たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

決めつけられること

2016-10-06 02:06:43 | Weblog
 誰かを「何かだ!」を決めつけてしまうことは人の正しい思考を著しく鈍らせる。
 そもそも、論理の要点は「時間、空間(場所や対象)、数」の3つなのに、決めつけてしまうというのは何かの数の時間変化を一切考慮しないということだ。人は成長するし、立場も変わるし、誰か一人が変わらなくても環境が変わってしまえば役割が変わってくる。ここを考慮しない思慮の無さは致命的と言えるだろう。

 中高今までずっと優等生だったから東大に入ってからも無条件で優等生のポジションで居続けようとしたり、昔の生徒が優秀になっている現実に目を向けずにいつまでも先生ぶったりしたり、気持ちが変わってしまった相手にいつまでも執着したりする。そういうのはロジックに時間の要素が圧倒的に足りていない。

 そもそも、人は論理では矛盾しながら生きている生き物だ。
 俺もAだと思っている反面、Bだと思っている要素がありながらも、でも個人の主張としてAとして自分の意見を1つに収束するときに辛い時があるわけで、ただ、ここの考慮をみんなもっとするべきだと思うのだ。

 とかく、このブログを読んでくれている皆さんは、俺の事を反権力で現在の研究における批判をしまくってるキャラだと思ってるかもしれませんが、それは確かにそういう要素があるってだけで、その部分が強く伝わっているだけで、意外と俺って政治的な側面の大切さも感じていると思うんだけどなぁ(ただし、その政治力に伴うだけの実力と気持ちが「きちんと」ある、という条件はつくが)。まぁ、言葉ゲッターになって偉ぶりたいだけの人たちが多い世界の中で、それだって決めつけなわけで、そうじゃない側面を冷酷に見定めていられるようにならないといけないよね。

 よーするに何が言いたいのかと言うと、、もう少し、俺って、信頼されても良くない?笑
 (ちょっと待った!ここで文章を止めるのはやめよう笑)

 決めつけたくなる気持ちを感じ取ると、反射的に「決めつけないで!」とアピールしてみるけど、決めつけがちだってことを決めつけているのはこちらだったりするわけで、もう少し世界に善意があることを信じたいけど、、でも、自分よりも弱い立場の人に対してないがしろにするタイプの人が、全人類の中で過半数を占めていることはほぼ決めつけてもイイ事実だと思うから、このクズたちを考慮するための行動は、今後、よりいっそう控えていこうと、俺は思っている。

 前から言ってるように、俺は人を能力で評価しません。自分が損しても、どれほど優しさを配れるか?ここが大事です。
 特に、そんなこと考慮するわけないぜ!と公言できるほどの、わかりやすいクズ(つまり、クズのなかのクズ)を考慮している時間は、いくら人生が長いとはいえ、あまりありません。

 え?他人をクズだって決めつけているじゃないかって?
 一生治る見込みが無いから、わかりやすいクズだって言ってるんだよ笑。まぁ、わかりやすいクズは、まだ関わらなきゃいいだけだから、良いんだけどなぁ。問題は、一見すると常識人に見えるクズ、なのよね。。