tonto's blog

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セルフうどん店のカレーライス

2022-08-25 | weblog

 スーパーのイオンのある専門店に用があって洲本イオンに出かけました。その用は30分ほどの待ち時間があるので、その専門店向かいにある「はなまるうどん」へ。実ははなまるうどんでこれまで食べたことがなかったのです。看板で目に付いたのが「冷やし坦々」で白・ゴマ・汁なし赤から選ぶようです。最近はめっきり辛いのが苦手になってきていたので、マイルドそうな白にしました。

 ちらっと見ると、+290円でカレーライスセットになると(単品は390円)あったので、かなり空腹だったこともありセットにしました。

 量は少量で具もジャガイモと人参だけ(肉のかけらは途中見つけた)のもの。まあ290円だからと食べ始めると、これが美味しい。ちょっと粘り気のあるほどほどの、いわゆる「懐かしいカレー」でした。これはよかったね。煮崩れていないのに口の中でジャガイモはほろっと溶けるように崩れたのも点数アップ。

 周りを見ると平日のスーパーのフードコートは高齢男性ひとり客が多くて、なんとなく寂しさ(みじめさ?失礼)を感じます(そのひとりだけど)

 冷やし坦々(白)はもちろんしっかりとした讃岐うどんらしい麺に程よい辛さのひき肉の餡がかかり、こちらも美味しかったね。初めてのはなまるうどん、地味に美味しい。

 この後は毎朝のプレーンヨーグルトを買いに食品売り場に入ります。ちらっと変わったカップ麺はないかと毎回覗くのですが、急激に値段が明らかに上がっています。

 僕が手を出すのは最近じゃ、108円以下のものだけ。舌のほうもオンチでよかった。


無停電電源装置なのに

2022-08-21 | weblog

 日曜日の朝「がっちりマンデー」を見ていたら急にテレビが映らなくなりました。画面にメッセージが出ていて、「アンテナ線の不良が考えられます」とのこと。これまでに何度かこのメッセージを見たことがあり。自分のところじゃなくケーブルテレビ側(田舎なのでデジタル放送が届かない)の問題で、しばらくすると映るようになっていたことが何度かあったのでテレビを消してパソコンのメールチェック。雷の音も結構強く聞こえているしなあとか。

 あれ?パソコンがネットにつながらないぞ?ネットはケーブルテレビじゃないのにという事で光ファイバーが入っているONU(光回線終端装置)を見に行きます。ここに並んでいるONUと無線LANを兼ねた楽天Casaのランプがみんな消灯?しています。もちろん停電はしていません。

 もしかしたらこれらのコンセントへのブレーカーだけが落ちた?でもUPS(無停電電源装置)を電気屋さんが停電してもネットやケーブルテレビの信号は大丈夫なようにと設置してくれていたはず。

 結局はこれが壊れてしまったようでした。これを経由せずに普通にコンセントに差すとちゃんとみんな作働しましたから。何のためのUPSなんだろとなんかがっかりでした。太陽光発電の蓄電池の方から給電しておく方がいいのかな?これだけで日曜の午前はおしまい。まあ外は雨だったからね。

 そうそう、この楽天casaって楽天の電波が弱いところでは役に立ってますよ。


お墓

2022-08-19 | weblog

 備忘録みたいなものです。

  今年1月に母がなくなりました。もう高齢でしたので大往生といっていいと思います。でもなかなかそのあとのイベントが色々とあって、なかなか。

 写真のように今は仮の墓が置かれています。白い墓石は何もない小さなつるんとしたもの。年末になって右上にある父の墓石に並んで戒名を彫り刻んでもらうことになります。右奥のものは私のおじいちゃんとおばあちゃんの墓石です。また仏壇の位牌も白木の仮のものから父のものに並んで書き添えられ、そしてやっと一周忌を迎えることになるそうです。

 このように手間をかけながら進行するのは同じ真言宗のなかでも近隣だけ、もしかしたら私たちの菩提寺である栄福寺(ようふくじ)の檀家だけなのかもしれません。他宗派である家内の実家などでは四十九日を過ぎればすぐに墓に納骨されますからね(浄土真宗などは位牌そのものがないそうですね)

 この理由を住職が教えてくれたのですが、今ひとつ理解できませんでした。昔は亡くなると土葬されており、私たちの檀家は土葬する所と墓地が異なるところにありました。そしてなくなって一年ほどたって、土葬した付近の土を採取し、墓石の下に葬っていたそうです。もちろん今は火葬となっていますので、すぐに墓石の下に祀ることはできますが、過去の風習から仮墓を墓地内に置き、一年後に墓石の下に骨壺を移動するようなお話であったと思います(正式な名称は忘れました)

 父が亡くなったのはもう30年近く前になりますが、田舎で母親をひとりで暮らさせることはいけないような気がして、大学病院を辞めて、一年ほどブランクがありましたが診療所の再開のような形をとり現在まで続いています。

 その間、ずっと未亡人となった母親を見ながら過ごしてきました。もちろん口にはしませんでしたが寂しかったと思います。そして亡くなった後ももう半年以上仮の墓の下に遺骨がおかれています。けれど、この度の初盆にはひとりで家に帰ってきましたが、送るときには送り火をたいて先祖の方たちと一緒にあちらへ戻って行ったはず。やっとこれからは母のことを父に任せられるような安心感を感じています。

 あちらの世界はどのようなものかわかりませんが、私は過去の人みんなに会えるところだと思っています。そういうように考えれば「死」というものはさほど怖いものではないような気もしてきますし、そのように思わせるそれが宗教なのでしょうね。

 


ケ・セラ・セラ

2022-08-10 | weblog

 昔からたまに聞く言葉、少し前の新聞コラムになかなか興味深いことが書かれていました。

 「ケ・セラ・セラ」…なるようになるさ、なるようにしかならないさ、とかどこか諦めたような、居直った感じにもとれる意味だと思っていました。

 でも元はイタリアの古いことわざで「来るべきものは必ず来る」という意味だそうです。スペイン語だと Que Será, Será 開き直っている日本風「ケ・セラ・セラ」に対して、イタリア風はやるべきことをやって結果を待つという、結果に少々自信のある意味のようにもとれました。「満を持して待つ」に近いのでしょうか。英語だとwait with full preparation  または long-awaited 英語の方がわかりよいですね。

 日常、何をした後に結果に自信がなくても「ケ・セラ・セラ」の態度でいたいと思います。もちろん手抜きやズルした後は「ケ・セラ・セラ」とは言えないんだな。


ほんの数十分でした

2022-08-06 | weblog

 東北や北陸ではひどい豪雨で、大変な被害が出ていると伝えられています。一方私の住む淡路島は元々雨の少ないところで、雨雲レーダーとかで経時的に雲の動きを見ても四国から進んできた雲が、明石海峡・鳴門海峡に近づくと北の兵庫中部や南東の和歌山方面に進み、淡路島を避けているようなことがよく見られていました。

 今日明け方、強い雨音で目が覚めました。ついにうちの方にも来たかと思い起きて外を眺めていると、強いのは数分、そして30分もしない間に降りやみました。

 テレビをつけてみるとこのように見事に淡路島の上だけ雨雲が集中。珍しいなと画面を写真に。こんなこともあるんですね。週末のその後は前日までと同じカンカン照り。駐車場での予防衣を着てのコロナ抗原検査は結構過酷です。今淡路島でもコロナ患者発生は高止まりの状態です。