tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

トランプ発言が現実になる可能性と日本の選択

2019年06月30日 22時30分06秒 | 国際関係
トランプ発言が現実になる可能性と日本の選択
 トランプさんの日米安保条約への疑問が表明されてから1日たちました。日米双方のその後の反応はどうかとみてきました。

 アメリカからは特別な発言はないようです。トランプさんはその後「言っただけ」といったリ、「安倍首相には前から伝えている」とも発言したとのことです。
 日本側は、菅官房長官が「片務的ではない」といったのが公式発言でしょう。安倍さんからは何も発言はありません。(その後、破棄する気はないだろうといったようです)

 トランプ発言は日本には大きなショックです。日本国内では、いろいろな意見が出ています。
 トランプさんの個人的見解だろう、アメリカの本音ではない、脅しに過ぎないのでは、これから始まる日米貿易交渉を有利に進めたいから、もっと日本の負担を増やすのが本音、などという安保条約の存在を前提にした発言ばかりです。

 それ程までに日本では、多くの人が日米安保条約を、空気のように「あって当然、ないことなど考えられない」と思っているのかなと考えてしまいます。
 しかし、アメリカがどこまで日本に安保条約関係の負担や防衛装備の輸入の増加を言ってくるかという問題はアメリカ(の貿易赤字の状況)次第でしょう。

 負担の限度がどこまでかは解りませんが、「そこまで負担すればアメリカ軍は日本の傭兵だ」などという意見が出たり、アメリカは激怒し「条約破棄」等といったことも起きないとは限りません。

 平和国家日本はどう生きるか、自ら考えなければならない時期は、何時かは来るのではないでしょうか。
 アメリカは日本に軍備を持て、原爆も持てというかもしれませんよとアドバイスしてくれる人もいるようです。

 日本は「はい、はい」というのか、それとも、自らのソフトパワーで国を守ることに徹するか、そういうことが現実世界で可能か、日本の政治家は議論したことがあるでしょうか。
 もし戦争があればどちらにしても世界も日本も破滅の道でしょう。その場合は、戦って破滅か、平和を唱えて破滅かという選択になるのでしょうか。
 
 日米安保条約が、アメリカ次第といったことになれば、こうした議論が現実に必要になるのでしょう。
 おそらく、今回のトランプ発言をきっかけにこうして議論が動き始めるかもしれませんし、それが必要と、アメリカも日本も認めざるを得ないのではないでしょうか。

 戦後日本が一貫して取ってきたはずの「国連中心主義」は国連自体の機能不全で行き詰まっています。日本は国連をあるべき姿に作り変えていく力はないでしょう。然しあるべき姿を提唱することは出来るでしょう。(効果はわかりませんが)

 やはり日本は、破壊的な行動を排して、世界の国々に役立つことを粛々として(最近の政府用語ではありません)実行する国でありつつ、真剣に進むべき道の議論を進めるべきでしょう。もう早すぎる事は無いようです。

日米安保条約とトランプ発言

2019年06月28日 12時11分15秒 | 国際関係
日米安保条約とトランプ発言
 突然に日本人を驚かすトランプ発言が飛び出し、考えてみれば、日本にとって、これから大変大事なことになりそうな気がしますので、今回はトランプ発言に関してです。

 日米安保条約が片務的というのはトランプさんに持論だそうで、菅官房長官は、直ちに「片務的ではない」と事務当局としては当然の反論をしました。安倍さんは何にも言わない方がいいということでしょう。

 トランプさんの頭の中では、かつての経緯はともかく、今重要なのは、アメリカが損をしているという「被害者意識」を米国民に植え付け、次期選挙に備えるという事でしょう。
 しかし、つい先日、同趣旨のことを、ブルームバーグが報道し、日米両政府が報道を否定したばかりで、大統領が言ったことをアメリカ政府が否定するというのはどういう事かと思っていたところです。

 ところが今度は堂々とした発言で、日本が攻撃されて、我々が命をかけて戦っている時に、日本人はテレビを見ていられるという説明までついているのですから、確信をもっての発言としか思われません。

 トランプさんの政治的思惑について、どうこういう気はありませんが、アメリカの中にこうした意見が根強くあるということについては、日本としては、将来に向けて確り考えなければならないのではないかと思う所です。

 なぜアメリカが、日本が平和憲法を持つことを良しとし、日米安保条約を結んだかといえば、「好戦的で、世界に戦争を仕掛けた日本が、まかり間違っても同じことを繰り返さないようにしなければならない」という強い意志からでしょう。

 しかし、今、日本は、「自分の意志で」戦争はしないという平和愛好国家になりました。そしてこれが本来の日本、 日本人の在り方と考えるようになっています。
 
 状況は全く変わったのです。第二次大戦後、世界の盟主を自認したアメリカは、日本を平和国家に作り替えるという素晴らしい使命感・義務感もあったのでしょう。
 そして、それが立派に成功したのです。今やアメリカは、やるべきことはやり終えたと考えても、それは自然かもしれません。

 一方、今のアメリカは経済力は落ち、万年赤字国で、自国第一主義に矮小化し、衰えるアメリカの経済力をあの手この手で何とか維持(回復)しようと苦しんでいます。
 そうしたアメリカの状態を見れば、「日本が、主権国として自ら平和国家であるべきだと考えているのだったら、あとは自分でやったらどうですか」と考えても必ずしもおかしくはないでしょう。

 トランプさんの頭の中は、もうそういう時期だろう、テレビを見ている日本人を、アメリカ人が命を懸けて守るのはおかしい、もし守ってくれというのなら、アメリカが戦争になったら、日本は当然アメリカとともに戦うべきだという論理になっているのでしょう。

 日本の歴代政権は、恐らくそこまで考えて来なかったでしょうし、「今の状態が片務的ではない」という菅官房長官の事務的な答えがその証左といえそうです。

 しかし、相手が「そうではない」といった場合の問題は残ります。恐らく日本はこれからその問題についても、しっかり考えて、きちんとした結論を出さなければならなくなるのではないでしょうか。

 今から遠い将来までの、誤りのない日本の在り方について、未だ日本人は真剣には考えてきていなかったのではないでしょうか。大きな宿題でなないでしょうか。

経済成長は何処へ行った(8)日本企業・家計の行動様式は変わったのか

2019年06月26日 15時25分57秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(8)日本企業・家計の行動様式は変わったのか
 $1=¥75~80のもとで日本経済は低迷の極にあり、学者の中にも、このままでは円レートは50円まで上がり、日本経済は破綻すると言い切る人まで現れ、企業は、国内工場の無人化か、海外進出かの二者択一を強いられるような状態でした。

 国民意識としても、経済成長は期待できず、所得が増えない中でまずは生活防衛のために節倹と貯蓄に重点を置かざるを得なくなってきていました。
 2008年から2011年といたこの低迷・混迷の期間には、2011年3月の東日本大震災の惨禍も重くのしかかり、日本経済はまさに出口の見えない暗中模索だったのではないでしょうか。

 大震災に際しては、日本が再建の費用捻出のために、保有する米国債を売るのではないかと懸念したアメリカ財務省は、当時の財務長官のガイトナーが、「 日本は米国債を売る事は無い」と強い牽制発言するなど神経を使っていました。
 しかし日本は遅々ではありましたが自力で粛々と再建を進めてきています。

 このブログでもあの当時は、円高阻止の方策や、マネー経済化の問題点などへの言及が多くなっていますが、為替レートを円安方向にもっていく以外、深刻な経済不振の脱出は不可能と見ざるを得ませんでした。

 事態が少し変わってきたと思われたのは2012年あたりから、日銀の円高容認だった基本路線に、多少の変化が見えたことがあると思います。
 2012年の2月、 当時の白川総裁 
は、アメリカが2%インフレ・ターゲットを決めたタイミングに合わせ、日本は1%インフレ・ターゲットという方針を打ち出しました。
 日銀が公式に物価上昇を認めるというのは、初めてのことではないでしょうか。円レートの徐々に円安方向に向かう様相でした

 そして2013年、白川総裁に代わった黒田総裁の「異次元金融緩和」、いわゆる 黒田バズーカ2発が2013年4月と201410月炸裂したことで、円レートはリーマン・ショック前の水準に、戻されるとことになりました。

 アメリカのバーナンキFRB議長のりーマン・ショックによる世界金融恐慌阻止策によって引き起された超円高については、 スティーグリッツもその円レートでは日本企業はやっていけないだろうといい、バーナンキも、日本も早期に金融緩和策をとるべきだったと発言しています。
 日本では浜田宏一氏の金融緩和論が、安倍総理、黒田総裁に影響を与えたなどといわれています。

 いずれにしても、2発の黒田バズーカにより、為替レートに関する限り、日本の経済環境はリーマン・ショック前に帰ったということになります。
 このブログでも、これで日本経済の復原現象が急速に進むだろうという楽観的な論調が多くなったと思います。

 しかし、現実はそうなりませんでした。
 あ安倍再建によって打ち出されたアベノミクスの第一弾の金融緩和は、円安で増えた為替差益などを中心に、企業に利益は急増、株価も順調に上昇すると見えましたが、 企業の自己資本比率は上がりましたが、企業活動の海外脱出が盛んで経済成長率は順調には伸びず、当然税収もあまり伸びず、結果、アベノミクス第二弾の、積極財政は思うに任せず、第三弾の規制緩和・構造改革に至っては、モリカケ問題に矮小化され、税と社会保障の一体化改革も先が見えず、一方で家計の防衛意識による消費不振は、日本経済の成長力に大きく影を落とすことになってしまっています。

 最後に、「経済成長は何処へ行った」という本題に入っていってみたいと思います。






経済成長は何処へ行った(7):対応の限界を超えた円高の齎すもの

2019年06月24日 22時24分31秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(7):対応の限界を超えた円高の齎すもの
 プラザ合意による円高と土地バブル崩壊による「ダブルデフレ」の乗り切りに目鼻をつけ(2000年頃)、2001年にかけてのアメリカ発のITバブル崩壊の影響も一段落し、2002年から日本経済は何とか前を向いて進める気配になり、「好況感無き上昇」と言われた「いざなぎ越え」の景気回復期に入りました。

 そして、2006年ごろにはこれで長期不況も抜けられるかと思われましたが、やはりアメリカ発の世界の信用恐慌、リーマン・ショックに見舞われるという不運が来ました。
 
 ご存知のように、リーマン・ショックは、アメリカがサブプライム層(経済的低位の層)に住宅資金として貸し出した、いわゆる「サブプライムローン」残高を証券化し、当時流行の金融工学を駆使して、格付けAAAの証券として世界中に販売したものが、ベースになったサブプライムローンの焦げ付きで価格が暴落、保有していた世界中の金融機関や投資家の資産勘定に大穴をあけたことによる金融恐慌です。

 日本の金融機関は、先のバブル崩壊の経験もあり、比較的被害は少ないとみられましたが、日本への大きな被害は全く別のところから来ました。

 FRB(アメリカの中央銀行)は、世界金融恐慌を防止するという立場からゼロ金利政策を基本に、徹底した金融緩和政策を取り、そのあおりを受けて、比較的健全と見られる「¥」が買われ、円レートは1ドル=120円水準から80円に急騰、日本経済は、新たな急激な円高に遭遇することに以なったのです。

 プラザ合意から20年近くをかけて、ようやく1ドル120円という為替レートで経済運営が可能という適応をしてきた日本ですが、ようやく(120円という)水面に顔を出したところで、改めて1ドル=80円という水面下に引きずり込まれることになったのです。

 しかも、日本の経常収支が国民の努力で何とか黒字を保っているところから、円は世界で最も安全な通貨という評価になり、何か経済不安があれば円を買うといった行動が一般的になり、円は一時1ドル=75円という水準まで買われています。
 
 日本の金融当局が、米国流に「ゼロ金利・異次元金融緩和」に踏み切るのは2013年ですから、その間、これ以上はできないというコストカットをさらに進めるという中で、日本企業は再び守り一辺倒の対応を強いられたのです。

 当時、説得力を持っていわれた言葉に「コストのドル化」があります。多くの企業は、何か外国でも出来ることがあれば、その仕事は外国に持っていく、円で払う経費を出来るだけ減らすことは至上命令で、多くの仕事は海外に流れ、国内の空洞化は一段と進んだのが実態でしょう。

 海外移転、人減らし、就職氷河期の再来、賃金の引き下げ、非正規社員の増加、企業の健全な発展のベースになる教育訓練費、研究開発費なども削減の対象(前回のリンク参照)になってきました。そしてこれらは今に至る深刻な後遺症を日本経済社会に残しています。

 しかも、今回の円高は、プラザ合意の時のように、G5で挨拶があり日本が了承したという形のものではなく、国際投機資本の思惑の中で勝手に円高が進んでしまったというもので、「¥」は安全通貨という迷惑なラベル貼りも伴っていました。
(この状況は、今も変わっていません。企業も、株式市場も、この呪縛のままです。)

 この深刻な状況は、つい数年前まで皆様が経験されたとですから、これ以上の説明は不要かと思われますが、この「国際金融市場では、何時、何が起きるか解らない」という不安感は、海馬に刻み込まれるようなトラウマとして、その後の日本経済の大きな影響を残しているように思われます。
(「 平成という時代:リーマンショックの前と後」もご参照ください)

経済成長は何処へ行った(6):リーマン・ショックなかりせば

2019年06月23日 17時58分15秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(6):リーマン・ショックなかりせば
 2000年までの日本企業は、販売量の減少と価格低下の両方から売上高が減少する中で、何とか売上高の減少幅よりコスト削減幅を大きくしようという努力だけで生きてきた感じです。

 そして2000年に至ってようやくそれに目鼻を付ける企業が出てきたという所でしょう。減収でも増益という、いわば無理なコストカットが功を奏し、それでも微かな明かりが見えてきました。
 しかし2001年はアメリカのITバブル崩壊の影響で日本経済は落ち込み、いざなぎ越え」といわれた「好況感なき回復」は2002年からになりました。

 結果的にはこの回復は、残念ながら2008年アメリカ発の「リーマン・ショック」で終わるのですが、当時「失われた10年」といわれたコストカットの時期を凌いだ日本経済は、日本経済本来の生真面目さを保ちながら、自力回復を達成しようとした時期ではないかと考えています。

この時期の日本経済の名目成長率と実質成長率の状況を見たのが下の図です。

 「いざなぎ越え」前後の名目・実質成長率


 一貫して名目成長率よりも実質成長率が高いという状態で、一生懸命に生産活動には励むが、物価が下がるから経営は苦しいというのが企業の本音でしょう。
 もちろん労組も遠慮して、春闘要求は定昇程度、賃金も上がらず、まさに企業にも家計にも「好況感なき成長」でした。
 しかし、日本人の生真面目な努力が、2002年からは着実に1.5~2%程度の実質成長率を確保し、ています。

 現実には未だに日本の物価水準は諸外国に比べて高いものが多く、値下げ圧力は強いので、価格引き下げ努力を続けながら、何とか国際競争力の回復、世界一物価の高い国というイメージを払拭する努力を続けたという事でしょう。

 幸いなことに、アメリカの経済好調、強いドル意識などもあって2005~2007年には$1=¥120に近づく時期もあり、コスト削減努力の結果もあわせ、2006~2007年あたりの学卒求人は売り手市場になり、就職氷河期は終わったといわれました。

 この時期、非正規社員の比率の増加は止まりませんでしたが、これまで見てきたところでは、企業の教育訓練費には増加がみられ( 最近は減少傾向)、また、企業の研究開発費は2000年代初頭の16兆円台から2007年には19兆円に増えている( その後は増えず今も18兆円台)など、企業の意欲の高まりが見て取れるところです。

 もし、アメリカ発のサブプライム・ローン問題からのいわゆるリーマンショックがなかったならば、今の日本経済は、もう少しまともな形で健全な経済成長の路線を進んでいたのではないかと思えて仕方がないというのが、諸統計などから見た実感です。

 それだけリーマンシ・ョックとその後の異常なほどに深刻な円高の数年は、企業だけでなく、消費者心理、家計の行動にまで大きな影響を与え、今の日本経済の不振のもとを作っているように思われてなりません。
 その辺りをさらに見てみたいと思います。

経済成長は何処へ行った(5):減収減益から減収増益へ

2019年06月21日 23時05分50秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(5):減収減益から減収増益へ
 前回の経済成長率のグラフを再掲しますが、バブル崩壊以降の名目と実質の経済成長率の関係を見て頂きたいと思います。
 バブル崩壊後二年ほどは青い柱(名目成長率)の方が高くなってますが、1994年を境に青い柱の方が低くなり赤い柱(実質成長率)の方が高くなっていることが解ります。つまり物価(GDPデフレータがマイナスになってきているのです。

名目成長率と実質成長率の逆転


 この時期は、円高で比較優位になった海外の商品やサービスが、国内に入ってきて、国内の物価は海外物価水準に対抗するために下げ続けなければならないという状況になったということです。メードイン・アジア諸国の商品が増え、航空運賃、国際電話料金などもどんどん下がりました。

 日本企業は価格と販売量の両面から売上高の減少が常態となり、人件費を中心としてあらゆるコストカット努力で、サバイバルを図るというのが唯一の経営方針のようになって、日本経済全体としては経済成長がゼロ・マイナスという縮小均衡向かって落ち込んでいきます。

 労働組合の春闘要求は定期昇給程度が常識となり、企業は正社員の早期退職募集、新規採用は非正規雇用で賃金コストを下げるといった状況が続いたわけです。
 企業では労使ともにいかにコストを下げる協力体制を整えかがサバイバルの条件となりました。真面目な日本の労組は状況を理解し、協力体制を敷いたのです。

 そのころ、一部には、円高になったので、輸入原材料の価格は半分になったはずで、その分日本産業は有利になるはずだという意見も根強くありました。
 確かに原油や鉄鉱石の輸入価格は半分になるでしょう。しかし輸入コストはGDPのせいぜい15%です。しかし人件費は60%以上ですから人件費の上昇圧力の方が圧倒的に強いのが現実でした。
さらに、製品輸入の場合も、同様に価格はに半分になるわけですから、日本企業は競争に敗れ撤退、その分GDPは縮小することになります。
 サバイバルのために海外に出る企業や工場は多かったのですが、その場合、GDPは進出先の国で生まれます。つまり、日本産業が空洞化するのです。

 問題はこの努力をがいつまで続けられるかですが、幸いなことに、日本企業が毎年製品価格を何%か下げる一方、海外はまだインフレ基調で製品価格は毎年何%か上がります。
 例えば、日本企業がコストを年3%下げ、外国が4%インフレだったら価格差は毎年7%縮まり、10年でほぼなくなります。

 20世紀の最後の10年、日本企業は、労使協力して、そういう努力をしたのです。
 企業経営の数字で見れば、いわゆる「減収減益」が常態でしたが、コストの削減幅が売り上げの減少幅に追いつき、2000年の段階では、「減収増益」の企業も出てきたようです。

 つまり、売り上げの減少よりも、コストの削減の方が大きくなったという事です。減益では企業の自由度はほとんどありませんが、減収でも増益になれば、企業は多少の前向きの動きも可能になります。

 こうした企業の増加が2002年からの「いざなぎ越え」という「好況感なき景気回復」を齎すのですが、ここまでの巨大なコスト削減の傷跡が、今に残る「ロスト・ジェネレーション」というような社会構造・雇用構造・所得構造の歪みになっています。

 こうした歪みを抱えながらも、日本経済は大げさに言えば、「不死鳥のように」立直り始めたのです。
 この時期の日本経済は、難局を克服し、成長率を高めようという意思を確りと持っていたように思っています。

経済成長は何処へ行った(4) ダブルデフレの中で解ったこと

2019年06月20日 22時59分20秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(4) ダブルデフレの中で解ったこと
 日本経済の変調は、プラザ合意による円高で始まりました。円高とは、ご承知のようにドル建て(国際標準)で、切上げ幅だけ「日本のコストと物価が同時に上がる」という事です。

 円レートが$1=¥240円から120円と2倍になったことで、アメリカでは日本車の値段は2倍になります。航空運賃はアメリカ切符を買えば従来通りですが、日本からアメリカに帰る切符を日本で買えばドルでは金額が2倍になります。当時は国際電話料金は高いものでしたが、日本からアメリカにかけるとアメリカから日本にかける場合の2倍の料金がかかります。

 競争力を失ったのは製造業だけではありません、賃金もドル建てでは2倍なったわけですから、サービス料金も日本ではドル建てで大幅高になり、日本のタクシー料金は、国際比較すれば、世界一高いといわれました。日本で2~3泊の旅行の予算で1週間の海外旅行は楽にできるとも言われ、海外旅行はブームになりました。

 製造業の工場も、日本人の消費行動も海外に流れ、国内は空洞化することになりました。国内経済活動は不振となり、経済成長率は次第にマイナスになっていきました。
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 こうしたことはすべて為替レートの変更、「円高」の結果です。
これを誰にもわかるように巧く説明することは結構難しいことで、tnlabo では「 為替レートとゴルフのハンディ」という形で説明してきました。
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 プラザ合意の後、(アメリカの意向を受けた)内需拡大政策で土地バブル経済になったため、バブルに浮かれ円高の恐ろしさは一時的に見えなくなったようです。そしてそれが見えてきたのはバブル崩壊後で、日本経済は改めて円高の苦難に呻吟します。

改めて、当時の経済成長率の推移を見てみましょう。

当時の経済成長率(1985ー2001)


この図からはいろいろな事が解ります。まず、198年代後半、バブルで地価や株価、ゴルフ場の会員権などが何倍にも高騰したのに、物価の上がり方は極めて小さいことです。総合物価(GDPデフレーター::成長率の名目と実質の差)の上昇率は年3%程度です。
 バブルを日常生活に必要な物やサービスの価格に転嫁することは、殆どなかったという事です。

 石油危機の経験から、日本人はインフレ嫌いになっていましたし、円高で世界一高くなった物価水準をそれ以上に上げることは日本経済の破滅と理解していたからでしょう。
 
 そして、この時点ではっきりしてきたことは、「地価を中心に資産価値が暴落する資産デフレ」と、「世界一高くなった一般物価が海外の価格水準に向けて下がる物価のデフレ」とが一緒に起きているという事でした。 いわば「 ダブルデフレ」です。

 この2つの値下げ(経済収縮圧力)のうち、土地はバブル前の水準まで下がれば多分下げ止まるでしょう。一方、物価の方は、日本の物価水準が海外の物価水準(例えば欧米諸国の水準)まで下がり続けることになるだろうという事です。

 2倍の円高で、物価も賃金も、国際比較すれば2倍になった日本です。物価を半分に下げるには賃金も半分に下げなければなりません。
 「この不況は容易には終わらない」ということがはっきりし、そこから企業も家計も、労働組合も経営者も、何年かかるかわからない、この円高で強いられたデフレをあらゆる手段の「コストカット」で乗り切る覚悟を固めることになるのです。

 長期にわたる、いわゆる「 デフレ不況」が常態になることは明らかです。 
 このあたりから、日本経済を担う経済主体(企業・労組・消費者)経済成長などとても見込めない長期デフレを覚悟したのではないでしょうか。

経済成長は何処へ行った(3) 円高の恐ろしさが理解できなかった

2019年06月19日 17時10分04秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(3) 円高の恐ろしさが理解できなかった
 日本経済が健全な成長軌道を外れて、歯車のかみ合わない成長しない経済に出したきっかけはプラザ合意で、その背後には、覇権国は追い上げる国を本能的に追い落とそうとするという意識があったのだろうというのが前回の趣旨でして。

 そして日本は、甘んじて(その意味するところが良く解らずに)それを受け入れてしまったのですが、そこでの大きな問題は「通貨価値の大幅引き上げがその国の経済にどんな影響を齎すか」を理解していなかったことにあったと思われます。

 円高は日本の価値が上がって事、加工貿易立国の日本は円高で海外からの資源を安く買える、円高のメリットを生かせばよい、円高でインフレへの警戒は不要になる、などなど、円高を歓迎する意見は多く聞かれました。

 本来ならば、製造業の競争力喪失で、円高の苦難に直撃されるところでしたが、そうならなかったのが、地価高騰を中心にしたバブル経済の発生です。

 このバブル経済の背景にあったのが、「新前川リポート(1987年)」(元日銀総裁野前川春雄氏座長)、でした。
プラザ合意で指摘された日本の大幅貿易黒字削減のために必要なのは内需拡大で、その他雨には、遅れている社会資本の充実・高度化、労働時間の短縮(1800時間)などを掲げ、多くの具体策を提示しました。
 その推進の中でとられた社会資本高度化のための金融緩和政策に、日本伝統の地価神話の思惑が重なり、地価の急騰いわゆる「土地バブル」、が起きたのです。

 しかし、バブルでいかに土地その他の資産価値が上がっても、GDPが増えるわけではありません。現実のビジネスは、製造業の空洞化などで落ち込んでいるわけですから経済成長はストップです。
 しかし世の中はバブルで、バブルの時は誰もが「バブルはいつまでも続く」と思っています。そして、不動産売買や遊休土地の切り売りなどで、巨額の金が入りますから、1991年まで、日本経済は、バブルの宴に酔うことができたのです。

地価高騰をベースにジャパン・マネーは巨大化し、世界で猛威を振るう状態でした。
 円高で著しく強くなった円と金余りという状態が、しばし円高の恐ろしい側面を日本人に気づかなかったようです。

 その頃の風景を書き記せば、こんな事でしょうか。
$1=¥120で競争力を失った製造業などが空洞化する一方、土地バブルは全国に広がり、日本中の土地が値上がりし「日本の土地を全部売れば、面積25倍のアメリカ全土が4つ買える」などといわれました。(単位面積当たり100倍)
  
 金余りで、株価はもちろん、ゴルフ場やリゾートの会員権は高騰、バブルは書画骨董ににまで及び、金融・不動産などを中心に、日本企業は大金持ちになり、ジャパンマネーはアメリカにも大量に流れ、赤字のアメリカを潤したようです。

 当時、日本でも名の知られた、ロックフェラーセンターやティファニーなども日本に買われ、「そんなに日本に買われてアメリカはなぜ黙っているのか」などと訝る評論家などもいたほどです。 
 結局は高値で買って安値で手放すことになるのですが、これもアメリカの経常赤字状態の多少の助けにはなったのでしょう。

一方、急速に競争力を失った製造業などでは、状況は深刻になりつつありました。
鉄鋼、電力などの過度の基幹産業は需要の急減で人余り状態になり、工場の温排水を利用して、ウナギやアワビの養殖などの副業で雇用を維持し、不況の回復を待つといった状態でした。

 多くの企業は、それまでの経済成長時代の経験から、「不況が何年も続く事は無い」と考えていたようでした。しかしその期待は裏切られました。

 経済界もアカデミアも政府も、円高の恐ろしさをきちんと理解していなかったことが大きな原因だったと思われます。

経済成長は何処へ行った(2) すべてはプラザ合意から

2019年06月18日 21時48分40秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(2) すべてはプラザ合意から
 このブログでは何度か「平成という時代」について、経済の側面を取り上げてきましたが、いわゆるロスト・ジェネレーションを産んだ平成不況が、いったいどこから始まったのかというのがまず大事な点でしょう。

 一般的には1990年、91年のバブル崩壊からということが多いのですが、これはプラザ合意という原因の結果で、すでにバブル以前に日本経済は異常な状態になっていました。

 2度の石油危機を乗り越えて日本経済が正常で健全な状態を維持していたのは1980年代前半までです。
 ではその時何が起こったかですが、ご存知の「プラザ合意」です。

 この問題を考える場合には、今の米中関係が参考になります。
 これは今はやりの言葉でいえば「地政学的」な問題というのでしょう。覇権国が次第にその力を弱め、第2位の国に追い上げられる状態になった場合、一体どんなことを考えるか、これは想像に難くないでしょう。

 覇権国は自国の立場が脅かされることに抵抗し、まず、追い上げる国の経済成長にブレーキになるような政策を考えるでしょう。
 アメリカも当然そう考えるはずです。そしてとった政策は、追い上げる世界第2の経済大国、日本の大幅貿易黒字が国際経済関係を不安定にする、という視点からの政策です。

具体的には、G5のうち、日本以外の4か国で強調し、日本に円高を認めさせるという戦略です。

 この戦略はまんまと成功しました。当時の日本は欧米先進諸国のスタグフレーションをしり目に、超健全な成長路線を歩んでいました。エズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書き、ある意味では日本は得意の絶頂にあったと思います。

 為替レートを多少の円高にしても、日本は十分にやっていけると考えていたでしょう。
ニューヨークはプラザホテルのG5の会場で、日本代表の竹下登蔵相は、すでに実務者間協議で決まっていた円高要請を容認したのです。

 日本経済の変調のきっかけはここににあったと、後から見れば明らかですが、やはり日本の人の良さ、そこから来る脇の甘さ? という事でしょうか、当時の$1=¥240が190円か200円ぐらいの円高と想定していたといわれていますが、それなら容易に対応可能と考えてもそう不思議ではありません。
当時の日本の円の実力は1ドル=200円~220円ぐらいの水準だったのでしょう。

しかし、現実は2年後には1ドル=120円というほぼ2倍の円高になりました。まさに想定外だったのでしょう。

しかしそれでも当時の日銀も含め、円高もいいのではないか。日本の価値が高くなったという評価なのだから、と主張する、学者や専門家も多かったのです。

そうでないことはその後次第にわかってきます。しかしそれにしても、その後30年の長きにわたり経済成長が思うようにいかないといいう所まで行くというのは異常です。
それには、日本自身の失敗もいろいろとあったはずです。

いずれにしても、覇権国アメリカは、第二位の経済大国日本の経済成長を停滞させることに成功しました。
しかし、代わって、今、中国がアメリカを脅かすに至りました。
<蛇足>
アメリカも、対中国では、日本の時のように巧くは行かないでしょう。中国は日本の失敗の経験をしっかり学んでいるようです。
ただ、中国には中国なりの弱みもあります。さて、・・・  以下次回

停滞を続ける日本経済の不思議:成長経済はどこへ行った

2019年06月17日 16時08分17秒 | 経済
停滞を続ける日本経済の不思議:成長経済はどこへ行った
 去る5月29日、「長期不況:米戦略の成果か日本の自責失点か?」を書きました。これはずっと気になっていた問題ですが、ここまで勤勉に働く日本人が創っている日本経済がなぜ30年もの長きにわたって停滞を続けているのか、というのがここでのテーマです。
 
 この問題に解りやすく答えてくれる経済学者や政治家がいるのでしょうか。日本人の1人として残念でなりません。

 経済成長というのは、今年生産した付加価値を投資と消費に分け、投資(研究開発投資を含む)によって労働の資本増備率を上げ、労働生産性を高めて、翌年の付加価値生産をより大きくするという事の繰り返しです。

 経済成長がうまくいかないといいう場合、主な原因は、
<内的要因>
① 生産した付加価値を投資と消費に配分する「配分関係」がうまくいかない
② 生産性を上げる力(イノべーション)がうまくいかない
<外的要因)
③ 経済が国際化する中で、国際関係(為替レート、紛争など)がうまくいかない
等が考えられます。

 こんなことを手掛かりにして、この30年ほど、日本の経済成長が止まってしまった原因を考えてみたいと思います。

 中世といわれる時代には、何百年も経済成長がないこともあったようです。しかし、産業革命以来、「経済は成長するもの」というのが常識になって、経済成長がないと国民は不満です。

 政権も、いかにして、国民が納得するような経済成長を実現するかがいわば最大の使命でしょう。
 日本はそれに失敗してしまったのです。アメリカには大きく引き離され、中国には抜かれ、先端技術でも次第に遅れていく部分が目立つようになりました。
 何とか抜け出したいものです。

 日本人が駄目だからという意見もあるようです。しかし、tnlabo はそうは考えていません。日本人は真面目で勤勉に働いていると思っています。
何が狂っているのでしょうか。

チューリップ花壇から菜園へ

2019年06月15日 13時48分06秒 | 環境
チューリップ花壇から菜園へ




 去る4月、100球千円のチューリップ球根を植えた「 豪華花園」をご紹介ました。新種の枝咲き( マルチ咲き)チューリップもありました。
 その豪華花園は、今は胡瓜と茄子のミニ菜園です。麻生さんが受け取りを拒否した審議会報告もありましたが、麻生さんが受け取り拒否をしても、庶民の生活には何の関連もないので、年金生活者としては、1本60円の苗を買ってきて夏野菜は自給自足を心がけています。

 おかげさまで胡瓜4本、茄子3本(一本立ち枯れ)は、すくすくと育って順調に花が咲き、すでに小さな実がなり始めました。
 私の農業体験は、終戦直前の空襲で家が焼失、その後3年間、中学時代を山梨県の現在笛吹市の疎開先で、過ごした時のものですが、3年の実体験は役に立ちます。

 最初になった実は、本体の生育の負担になるので小さいうちに取ってしまうことにしています。
取った小さな胡瓜や茄子も、みそ汁の具にして、「初物を食べると、75日生き延びる」などといって楽しんでいます。

今日は雨がよく降っていますが、先日、天気のよい時に撮ったミニ菜園の様子と、今日偶々見つけた胡瓜の雌花と雄花が並んで咲いている写真が上の写真です。

どこまで下がる平均消費性向

2019年06月13日 18時04分21秒 | 経済
どこまで下がる平均消費性向
 報告が遅くなりましたが、6月7日、総務省発表の「家計調査」から、最近時点の平均消費性向の数字を載せておきます。

 毎月数字が発表になるたびに、そろそろ下げ止まるのではないかと期待しながら見ているのですが、今回もその兆しは見えないようです。

平均消費性向(2人以上勤労者所帯:%)の推移

  総務省:家計調査報告
 
 図に示しましたが、2019年4月、2人以上の勤労者所帯の平均消費性向は、78.3%で昨年の4月の82.7%に比べて4.6%ポイントの大幅低下になりました。今年になって4か月のうち3か月は低下です。
 このところ、年々平均消費性向は下がってきていますが、4.6という数字は驚きです。

 因みに2人以の上勤労者所帯の可処分所得は430,702円で、前年同月比2.5%の増加でしたが、消費支出は0.7%しか増えず、結果的に4.6%の平均消費性向の低下となったというのが「家計調査統計」の示すところです。

 ご承知のように、消費支出の伸びない分は貯蓄が増えているという事ですが、このところの日本の家計は、老後に備えるのでしょう、貯蓄に専心しているようです。

 過日ご報告しましたように、老後生活についての審議会の報告を、諮問した麻生財務相が受け取らないということで国会はまたごたごたですが、受け取らなくても、それで年金の環境がよくなるわけではないので、家計はさらに将来不安感を強め、貯蓄に走り、経済低迷の最大の要因である「消費不振」を「平均消費性向の低下」という要因で更に酷くすることが心配です。

 「100年の安心」を政府が謳っても、国民が将来不安から貯蓄に走るという実態の背後にあるのは国民が政府の言うことを内心では信用していないという事なのでしょう。

 こんな国民と政府の関係を象徴するのが「平均消費性向」の低下だとすれば、政府はもっともっと「平均消費性向」に目を向け、(日本は基本的には豊かな国ですから)どうすれば国民・家計が将来不安を感じなくてもいいような社会にできるかを本気で考えてほしいと思いながら、毎月「平均消費性向」の動きを追っています。

「口は重宝」、「嘘も方便」:日本にはいい諺が

2019年06月11日 23時53分26秒 | 政治
「口は重宝」、「嘘も方便」:日本にはいい諺が
 このブログでの5月23日に取り上げた金融庁の「高齢社会における資産形成・管理」報告書が国会で問題になってしまいました。今日、麻生さんは、受け取りを拒否したようです。

 事の起こりは安倍総理が、参院決算委で、この報告書は「不正確で誤解を与えた」と発言してからでしょうか。
 しかし、専門家を含めて、より多くの意見は、「年金の当面する現実を率直に書いている」というもののようですし、私もそう思います。
 5月22日「案」が新聞発表になった時、近づくG20を控えて、高齢化先進国日本が、高齢化に悩む世界の国々の問題整理をリードするためにも、5月中にまとめると解説されていました。

 その趣旨から考えれば、年金にとって高齢化は大変な問題です、対策や解決策は容易でないですよ、問題に直面している日本はこんな事まで考えています、という筋になるのが当然で、現実に、国がすべて面倒を見るのは不可能になりますから、多様な方法を検討しなければならないでしょう、という筋立てになって当然でしょう。

 しかし考えてみれば、これは、今まで国内で言ってきた「年金は大丈夫」という政府の主張とは相容れないことは明らかです。
 当然、野党は「そこ」を突くでしょう。

 そこで「安倍さんの「不正確で誤解を与えた」という発言になるわけですが、「何が不正確で、どういいう誤解を与えたのか」の説明はありません。
 
 多くの人は、報告書の方が真実に近く正解で「日本の年金は安全です」という方が国民に誤解を与えていると率直に思っているでしょう。政府の政策も、よく見れば、その方向で動いています。
 「口は重宝」で、その場を言い逃れればあとは有耶無耶ということも多いようです。

 安倍さんは 消費増税を延期した際 に、「2020年のプライマリー・バランスの達成には関係ありません」といっていました。あとから達成は反故になりました。「嘘も方便」という所でしょう。財政問題は、年金とも深い関係を持つ問題でしょう。

 麻生さんは、「報告書は受け取らない」といいますが、自らが責任を持つ、大変な頭脳と時間と労力をかけた報告書です。当然逐次報告を受けていたはずです。土壇場で受け取らないといえばそれで済むことでしょうか。
 TVでご本人を見れば、「受け取らない」といえば、それで済むような様子で笑っておられました。これで済めば「口は重宝」そのものでしょう。

 これからの年金問題は本当に大変でしょう。そして、いつかは現実になって表に出てくるでしょう。
 この問題の解決は、何時も触れていますように、GNI:国民総所得の配分を税制も含め、根本から考えなければならない(パッチワークでは不可能な)問題でしょう。
 そして当然与党だけでなく、野党を含め、国民全体本気で考えなければならない問題でしょう。

 相手を言いくるめればそれで勝ち、といった国会論議はもう聞きたくないですね。国民のための論議をお願いします。

日本はなぜ経常黒字の国なのでしょう

2019年06月10日 23時56分47秒 | 政治経済
日本はなぜ経常黒字の国なのでしょう
 昨日はG20で経常収支の不均衡の多国間調整の問題が取り上げられたことを書きました。

 麻生議長がどういう意識でこの問題を取り上げたか解りませんが、恒常的に大幅な経常黒字を出している代表的な国はドイツ、日本などでしょう。

経常収支は、貿易収支・サービス収支、それに第一次所得収支(直接投資の利子配当の収支)からなるもので、日本が大幅黒字なのは、主として第一時所得収支の黒字が大きいからで、貿易収支やサービス収支は赤字のことも多いのが現実です。

トランプ流の解釈では、競争力が強すぎる、円レートが安すぎるといったことにいなるのでしょうが、これはきわめて単純な 見かけ上のものです。

もっと本質的な見方をすれば、アメリカのような国は、アメリカの国としての稼ぎであるGNI(国民総所得)より余計に金を使っているから当然赤字になるわけで、浪費型(キリギリス型)経済だから経常赤字(借金の増加)という事になります。

 日本のような場合は、正反対で、勤倹貯蓄型(アリ型)で、一生懸命稼いだGNIを毎年遣い残して貯蓄に回し、将来に備えているから経常黒字(貯蓄の増加)になるわけです。

 アメリカの政府や国民が、ベンジャミン・フランクリンの教えに忠実であれば、経常赤字の国にはならないでしょうし、日本人がもう少し楽天的になって、稼いだ分は、みんな遣おうと考えれば経常黒字は忽ちなくなるでしょう。

 国際競争力の格差とか、関税・非関税障壁の有無が、赤字か黒字かの原因だ、などと単純に考えていては、解決出来るものも解決できないといったことは十分ありうるのです。

 これから、日米間のFTA交渉も本格化するのでしょうが、赤字・黒字の原因が那辺にあるのかをよく考えることも大事ではないかと思いますので、随分以前に書いた問題を、また、改めて取り上げてみました。

G20共同声明:アメリカへの「配慮」か「 敬遠 」か

2019年06月09日 23時15分29秒 | 国際関係
G20共同声明:アメリカへの「配慮」か「 敬遠 」か
 福岡での財政金融のG20、つくばでの貿易とデジタル経済のG20はともに教「共同声明」を採択して閉幕しました。

 今回のG20は、アメリカがトランプ大統領の「アメリカ・ファースト」という従来のアメリカの自由経済、国際協調という路線と違った自国中心主義の主張がエスカレートする中で行われたわけですから、議論の行方には当然注目が集まります。

 会議が終わってみれば、結局、アメリカ以外は入れたかったと思われる「保護主義に対抗」という文言は入りませんでした。貿易摩擦による世界経済の下振れリスクへの懸念を表明し、その場合は「さらなる行動」(中身は不明)をとるといったところでとどまっています。

 アメリカに配慮することが、アメリカの孤立を深め、自体一層悪化させる可能性に配慮した大人の態度というべきでしょうか?(触らぬ神に祟りなしですか)
 世界中がアメリカに困っているという現実が浮彫りになったという見方もあるようです。

 米中貿易摩擦以外の問題では、前進したものも多くあるようです。デジタル貿易についての課税問題、経常収支の不均衡の多国間での解決の方向、途上国のインフラ投資の問題(債務の罠につながるよな:中国は納得)。また貿易問題ではWTOの機能改善が盛り込まれ、WTO事務局長がこれを歓迎という報道もありましたから、これも一歩前進でしょう。

 これからも、閣僚級のG20は、エネルギー、農業、観光、保健、などなど続くようですが、こうした個別問題については、会合を重ねることが大きな意味を持つことも事実でしょう。
 議長国としての日本が、何処から見ても「公正・適切」と感じられるような采配をすることが強く望まれるところです。

 また、いささか余計なことを付け加えますが、世界の巨大問題である「米中摩擦」の行方は、大阪サミットで何かが見えてくるのかもしれませんが、貿易では受け身の中国が、南太平洋(日本とは尖閣問題)、北極海、宇宙開発、軍事力などでは、一貫して覇権国への道を進めているように見えます。

 貿易問題は、さらに巨大な覇権問題の前哨戦なのかもしれません。
 仕掛け人(国)のアメリカも、そしてトランプさんも歴史は浅く問題は当面の事象に集中するようですが、中国は4000年の歴史を持ち、「愚公山を移す」といった超長期までの目を持っているのかもしれません。だからでしょうか、事はそう簡単ではないという方が多いように感じるところです。
 tnlaboの願いですが、これが「争いの文化」ではなく 「競いの文化」のレベル、より高次元の活動として進められることこそが、人類社会全体にとって、真に望ましい事ではないでしょうか。