tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

MMTについて種々考えてみましょう

2020年07月31日 20時38分46秒 | 経営
企業経営に置き換えてみると
 最近、米英系の某格付け会社が、日本の国債の格付けを「安定的」から「弱含み」に引き下げたそうです。新型コロナ対策で赤字国債を一杯出したからのようです。

 ところで、既に何回か取り上げましたが、国がいくら国債を出してもそんな事を問題にする必要はないというMMT(現代貨幣理論)というのがもてはやされています。

 今回は、経済問題というと難しそうなので、「企業経営」だったらもっと解り易いのではないかと思い、企業ならという設定をして検討してみたいと思います。

 A社はこのところ業績が上がらないので、借金をして新鋭設備などを入れましたが、運悪く水害で工場がやられ、再建でまた借金となりコンサルタントからこのままでは危ないと言われました。借り入れには返済期限があり、利息もかさむからです。

 日本政府は経済成長もままならない所に新型コロナや自然災害多発で、三十兆円も国債発行をしました。これは、「国民」からの借金です。
 しかし実際は日銀が市中から国債を買い上げているので、結局は「日銀」からの借金です。

コンサルタントならぬ格付け会社は、少し危ないと言いました。危ないのでしょうか?
 企業な場合は銀行に返済を迫られ、金利も取られるのですが、幸い、日銀は政府に借金を返せとは言いません。金利はありますが、ゼロ金利です。

 それに、日銀が金利を受取っても、日銀の儲けは国庫納付金という形で政府の収入になるのですから、日本政府としては、日銀からの借金は金利がないのと同じです。
 ならばなまじ国民から借金などせずに、直接日銀から借りれば簡単です。

 日銀は通貨発行の権限を持っていますから、いくらでも政府に金を貸すことはできます。
 ですから、自国通貨建て国債を発行する限り、デフォルト、支払い不能になることはない、というのがMMTの基本的な考え方です。

 カネはいくらでも借りられる、利息は自分の収入になって戻ってくる、それなのに健全財政をやれという必要があるのか。という事になるのでしょう。

 しかし、それなら、政府は日銀から、いくらカネを借りてもいいのかというと、やっぱりそれは程度問題だろうという気がするのが普通です。
 もし、A社が、実は膨大な資産家の社長の趣味のための企業で、必要とあらばいくらでもカネをつぎ込もうとか、利息は要らないとか、利息は取るけど、その分は出資金に切り替えようかなどということだったら、政府と日銀の関係に似てきます。

 しかし、例えそうであっても、その趣味の企業が、余りの金食い虫で、目指すような成果が上がらなかったらだったら、その資産家社長はA社を解散して、別のもっと思い通りの結果を出す会社を作るでしょう。 

 つまり、カネは食っても、それなりに「目的に叶う」企業だったら、その資産家もA社を楽しんで続けるでしょう。ところで、日本経済では資産家社長に当たるのは「国民」です。

 国民が役に立つと認めれば、赤字国債を発行して、日銀が通貨を供給して経済を支えることを認めるでしょうが、余りに効率の悪い政策を、赤字ばかり出しながらやるようなことであれば、国民は無駄遣いだと感じて納得しないのでしょう。

 要は、赤字国債を出してまで実行した政策が、それだけの成果を上げてくれれば、国民は納得してくるのでしょう。
 その場合も、政府の日銀からの借金は増えるでしょうが、日銀は返せと言わないし、入った金利は国庫納付金になるので、差し当たって、問題ないという事になるのでしょうか。

 こんな目で見ると今の日本の財政はどうなのでしょうか。
すべては国民の判断で決まることなのではないでしょうか。

荒れ模様の地球社会、さて、人類の選択は(続編)

2020年07月28日 22時31分58秒 | 文化社会
民主主義、自由経済主義もともに変調
 地球世界は新しい冷戦の様相を帯びてきましたが、米ソの旧冷戦が終わり、「争いの世界」から「競いの世界」 新秩序を作り上げようという理念があったはずです。

 しかし、覇権国というのは大変コストのかかるもので、その負担からアメリカは赤字国に転落したのですが、覇権国という立場は捨てられず、世界中からカネを集め、それで覇権国の役割を果たそうと努力した(足搔いた )ことが現状を招いた主因だったようです。

 結果はこのブログでも長きにわたり分析し指摘してきていますように、他人の懐を当てにして覇権国の役割を果たそうというのは、歴史に見る歴代王朝の末期、日本なら、それぞれの幕府の末期のような形にならざるを得ないのでしょう。

 政治も経済も、すべて近視眼的になり、当面の糊塗策ばかりが中心になりがちで、長期ビジョンは見失われるようです。
 当然の帰結として、政治は人気取り中心のポピュリズムに堕し、経済は実体経済より、マネー収支の帳尻を合わすことを重視するマネー資本主義に堕落してきているのです。
 共産主義圏が、独裁主義、全体主義に本卦還りしたのと似て、資本主義も初期の資本原理主義に(マネー資本主義という形で)本卦還りという事になりつつあるのが今日の地球社会の現実ではないでしょうか。

 かつて資本主義は 福祉概念を取り入れてサバイバルを果たし、サステイナブルな経済社会を目指しました。
他方で、共産主義圏は、ついこの間、と言っても30年ほど前ですが、ソ連のペレストロイカ・グラスチノフ、中国の改革開放、社会主義自由経済で、独裁主義、全体主義から脱皮しようとしました。

 二回の世界大戦という人間の愚かな経験に学び、労働と資本の対立という人間社会の分断克服を紆余曲折を経て克服したかに見えた地球人類社会だったのですが、残念ながら、また同じ経験をするようなことになるのでしょうか。
 歴史から学ぶという事はそんなに難しい事なのでしょうか。ホモサピエンスの大脳の発達も、その程度の学習能力が行き着くところなのでしょうか。

<ご参考>https://blog.goo.ne.jp/tnlabo/e/8eec89bc0ec1448d36fa7e3e6e590aa9

荒れ模様の地球社会、さて、人類の選択は?

2020年07月27日 22時57分51秒 | 文化社会
荒れ模様の地球社会、さて、人類の選択は?
 1989年ベルリンの壁崩壊、ブッシュ、ゴルバチョフの米ソ首脳会談が行われ、東西の冷戦構造が終結しました。

 70余年にわたる「全体主義・共産主義」体制と、「民主主義・自由経済」体制の対立はソ連邦の崩壊で終わり、これからは政治的には民主主義、経済システムとしては自由経済体制が地球上を覆って、民主的な自由競争で競い合って発展する地球社会が実現するかと思いましたが、そうはなりませんでした。

 現状は米中対立が新しい冷戦状態のように見えますが、かつての米ソ冷戦とは大分質が違います。
 米ソの冷戦の時は、経済関係は基本的には分断されていました。別個の経済圏だったわけです。しかし今の米中では、経済関係はお互いに複雑に入り組んでいるのはご承知の通りです。

 鄧小平以来の改革開放、社会的市場経済で、中国も経済活動では自由経済圏と一体になっていったわけです。
 政治的には共産党独裁ですが、経済は市場経済というウルトラCで、世界第二の経済大国になったのです。

 中国は、そうして経済発展をするうちに、自由経済の効率の良さを体験し、政治体制も、次第に民主的なものに脱皮を遂げていくのが本来のあるべき姿だったのでしょう。
 しかし、国民大衆が自由経済の良さに気づくスピードと、自由に慣れていない政権がそうした国民を抱えてガバナンスを維持する能力の間には、大きなギャップが生まれているようです。

 「あんな大きな国をまとめるためには共産党一党独裁が必要のだ」と言われればそうかも知れません。しかしそれが本当にいいかどうかはわかりません。
 偶々この時期に主席となった習近平さんは、中国を世界の覇権国にという夢を持ったのでしょう。終身の主席となり、独裁者としてそれをやり遂げたいと邁進のようです。

 世界の多くのリーダーは、全体主義の独裁国が世界の覇権国になることは当然認めないでしょう。しかし子供の喧嘩のようなことはやりたくない、時間を掛け機の熟するのを待って、中国にそれ解らせることを地道に進めるべきだと思っているのでしょう。

 その中で、アメリカのトランプさんだけが、現在の覇権国という地位を背負っているという自負からか、11月の大統領選を前に焦っているのか、積極的に喧嘩を仕掛けています。

 そして困ったことに、アメリカを筆頭に、民主主義・自由経済を信奉する国々においても、民主主義の本来の在り方、自由経済のあるべき姿が、次第に本来の思想を逸脱したものに変貌してきているという様相がみられるが、今日の自由圏の中の動きとしても顕著になって来ているという現実があるのです。

 この変貌については、次回に確り論じたいと思いますが、社会主義市場経済から、独裁国、全体主義に本卦還りしそうな中国、その一方であるべき民主主義、自由主義経済から大分逸脱・変貌した今日の自由經濟圏の国々、その対立が、今、世界を危機に陥れつつあるようです。

 古い中国の諺の「天罰覿面」が新型コロナウィルスの猛威でしょうか。
 さて、人類は、これからどんな選択をし、どんな行動をとっていくのでしょうか。地球上で最も知能の発達したホモ・サピエンスの頭脳が問われているのでしょう。

国民一人一人の行動がますます重要に

2020年07月25日 16時28分22秒 | 文化社会
国民一人一人の行動がますます重要に
 さる22日でしたか、政府は「分科会」の意見を聞いて、8月1日に予定していた大規模イベントの人数制限5000人の撤廃を取りやめ、当面1か月程度様子を見ることにしたようです。

 経済活動再開を無理にも強行しようという態度が少し変わったことは良かったのではないかと思いますが、専門家会議か分科会かよく解りませんが、日本で最も諸事情のよく解っている方々の集まりの結論が、こうも変わるのを見ると、諮問される側も、政府の意見を忖度しているのかなどとあらぬ邪推をしてしまいます。

 問題は、諮問機関が政府の意向を忖度しても、新型コロナウィルスは、政府の意向を全く忖度しないという事でしょう。

 GoToトラベルの結果は、かなりの問題を生じているように思われます。
 我々日本国民は、政府の指示に従順なところがありますから、政府がこうして下さいと言えば、その要請をよく聞きますが、逆に政府が結構ですと言えば、「それは良かった」と政府の決定を認めて活動を活発化するのです。

 国民は、新型コロナ情勢が何も変わっていないことは解っているのですが、政府が、旅行に行ってもいいですよと言えば、「政府の許可が出たのだから大丈夫だろう」とか「きっと今までが心配し過ぎだったのだろう」と安心感を持つ人は多いようです。

 しかし、こうした気の緩みの結果は、かなり酷いものになりつつあるようです。毎日の感染者数は、全国的に増加傾向で、合計の数はは第一波の数を超えてきています。

 明らかに第二波でしょう。検査数が増えれば感染者の数は増えると言っていますが、それは当然として、「感染者/検査数×100」の感染者率がじりじり上がっているのは、検査を受けていない感染者の数がそれだけ増えていることを示しているのでしょう。

 その人たちは、多分、市中で普通の生活をしているのでしょう。感染経路不明者の増加がそれを示しているように思われます。

「緊急事態宣言」を嫌う政府は国民に、マスク、手洗い、三密、ソシアルディスタンス等々を守るように言いますが、国民は「まだその程度」「今後次第に緩むのだろう」と受け取ることになります。

 このままで本当いいのでしょうか。「そんなの、心配のしすぎだよ」という事を、今後の数字が示してくれればいいのですが・・・。
今の状態では、「政府はこのままで行くから、国民一人一人が、毎日の生活の中で頑張ってください」と丸投げされていることになっているようです。

インフレの起きない時代になった理由は?

2020年07月23日 20時43分02秒 | 文化社会
主因は賃上げ圧力の弱まり
 随分前ですが、 インフレの原因について書きました。
 主要な論点は、次のようなものでした。
 
 貨幣数量説というのがあって、物価は物資の量とお金(貨幣)の量の関係で決まる。単純に言えば、モノの量が変わらなくて、おカネの量が2倍になれば、物価は2倍になる。これは解り易いのですが、現実の説明にはあまりなりません。

 では、現実になぜインフレが起きるかというと、理由は限られていて、第一に戦後の日本のように、物資が絶対的に不足している場合ですが、いまの時代、主要国では、ぼあり得ません。(最近「マスク」に関しては少しばかりありました)。

 そのほかの理由で起きるとすれば、まず「輸入インフレ」があります。輸入品が値上がりして国内物価に影響するのです。例えば、原油価格が上がって、国内で電気代、ガス代、ガソリンや灯油代が上がるといった状況です。これは最近の日本でもあります。
 ただし原油が値下がりすれば逆になるので、永続的なインフレにはなりません。

 もう一つは、国内で起きるコストプッシュインフレです。コストといっても、一般的には賃金コストで、「賃金コストプッシュインフレ」です。
 実は、これが世界各国で起きるインフレの太宗を占めていたのです。

 典型的なのは、輸入物価が上がって、輸入インフレが起きた場合、その分生活が苦しくなるので、賃金を上げろという事になります。経営者も、物価が上がった分は補填してやらないといけないな、という事で賃上げをします。そしてその分コスト高になりますから、値上げをします。

 値上げをすると、またその分は補填してやらなければという事になって、所謂「賃金と物価のスパイラル」が起きます。

 かつては、労働組合運動の力が強かったり、物価上昇分は補填するという制度があったりして(エスカレーター条項などといわれます)、主要国でも石油危機で原油価格が上がったのをきっかけに、賃金・物価スパイラルが起きていました。

 しかし、その後わかってきたのは、賃金が上がって物価を上げようとしても、国際競争で物価が上げられないという現実です。その結果が「 スタグフレーション」でした。
 アメリカもヨーロッパ諸国も。 これで徹底的に苦しみました。

 その結果、よその国より余計に賃上げをすると、結果は自分に降りかかってくる事が解り、労働組合も、その現実を無視することが出来なくなったのでしょう。元気のいい賃上げの動きは影を潜めて来ました。

 世界中で賃上げの労使交渉がニュースになるようなことはなくなり、日本でも春闘は静かで、厚労省の主導で最低賃金だけは毎年3%目標で上げて来ましたが、今年はコロナで引き上げはやめたようです。

 無理な賃上げ(国の生産性上昇率を超える賃上げ)が無くなれば、インフレはほとんどなくなるという事が労使も国民も解ってきたのでしょう。これがインフレが流行らなくなった最大の原因のようです。

 最近でもインフレをやっている国々といえば、目立つ例を上げれば、ベネズエラ、アルゼンチン、イラン、トルコなどですが、これらの国々は、それぞれの事情で、為替レートが急落した国々です。当然輸入物価が自国通貨では大幅に上昇します。
 併せて、国際関係などのために経済状態がよくないと、政府も企業も国民の生活の悪化を防ごうと、賃上げを容認せざるを得なくなり、結果、物価と賃金のスパイラルが起きて経済が一層悪くなっているのです。

 一昨日の総務省発表の消費者物価統計を見ても、日本では、政府・日銀の掛け声にも拘らず、インフレの様相は殆ど見えないようです。
 政府は不本意でしょうが、国民にとっては結構なことです。

医療提供体制に未だ余裕があるから・・・

2020年07月21日 15時23分32秒 | 文化社会
後追いでは問題は解決されません
 毎度聞いていて、ずっと気になっているのに、「医療提供体制にまだ余裕があるから・・・」というのがあります。そしてそのあとは、「もう少し状況を注視して」と続くのです。

 これは安倍総理も、関係大臣なども、多少表現は違っても趣旨は同じことを述べています。

 これを聞くたびに、ひどい違和感を感じてしまうのです。
 常識的に言えば「医療提供体制にまだ余裕があるから」といったら、次にくる言葉は「今のうちに早めに手を打つべく」努力しているとか、考えているとかいった言葉と予定して聞いているのですが、続く言葉が、上記のように全然違うものなので、ひどい違和感を感じるのです。

 7月16日に「 反対する専門家はいないのか?」でコロナ問題も火事と同じで初期消火が最も大事と書いた覚えがありますが、政府の言っていることは、「まだボヤですから、状況をよく見て、火事が本格化するようだったら・・・」というのと全くよく似ています。

 新型コロナの初期に、37.5℃の熱が4日続いたら受診して下さいと、これも専門家の意見を聞いていっていましたが、わざわざ手遅れにするのが目的ではないかと思われるようなことがあちこちに見られます。

 大分前ですが、工場排水などの公害が問題になった時、公害問題の専門家は「公害は、発生元で抑えましょう。拡散してしまってからでは犠牲もコストも膨大になります」といっていたのを思い出します。

 政府はいつも「専門家の意見も聞き」というフレーズをつけて説明しますが、真実は一体どうなっているのでしょうか。
 あまり書きたくもないことなので、この辺りで止めます。

就職氷河期世代の支援に思う

2020年07月20日 17時27分18秒 | 労働
就職氷河期世代の支援に思う
 新型コロナのニュースに隠れてしまっているきらいはありますが、政府が就職氷河期の世代の支援に2億3000万円の支出を決めたというニュースがありました。

 就職氷河期そのものが、ここ数年求人倍率の高止まりの中で忘れられかけていたかもしれませんが、この問題は、今後の日本の雇用政策を考えるうえでも、十分認識しておかなければならない問題のように思います。

 就職氷河期とは、1992~3年から始まり2004~5年まで続いた 学卒就職希望者の受難の時期で、リーマンショックで再発、2013年まで続いています。

 事の起こりは1985年のプラザ合意にさかのぼります。ニューヨークのプラザホテルで開かれたG5で、当時世界に誇る国際競争力を持っていた日本は円高を要求され、気軽にOKしました。
 結果、$1=¥240が2年後には$1=¥120になり、平成長期円高不況の原因を作ったのです。

 バブル景気は1991年で終わり、92年から日本経済は暗転、長期不況を恐れた企業は新卒採用を急激に絞り、就職氷河期は始まりました。そしてリーマンショック(2008年)の直前3年ほど氷河期も解消かといわれましたが、リーマンショックで一層深刻となり、円安が実現し日本経済が正常化する2013年まで続きました。

 偶々この就職氷河期に卒業した方たちは正社員として就職できない場合が多く、社会人としての第一歩を安定雇用という形で踏み出せなかったという不運に見舞われたのです。

 こんなことが起きたのも、日本政府が安易に円高を承認したという経済外交政策上の大失敗のせいですが、就職氷河期世代というのは、まさにその失敗の犠牲者だったという事でしょう。

 2013~4年、円レートが$1=¥80から120円に戻って、就職氷河期は解消、有効求人倍率は上がり、新規学卒は売り手市場となりました。

しかし当時失業か非正規での就職だった方々のその後の苦難は続き、この所、80・50問題など種々社会問題も起きていました。
こうした、平成超円高不況の犠牲者とも言うべき就職氷河期世代への支援策が講じられるのは、遅きに失したとはいえ、大変大事なことといえましょう。

 余談になりますが、中国はアメリカから人民元切り上げを要求された時、はっきりと拒否しています。彼らは日本の失敗の経験に学んでいました。

 短期の不況は戦後の日本でも何度もありました、不況が短期であれば、企業は長期戦略の中で採用計画を立てますから、あまり問題は起きません。
 しかし、平成不況のような長期不況には、採用削減しか対策はありません。

 その意味では、不況があまりに長期化するような政策の失敗は、徹底して避けるような政策が、経済だけでなく、社会の安定のためにも必要なのでしょう。

 現在の新型コロナ問題は、一部に、採用削減の動きはあるものの、長期的視点を持つ企業は安定した採用計画を維持しようとしているようです。

 その意味では、新型コロナによる景気の落ち込みを、どうすれば最も短くすることが出来るかという問題を、政府は企業・労働組合とともに、よくよく相談して、禍根を残さないよう知恵を絞る必要があるように思う所です。

「独裁者スタイル」流行の時代(続編)

2020年07月19日 17時55分19秒 | 文化社会
「自由」を使いこなすことは難しいようです
 前回は「独裁者スタイル」の流行について、書いてきて、この所ずっと気になっている新型コロナ問題になってしまいましたが、やはり元々気なっているのは、世界でなにか独裁者スタイルのリーダーが多くなっているような状況があることです。

 戦後の世界で見ると、共産圏以外では、独裁を良しとするようなリーダーはあまり居なかったように思います。
 おそらく第二次世界大戦で、日、独、伊三国が同盟を結んで、戦争による国益確保に走り、ファシズムと言われ、独裁制は国の政策としては良くないもので、独裁者の末路は悲惨なものという通念があったからでしょう。

 しかし、戦後もそろそろ80年に達しようとし、第二次世界大戦の記憶の次第に風化し、その後はソ連邦の崩壊もあり、平和の世界で自由を謳歌してきた地球上の人々の中でも、何か少しずつ変化が起きているように感じられるところです。

 基本的には、人間は、必ずしも「自由」を適切に使いこなせない部分を持っているという事でしょうか。
 これはつとにエリック・フロムが「自由からの逃走」(ナチスドイツを分析)で論じ尽くしたところでしょう。
 一般的に言えば、自由には対立概念としての平等があり、両者を止揚する立場にある「社会正義」という規律・規制があるという事でしょう。

 卑近な例を引けば、「GoToキャンペーン」は社会正義に叶うか反するかという事を、データを確りと掴み、周到な予測をし、民主的な手続きで、やるかやらないかを決めるといったことをきちんとやるかどうかという事です。

 ここで多くの人が、自由を民主的な手続きで上手に使いこなすという面倒なことを選ばず、誰か決めてくれる人がいれば、それについていった方が楽だと考えてしまうようになると、何となく「自由からの逃走」現象が起きる可能性が出て来るのでしょう。

 最近の「独裁者スタイル」のリーダーの出現は、こうした、自由を使いこなす努力をしない自由もあるという理屈(これは自己矛盾ですが)でしょうか、「決める政治」を標榜するリーダーが、日本でも人気があったりすることになるのです。

 共産圏は別として( 共産主義は独裁主義になるという傾向は歴史的に実証されているので)、自由圏では、「独裁者スタイル」のリーダーのリーダーになってしまったようなトランプさんの出現は、そうした背景の中で起きた現象なのでしょう。

 多分それを良しとする雰囲気を作った要因の中には、共産圏の2つの大国、中国とロシアが独裁色を強めるという動きもあったという事でしょうか。
 難しい問題が起きるほど、そして、何らかの集団的な被害者意識があったりすると、人々の「自由からの逃走」現象は起きやすくなるようです。

 トランプさんはまだ任期4年を全うしていませんが、あまりに支離滅裂と思う人が多くて続投は難しいようです。自由の国アメリカの良識が結論を出してくれるでしょう。
  
 恐ろしいのは、「独裁者スタイル」のリーダーが、人々の「自由からの逃走」現象と合い携えるような状況がを起きる時です。典型的な例が、エリック・フロムの指摘したナチスドイツだったという事でしょう。

 通常、権力は腐敗するものです。「独裁者スタイル」のリーダーは独裁者になり、そして次第に自己中心の腐敗した権力者になるのがよくある姿です。(注)
 この動きに国民が適切にブレーキを掛けられないと、21世紀の世界は、また20世紀前半のようなことになりかねないような気もします。

 こうした動きは、些細な事と見えるようなところから始まり、次第に巨大な「地政学的」などというレベルに発展していくという性格を持つようです。
人類が再び過ちを犯さないことを願うばかりです。

(注) シンガポールのリ・クヮンユウさんは稀有な事例でしょう。「 中国のニューノーマル」参照

「独裁者スタイル」流行の時代

2020年07月17日 17時13分35秒 | 文化社会
日本国民の整然とした行動に期待する
 新型コロナ問題は、ここ当分、論じても無意味にな状態になりました。政府は、当面「状況を注視」するだけで、既定方針を変えないようですから、国民は「自分の安全は自分で守る」ことに専心するよりほかに選択肢はないようです。

 こうした今の日本の情勢も、やはりこの所の世界の流行の一環という事なのでしょうか。この数年来、世界の多くの国々で、リーダーの独裁的な行動が目立ってきています。

 当今の世界では、独裁は共産党一党独裁の国の専売かと思っていましたが、それが民主主義圏の国の中でも、リーダーが独裁者的な行動に走る例が多くなって来たような気がします。

 共産圏では、さきに中国が、習近平主席が終身政権を掌握することを決めました。最近ロシアでは、選挙という形式はあるものの、プーチン大統領が83歳まで大統領を続けることに道を開きました。
 北朝鮮の金王朝については、終身政権は言うまでもありません。

 一方、民主主義国でも、アメリカではトランプ政権が独裁色を強め、アジアや南米でも「ミニ・トランプ」などいわれる独裁色をもって旗印とする政治家が現れることになりました。

 新型コロナとの関係で見ると、独裁色の強いリーダーの国で、コロナへの対応より、経済優先という形の政策の色合いが強く、新型コロナの犠牲者が多いとった結果が出ているのは偶然でしょうか必然でしょうか。

 ところで日本はどうかと言いますと、日本は戦争をしない平和主義の国で、国民を大事にし、政権は常に国民に対し、丁寧に、真摯に説明を尽くし、国民を大事にする国というイメージでしょう。

 WHOが「理由は解らないがコロナの犠牲者が圧倒的に少ない」と驚くのも当然かもしれませんが、どうでしょうか、このところ風向きが少し変わってきているように感じらます。

 安倍政権が長期化し、安倍総理は自他共に許すトランプさんの盟友になり、次第に安倍一強などと言われるようになり、何やら独裁色を強めてきていたのが気になり始め、それへの批判も強くなリ、支持率も低下してきたというのが現状でしょう。

 その結果でしょうか、偶然か必然かわかりませんが、「新型コロナ対策より、経済優先」という「トランプ型」の政策が、何かはっきりして来たようです。

 これから日本も、些か大変なことになるのかもしれません。
 しかし、日本の国民としては、従来通り整然と、自らを確りと律し、他人に迷惑をかけない、理性的で合理的な行動を誤りなく選択し、世界の見本にもなり得るような結果を作り出す力があるのではないかと思っています。

反対する専門家いないのか?

2020年07月16日 21時22分21秒 | 文化社会
手遅れにならいために
 GoToトラべルについての分科会が進行中のようです。
 政府からは、東京発着を除外して、予定通り今月22日実施という事で意見を聞いているようですが、まだ結論は報道されていません。

 東京発着を除外することは当然でしょう。しかしそれで問題が解決されると思っている人はいないでしょう。政府自体も、これで若し状況が悪くなれば、その時はさらに厳しい措置を取るといっています。

 つまり、もっと酷くなれば厳しくするという事のようですが、こうした問題は、火事と一緒で、初期消火が最も重要なのは明らかです。燃え広がってしまってからの消火が犠牲を大きくすることは誰でも知っています。

 かつて政府は、37.5℃が4日以上続いたら保健所へと言いました。もし異常を感じたらすぐに、あるいは、少なくとも37.5℃になるようだったら直ちにと言っていたら、感染の広がりはずっと少なく保健所や病院の手間もコストもずっと少なくてすんでいたでしょう。

 やってみて、酷くならなければラッキーというのでしょうか。専門家の目で見て、GoToトラベルは感染拡大につながる可能性が極めて大きいと指摘する方もいます。
 感染拡大が明白になってからt対策を講じる

 今、諮問会議は「政府案を了承した」というニュースがはいってきました。「危険だ」という委員はいなかったのでしょうか、いても少数だったのでしょうか。

 「ころばぬ先の杖」という言葉もあります。転ばないと思っても、転ぶ可能性も考えて、杖を持つのが「安全」の要諦です。
 「市井の私人が勝手なことをいっている」という事なのでしょうが、心から心配と思う人も少なくないと思います。

 旅行に行く人も、トラベル関係のお仕事の方々がたも、みんな不安を感じながら、といった状態の中で強行するよりも、少し待って、まずは安心して楽しめる環境を実現すべく協力するほうが、本当は望ましいのではないでしょうか。
 もし、これで感染が広がれば、更に長い長い間の旅行制限になることは必定です。

 個人的にも、GoToトラベルが「失敗」にならないことを願いますが、国民の生命に責任を持つ政府としては、「安全第一」を考えた、失敗の芽を摘む政策を選択してほしいと思うや切です。
    

迷走する政府の新型コロナ対策

2020年07月14日 10時59分33秒 | 文化社会
矛盾露呈し国民は困惑
 このところの政府の対コロナ政策を聞いていますと、私ども高齢者は強い違和感を感じることが多くなっています。
 確かに、経済の活性化を図ることは大事でしょう。しかし、そのためには、国民が「安心して」社会経済活動に参加できることが大事です。

 「新型コロナ問題は注視しつつ、社会経済活動は既定方針通り促進していくと」というのが政府の方針のようですが、「注視していく」中に東京の感染拡大の問題は入っていないようで、あれは東京問題だという事でした。

 「東京は感染が増えているな」と注視するだけで、既定方針通り、GoToで東京の人も「補助金を出しますから旅行に行ってください」という事のようです。
 これでは東京は困ってしまいます。私も孫のところに行きたいのはやまやまですが、電車や列車に乗るのは怖いし、車で行ったら、東京ナンバーでは石でも投げられそうです。

 逆に東京へ旅行したい人も大勢おられるかと思いますすが、東京から帰ってから感染していた、結果、家族にも感染したなんてことになったら、などと心配しながら旅行するということになるのでしょう。そんな旅行を奨励する政府の気がしれないという人も多いようです。
 私の孫娘も、ひいじじ・ばばのところへ行きたいというひ孫に、「東京へは行けないの」と言い聞かせているようです。

 社会経済活動の活発化と新型コロナ感染防止両立のの手段というには、理論的にはだれにも解っていることでしょう。それは簡単で、PCR検査で陽性の人は「市中を出歩いていない」という状態を作り出すことです。
 これまでの調査では、東京でも感染者は「1000人に1人」だそうですから、感染者には2週間ほど休んで頂いて、その間、1000分の999の人間で社会経済活動を知れば、マスクも三密注意も原則不要で、社会経済活動は正常になるという事でしょう。

 ならば、そうした状態に「できるだけ早期に」、「出来るだけ正確に」近づけるためになにをすべきかという事でしょう。そんなことは至難と政府は言うかもしれません。もちろん、国民が本気で協力しなければできませんし、それ以前に、政府が、あらゆる資源を動員して明晰な頭脳と強力な政策努力を展開しなければなりません。(まずはPCR検査、抗体検査の徹底がカギだということは、疾うから言われていることです)

 恐らく、日本ならかなりの程度それは可能になるのではないでしょうか。政府が説得力のある政策を推進しようとすれば、ほとんどの国民は賛成して従うでしょう。日本の国民は賢明ですし、生真面目です。

 現状のような、ほとんどの国民が、望むように検査も受けられず、感染しているのかどうかも分からず、症状が出て感染が確認された人についても、行動制限は緩やかで、結果、感染のあるなしが「自分にも他人にも解らず」、感染するか、感染させるかも解らないままに、まじりあって市中を歩きまわっているような状態で、社会経済活動促進といっても、つまりは第二波を深刻なものにするだけで、結局は挫折するだけではないでしょうか。

 プロ野球、Jリーグ、大相撲の観客、更に遊園地、各種集会、などなど、規制が緩められ、喜んで参加した結果がどうなるのか『しっかりした見通しがあって』の政策なのでしょうか。それとも単にリスクテイクは、それぞれの国民の責任でという事なのでしょうか。


































 


 

 

国は国民の生命と財産を守ってくれているのか

2020年07月11日 23時16分08秒 | 政治
九州の豪雨災害に思う
 昔から梅雨といえば、雨のしとしと降る日が続くというのがイメージでしたが、近年は全く変わってきました。ニュースでは集中豪雨、線状降水帯といった言葉が日常になり、梅雨の時期の雨は雷や突風、いままで気象庁もあまり使わなかった竜巻まで同伴し、「今まで経験したことのないような」という形容句が定型文のような形で使われています。
 
 今回の九州をはじめ、中部、東北に及ぶ自然災害は、気候変動の恐ろしさを身にしみて感じさせるものです。台風シーズンには間がある梅雨の時期に、すでに多くの人命と人々が積み上げた貴重で膨大な財産が家族や友人その思い出とともに失われているのです。

 日本人は縄文の昔から天災は諦めるしかない物といった意識があるようで、落語にも「天災」というのがあったりしますが、近年の様相を見れば、そんなことをいっていられる状況ではないのではないでしょうか。

 現政権は、よく「国民の生命と財産を守るために」といいます。しかしどうもそれは、何処からか飛んでくるミサイルの事だけを考えての発言のように聞こえてきます。それ以前に、毎年繰り返される自然災害による人命と財産の滅失には、どんな防御の手段が考えられているのでしょうか。

 今後も気候変動の影響がますます大きくなることは避けられないでしょう。「今まで経験したことのないような」という常套形容句は、使われ続けることになるのでしょう。

 ならばこの対策こそが「国民の生命と財産を守る」ための喫緊の課題ではないかという気がするのは私だけではないしょう。
 確かに「国土強靭化」といった言葉も聞かれます。しかし具体的に、氾濫する河川、崩れる斜面などなどについて、具体的にどのような対策が、どのような規模で進捗しているのかはあまりニュースにもならないようです。

 今回も津波の様に恐ろしい球磨川の氾濫の映像を見せられることになりましたが、私たちの知る範囲でも、所謂「天井川」は到る所にあります。
 川底は流れてくる土砂で年々高くなるでしょう。今までは両岸の堤防を高くして氾濫を防いでいたというのが一般的なものだったのでしょうか。
 それを繰り返して川は田畑や住宅地より高くなる、「だから天井川という」と小学校で教わりましたが、天井川という呼び名の由来を教わっただけでは間に合わない時代になってきているのではないでしょうか。

 先日も土砂流出の現場で、砂防ダムの計画は出来ているのだが、工事が進んでいないという災害現場のニュースのコメントがありました。
 国土強靭化も計画はあるのでしょうが、その実行は、政府・自治体の財政不如意でしょうか、それとも政策の重点順位の問題でしょうか、現実に進んでいないことを年々の自然災害が見せつけてくれているのではないかといった気がします。

 しかし、現実に年々失われる国民の生命と財産の大きな損失を見れば、国土強靭化こそ、この気候変動の時代において、まさに喫緊の課題といえるのではないでしょうか。

 天災だから諦めによりしょうがないといいう見方はすでに昔のことで、異常気象のますます激化する今の日本の状況(世界共通かも知れませんが)に鑑みれば、すでに放置できる問題ではなくなったのではないでしょうか。

 異常気象は年々深刻化し、「今まで経験したことのないような」が、災害報道の常套的な「枕言葉」となるような、現実を見るとき、「国民の生命と財産を、なにから守るか」の優先順位を日本として、本格的に再検討する時にあるのではないかと深刻に感じるところです。



 

 



徹底した金融緩和指向の日銀

2020年07月09日 23時31分00秒 | 経済
徹底した金融緩和指向の日銀
 今日も黒田日銀総裁は、日本経済は大変な状況にある、日銀としては、さらに金融緩和を進める用意がある、という趣旨の発言をしています。

 黒田さんの就任以来の基本的な視点は、「円高は絶対に回避しなければならない」という強固な認識が基本と思われます。

 この考えには客観的な合理性があります。つまり、基軸通貨のドルが、表面的には「高いドルが望ましい」などといいながら、現実にはあわよくばドル安にしていく方が望まし師といった「内心」が隠されていると思うからです。

 日銀の錦の御旗はインフレ率2%が望ましいというアメリカと同じインフレターゲットを掲げていることでしょう。

 経験的にみても、日本のインフレ率はアメリカより低いのが通常です。今は世界中インフレになりにくい状況が一般的ですが、この目標(アメリカと同じインフレ率)を掲げておけば、アメリカから為替操作国といわれる筋合いはないと言えるでしょう。

 それでも現実は2016年あたりの$1=¥120から今は107円程度まで円高になっていますが、日本はアメリカよりインフレ率が低いですから持ちこたえています。
 日銀の徹底した金融緩和政策が無かったら、$1=¥100以上の円高になっているのではないかなどと思ったりします。

 しかし、この金融政策は多様な副作用を齎していることも事実でしょう。
 主なものを上げれば、ゼロ金利です。将来不安を持つ国民が一生懸命貯金をしても利息が付きません。
 
 政府はゼロ金利の預金より、株や投資信託のほうがいいですよとiDeCoや積み立てNISAを税の優遇で推奨していますが、これは半分投機ですから、キャピタルロスの危険がついて回ります。

 政府が年金資産の運用で頼りにしているGPIFですら、損を出しています。もともと、拠出は確定ですが、給付は不明という仕組みですから、「損もあり」なのです。玄人でも損するのですから、ならば素人においておやでしょう。

 もう1つは、金融の膨大な量的緩和です。新型コロナ対策の給付金などもあり、市場のお金はじゃぶじゃぶ、金利も安いので企業はにとっては大変ありがたいことです。

 しかし、昨年来経済は下降気味で、更に新型コロナの追い打ちで仕事がない産業や企業も多く、供給されたマネーの多くは日銀への預金になったりもしますが、iDeCoやNISAが推奨されているので、株や投信、つまりマネーゲームで稼ごうという方にも当然向かっていきます。

 そのせいか物価はがりませんが、日経平均は上がっています。アメリカの方が先輩ですが、株価など投機の方でバブル起きているという事なのでしょうか。そういえば先日発表の路線価(地価)も全面的に上がっていました。

 金融緩和は物価上昇にはつながっていませんが、マネーマーケットでのキャピタルゲイン狙いの方で日経平均の上昇につながっているようです。

 という事はインフレは株価や地価(この場合はインフレといわずバブルというようです)で起きているという事になり、バブルは何時か破裂して大変なことになるといわれます。

 日経平均は、アメリの「ダウ平均」に比べれば、まだ控えめのようですから、制御可能なのかもしれませんが、新型コロナで企業業績も経済成長もマイナス確定のような状況の中ですから心配の方も多いでしょう。

 この場では豪雨災害には触れませんが、新型コロナの第二波にも、政府は無手勝流のようで、国民は余程巧みに行動しないと、国民の生命財産は「自分で守れ」という事になってしまっているようで、何か怖さが嵩じて来るような感じです。

2020年5月「家計調査」:消費の落ち込みは異常事態

2020年07月07日 22時19分49秒 | 経済
2020年5月「家計調査」:消費の落ち込みは異常事態
 今日、総務省から5月分の家計調査が発表になりました。新型コロナ下の家計は、まさに異常事態で、stay home が齎した消費の急落が歴然です。

 同時に発表された毎月勤労統計では全産業全規模の平均で所定内給与は前年比0.2%増えました(賃上げはあった)が、現金給与総額はマイナス2.1%(残業減)です。
 給与の落ち込みはこの程度ですが、消費の落ち込みは深刻です。

 何時ものように、2人以上所帯全体と2人以上勤労者所帯について見ます。
 全所帯は収入の統計はないので消費支出だけですが、新型コロナが言われ始めた2月から対前年同月比で2月マイナス0.3%、3月マイナス6.0%、4月マイナス11.1%、そして5月は16.2%です。

 外出しないので、減っているのは被服、交通(旅行など)、教育、教養娯楽などで、軒並み30~40%台のマイナスです。増えているのは、家具家事用品の2.9%のみ。

 収入と支出が調査されている勤労者所帯では、収入は増えていて、前年同月比9.8%増、ただし世帯主の定期収入は僅か0.1%の増。増えているのは配偶者の収入で、14.3%増です。

 この辺りの特殊事情は、統計の数字だけではわかりませんが(少し怪しいかも?)、結果的に家計としての可処分所得(手取り収入)は、13.4%増になっています。
 しかし、消費支出の方は15.5%のマイナスで、結果的に「平均消費性向」は、73.3%と前年同月が98.3%でしたから、差し引きマイナス25.0%ポイントとまさに異常な大幅の低下という事になってしまっています。

 これは、従来の、将来不安に備えた貯蓄性向の高まりによるというより、政府の要請で家に蟄居しているのですから、外食、飲み会、旅行、スポーツ(含観戦)などすべて自粛で、お金を使いたくても使えないという事情によるものですから、このブログで従来から指摘している、将来不安や老後不安から来るのとは別ですが、原因は違っても、消費支出が減るという事の経済的な帰結は同じで、経済の急激な落ち込みとなります。

 今度四半期別GDP統計が出るときにはその辺りの関係がはっきりと見られるでしょう。
消費支出はGDPの最大の構成項目ですから、影響は当然大きいわけです。

ところで、5月では、まだ1人当たり10万円の補助金はほとんど出ていないでしょうから、それが出た段階ではまた統計がどう変化するか、よく見ておく必要がありそうです。

 緊急事態が徐々に解除されたことで、消費支出もこの辺りを底に回復してくれますと経済の落ち込みも軽くなるのですが、この所のコロナ第二波論議がどうなっていくのか、大変気になるところです。

 いずれにしても、秋になるまで、諸費支出の動きからは目が離せない状況が続くのでしょう。
 これからもきちんと追っていくつもりですので、お付き合いいただければ幸甚です。

コロナ禍で知る消費の重要性

2020年07月06日 22時06分20秒 | 経済
コロナ禍で知る消費の重要性
 新型コロナの猛威で、世界中、どこの国でも困っていることがあります。それは、「コロナの蔓延は防がなければならない、しかしその徹底のために、経済活動がストップしてしまったら更に大変なことが起こる」という問題です。

 アメリカでは感染者が激増しても、死者の数が世界一になっても、経済活動がストップすれば、より深刻な事態が起きるはずだという考え方からでしょう、思い切って経済活動優先にかじを切っているようです。

 日本でも、今第二波が言われる中で、政府は緊急事態発令ではなく、日本なりの経済活動優先政策である諸種の禁止要請の緩和の方を選びつつあるようです。

 国によって、人的被害と経済的被害のバランス感覚には違いがあるのでしょう。それぞれの国の政府が苦しみながら、それぞれの選択をしているのです。

 この問題を経済や雇用(労働経済)の面から見ますと、ステイホームでみんなが家にいて動かなければ消費支出が伸びない、オシャレや旅行・行楽・娯楽、プロスポーツに関わるような分野では企業の売り上げが急減し、従業員解雇が頻発、経済活動も雇用も減って、忽ち深刻な不況になってしまうという現実が見えています。

 今回の経験で、皆様も、みんなが街に出てカネを使うのを控えたら、経済がどうなるかという現実を肌で感じられたと思います。

 こんなことを書きましたのも、多分明日あたり総務省から「家計調査」が発表になり、「平均消費性向」の5月分が発表になるわけで、もう何年もこの数字を見ながら景気動向を観察してきたこのブログとしては、「経済の拡大のためには、消費の拡大が必要なのです」という現実を多くの方々にご理解いただく絶好の機会と考えているからです。

 今回の異常な消費落ち込みは新型コロナによる「ステイホーム」のせいですが、これまでアベノミクスの中でも、どうしても景気が思うように上向かないことの最大の原因は、実は、多くの日本人が、将来不安に駆られて、貯蓄に専心、消費を常に抑え気味だったことにあるのです。

 つまり、日本の家計の「平均消費性向」が上がり始めれば、日本経済は、もっともっと元気になるのに、政府が「将来不安」ばかり煽るから、貯蓄ばかり増えて経済の元気が出ないわけで、少し「今日の生活」も楽しもうと消費を活発化すれば、景気は好転、経済成長率も高まるのですから、何時日本人の意識が変わるかを見ようと観測を続けてきたわけです。

 今回のコロナ禍で、多くの家計が、消費を減らすことは景気低迷に直結するという事を肌で感じ、やはりある程度は消費を活発に保つことが景気回復の秘訣と解れば、コロナ後の経済では、「平均消費性向」の向上が期待できるのではないかと考えている次第です。

 もちろんこれには条件があって、消費の伸びも健全な範囲であることが必要です。これは繰り返し述べてきていますように、最も適切な基準は、「 稼いだ分は使い残さずに」という事です。
 アベノミクスの中では、日本人は、稼いだ分のうち、20兆円(国民総所得の3~4%)ぐらいを使い残しているのです。

 ということで、消費を伸ばし、経済成長率を高めていくことこそが、将来不安を解消するベストの手段という事が理解されれば、コロナ禍克服後の日本人は、この経験を活かして、日本経済の健全成長のきっかけを掴んだという事になり、まさに「 転んでもただでは起きなかった」という事になるのではないでしょうか。