじゃないの」と、自分の中でいう声があるので、改めて、最近発表になった各研究機関の「2020年度」の日本経済の実質GDP成長率を集めて一覧表にしてみました。(高い順)
   政府         1.4%
   ニッセイ基礎研    0.7%
   日経センター     0.5%
   大和総研       0.5%
   三菱総研       0.5%
   みずほ総研      0.5%
   三菱UFJリサーチ  0.5%
   東レ経営研      0.4%
   安田生命       0.3%
   富国生命       0.3%

 まだまだ経済見通しを発表している所は沢山あると思いますが、一応ここまで集めました。

 かつては、研究機関によって強気の所、弱気の所などの性格もあり、政府見通しがまあ中庸という所かな」などと思って、見ていた記憶がありますが、ここまで差が出てしまいますと、結果が出た時、一体どういうことになるのかな、大きく外れた方はどう解説するのだろう、などと要らぬ心配をしています。

安倍首相、経団連と春闘前哨戦

2019年12月27日 23時59分33秒 | 労働
安倍首相、経団連と春闘前哨戦
 昨26日、安倍総理は経団連の審議員会に出席、間接的な表現ながら、来春闘でもなるべく高い賃上げをお願いしたいと、7年連続、7回目の要請をしたそうです。

 賃金決定は労使の専管事項で、政府が介入すべきものではないということは年々の学習の結果理解したようですが、賃上げをすれば景気が良くなるという理解(誤解)は相変わらずで、内心はアベノミクスが巧くいかないのは賃上げが低いからだという意識も相変わらずのようです。

 今回は、経済発展にはイノベーションが大切で、新技術にどんどん投資してくださいと言い、次いで人材への投資も重要といい、だから賃上げにも期待しているとつなげたようです。
 中西経団連会長は、賃上げのモメントは続けたいと答えたようですが、経営者としては有限の資金の中で投資も賃上げもと言われても大変でしょうが、そこは「企業それぞれに」と答えたようです。

 官製春闘などと悪口を言われながら、6年続けてきて効果の見えなかったものをまた今年も言うのですから、普通なら「どこか違うのかな」と自分で疑問を感じるところでしょうか、安倍さんのいつものセリフ「国民の理解を得るために丁寧に説明する」というのは、ただ「同じ事を何度でも繰り返す」ことですから、7回目も繰り返したという事でしょう。

 さらに安倍総理は「ご参考までに」という意味でしょうか、「半世紀前の東京オリンピックの年の賃上げは12%だったそうですと付け加えたようです。
「冗談ですが」とも言わずに、こうした場で、こんな荒唐無稽な発言をすることは、一国の運営の衝に当たる責任者として、誠に不真面目という事になるのではないでしょうか。

 大体、安倍さんのいう事は賃上げなどについては素人の域を出ないような気がします。ただ、賃上げをすれば、消費が伸びて景気が良くなるという思い込みを繰り返しているだけで、論理不明です。

 このブログでも繰り返していますが、今、日本人の多くは、将来不安の意識が強く、賃金が上がったら将来のために貯蓄を増やそうと考えているから「平均貯蓄性向」が上がり、「平均消費性向」が下がって消費不振になっているのです。
 
 そして、将来不安を煽っている張本人は、誰かと言えば安倍政権でしょう。 財政赤字、年金不安、ゼロ金利、極めつけはプライマリー・バランス 回復不明という状態でしょう。
 国民は安倍政権が考えているよりずっと賢明で、そうした将来不安に備えているのです。

 最後に私の手元にある「半世紀前の東京オリンピック」の時の経済成長率と賃上げ率を見ておきましょう。
 前回の東京オリンピックは1964年でしたから、春闘で参考にしたのは1963年度の経済成長率でしょう。
1963年度実質成長率 = 12.5% (1964年度=10.5%)
1964年春闘賃上げ率 = 12.2% (大企業のみ調査)
 経済状態に見合った賃上げが合理的とすれば、今年度の実質成長率(政府発表:実績見込み)0.9%ですから・・・。

皇帝ダリア、今年は長持ち

2019年12月26日 23時09分43秒 | 環境
皇帝ダリア、今年は長持ち
 以前、皇帝ダリアの切り株の跡に「むささび茸」というキノコが生えたことは書いた記憶なありますが、花の写真は載せた事が無かったように思います。


 皇帝ダリアは丈は高くなりますが、もともと木ではなくて草ですから幹が弱く、大抵台風で倒れます。今年も15号で倒れ、何とか支柱を立てて立て直しましたが、19号でまたやられ、あまり高く伸びませんでした。

 例年ですと冬になると花が咲き、綺麗に咲いたなと思う頃、霜が降りて花も蕾も全滅という事になるのですが、今年は温暖化のお陰でしょう、クリスマスが過ぎても霜は降りず、次々と花が咲いています。
 
 この分では、新年になっても咲いているかなとも思いますが、いつ寒い朝が来るか解らないので、昨日、クリスマスの日に写真を撮っておきました。

 一番手近な株の頭頂部分ですが、咲いている花のすぐ後ろに丸い蕾、その向こうに、蕾から花びらが出始めたところと、次々に咲いていく様子が予測できるところです。
 温暖化は困ったことですが、こうして花を見ていると、みんな咲かせてやりたいと思ってしまいます。 

カジノの魔力? 人間の弱さ?

2019年12月25日 23時29分17秒 | 文化社会
カジノの魔力? 人間の弱さ?
 自民党の元副大臣が、中国のカジノ関係企業から贈賄を受けたという疑いで逮捕されました。
 中国側でも、関係したとみられる3人が逮捕されたとのことです。

 本人は「身に覚えがない」と言っているとの事で、真偽のほどは解りませんが、中国側で、も逮捕者が出ているという事は、何かあったことを感じさせます。

 かつて、 カジノは日本には似合わないと書きましたが、その際、カジノ、つまりギャンブルには必ず犯罪が付きまとうとも書きました。

 まさか誘致の段階から、もう犯罪の匂いがするという所までは予想しませんでしたが、「金そのものが全て」というギャンブルの世界では、ギャンブル、この場合はカジノですが、の魔力に惑わされる人間が蠢く事は避けられないのでしょう。

 まさに「カジノの魔力」なのか、「人間の弱さ」なのか、どちらとも言い難いのでしょうが、事本的には「カネ」の魔力に対する人間の弱さなのでしょう。
 
 考えてみれば、魔力を持つ魔物が、現実の世界にいるわけではありませんから、魔物も人間が心の中に作ったもの、魔力は「カネに惹かれる自分の弱さ」を「魔物」と擬人化したものなのでしょう。

 やはり人間は多様な欲求を持ち、その欲求実現を容易にする「カネ」の魅力に弱いのでしょう。 
 私自身もそうかもしれませんが、清廉潔白、金銭などに惑わされることはないと思っていても、宝くじを買った経験がないわけではありません。

 「黄金のジパング」ではありませんが、日本でカジノができれば胴元をやりたいという方は世界に沢山いるでしょう。そして日本には誘致を競う自治体が結構あるのです。
 今後、参入と誘致の活動が活発になるでしょうから、カジノができる前から、カネの魔力に目がくらむ人が沢山でないとも限りません。

 そして、カジノができれば、カジノを舞台に、色々な問題が起きるのでしょう。どうも、人間というのはそれほどに心の弱い者のようです。

 ギャンブル依存症などという、人間の弱さをさらけ出してしまう人の多発を心配する声はよく聞かれますが、本当は、もっと底の深い、人間の心、それが創る社会文化にまで関わるような問題を考えなければならないのでしょう。

 日本人は、昔から「額に汗したカネ」と「あぶく銭」とを区別する文化を持っていました。そこに日本人の勤勉さの「根っこ」があるのでしょう。
 
 カジノがなくても日本への観光客は急速に増えています。その方がたの殆どは、日本の社会や自然をこの目で見、日本の文化を直接体験したいからこそ日本を選ぶのでしょう。

 こうした、草の根の人間同士の国際交流こそが今後の世界にとって大事であって、ギャンブル・射幸心を餌に、金を落として欲しいからと観光客誘致を目指すなどというのはずいぶん下等な考え方と感じてしまいます。

 今回の事件は、今後を見なければわかりませんが、そこまでレベルを下げた日本の政治家の精神構造を「矢っ張りそうか」と駄目押しするような現象といえるようなことになるのかもしれません。

日本国民のベクトルが同じ方向を向いていない?

2019年12月24日 16時55分33秒 | 文化社会
日本国民のベクトルが同じ方向を向いていない?
 日本の経済社会が何か混乱していて、社会の安定も、経済の成長も、こんなはずではないと思いながら、なかなかうまく進展しないようです。
今、多くの日本人はそんな感覚を持っているのではないでしょうか。

 経済成長については、このブログでもずっと取り上げてきていますが、こんなに勤勉に働いているのに、どうも結果が出ない、達成できるはずの経済成長率に届かない、といった焦燥感が強いのではないでしょうか。

 しかし、つぶさに見れば、日本経済の中にも、世界に向かって新しい展開を見せているところも沢山あります。
 例えば、「こんなに料理番組ばかりやっていていいの」などと言われているうちに、日本食が無形文化遺産になり、日本中の料理がおいしくなって、国民も喜び、インバウンドも感嘆し、世界で日本食ブームが起き、ウイスキー、ワインから、和牛や銘柄米、更には日本の多様な食材や調味料まで輸出され、最近はみそ業界なども大変意欲的だそうです。

 すでに世界を席巻した日本のアニメですが、痛ましい京都アニメーションの事件では世界各地から弔意や激励のメッセージが届き、その影響力の大きさを改めて知ることになりました。

 日本人は、もともとかなりエネルギーレベルが高いのではないかと思っていますが、ジャパ二ーズクールや「かわいい」という文化なども含め、経済不振の中でも、文化的な面ではかなり世界に進出しているように感じています。

 こうした面では、そうした産業を支える人々の意識、その力のベクトルがかなり一致し、その手応えがフィードバックされて、更なる動機づけになるという好循環が進化のエネルギーを支えているように思われます。

 「力の平行四辺形」が証明しますように、ベクトルが同じ方向を向いているほど力は強くなります。全く同じ方向を向いていれば1+1は2になり、シナジー効果の理論も取り入れれば2以上の力が出ることもあり得るのでしょう。

 そこで問題になるのが、最近流行りの「社会の分断」です、分断された社会ではベクトルの方向が一致しません。方向が逆であれ力ば相殺されてしまいますし、目的は同じでもベクトルの向きがずれていれば、ずれが大きいほど合成された力は弱くなります。

 政治問題、経済問題、社会問題でもこの原理は同じでしょう。
 反対勢力があり内戦をしているような国では進歩はないでしょうし、目的は似ていても、国民の中で方法論がばらばらであれば進む力はそれだけ減殺されます。

 アメリカは「アメリカ・ファースト」で国論は分断されているようです。
 日本でも、例えば、世界平和を目指す「改憲」でも意見はバラバラです。「一億総活躍」とぃっても活躍の概念は人さまざまです。「働き方改革」でも意見は大きく、欧米流の仕事中心か日本流の人間中心かでベクトルの向く方向は全く違います。
 
経済社会安定の基盤であるエネルギー政策でも、原発、石炭火力、再生可能エネルギーと全く違う方向を目指すベクトルが併存したままです。
今、日本にとって、何が最も重要かについても、国民の意見は全くバラバラでしょう。

国会での議論でも、モリ、カケ、桜と、国家目標とは無縁なところで噛み合わないベクトルがきしみ合い結果の出るはずもなく、時間切れで終わっています。

 日々孜々として働く国民のベクトルの合成が何とかプラスの経済成長に繋がっていますが、方向のバラバラなベクトルでは、まさに国民の力(努力)の無駄遣いになっているのではないでしょうか。
 こうなってしまう原因は、聖徳太子の 17条の憲法の第17条が、いまの日本の政治ではほとんど生かされていないことによるように感じています。

令和を良い時代にするのは我々自身

2019年12月23日 23時57分28秒 | 文化社会
令和を良い時代にするのは我々自身
戦後の日本が最も苦しんだ平成の時代を抜けて、令和になりましたと元号ではそうなりますが、「令色で平和な時代」になるかどうかは、やはり日本人の意識と行動次第でしょう。

 プラザ同意、バブル崩壊の苦しみから来た迷いを引きずったからでしょうか、平成最後の数年も、令和になっての8か月も、日本経済社会は、何とも冴えないようです。

 冴えないことの大きな要因の1つは、経済の不振、元気に成長しない経済だと思います。中には「成熟国になったら、もう成長は必須ではない」という意見もありますが、30年、50年、100年後の人類社会は今とはかなり違うでしょう。

 多様な科学技術が人類の進歩を支え、その進歩が新しい経済社会を作り出していくのです。今は成熟国と思っても、人類社会というのは常に発展途上なのでしょう。ホモサピエンスはまだ自分の大脳新皮質を多分に使い残しているようですが、今すでに、それを補完するAIの活用を始めています。利用可能な知識の量は膨大になります。

 多分、人類社会は(核戦争のような大失敗がなければ)、ますます高度化して行くのではないでしょうか。
 「経済社会」と書きましたが、豊かで高度な、そして快適な社会を作るに必要なものが経済基盤でしょう。

 平成の長期不況の中で日本社会も色々な面で劣化現象が見られました。変な犯罪が増えて社会が不安定になったり、精神的な強靭さが失われたのでしょか、環境に負ける人間が増えたようにも思われます。

 逆の意味で、経済が進展するときには人々に意欲やバイタリティーが生まれ、社会は元気で活気に溢れるようです。「蜂の寓話」ではありませんが、経済の進展と、社会の活気は、相互促進的(好循環)の関係にあるようで、多分それが「経済社会」という言葉を生んでいるのでしょう。

 できれば令和の時代は、そういう元気な日本になってほしいと、多分多くの人は考えているのではないでしょうか。
 ならば、今、我々は、現状という経済社会から、「令和」らしい経済社会に前進するための、新しい行動を起こさなければならないのでしょう。

 では、具体的に、一体それはどんな行動で、その進むべき方向を決める「理念」とは一体どんなものでしょうか。
 それを構想し実行していくことが、令和の時代に、我々日本人に与えられた「やらなければならない仕事」なのでしょう。

 このブログのテーマである「付加価値」はそれ最も深く刺さりこんだ概念だと思っています。
 これから令和2年にかけて、このブログでは、この問題をできるだけ取り上げるようにしたいと考えています。

政府、孤高の経済成長率の理由は・・・

2019年12月22日 23時59分21秒 | 経済
政府、孤高の経済成長率の理由は・・・
前回、政府経済見通しが、実現性よりも政府の希望する数値になってきているのではないかとの疑問を呈しましたが、多くのシンクタンクの予測を見ると、2020年度の実質経済成長率は0.5%あたりに集中しているようです。

 なぜ政府だけ1.4%という高い数字が出るのでしょうか。日本の金融系などのシンクタンクの経済予測の能力が政府に比べてそれほど低いとは思われませんので、(結果は出てみなければわかりませんが)政府が少し高望みをし過ぎているのではないかと思われても致し方ないのではないでしょうか。

 そんなことから連想思考をしていきますと、まず、政府は嘗て国民と大きな約束を1つしています。それは財政再建です。 

 しかしこれは、今まで公約不履行ばかりです。
最初は2020年のプライマリ・バランス回復と約束し、簡単にそれを反故にし、安倍さんは「財政再建の旗は降ろしません」と、当然のことを立派なことの様に発言しました。
 
 財政に責任を持つ立場の財務省は、「降ろしません」では説明にもならないので、「やる気です」という事を国民に示すためでしょう、今度は2025年にプライマリー・バランス回復という目標を立てたようです。

しかし、多分出来るとは思っていないのでしょう。もちろん責任などは持つ気もないでしょう。ですから「中長期の経済財政に関する試算」として、経済財政諮問会議が内閣府に提出したものという事で発表しています(受け取り拒否はしなかったようです)。

 この試算でも、2025年おプライマリー・バランス回復には1兆円程足りないのですが、今の状態で、そこまで行けば上等と国民が思ってくれるという思惑でしょう。

 という事で、財務省は何とかこの線に沿った日本経済にしていかなければならないという気持ちがあって、「政府経済見通し」に、この試算の数字に近いものを持ち込まざるを得ないということになるのではないかと思われます。

 実は、この試算は2つのケースについて計算されていています。
・「成長実現ケース」2020~2028年平均:名目成長率3.2%、実質成長率1.8%、
・「ベースラインケース」2020~2028年平均名目成長率1.7%、実質成長率1.1%
説明ではベースラインケースが現状を示すという事なのですが、ベースラインケースではプライマリー・バランスは半永久的に回復しないような結果になっています。

「成長実現ケース」でも2025年ではなく2026年に漸くプライマリー・バランス回復が、日本経済の現状は「ベースラインケース」にも行っていない状態です。現状で進む限り、財政再建はあり得ないでしょう。です

 これを認めてしまったら、「財政再建の旗は降ろしません」という安倍さんの発言は「旗は当面忘れました」とかに変えなければならないので、少しでも「成長実現ケース」の近くに数字を持っていこうという健気な努力が「政府経済見通し」の実質経済成長率に無理な数字1.4%を持ってこざるを得ないという結果になているのでしょうか。

経済見通しか、達成希望数値か

2019年12月21日 00時17分45秒 | 経済
経済見通しか、達成希望数値か
 昨日、令和2年度の政府経済見通しの数字について経済成長率の見通しと民需、官公需、外需などの寄与度についてみました。

 実質成長率1.4%という数字は、今日の環境の中で決して高い数字ではないと思いますが、現実は厳しく、達成の見込みはかなり低いように思われるところです。

 このあたりは、大変歯切れの悪い書き方になってしまっていることが、些か気になっていましたので、近年の現実の数字を見ながら、その辺のところを少し考えてみたいと思います。

 先ず具体的な実質経済成長率の数字ですが、以下の通りです。

 「政府経済見通し」 → 「実績値」の形で数字を並べました。
   平成25年 2.5% → 2.6%
   平成26年 1.4% → -0.4%
   平成27年 1.5% → 1.3%
   平成28年 1.7% → 0.9%
   平成29年 1.5% → 1.9%
   平成30年 1.8% → 0.3%
   令和01年 1.3% → 0.9(実績見込み)
   令和02年 1.4% → ?

  平成25年は24年からの円のじり安傾向が4月の日銀の金融緩和政策で$1=¥100水準になった年、27年はサイドの黒田バズーカ(日銀の異次元金融緩和)で円レートは120円レベルになった年、29年はGDPの計算方式の変更で、研究開発費が投資に勘定されGDPを押し上げることになった年です。

 そう見て来ますと安倍さんの自称アベノミクスは日銀の2発の黒田バズーカ(金融緩和)で円レートが正常になったことで、日本経済がやっと動き出したという実績の後は殆ど経済見通しに追いついていないのが実態のようです。しかもだんだん達成率は落ちてきている様相で(29年は前述の通り)「政府経済見通し」は「達成希望数値」化してきているように見えます。

 ただ1点、来年度見通しの中で、政府は「消費の堅調」を書いていますが、このブログでは日本の消費者もそろそろ「節約疲れ」と書きましたが、少し現在の生活をエンジョイする方向へ生活ムードが変わってくる気配があるとすれば、漸く何か希望も持てるという感じもしています。

 国民がこれだけ真面目に働いても、GDPの実質成長率が1%に満たないといった状態がアベノミクスの現実だとすれば、国民の気持ちや努力が巧く生かされていない現実の中で「見通し」だけは高く設定しても、現実の動きは思うに任せないという残念さが残ってしまうのではないでしょうか。

令和2年度の政府経済見通し(閣議了解版)

2019年12月20日 00時06分42秒 | 経済
令和2年度の政府経済見通し(閣議了解版)
 昨日政府は来年度の経済見通しを発表しました。閣議了解版ですから分配国民所得などまだ入っていないものもありますが、それについては閣議決定版が出た時にまた書き足します。

 安倍政権も最終目標の「改憲」に向かっていかに人気を維持するかに懸命のようで、今回の「政府経済見通し」も大分意欲的なものになっています。

 先ず実質成長率を見ますと、前年度(実績)0.3%、今年度(実績見込み)0.9%ですが、来年度(見通し)は1.4%と大分張り込んでいます。

 この所の景気情勢はかなり下向きになっていますが、円レートが今年度より20銭円安の$1=108.9円になるという見通しの下に、米中摩擦その他国際情勢は「要注意」とは書いていますが、すべて問題なしという前提でしょう。
 後は国内情勢が「総合経済対策」の効果で、経済の好循環が進展し物価の上昇は緩やかだがデフレの影響は脱却、内需を中心に景気回復が見込まれるとしています。

 確かに、全部うまくいけば、勤勉で生真面目に働く日本人がやっている経済活動ですから1.4%はおろか2~3%の成長は十分達成可能と(私は)個人的には考えていますが、現状では「見通し」というより、「目標数字」か「希望数字」といった所でしょうか。
 因みに、昨年の「平成31年度見通し」では実質成長率は1.3%となっていました。

 中身を見ますと、経済成長を支える最大の柱「民間消費支出」は、成長率に足りない1.0%で、民間経済を引っ張っているのは民間企業設備の2.7%増ですが、成長率1.4%への寄与度で見ますと民間需要が1.0%、公的需要(政府支出)が0.5%(昨年度は0.2%)、合計1.5%で、外需(貿易・サービス収支)がマイナス0.1%で結局1.4%になるという事だそうです。
 (寄与度で見れば、政府需要が成長率を押し上げていることになります)

 確かに「政策運営の基本的態度」の所にも、政府の政策努力が沢山書き込んでありますが、国際情勢も有之、1.4%は難しいのではというのが当面の感想です

狭い庭でも「真っ赤だな」2題

2019年12月18日 23時43分41秒 | 環境
狭い庭でも「真っ赤だな」2題
 学校帰りでしょうか、女の子が2人で「真っ赤だな、真っ赤だな、ツタの葉っぱが真っ赤だな、・・」と歌って通りました。

 そういえば、今年は秋が無くて、暑い暑いと言っているうちに、冬が来てしまったような感じがします。
 冬になっても毎日寒暖が入れ替わって、ジャケットを着たり脱いだり。

 COP25では、日本はまた「化石賞」を頂きましたが、だんだんひどくなる気候変動には紅葉する木々も戸惑っていることでしょう。

 そういえば、我が家の狭い庭にも、女の子が歌っていたように赤くなるものがあると気が付いて、写真を撮りました。
 撮ってみますと、植物は異常気象の中でもしっかりチャンスをとらえて綺麗な赤を演出していると感心してしまいます。

 先ずは「まんりょう」です。梅の木に来るヒヨドリの置き土産でしょう、実生で大きくなりました。よく見れば、立派な真っ赤の実が房になっています。
 まさに千金の値か万両の価値か、本当に自然は勤勉です。


 もう一つは、先日、家内が「どうだんが綺麗よ」といっていて、その時は上の空でしたが、写真を撮ろうとよく見ると、本当に「真っ赤」ですね。


 実はこの「どうだんつつじ」、大きく広がりすぎて、ホタルの羽化の時、採取しにくかったりするものですから、この夏に葉が全部なくなるほど剪定してしまっていました。
 あまり切りすぎて、枯れてしまうかと心配しましたが、その後、葉が出てきてこの間までまだ若芽のような感じでしたが、それが急に「真っ赤」になりました。
 自然は本当に正直です。

 先ほどの女の子たちにこの「どうだん」が見えたのかなと、ちらっと思いました。

英語教育、民間テストの先延ばしだけ?

2019年12月17日 14時40分38秒 | 教育
英語教育、民間テストの先延ばしだけ?
 文科省は、さきに来年からの共通テストの英語の民間委託を先送りし、今度は国語・数学の記述式の先送りも決めたようです。

 間際になって先延ばしでは現場の混乱は大変でしょうし、受験生も戸惑うばかりでしょう。大勢の専門家が長い時間をかけて検討してきたはずなのに、何故こんなだらしのない事になるのでしょうか。民間なら、責任者は当分謹慎になりそうです。

 今回は、特に英語の問題を取り上げますが、これは、かつてパプアニューギニアの人から聞いた話を思い出し(そのことは、その後、ブログに書いています)、今回、これは矢張り続きを書いておかなければいけないのではないかと感じたからです。

 英語テストの民間委託問題の際に論じられていたのは、日本人の英語能力は、アジアの他の国に比べても低すぎる。何とかレベルを上げないと今後の国際化の中で後れを取ること必須であるといった危機感から発しているという事で、説明が繰り返されていました。

 これは確かに重要な問題で、実は何でそれが、「テストを民間に委託する」という問題に矮小化されてしまったのかが私には疑問でした。
 その疑問はいまだに解消されていませんが、大多数の日本人が英語を使えないという現実を克服するのであれば、それは、本来、テストではなく、英語教育そのものを確りやるのが先ではないかと思うのです。

 文科省はそんなことは解っていて、きちんとやって来ていると言うでしょうが、成果主義、結果重視という観点から言えば「何やってたの」といわれかねないように感じています。

 という事で、以前書いたブログの要旨ですが、オーストラリアの委任統治領だったパプアニューギニアが独立して、オーストラリア人が帰ってしまい、英語の先生がパプアニューギニア人になってしまって、パプアニューギニアの若者は英語が下手になったという話です。

 その話を聞いて、私は ぎょっとしました。「あれ! 日本の学校の英語の先生はみんな日本人だ・・・。」
 問題の原点はどう考えてもその辺りにありそうに直感したのです。
「これじゃやっぱり駄目なわけだ。」

 言葉を習うのなら、矢張りネイティブからでないと、本当は駄目なのでしょう。言葉というのは学問ではなく、生活の中で自然に覚えるものなのでしょうから。
 学問としての言語学は、言葉とは別で、英語が母国語で英語で生活していても、英語学などは無縁の人が多いでしょう。
 
 文科省にはいろいろ制約があって、出来ないと言われそうですが、出来ない理由は誰でも並べられます。本気でやろうと思えばできるはずです。
(ほとんどの日本人が反対と思われているカジノだって、政府がやろうと思えば出来るのですから)。
 
 問題は「先送り」ではなくて、必要なことは、常にきちんと計画的にやることが大事なのではないでしょうか。

働き方改革? 働かせ方改革? 余計なお世話?

2019年12月16日 22時48分15秒 | 労働
働き方改革? 働かせ方改革? 余計なお世話?
 政府が「働き方改革」を言い出した時、一体何をやろうとしているのだろうと奇妙な感じを受けたことを覚えています。

 元来「労働」というものは本人の意思でやるもので、政府が「ああいう働き方はいけない」、「こう言いう働き方なら宜しい」などという事があり得るだろうかと思ったからです。
 
 もちろん企業が従業員に対して、そういう基準を示し、従業員により合理的、より効率的な働き方を要請するのは、給料を払っている以上は当然で、また、政府が、「企業に」対して、従業員に無理な働き方をさせてはいけないと労働基準法で決めるのも当然必要な事です。

 しかし「働き方改革」といえば、文字通り解釈すれば「個人の考え方」の問題で、政府がその自由に介入しようというのはどういうことかと思ったわけです。
 その後、働き方改革というのは労働時間の短縮を主眼にし、企業にそれを守らせることだとわかって、それなら言葉の使い方は別として結構なことだと思うに至りました。

 その後「同一労働・同一賃金」などの問題も入ってきて、これは大変だろうなと思っていましたら、やっぱり中身は正社員とパートの賃金のバランスの問題で、正社員同士の問題は触れないことになったようで、それならもっと別のアプローチがある、政府が手間暇(コスト)かける問題ではないのにと思っていたところでした。

 ところが、次に飛び出してきたのが、「副業、兼業の解禁」という方針です。
 せっかく労働時間短縮を目指し、ブラック企業を征伐するという旗を掲げたのに、今度は企業に、二重就業を認めよと言い出したわけで、私は肝を潰すほど びっくりしました

 そんなことは企業が自衛上の配慮もあり、従業員 や労組と話し合って決めればいいので、そんなことに官僚の手間暇をかける必要は全くないはずです。

 最近、地方銀行の中で(一部都市銀行でも)副業を認めよという動きがあり、マスコミによっては、政府方針が役にたっているような報道もありますが、中身は副業というより、 銀行業務の新展開を狙ったもので、実情は、ゼロ金利が続きすぎて銀行が疲弊しているという金融政策の歪みがもたらしたもののようでです。

 もともと、「人間の働き方」というものは個人の聖域であり、政府が余計な世話を焼くことではないでしょう。
 「働かせ方」なら、労働三法、特に労働基準法をきちんとすればいいのです。
 ご存知のようにILO条約の第1号は「週40時間労働」で、日本はまだそれを批准できていないのです。

 余計なことですが、以前ドイツのコール首相が来日した折、日本の新聞記者から「ドイツは労働時間が短いが二重就業が多いのでは」と質問されて、「ドイツ人は勤勉だからそういう事もあるでしょう」と答えていたことを思いだしました。

個人金融資産と国債残高

2019年12月15日 22時55分21秒 | 経済
個人金融資産と国債残高
 報道されていますように政府は13日の臨時閣議で、4.47兆円の補正予算を組むことを決め、そのうち2.2兆円は赤字国債ということになったそうです。
 原因は今年度の法人税収が落ち込むからという事ですが、簡単に赤字国債を発行して済ますといったことでいいのかと気になるところです。
 
 補正予算のほぼ半分が台風被害の復旧や国土強靭化のためという事ですが、この分は建設国債で、後の半分は高齢ドライバー対策や、小中学生に1台ずづタブレットを持たせるためだそうで、これはいわば消費支出ですから赤字国債になるわけでしょう。

 財政に余裕があるならば何も問題はないのかもしれませんが、財政再建が出來そうにない状況の中ですから「ばらまき」という批判も強いようです。
 
  安倍さんは「 財政再建の旗は降ろしません財政再建の旗は降ろしません」といっていますが、客観的に冷静に見れば、現状では「財政再建は不可能」という結論しか出ないような状況の中で、赤字国債を平気で出すより、トランプさんに「アメリカよりひどい財政状況ですので、お宅からの買い物(戦闘機100機etc.?)も難しくなります」と交渉すべきだという意見もあるようです。

 政府の借金である国債発行残高は世界トップクラスという事で、それを支えているのは国民の貯蓄ですが数字を見るとこんな具合です。

    個人金融資産と国債残高の推移(財務省資料、単位:兆円)


 個人金融資産1850兆円といわれますが、その半分近くは政府が国債を発行して借り上げ、使ってしまっているのです(2000年ごろは、まだ良かったですね)。これは中央政府だけですが、官が民から借り上げて使ってしまっている金額の総計は地方政府の借金も入れれば1100兆円という事ですから、これは国民が返せといわないことを前提にして成立している状態です。

 しかも、現状ではプライマリー・バランス達成は出来そうにないのですから、(2%以上のインフレがないと出來ないというのが政府の試算です)多分、いずれは国民の貯蓄は全部政府が借りて使ってしまいましたというようなことになるのでしょうか。
 
 そうなるまで、政府が放っておくかといえば、そうではなくて、何時かは解りませんが、官と民との所得配分を、大きく変える必要に政府が迫られる時機が来るのでしょう。
 まさか徳政令はないでしょうから、纏めて増税でしょうか。
 あとは野となれなんとやらの後始末をする政府が必要になるのでしょう。

 こういう事は、物事が限度を超える前に、きちんと対策を立てて実行するのが政府の役割でしょうが、よく考えると、これは、政府の役割というより、国民が、民主主義という制度を使って、そういった真面目な財政政策をやるような政府を持つ努力をするというのが本筋なのかもしれません。
 
 国民が、財政再建よりもバラマキをすろ政府を評価するような状態では、政府に文句を言っても、責任は国民が負うのですよと言われれば、それまでという事でしょうか。

日銀短観、国際政治、国際経済、日本経済

2019年12月13日 23時55分31秒 | 経済
日銀短観、国際政治、国際経済、日本経済
 昨日は財務省の法人企業景気予測調査を取り上げましたが、今日は、日銀短観が発表になりました。
 よく似た調査ですから、結果もあまり違うものにはならないわけですが、日銀短観も、景気動向のDIは4期連続の悪化で、今回の調査では大企業製造業のDIが「0」になった(景気の良いと悪い同数)とのことです。

 製造業の先行き判断(3か月程度)についてみますと中堅企業、中小企業マイナスに突っ込んでいきますが、大企業では「0」に止まるという結果です。
 
 今年4月の短観については「上期下押し、下期は強気」というタイトルで書きましたが、当時から大企業は下期には何とかなるという認識を持っていたようです。

 という所で今日の日経平均の動きです1日でほぼ600円の上昇です。理由はトランプさんのツイートで米中関税合戦はあまりひどくならずに早晩話が付くという事の様だ、という情報のせいです。

 関税合戦では、アメリカもひどい返り血を浴びることが明確になって、妥協の方向を探らねばならないということになったというのであれば、米中摩擦で下押している世界経済(中国経済減速の影響大)の動きに反転効果が出てくるという見方が株価を押し上げたのでしょう。

 もちろん株が上がったのは日本だけではありませんが、日本の上げ幅が率では最大のようです。(世界の投機資本が日本企業をを評価している?)
 多分年度後半には、こんなことが起きそうだから、下期は世界経済の悪化も止まり、日本の企業も一息つけると多くの企業は予測していたのでしょうか。

 大変したたかな予測ですが、経済合理性の視点から見ると、企業として、そういう予測を立てる可能性は十分あり得るような気もします。

 もちろん今日の株価の上昇が、スムーズに、国際政治のごたごたの緩和につがり、それが世界経済の反転上昇をもたらすかは、これからよく見定めなければならに所ですが、経済活動の現場に身を置く企業の勘(洞察力?)に敬意を表さなければいけないのかもしれません。

 そんなことからつくづく感じるのは、大国のリーダーが自国民のためか、自分の政治生命の為か知りませんが、無理な政策を採ったり、それを止めたりすることで、世界経済が大きく影響されるような事が無いようになれば、世界の経済も社会もずっと良くなるはずなのに、人間は、残念ながら、いつになってもその愚かさから抜けられないんだなあ・・・、といったむなしさと嘆息です。

 最近の経済論は、循環論ではなくて、リーダーの頭の中を予測するという方法論の方が効果的ということになるのでしょうか。